間歇日記

世界Aの始末書


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97年1月上旬

【1月10日(金)】
▼そろそろSFスキャナーを書かなくてはならない。風邪の引きはじめで脱力感が激しい。塩澤編集長御用達にちがいないベンザブロックを飲んでいるため、やたら眠い。原稿書きに備えて、グリコのWake up(例の強力ミントカプセルである)を三つ買う。アセールなる会社のギガショックというものすごい名前のやつも、試しにひとつ買ってみる。全部一度に口に入れたら……と想像すると、それだけで目の覚める思いがする。経済的かもしれない。

【1月8日(水)】
▼映画俳優数珠繋ぎゲームをWWW化したサイトがインターネット・ウォッチで紹介されていたので、さっそく行ってみる。Six Degrees of Kevin Bacon(「ケヴィン・ベーコンまで何作品?」とでも訳すか)というゲームで、要は、一度でも共演したことのある俳優同士をたどり、できるだけ遠まわりしてケヴィン・ベーコンに繋がる起点となる俳優を捜すというものである。経路はデータベースが自動的に発見してくれるから、遠まわりしそうな俳優の名前を入力するだけでよい。
 そんなもん、五人や六人挟むのは軽いじゃろうと甘く見て昼休みに会社でやってみると、あにはからんや、すぐたどりついてしまう。たとえば、所ジョージ(Tokoro, George)からはじめてみると、Madadayo (1993)で Igawa, Hisashi と繋がり、 Igawa, Hisashi Hachigatsu no Kyoshikyoku (1991)で Gere, Richardと繋がり、Gere, Richard は、Pretty Woman (1990)で当然 Roberts, Julia に繋がり、そうなると Roberts, Julia は、Flatliners (1990)で簡単にケヴィン・ベーコンに繋がってしまうのだ。経由した作品数を Bacon number と称するのだが、どう頑張っても4以上にはならなかった。原田貴和子も鹿賀丈史も4、菅井きんは3、だんだん腹が立ってきて、手当たり次第にSF作家の名前を入れたりしてみたが、あんまり奇を衒うとケヴィン・ベーコンまで繋がらず失格(そもそもデータベースにない)。いや、こいつはハマりますわ。
 我と思わん方は、The Oracle of Bacon at Virginiaへどうぞ。ベーコン・ナンバー7とか8とかの俳優を見つけた人は教えてね。それにしても、これだけのデータベースをよく作ったもんだ。
 雑誌の同じ号に書いたことのある人をたどるというルールで、Six Degrees of Nozomi Ohmori なんてのを作ったら、SF業界にノゾミ・ナンバーが3以上の人はいないんじゃないかなあ(笑)。

【1月7日(火)】
▼会社に勧誘の電話がかかってくる。利殖の話だ。どこで調べてくるのか知らないが、どうせ調べるならもっと徹底的に調べれば、おれに利殖の話を持ちかけるなど、ドラえもんに指輪を売り込むようなものだと知るだろう。ただ相手は珍しく女性であった。いままで叩き切った電話は数知れないが、敵はとうとう色仕掛けできおったか。「あ、そういう話は興味ありませんので」心なしかいつもよりトーンが柔らかい自分の声が情けない。「そうですか。では、また宝くじに当たったときにでも、よろしくお願いします」
 ううむ、これは斬新だ。はなはだ失礼な捨て台詞にも聞こえるし、当たり障りのない話の終えかたにも思える。やたら狎れなれしいノリで人を小馬鹿にしたように早口で喋るだけのいつもの男たちにも、これくらいの藝を期待したい。
 電話を切ってから、ふと考える。さてはいまの女は、このあいだのおみくじ売場の巫女ではあるまいか。濡手に粟の如しなどという大吉をみなに掴ませて、あとから利殖の話を持ちかけるのにちがいない。星新一の「殺し屋ですのよ」だな。ぬはははは、SFファンはそう簡単には騙されぬぞ。それにしても、あの巫女め、おれの勤め先がどうしてわかったのだろう。

【1月6日(月)】
▼仕事始め。電子メールが大量に溜まっている。報告書を書いたりメールを処理したりの一日。街には日本人形のコスプレの人がまだ歩いている。理屈から言えば、紋付袴で会社に来る男がいてもよさそうなものだが、みな背広を着ている。なぜだろう。

【1月4日(土)】
▼パソ通の友人数人と大阪で初詣オフ。創作をやるメンバーばかり。初対面の人も半分ほど。おれがいちばん年寄りで、最若年者は二十四歳というから、ちょうど十年の年齢幅がある。SF界にかぎらず、昭和四十年代前半生まれの人あたりから、なにか大きな感性の断層が生じていると考えているので、非常に興味深い年齢構成なのである。おれが五〜六歳年上の人と話しても本質的にはさほど大きな断絶を感じないのに対し、おれの五〜六歳下というのはちがう人類のように感じられる。案の定、話題はあまり噛み合わないが、それなりに面白い。筒井康隆を読んだことがないという若い人もいて、微笑ましいやら愕然とするやらである。歳を食ったなと思う。
 みなで天満の天神様に押しかけ、適当に初詣をする。生きているか死んでいる人間に頭を下げることはあっても、神仏狐狸妖怪の類にはつきあい以外で頭を下げない主義なので、初詣などというものは二十数年ぶりのことである。参拝者が賽銭を投げている。コンビニのおつりで小銭が増えて重いから、ちょうどいいやと一円玉を五枚財布から取り出す。仮にも相手は神様だ。いくらなんでもこれではバチが当たるだろうと、十円玉を一枚足して投げ込む。みながおみくじを引いている。もったいないからやめようと思ったが、あの独特の文体はなにかの参考になるやもしれぬと思い直し、二百円払って引く。大吉だ。どうせみんな大吉なんだろうとほかの人のを見ると凶や吉ばかりで、大当たりはおれひとり。神様というのはなかなか洒落っ気のあるやつらしい。「願事:萬事成就す大吉なり、商業:自ら誇らざれば濡手に粟の如し」なんだそうである。ほんまかいな。
 本屋に寄って夜の部のみの参加者と合流、飯食ってカラオケ。

【1月3日(金)】
▼妹夫婦が娘二人を連れて遊びに来る。正月にたこ焼きを食いに来るのが恒例になっているのだ。片時もじっとしていることがない子供二人でてんやわんや。年賀状を書くのはおろか、本も読めない。あーあ。人の子は見ていてもまだ可愛いが、自分の子が常時あの調子でそばにおったらたまらんなと思う。子供を育てている人はまったく偉大である。次代を担う人材をボランティアで育てているのだから、子供のいる人は、男女を問わず、経済的にも労働条件の面でももっともっと優遇されて然るべきだ。むかしであれば、老後の面倒を看てくれる人材を自分で育てているという、利己的なわかりやすい社会通念があったものだが、いまは将来自分の世話をしてくれるともかぎらない子供を親はせっせと育てているわけである。育てるという行為そのものが報酬だとでも考えないかぎり(そうらしいのだが)、アホらしくてやっていられないのが本音ではあるまいか。
 たどってゆけば、税制の配偶者控除だとか国民年金だとかいうものは、女性が国の書いたシナリオどおりに“おとなしく”生きて愛情の美名の下に奉仕してくれることを前提にした制度であって、言わば日本は国ぐるみで女性に甘えてきたのだ。女をバカにするのもいいかげんにしろと、男であるおれですら思う。にもかかわらず、バカにされていることすらわからない、あるいは、わかろうとしない女性が多いのも事実で、日本がこんな状態でなんとかやってゆけているのは、そんな彼女らのおかげでもある。感謝したいものだ。

【1月1日(水)】
▼あけましておめでとうございます。このホームページも開設から早三か月、立ち寄ってくださる方も徐々に増えておりまして、読者の方々には改めて御礼申し上げます。なかなか実のあるコンテンツが増えず、日記でお茶を濁している感もなきにしもあらずですが、今年も当ページをよろしくお願いいたします。
▼私の怠慢から年賀状の発送が遅れております。年賀状をくださった方々に於かれましては、新年そうそうの非礼をなにとぞ寛恕くださいますよう<(_ _)> 。
▼と、ご挨拶を申し上げたところで、いつもの調子に戻る。おれが目下所属している会社は九連休だから、こいつはさぞや本が読めるにちがいないと思っていたが、あにはからんや、なにやらバタバタしてなかなか本が読めない。下手をすると、強制的に電車に乗らねばならない普段のほうがよく読めたりする。いかんなあ。
「一年の計は簡単にやり」という名作があったが、ふと「一年の計は邯鄲の夢」というのを思いついた。こっちのほうが実態に近いような気がする三十四歳の初春なのだった。
▼こういうことが気になりだしたらおじさんかもしれないと思いつつ、やっぱり言う。“元旦”というのは一月一日の朝のことだったはずだが、昼になっても夜になっても、本日のことを“元旦”と言っているアナウンサーやタレントが多いのはいちいち神経に障る。たしかに「また、元日」と定義している辞書もあるが、そりゃあんたらみたいなのがあんまり誤用するから載っているのだ。せめて局アナくらいはちゃんと使ってくれないものか。


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