間歇日記

世界Aの始末書


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97年4月中旬

【4月20日(日)】
▼事前申込みはできなかったが、今年こそはSFセミナーに参加するつもり。せっかく東京くんだりまで出かけるのだからと二泊することにして、なかなか会えないパソ通仲間とも騒ぐ予定。ホテルに予約の電話を入れたら、あっさり取れて拍子抜け。まあ、ゴールデン・ウィークは東京の人口が減るのだろうからな。
 SFセミナーのページを久々に見てみると、おや、浜田玲さんが椎間板ヘルニア療養中とのこと。お大事に。おお、今年は新事務局長・古田(浜田)尚子さんの写真も掲載されている。うしろに写っているのは旦那さんの玲さんではありませんので、念のため。
▼SFスキャナーの原稿を書く。あまり進まず。

【4月19日(土)】
▼昼ごろ起きると、ひどい偏頭痛。バファリン飲んで夕方まで寝る。結局、夜11時ごろまでぼーっとしている。もったいないなあ。
▼文化庁の世論調査で、謙譲語の使いかたがむちゃくちゃになっているという結果が出たそうな。そりゃそうだろう。謙譲などというものがもはや美徳でもなんでもなくなっているのだから、必要のない言葉は滅びてゆくだけの話だ。寂しいことではあるが、憂慮すべき事態であるとは思わない。おれ自身は誤った用法を聞くと気色が悪いのだが、相当年下の新入社員が相手でもないかぎり、「それまちがってますよ」などと指摘したりすることはない。おれだってまちがうことはあるし、相手の無教養のせいで、おれが恨まれては割に合わないからだ。
 そもそも、謙譲語はおろか、いちばん単純な絶対敬語すら使いこなせない大人は多い。敬語の用法なんてものは、いったん社会に出てしまうと、こちらがまちがっても指摘してくれる人がいなくなるのである。まちがえたら教えてくれたってよさそうなものだが、日本人にそういう習慣はあまりない。ただ腹の中でお互いに「バカめ」と思いながら、なにごともないかのようににこにこ笑って話を続けるというのが、日本人同士の正しい会話というものだ。結局、自分で身につけるしかない。
 むかしは学校生活でも身についたのかもしれない。とにもかくにも、先生というのはえらい人だったからだ。いまはまったくそんなことはない。下手すると、不良学生の親に「お宅のお子様は……」などと、先生のほうが敬語を使う機会のほうが多かったりして。
 じゃあ、いまの学生はどこで敬語を実践的に学ぶのかというと、クラブやアルバイト先なんじゃなかろうか。家庭教師や塾の先生なんかやっても、こちらが持ち上げられるばかりでろくなことはないが、接客業のアルバイトをやれば、かなり身につく。おれもホテルでバイトしたことがあるけど、頭で理解しているからといって実際に流暢に使えるとはかぎらないのを思い知った。
 社会に出てから妙なことに気づいた。それは、“概して、小さな会社の人ほど敬語が達者である”ということだ。数人でやっている会社の人など、決まってみごとに正しく敬語を使う。そりゃそうだ。社名を聞いて畏れ入ってくれる人などいないからである。「言葉遣いごときの瑣末事で軽く見られてたまるものか」という思いがあるのだろう。逆に、でかい会社だと、渉外担当者はともかく、内勤の人は敬語がむちゃくちゃなことがままある。敬語がむちゃくちゃなままでも出世はできるから、長のつく立場にでもなってしまったが最後、だあれも教えてくれなくなるのだ。こういう人がリストラされると、えらく苦労するだろうなと思う。
 というわけで、学生諸君、敬語なんて伝統藝能を身につけたかったら、いまのうちがチャンスだよ。

【4月18日(金)】
▼コマーシャルです。「SFオンライン」は、本日更新されて2号になります。特集は「スター・ウォーズ」。地味な連載の「S-Fマガジンを読もう」もよろしく。

【4月17日(木)】
▼「今日は風が強いなあ」と思いながら歩いていると、すぐ横をモンシロチョウがホバリングしている。よく飛ばされてゆかないものだ。それどころか、風上に向かって前進しているではないか。飛んでいる蚊の持つ運動エネルギーがおよそ1エルグだというが、蝶だって二桁とちがうまい。力技で風に立ち向かっては、翅がちぎれて空中分解してしまうのではあるまいか。同じ大きさの紙きれに同じことをさせようとしたら、いったいどれほど複雑な姿勢制御をさせねばならないだろうかと考えると気が遠くなる。
 考えてみれば、人類の持つ航空機は、さしずめ圧倒的な動力をつけたムササビみたいなもので、鳥や昆虫のエレガンスにはほど遠い。幾分かでも彼らに近いのはヘリコプターだろう。航空機の黎明期には“はばたき飛行”をしようとしたものもあったようだが、いつしかそのオプションは非現実的なものとなり、一部の趣味的な世界に留まることとなった。“速く遠くへ”を追求した結果だろう。だが、材料工学やコンピュータの発展によって、はばたき飛行が再び脚光を浴びる日がいつかは来るような気がする。言わば、“遅くとも自在に”をコンセプトにした航空機だ。
 蝶は、あの身体にとってみればハリケーン並みの強風の中を、ふらふらしながらも風上に向かって飛んでゆくことができるではないか(もっとも風下に向かって飛ぶほうが難しいだろうと思うけど)。現代の航空機ではああはいくまい。ちょっと乱気流に巻き込まれるだけで、墜落してしまう。たとえば近い将来、通常の飛行機はもちろん、ヘリコプターにすら近寄ることができない災害現場などで、まったく新たな飛行救助機が蝶のように舞いながら救援活動に当たる――なんてのは、なかなか楽しい想像だ。

【4月16日(水)】
▼どうやら外国人が見にきたりすることがあるらしいので、トップページに日本語のページである旨、メッセージを入れた。そもそも日本語が表示できないパソコン環境であるかもしれず、よしんば表示できたとしても、それが日本語であるとわからない人も多いだろうからだ。「なんだ、この文字化けは?」とか思っているかもしれない。I'm terribly sorry. Japanese only. とか、やたら申しわけなさそうに謝っているページをよく見かけるが、あれはやめたほうがいいと思う。せめて、軽く Sorry. くらいにしておいてはどうか。
 そもそも日本人の作っているページからなんらかの情報なり楽しみなりを得ようとやってくるのであれば、日本語が読めないほうが悪いのだ。「せっかくアクセスしていただいたのに、浅学菲才な私めのページは全部英語で書いてあるのです。まことに申しわけございません。ニンテンドーとウォークマン以外の日本語も勉強して、少しでも日本語のコンテンツを増やすよう鋭意努力してまいります。手前の不調法をご寛恕いただくことを切に乞い、重ねてお詫び申し上げる次第にございます」などと書いてあるアメリカ人のページなど見たことがない。事実上の世界共通語として、英語は非常にすばらしい言語であることは認めるが、たまたま母国語が英語だっただけのやつらに、でかい面をさせておくことはない。世界中の人間が英語を学んでいるのは、なにも英語国民に平伏しているわけではなく、できるだけ多くの人とコミュニケーションができるようにしているだけだ。英語国民の中には、そのへんをかんちがいしているやつがたまにいるからカチンとくる。おれはシラクが好きではないが、インターネットに関しては、フランスの誇り高い態度には見るべきものがあると思う。

【4月15日(火)】
▼最近、テレビのニュースを見るたび、どうも妙な既視感を覚えて気持ちが悪かったのだが、ようやくわかった。なにやらその団体には、とても頭がいいと目されている人がたくさんいて、秘密のベールのむこうでは、ひとつまちがえると大勢の人を無差別に殺せる物質を扱っていて、嘘を隠すための嘘の上塗りを重ねているうち、なにを言ってもさっぱり信用できなくなってしまったため、とうとう当局の強制立ち入り検査を受ける――たしか、この前そういう団体が世間を騒がせたときには、上祐とかいう男がスポークスマンをやってたよなあ。いま話題になっている団体と本質的にどこがちがうのか、誰かおれにも納得がゆくように説明してくれないものか。

【4月14日(月)】
SFオンラインの連載を仕上げて入稿。もう15日だ。ふーっ、自分でやりはじめたこととはいえ、苦手な「ですます」調は疲れる。リズムが単調になっていけない。SFオンラインは毎月18日更新(部分的に中途更新もあるけど)です。よろしくね。

【4月13日(日)】
▼土曜の深夜にテレビをつけてみると、どっかで見たようなアニメでストロマトライトの生成過程を説明している。おや。もしや、これは――おお、むかし懐かし『地球大紀行』(NHKスペシャル)の再放送ではないか。このシリーズはよくできていたと思う。本まで全巻買ってしまったものだ。とくに、あのサンゴの産卵シーンはすばらしい映像だった。初回放送時に録画はしてあるからいつでも観られるのだが、再放送されるとやっぱり観てしまう。サンゴ産卵だけ観て、改めて感動。そうそうゆっくりしてもいられないので、あとは番組をBGMにしながら原稿を書く。吉川洋一郎(上の棒が短い“吉”ね)の音楽は秀逸。これもCDがあるからいつでも聴けるんだけども(笑)。CDのジャケット画は、スペースアートの第一人者、あの岩崎賀都彰なんである。レコード屋で見つけたとき、「視聴者層のツボを押さえてるなあ」と脱帽して買った。
『地球大紀行』みたいな番組は、中学生〜高校生くらいの授業にぜひ使ってもらいたい。理科と社会科とを分けて考えることなど、もはやできない世の中になっている。これは子供自身がよく知っているだろう。まず興味深い全体像を掴ませてから、基礎的なところや細かいところを学習する必要性を感じさせてあとは勝手に調べさせ、最後には番組を批判させるところまでやればいいと思う。先生はその補助をしてやるだけなのだ。むかしの番組を教材に使えば、その後得られた知見によって修正を迫られる箇所が必ずあるはずだから、かえって好都合である。
 教育現場の様相は報道や伝聞によって知るのみだが、こんな教育は実際には夢物語にすぎないだろうとは思う。あくまでおれは、自分が受けてきたつまらない学校教育の体験に基いて理想を述べているだけである。現場の先生たちだって、きっとこういう理想を少なからず持っていて、現実とのギャップに悩んでいるのだろう。あのような激務はおれにはとてもできない。それほど子供が好きではないからだ。
 無責任ついでに言うと、おれはもはや「学校ってホントにいまの形で存続する必要があるのか?」と思いはじめている。基本的な読み書きと情報へのアクセス手段だけ教えれば、なにも毎日同じ場所に通わせて雁首揃えて横並びの授業に参加させる必要なんぞないんじゃないか? 学校は情報へのアクセス設備として解放し、教師はコンサルテーションにだけ応じてくれればいい。生徒にはパソコンをはじめとする基本的情報ツールを格安もしくは無料で貸与し、通信回線も一般家庭の負担にならない程度の学童価格で利用できるようにする。学年や学級という概念も廃止し、“ひとつの学校”という単位をヴァーチャル化して、BBSのようにしてしまうのだ。生徒は会員、先生はシスオペなどのスタッフである。肉体を学校に運んで施設を利用したいやつは毎日通ってもいいし、行きたくないやつは文字どおりの“通信教育”で勉強してもいい。関心を同じゅうする生徒や先生は、学校の施設を使って“オフ会”を催すなどして親睦を深めたり、ヴァーチャルではできない活動を行ったりする。参加メンバーは毎回ちがって当然だ。上級の学校=ネットに進みたければ、そこで入会試験を受ける。要は、「どの学校を出たか」ではなく、オンライン・オフラインでの活動によって「どんな能力を身につけたか」のみで“進学”させるのだ。A君が三年でやろうとしていることを、B君は八年でやる計画を立てたっていい。ルールを破り“ネット内暴力”などを奮って甘えているやつは、そもそも義務教育なんて概念がないから遠慮なく退学させる。行くところがなくなってアンダーグラウンドの社会に参入してゆくやつも出るかもしれないが、こういう世の中では裏社会でも(裏社会ならなおさら)なんらかの技能を身につけねば生きていけないことを思い知るだけであろう。自分の行為は自分に返ってくる、自分が得をする・損をするということを、ガキの頃から叩き込むのである。企業のほうも、十五歳の少年であろうが七十八歳の老婆であろうが、健常者だろうが障害者だろうが、その必要に応じて雇う。修学中でももちろんよい。というか、大学を出たから勉強は終わりなんて概念はないのだ。必然的に不断の生涯学習をしなければ、自分の生活水準が落ちるだけの話である。
 SF的に想像を膨らませてみたが、なんだか笠井潔みたいな考えかたになってきたな(笑)。むろん、これは単なる一人ブレーン・ストーミングであって、本人の責任外で社会的に弱い立場にある人々(老人・病人・重度障害者など)をどう優遇・援助・救済するかなど、難しい問題を捨象してしまっていることは言うまでもない。でも、アメリカなどは似たようなことをいまにもやりかねないし(あ、もう着手しているか)、程度の差こそあれ、資本主義先進国はこうした形態へ向かって試行錯誤しながら漸進してゆくのではあるまいかと思うのだ。

【4月12日(土)】
SFオンラインの原稿を書く。今月は8本もあってたいへんだ。おれの大好きなティプトリーもあり、あーでもないこーでもないと力が入ってしまってなかなか進まない。ほんとうはこの日記みたいに気軽に書きとばしておいて、日を置いてから他人が書いたもののように推敲するといいのだが。
▼ブックレヴューのコーナー『天の光はすべて本』に、SFマガジンに載せた「SFスキャナー」の原稿を置いておくことにした。あのようなものでも、なにしろ類似品が少ないのはたしかだから、誰かがなにかの参考にしてくださるかもしれない。まだ工事中だが、おいおいHTML化してゆくつもりだ。

【4月11日(金)】
▼京都iNETのディスク割当て容量を拡張した。今日から、一気に10MB増量である。朝日ネットの空き家と合わせて35.5MBだ。おれのみたいな地味なテキスト中心のページにはそんなに要らないのだが、これくらい遊びがあると、容量を気にせず気軽にファイルが増やせる。さっそく暫定的に朝日ネットに置いていた分をこちらに引き上げた。プロバイダが分散していると、ローカルのディスクでテストができないし、管理が面倒なのだ。かなり手直しが必要だろうから徐々に朝日ネットの分を撤収しようと思っていたが、いざ手を入れてみると修正箇所が存外に少なく、結局一度にやってしまった。京都iNETも遠からず必ず容量を増やすだろうと考慮しながら作ったのが功を奏した。さて、次はブックレヴューのコーナーの改装だが、こいつはちょっと暇にならないと着手できない。目下、新着レヴューを全部ひとつのファイルにぶち込んでマーカーを入れるという外道な作りかたをしているが、これもそろそろ限界だ。手が空いたらファイルを分割して階層化メニューを作りますので、いましばらく読み込みが遅くてもつきあってやってください。
▼コンビニで週末に食うスナックを買ってくる。やっぱり、「ホタテっぷり」というのはこの辺にはない。くそー、なんだかくやしい。カップヌードル「ブートン」「イカトン」以来のくやしさだ(最初のころは関東でしか売ってなかったのだ)。あ、いま思えば、「ブートン」「イカトン」のCMは、いまの「あずさ2号」の元祖だったのかも(笑)。
▼テレビで『ザ・エージェント』という新作映画の試写会を宣伝している。ちょっと前に『ザ・インターネット』というのもあった。気になってしかたがない。母音の前の the をどう発音するかなど、中学一年で習うことである。そして、中学校はたしか義務教育だったはずだ。もはや、日本の人口の過半数は戦後教育を受けた(受けている)世代である。配給会社だか広告会社だか知らんが、なにを考えてこのような気色の悪いカタカナ邦題にするのだろう。
 三十代以上の方はご存じだろうが、むかしアメリカのテレビ映画『FBI』が日本でも放映されていて(白黒ですよ、もちろん)、当時幼稚園にも行っていなかったおれは、「じ・えふ・びー・あーい!」と、かっこいいオープニングを口真似していたものだ。定冠詞などという知識はもちろんないが、「じ・びーとるず」とはみんな言っていないらしいことは知っていた。というか、「ざ」と「じ」が同じ言葉だなどとはまったく知らずに、“なんとなく同じように使う仲間のことばらしい”と思っていたのだ。ガキなんてこんなもんである。だから怖いとも言える。広く情報を流す力を与えられている人々は、多少は教育好果というもんも考えてほしい。エヴァのおかげで「壱」とか「弐」とかが読めるようになった“小さいお友だち”もたくさんいるはずだぜ。おれが“小さいお友だち”だったころは、「黒柳徹子」を読んで婆さんを驚かせた。『サンダーバード』のペネロープ(これもほんとは、ペネロピーなんだが)が好きだったので、親に訊いて覚えたのだ。「子供には難しかろう」などというのは大人が勝手に決めることだ。当の子供は、好きなことなら易しいとも難しいとも意識していないのがふつうである。
 というわけで、映画の邦題を決める人に告ぐ。あなたがたが中一レベルの英語もご存じないとは、おれも思っていない。原音主義に拘泥しすぎるのもよくないけど、「誰にでもわかるように」という妙な横並びの自主規制をやりすぎるのはもっとよくないと思うよ。『ジ・エージェント』じゃ字面が悪いということもあるかもしれないけど、こんなのは慣れの問題です。誰かが思い切ってやればみんなすぐ慣れまっせ。


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