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97年4月上旬 |
【4月9日(水)】
▼昨日書いた「えびっぷりシリーズ」だが、「ホタテっぷりというのもあるぞ」と、けろすけこと、おのみゆきさんから情報が寄せられた。これだからインターネットは面白い。ここいらではそのような商品はまだ見かけたことがないので、ことによると関東地方で限定販売されているのかもしれぬ。ともあれ、週末にコンビニで捜してみることにしよう。
本に地域限定販売というのがあったら妙だよな。我孫子武丸、小野不由美、菅浩江の本は京都市内の書店でしか扱ってないとか(おお、してみると京都ってのはけっこう条件いいな)、梶尾真治の作品は熊本市内のガソリンスタンドでしか売ってないとか、筒井康隆は垂水の文進堂書店にサイン本が置いてあるだけとか……(文中敬称略)。
まあ、それは冗談として、地方文化人の自費出版なんてのは、事実上地域限定販売みたいなもので、中にはあとですごい高値がついたりする名著もあるらしい。むしろ、そういう大部数を刷れない本こそ、地方の小出版社は中央に先駆けてどんどんデジタル化してほしい。なにも巨額の情報投資をして、いつでもどれでもダウンロードできるようにしろというのではない。よく地方の特産品とかを、魚屋の大将だとか饅頭屋の若旦那とかが地味〜なホームページ作って通販してるじゃないか。あんなふうにできないものだろうか? 本の注文生産である。メールで注文が来たら、出版社の大将が「ほい、中森望著『西葛西の四季』一丁!」、女将さんが「はいな、あんさん!」っつって、ストレージからCDRかなんかに落とし、封筒に入れて出荷する(笑)。入るならフロッピィでもいい。地方特産の地本なんてのも、味があっていいかも。
【4月8日(火)】
▼最近ちょっとハマってるのが、亀田製菓のスナック菓子「えびっぷりシリーズ」というやつである。「えびっぷり」「いかっぷり」「かにっぷり」の三種類があって、油で揚げてないのであっさりしており、パソコン叩きながらいくらでも食えてしまう。味もいいのだが、なにより袋が立つのがありがたい。パソコン生活の長い日本人のあいだでは常識に属することではあるが、パソコンを使っている最中、スナック菓子は箸で食う。だから、袋が立つと食いやすい。「たくさん入っているうちはいいが、最後のほうはかえって食いにくくならんだろうか」と最初は思った。が、よく見ると、袋の真ん中のあたりにも切り込みが入れてあり、中身が少なくなったらそこからさらに袋を輪切りにするようにできているのだ。すばらしい! 多段式ロケットに匹敵する発想だ。この袋を考えた人は、パソコンを愛用するSFファンではあるまいか(って、強引にSFの話にしようとする)。百歩譲って、“パソコンを使いながら片手で食う”というライフスタイルを意識しているのはたしかだろうと思う。ホームページもしっかりしているし、この会社は侮れん。
えー、お断わりしておきますが、おれは亀田製菓から一円ももらってないので、そこんとこよろしく。本業でも関係はない(はずだ)。あ、それから「えびっぷりシリーズ」を食うときには、くれぐれも二段目の切れ込みを先に破ったりしないように。そこいらがあられだらけになります。
【4月7日(月)】
▼ホームページを開設して、今日でちょうど半年。アクセス数は低値安定というところだが、ごくごく緩やかに増え続けてはいる。いまどき流行らない字ばっかりのページにおつきあいいただける方々がいてくださるのはありがたいことだ。
なにかの弾みに爆発的にアクセスが増えるようなこともないとは言えないが、そういうことがあっても効果は一週間と続かず、すぐにコアな読者(笑)だけに戻ってしまうのがホームページというものである。どかーんと200ファイルくらい増やすなんてことはとてもできないから、ちびちびとでも地道に続けてゆくしかない。おや。なんか、このあいだも同じようなことを書いた気がするぞ。
【4月6日(日)】
▼やれやれ。3月から4月にかけては、毎年のことながらどうでもいいことで忙しい。先週は宴会でへとへとだ。おかげで胃腸が弱ってしまい、下痢気味である。さて、そろそろ「SFオンライン」の原稿をやっつけてしまおう。短編・中編の書評というのは、あたりまえの話だが作品の長さと書評の労力とにほとんど相関がない。それどころか、短いものほどネタを割らずに面白さ(あるは、つまらなさ)を伝えるのが難しいのを痛感している。おれの仕事が“書評”などと呼べるレベルに達しているかはともかくとして、修行になる仕事だわ、これは。あっ、今月は「SFマガジン」のスキャナーもやらねばならんのだ。えー、7月号はオーストラリアもので行きます。
なんだかんだ言ってるうちに、すぐゴールデン・ウィークになり、夏のボーナスが出て、気がついたら除夜の鐘を聴いているにちがいないのだ。そして、こんなことをあと何十回か、十何回か、何回か繰り返しているうちに死ぬのである。どうせなら、やれることの中からやりたいことやって笑って死のう。
うーむ、いかん。腹に力が入らないと、発想まで弱々しくなってくる。
【4月3日(木)】
▼なんだか、最近よくメールが来る。ありがたいことだ。ご感想だったり、ご質問だったり、英語のページなんかないのになぜか全文英語だったり(笑)、楽しく読ませていただいている。
なにしろ当方サラリーマンですので、この時期バタバタしてしまってなかなかお返事が出せないのですが、いただいたメールには(いたずらメール以外は)遅くなっても必ずお返事させていただきます。すぐ返事が来なくても、お気を悪くなさらないでくださいますよう。
【4月2日(水)】
▼いつも不思議に思うのだが、Linda Nagata のホームページは、どうしてこんなにアクセスが少ないのだろう。更新があったと The URL-minder が知らせてきたので行ってみると、トップページのカウンタはまだ[1263]だった。けっして無名な人ではなく、むしろ新人では有名なほうであり、長編だってバンタムから3冊も出している。将来を嘱望されていると言ってもいいくらいだ。しかも、この人はなんと言っても、英語で書いているのである。日本語で書くより、はるかに大きなマーケットに流れているはずだ。ネット上でのみ極端に知名度が低いのかとも思うが、コンピュサーヴにも出没する人なのだから、ネット友達の十人や百人いても不思議ではない。アメリカ人なのだから、インターネットの利用率は日本よりはるかに高かろう。
と、これだけ好条件が揃っているのに、彼女のホームページはアクセスが少ない。内容が希薄なわけでもないのだ。デザインもすっきりしてセンスがいいし、自分のSF観をしっかりと語ってもいる。派手な遊びはないけど、本好きの人は重いばかりで中身の薄いおもちゃページを期待したりしないだろう。もちろん自著の宣伝もあって、欧米の作家や出版社がよくやるように、作品の“試し読み”だってできる。
余談だけど、日本の出版社でこれやってるところって、まだまだ少ないよね。権利の問題とかいろいろあるのだろうけども、絶対どんどんやったほうがいい。出版社というのは、なにしろ本を売って儲けているわけだから、コンテンツを無料で提供することに過剰に臆病になるのはわかる。だけど、それは取り越し苦労だと言っておこう。ディスプレイでまるまる一冊本を読もうなんてやつはいないってば。プリントアウトして読むやつがいても、本一冊分なんて、持ち運びにくいうえに用紙やインクが高くつくだけだ。新刊の一章分くらいなら、タダで読めるようにホームページに載せておけばいいのだ。海外じゃみんなやってるよ。きっと、インターネットに詳しい出版社社員の中には、ああいうことがやりたくてしかたがないのに会社の理解が得られないという人もいるんだろう。頑張って上司を説得してほしいなあ。コダックの人の講演で聞いたのだが、コダックがデジタル画像媒体の事業に乗り出すときに同じような苦労があったそうだ。なにしろ、あの会社はプリント写真で食っている。デジタル画像媒体なんてものに手を出したら、自分の首を締めるようなもんだという反対が当然あった。が、鋭いマーケティング担当者がいて、デジタルに進出することはプリント市場の拡大にも繋がると、緻密な調査で上を説得したのだそうである。たとえば、『星界の戦旗』とかさ、ちょっとおいしい一章分とかホームページに載せてしまうとする。いよいよこれからというところでラフィールのアニメ画像が出てきて、「続きは買って読むがよいぞ」とか(笑)。冗談抜きでやりませんか、これ?
で、リンダ・ナガタに戻りますが、結局、気鋭の新人のページにアクセスしてみようという人が、英語圏に於いてすら少ないんだろうと思うな。単にナガタさんがシャイすぎて、ネット上であまり宣伝してないだけかもしれないけど。
【4月1日(火)】
▼おや。「SFクズ」問題について、大森望さんに「腰が引けている」と言われてしまったぞ。引けているのはたしかだが(笑)、ろくに仕事をしていないおれみたいな人間がどうのこうの言っても、全然説得力がないだろうと思い、直接介入を避けているのである。まあ、なんと申しますか、業界内の人間がどう思うかはいざ知らず、水戸黄門が何を言おうと、水戸黄門が水戸黄門だと知らない大部分の一般消費者には、なあんの影響もないだろうなという感想しか抱かない。一般消費者の目は、“過去に仕事をした人”にも“これから仕事をするだろう人”にも向かない。彼らは、“いま仕事をしている人”にしか興味がないのである。評論家が右と言えば右を向き、書評家が左と言えば左を向くような消費者は所詮浮動票であって、エアマックスが流行ればエアマックスに、たまごっちが流行ればたまごっちに、アニメが流行ればアニメに、イカの頭が流行ればイカの頭に流れるだけの話だろう。えげつないことを言うと、おれはこういう消費者をバカにしている。先日も書いたように、自分の欲しいものが自分でわからないような消費者は、未熟で可哀想な人々である。彼らがなにかのコアになることは絶対にない。偉い人がなにかを言うと、こうした消費者のあいだでその言説が一時的にひとり歩きすることもあろうけれど、どうせ彼らはその言説にもすぐ飽きるのだから。おれが真摯に語りかけたい消費者は、なけなしの自分の金の使いみちを自分でよく知っている人々だ。もちろん、浮動票の消費者がほんとうに自分の好きなものを見つける手助けができれば、それに越したことはない。
みな大人になって、ハードカバーもひょいひょい買えるようになり、ことによると本をただでもらえたりするようになって忘れてしまうのかもしれないが、「この千円でどれを買おうか」と、何時間も文庫の棚の前で迷った子供のころの気持ちを忘れたくはない。結局、書物を生理的とも言える切実さで必要とする人間は、いつの時代もほんのわずかしかいないはずだ。言葉は悪いけれど、浮動票の人々が一時の気まぐれで落としていった金を、ほんとうに欲しいものを求めている人々のために振り向けられればそれでいいのだろうと思う。なにかの弾みで、書店のベストセラーリストの上位10冊が全部SFだなんて時期が来たとしても、おれは気味が悪いだけであまり嬉しくないにちがいない。こういう考えかたというのは、きっとプロ意識に欠けるんだろうなあ。まあ、おれなど金がもらえることもある素人にすぎないが。仕事を請けたらプロの仕事をしたいけれども、生涯一読者の気持ちは断じて捨てたくないのである。で、一読者はたぶんこう言うと思う。「あまりよく知らない偉い人たちが、ぼくのあまり読まない雑誌でなんか言ったらしいけど、ぼく、SF好きだし、この10年もたっぷり楽しんだしなあ。ま、どうでもいいや。早く次の神林長平出ないかなあ……」
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