間歇日記

世界Aの始末書


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97年1月中旬

【1月20日(月)】
ジョン・バーンズ『大暴風(上・下)』(中原尚哉訳、ハヤカワ文庫SF)を、ようやく読了。ストーリー・テラーだなあ、この人は。三十代以上の人は、きっとバーンズを読んで「どこか懐かしい」と感じると思う。若い読者にはまた、こういう直球が新鮮に感じられるやも知れない。いまのところ地味な無印良品的実力派というイメージがあるが、今年あたりブレークして押しも押されぬメジャーに踊り出るような気もする。『軌道通信』みたいな作品は、もっと出てほしい。誰も熱烈には推さないが、よく見るとたいていの人は褒めている――という作家は必要だ。小室サウンドばかりでは耳が疲れるから、Puffyもウケるというものだろう。

【1月19日(日)】
▼SFスキャナー原稿仕上げ。電子メールで入稿。ホームページ開設してからSFマガジンの原稿を書くのは初めてだったと気がつき、執筆者近況にURLを書く。あまりSFSFしたコンテンツがないため遠慮が働き、メジャーな二、三の検索エンジンに登録したきりで宣伝を怠っていたのだが、雑誌に載せてしまえば少しは頑張ってページを作る気になるだろう。もっとも、おれの近況など読んでいる人がどのくらいいるかは疑問だが。
 そういえば、URLが全角のアルファベットで書いてある新聞や雑誌をしばしば目にする。あれはどうにかならんのだろうか。なんと書いてあるのかさっぱりわからないことがある。その点、SFマガジンは海外作品の原題や数式が使えなくては話にならないからか、メールアドレスやURLもじつにきれいに印刷される。いや、お世辞じゃなく。

【1月18日(土)】
▼あっ、お年玉つき年賀葉書の当選番号を確認するのを忘れていた。おとといの新聞を取り出して調べてみると、もののみごとに全部外れている。いっそすがすがしい。
筒井康隆ホームページの一部が有料化されていた。読むのにお金が要るのは、いまのところ『越天楽』と『天狗の落とし文』の小説だけ。月額100円というから、筒井康隆の小説が読めるならタダみたいなもんである。おれは朝日ネットのIDを持っているから、講読申し込みをしてIDとパスワードを入力するだけだ。毎回入力しなきゃならないのは面倒だがいたしかたない。
 インターネット上のサービスの料金徴収方法が技術的に洗練され、誰にでも利用できる簡便なものになれば、自分のホームページも有料化してみようという人がたくさん現われることだろう。ネット上に無数に存在する文藝コンテンツの勢力地図が有料化によってどのように塗り変えられるか、またそれらが印刷物のメディアをどのように刺激し変えてゆくか、目の離せないところだ。ホームページで生活できるくらいの収益を上げる人も稀に出てくるだろうし、うちなら大丈夫と考えて十円でも金を取った途端、ぱったりとアクセスがなくなるサイトもでてくるだろう。
 インターネットのおかげで、一個人がマスにアピールできる機会はたしかに飛躍的に増えたように思われるが、機会が百倍になろうが千倍になろうが、才能や力量が増大するわけではない。おれがなにを血迷ってかプロ野球の入団試験を受けようとしたとする。十二球団が仮に二千球団くらいに増えたとて受かるわけはないのだ。もっとも、二千球団になったことによって、プロ野球の質が著しく低下したとしたら話は別だ。そうならないことを祈る。

【1月17日(金)】
二年前の今日、阪神・淡路大震災があった。これはきちんと書いておこう。なにしろ、日本がアメリカと戦争をしたことを知らない若者もけっこういるらしいのだ。

【1月16日(木)】
▼パソ通でつきあいの長い友人のマヘルさんがホームページを開設。猫好きな人はぜひご訪問ください。ホームページを持て持てと、おれも唆したひとりなのだ(笑)。
 このマヘルさん、ハンドルでわかるように神林長平の大ファンなのだが、ハンドルがわかる人はてっきり男性だと思うらしい(おれも最初そう思った)。戦車の名前をハンドルに使う女性も珍しいですわな。
 そういえば、「ラジェンドラは男か女か」というのもよく出る疑問である。機械に男も女もあるかとは思うものの、人間、黙読するときにもたいてい男か女かの声を想像して読んでいるもので、船だから女だろうと反射的に意識するせいか、おれはラジェンドラの台詞を女声で読んでいる。つきあっている連中が悪いせいでかなり口が悪くはなっているが、基本的にはコンピュータ口調だから、字面が柔らかいせいもあるだろう。実際、そう思っていた人が多いようだ。ところが、「男声だったので意外に思った」とOVAを観た人が言っていて(おれは観ていない)、そのとき初めて女声で黙読していたことに気づいたのだ。
 考えてみると、性別を曖昧にしたまま人間でないキャラクターを擬人化できるというのは、日本語の強力な武器のひとつである。たとえば、英語で it と呼んだとしたら、あまり擬人化していることにならない。連中の言語では、性別を与えないと無生物のキャラを擬人化した感じが出ないのだ。はたして、コンパスやホッチキスやナンバリングは男か女か?

【1月15日(水)】
▼SFスキャナー原稿を書く。今回のはSFというよりハイテクスリラーなので、ネタをばらさず面白さを伝えるのが難しい。

【1月14日(火)】
▼NHKの『クローズアップ現代』で、遺伝子組み替え食品の上陸について取り上げている。おれは人間が手を出してはならないような、いわゆる“神の領域”などというものは存在しないと考えるので、遺伝子組み替えそのものの是非について宗教的な反対感情などはまったくない。どのみち人間は、なにかが可能になればそれをやるに決まっている。いずれはその手で新たな生命も造り出すだろうし(おれは古いやりかたのほうが好きだ。古典的ジョークね)、みずからの設計図すら書き変えてゆくことだろう。
 ただ、問題は、なにかが実際にできるようになったからといって、その本質を余すところなく理解しているとはかぎらないという点である。人類は重力の本質を理解することなく砂時計を作ったし、それは地球上のたいていの場所では、用途上許容できる誤差で実際に機能する。「遺伝子組み替え食品は、毒性の検査をしてますから安全です」という類のコメントは、「砂時計は日常生活で使うぶんには、五分計の砂が十分かかって落ちるようなことはありません」と言っているのだなと、聞くほうでも正しく理解しなくてはならない。遺伝子を組み替えている人々だって、生命の本質を理解しているわけではない。砂時計はいかなる条件下でも絶対に正確だと言うのも愚かなら、大統一理論が完成し重力工学が日常のテクノロジーになるまで砂時計は信用ならんと言うのも愚かである。
 そう踏まえたうえで、おれはやっぱり遺伝子組み替え食品には不安を抱く。食品としてなら、既知の毒性を徹底的に検査すれば、砂時計が正確である程度には安全であると言えるだろう。おれが抱いているのは、全体を理解していないシステムの一部に手を入れることで、どこにどんな影響が出てくるかわからないという漠然とした危惧である。おそらくこれは、この宇宙を巨大で精妙なプログラムであるとアナロジカルに考えてしまうところから来ている。他人の作ったプログラムを全部読み解かずとも、文字やボタンの表示位置を替えたり、新しい機能を部分的にくっつけることはできる。ひととおりのテストをして動作に異常がなければ、プログラムの“改造”は終了する。が、である。元のプログラムをことごとく読み解いていないうしろめたさは必ず残るのだ。もしかしたら、「氏名:」という文字列が画面二行目の五桁目から表示されることにはなにか重大な意味が持たされており、知らずに表示位置を変えてしまったため、なにかの拍子に消費税を30%として計算してしまうのではあるまいか――などと、ありそうもないがないとは言えない事態を想像してしまったりするのだ。プロのプログラマがこんなバカなプログラムを書くわけはないが、自然がどんなプログラムを書いてきたのか知れたものではない。いや、むしろ自然のプログラムだからこそ、役割が解明されたと思い込んでいる塩基配列ひとつにも、その種にとってのみならず、生態系全体の中でなにか重要な複合的・重層的役割が充てられているのではあるまいかと考えてしまうのである。アメリカで大豆の遺伝子をいじったら、日本でハリケーンが起こる――なんてことは、ほんっとうのほんとうにないのか。
 きっとこんなことを書いたら、SFファンがバカな妄想をしていると生物学のプロは笑うだろうが、これが一素人小市民の正直な感想だ。みなが食ってなんともなければ(笑)、おれもきっと遺伝子組み替え食品を気にせず食う。でも、漠然とした不安はずっと残るにちがいない。まあ、極論すれば、遺伝子組み替えにかぎらず、人間のあらゆる活動は上記のような不安を伴うのだから、ものを作る動物の宿命として、こうした“うしろめたさ”を背負ってゆかねばならないのが人間というやつなのだろう。
 あっ、いかん。日記のつもりが、エッセイを一本書いてしまった。こんな暇があったら、SFマガジンの原稿を書かんか。

【1月13日(月)】
▼駅に貼ってある注意書き「発車前のかけこみ乗車は危険ですからやめましょう」――いつも気になってしかたがなかったのだが、今日また気になったため、敢えて世に問うことにする(ほどのことでもないが)。かけこみ乗車というのは、発車前だからこそするものなのではなかろうか。発車までにまだ七分あるという列車に、わざわざかけこむやつがいるとは思えない。かけこみ乗車はたしかに危険だ。気をつけたい。だが、“発車前のかけこみ乗車”にかぎって危険なわけではあるまいに。単に「かけこみ乗車は危険ですからやめましょう」と書けばいいと思うのだがどうか。
▼それでもうひとつ思い出した。大阪地下鉄御堂筋線の淀屋橋−梅田間では、むかし「電車が曲がりますのでご注意ください」というアナウンスが流れていた。が、ある日アナウンスが変わっていることに気づいた。「電車がカーブに差しかかりますのでご注意ください」――うーむ。たしかに後者のほうが正確であるにはちがいないが、なんだか『永遠のジャック&ベティ』のようだ。「あのようなアナウンスでは、車輌の中ほどからフニャリと飴のように曲がるのではないかと不安だ」などと抗議したやつがいるのだろうか。で、「もっともなことだ」とアナウンスを差し替えたのだろうか。世界は驚異に満ちている。まあ、ニュートラムでは車輌が物理的に曲がった実績もあるから、縁起をかついだのかもしれないが。

【1月12日(日)】
▼しばらくまとまった注文をしていなかったので、Dangerous Visionsに電子メールで本の注文を送る。あ、Catherine Asaro Primary Inversion 続編、Catch the Lightning が先月出てるじゃないか。この人、やたらハードなディテールとハーレクインロマンス風おとぎ話の取り合わせがちぐはぐで面白い。もう少し野放図なパワーがあれば、ワイドスクリーン・バロックにも化けかねない。どう転がるか楽しみな作家だ。オクテイヴィア・バトラーの短編集等と併せて、めぼしいところを十数冊注文。あれれ、女の作家が多いな。リンダ・ナガタの新刊 Deception Well は、たぶん曾根崎の旭屋で買ったほうが早いだろうから、とりあえず外す。
 ただ注文するのも無愛想だと思い、DVの店主リディアさんには、いつも日本の話題を少し提供するようにしている。今回は、筒井康隆断筆解除の話。本屋の主人に話したところでどうなるもんでもあるまいと言うなかれ。アニメとカラオケとパチンコ以外、まだまだ日本は文化の輸入超状態だ。民間外交は大切なのである。機会を捉えて日本人が手前の国を宣伝しておかねば、イギリス人やドイツ人や火星人が日本の宣伝をしてくれるわけではないのだ。
 ニッポンのSFに多大な貢献をし、いまはメインストリームから高い評価を受けている偉大な作家・ツツイは、センサーにプロテストして三年近くダンピツをしていたが、このたび大手パブリシャー三社とコントラクトを取り交わし、一応のフリーダム・オヴ・スピーチを勝ち取ったものでアル――と勝手に宣伝してはいるのだが、JALINetの英訳短篇を読んでくれていたとしても、どんな作家かよくわかるまい。筒井康隆のような作家にとっては、言語の壁は厚い。『フィネガンズ・ウェイク』すら訳されている日本の恐るべき翻訳文化に比べると、英語国民は翻訳に怠慢だなあと思う。『虚航船団』を訳そうという英語ネイティヴの翻訳家が現われないものか。
▼SFスキャナー、二枚ほど書く。

【1月11日(土)】
▼あとで家の者に訊いたら、松田聖子と神田正輝の離婚発表でテレビにニュース速報が出たというではないか。アホか。手作業で重油掬ってる人が見たら、情けなくて涙が出るぞ。速報性という最大の武器をその程度のことにしか使えなくなったのか、地上波テレビは。離婚をいち早く知らなきゃならないほど松田聖子に興味のある人は、勝手に然るべき筋にアンテナ張って、電話かFAXか電子メールの一本も入るように手配しているわい。ニュース速報なんか出したら、すわ、地震かと思うじゃないか。ああ、かつておれの愛した地上波テレビよ。死期を悟ったおまえは、世を儚んでいよいよ自殺しようというのか。
▼当ページの“カエル関係リンク”でもおなじみのゲコゲコ大王さんが、かえる新聞を発刊した。カエル界での今後の活躍が期待される。


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