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97年7月中旬 |
【7月19日(土)】
▼体調が悪くてなかなか仕事にかかれず、テレビでやっていた『ゴジラVSスペースゴジラ』(1994年、東宝/監督・山下賢章、特撮監督・川北紘一)をうだうだと観てしまう。いやあ、ひどい映画もあったものだ。こんな映画には、デジタル合成技術など豚に真珠。劇場で金を払って観た人もいるだろうに、お気の毒なことである。映画は脚本がすべてではないが、脚本がひどければ技術も音楽も役者の演技もみなぶちこわしだ。世間にはSFといえば“怪獣映画みたいなもの”と思っている人も多いわけで、こんなものを天下の東宝が怪獣映画として上映していたのでは、SFがバカにされる。どなたの脚本か存じ上げないけれど、もう一度、ノエル・カワードくらいから勉強し直したほうがいいと思う。作るほうが子供だましだと思って作っているのなら、子供もだませないよ。
【7月18日(金)】
▼昨日に続いて音楽の話である。川本真琴のファースト・アルバム『川本真琴』(なんてわかりやすいタイトルだ)を買ってきて聴く。先日、我孫子武丸さんが日記で褒めていらしたが、なるほど、これはいい。どの曲も「同じといえば同じなのだが、全曲いい」という我孫子さんの意見には、全面的に同意せざるを得ない。電気炊飯器の説明書だろうがレストランのメニューだろうが、「タタタタ、タタタタ、タタタタ、タタタタ、タ、タ、タ、タンタン」のリズムで音階を這い上がってゆけば、たちまち川本真琴になってしまいそうだ。「ご飯が 炊けたら そのまま 自動で 保温す〜る」とかね。要するに、「愛の才能」のサビの部分をどの曲も引きずってるわけである。こういうふうにしかできないのか、売れたから意図的にやってるのわからないが(華原朋美、というか、小室哲哉のは意図的でしょう)、これって結局、農耕民族用にカスタマイズしたラップなんではあるまいか。ともあれ、女声フェチのおれとしては、声がおいしいので許す。NOKKOのようにもGWINKOのようにも聞こえるところがあると思えば、ファルセットすれすれの高音にとても面白い声を持っている。ジャケットの写真も若いころの原田知世みたいだし(原田知世は原田知世で、「時をかける少女」が嘘のような、とてもいい歌手になったよね)。
川本真琴を初めてテレビで観たとき、「あ、カエルだ」と思った。この人のケロケロした魅力というのは、紛れもないアマガエル系のものである。わからない人にはさっぱりわからない感想かもしれないけど、おれもなぜそう思うのか理屈ではわからない。とにかく、彼女からはカエル感が漂ってくるのである。線が細そうなのにやたらテンションが高く、いまにもプチッと音を立ててあらぬことを口走りそうな危うい(というか、アブナイ)雰囲気もよい。それだけならただのヘンな人であるが、お嬢さん藝に才能が伴ってるのがすごいのだ。SFには、よく自分の超能力を持て余して、念動力で周囲のものを壊してしまったりするやつが出てくるが、川本真琴はああいう危うさをまだ引きずっている。往年の(笑)ケイト・ブッシュにこんな空気がありましたなあ。この人がホントに大人になっちゃうとどう化けるか楽しみだ。
【7月17日(木)】
▼久々にマイク・オールドフィールドの『遥かなる地球の歌』 The Songs of Distant Earth を引っ張り出してBGMにする。むろん、アーサー・C・クラークの同名作品をモチーフにしたアルバムだ。小説に寄り添っている感じがなく品がいいので、以前はよくBGMにしていたのだ。えっと、オールドフィールドと聞いてもピンと来ない方には、Tubular Bells を作った人と言えばおわかりになるかな。ほら、映画『エクソシスト』のチンチロチンチロチンチロリンというやつである。
SFファンだからといって音楽の好みまでSFになるわけではなく、むしろあからさまにSFSFした曲は好きでない。さりげなくSFというか、コンセプトがSFというか、血がSFというか、そういうナニなアレが感じられる曲が、おのずとお気に入りのBGMになってくる。おなじみヴァンゲリスの Love Theme from "Bladerunner" とか Memories of Green なんかは、非常によく使う。聞こえるか聞こえないかくらいかすかに、一晩中エンドレスで流しながら本読んだりもの書いたりしていることも少なくない。ハロルド・バッド&ブライアン・イーノの『鏡面界』The Plateaux of Mirror は、十数年来BGMにしていても飽きない。クラシックでは、ラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』を偏愛する。あとは、ザバダック、久石譲あたりが定番かな。要するに、押しつけがましくないのがBGMの条件だ。
そういう意味で、うちにある最良のアルバム(?)は、『山渓CDブックス[6] 声の図鑑 蛙の合唱』(著者・録音/蒲谷鶴彦・前田憲男、写真/前田憲男、山と渓谷社、3400円)という本に付いていたCDである。42種類のカエルの声を網羅した「図鑑編」と、西表島の湿原や奄美大島の山の谷間などで録音したカエルの大合唱「鑑賞編」が一枚のディスクに収められているのだ。これほどさりげなく心休まるBGMも珍しい。夏の夜の読書に、ぜひお試しあれ。
【7月16日(水)】
▼『戦争を演じた神々たちII』(大原まり子、アスペクト)が早くも本屋に入っていたので買う。大原さんのホームページには、23日発売とあったのだが。フライングなのか、発売日が早まったのか。ま、早く手に入るのはいいことだ。
18日更新のSFオンラインの原稿を今日入稿。WEBマガジンというのはついつい入稿が遅くなりがちである。おれだけじゃないにしても(笑)。「印刷しなくてよいのだから……」という心理がどうしても働いてしまうのだ。たしかに印刷はしなくていいのだが、編集スタッフは生原稿をWEBページにしなくちゃならないのである。うちみたいに同じ大きさのテキストをだらだら垂れ流しているのならまだ楽だろうが、見た目に美しい版組みをするのはたいへんな手間だ。やっぱり入稿は早いに越したことはない。自戒、自戒と、毎月自戒している。
じつは今月は連載のほかに書評を二本やっていて、そのため『SFへの遺言』(小松左京、光文社)と『戦争を演じた神々たちII』を編集部から借りていたのだ。書評を書いているあいだに両方とも自前で買ったので、いま手元に二冊ずつあるのであった。
▼7月12日の日記で、「西洋」「西洋人」とすべきところを、「西欧」「西欧人」と書いてしまっていたので、直しておきました。どうも意味がよくわからんなあと悩んでしまわれた方、申しわけございません。
▼あやややや。日記のページのカウンタが一万を超えた。検索エンジンなんかにはSF書評のページとして登録しているくせに、もはや日記で保っているようなものだ。アクセス・ログを見ると、トップページと日記のページのアクセス数にいつもあまり差がないのである。つまり、固定読者はほとんど日記の読者だということだ。おかげさまでここまで続けて来られました。今後とも、なにかの役に立つことなどほとんど書かないだろうと思いますが、なにとぞご贔屓に願います。
【7月15日(火)】
▼マーズ・パスファインダーのコンピュータが三度もリセットを繰り返し、はなはだ不調だということだ。ハードがやられていないことを祈るばかりである。ソフトのバグなら遠隔操作でもなんとでもなるだろう。もしかすると、カメラに写らないところからリセットボタン(なんてあるのか?)に鞭のような触手が伸びていないともかぎらない――とかなんとか、きっとNASAの内部でも同じことを言ってるやつがいるんだよ。オースン・ウェルズが生きていれば八十歳を超えているはずだが、「パスファインダー襲わる!」なんて記念ジョーク番組をぜひやってほしかったものだ。アメリカ人のことだから、彼の存命中ならたぶんやっただろうになあ。超訳して英語教材にすれば一石二鳥だ。
【7月14日(月)】
▼会社から帰ると、奄美の島唄を聴きながらひたすら原稿書きに励む。秋津透夫人の弟さんがプロデュースしてピアノも弾いておられるCDで、夫人に特価で譲っていただいたのだ。うーむ、奄美の島唄はいい。未生の記憶を呼び覚まされるかのような(おれらしくない表現だが)もの哀しくも明るくもある旋律は、ある種のジャズにも通じるものがある。なにしろ、歌詞を見ないとなにを唄っているのかさっぱりわからないから、BGMに最適だ(って、鑑賞の枠がずれてないか?)。宣伝しておこう――『海美 AMAMI』(島唄/朝崎郁恵、ピアノ・キーボード/高橋全(あきら)、発売元:ナピ、販売元:ナピ・ユニティ、定価1500円(税抜き))。
【7月13日(日)】
▼SFマガジン・塩澤編集長の結婚式。諸般の事情でお伺いできないので、祝電を打つ。祝電とくれば当然、「ヤマトの諸君……」とでもやったらウケるかもしれないが、仕事が来なくなりそうな気もしないではなく、比較的おとなしいものにする。最近は D-Mail なんてえハイカラな仕掛けがあって、電報もWEBページから打てるのだから便利になったものだね、熊さん。パソコン画面でじっくり文案を練ることができるのがいい。会員になればブラウザからすべての手続きができるのだが、おれは会員じゃないため、インターネットで台紙を選んで文案を送ったあと、一時間以内に決済のための手続きを自動応答の電話で行わなくてはならない。これは当然、トーン発信ができる電話じゃないとだめだ。うちのは電話機も回線もまだパルスだから、認証と決済のためにだけ公衆電話を使う羽目になった。なんだかまぬけである。わが家の電子商取引は、インフラ整備からはじめねばならんということだな。
▼うう、ちょっと寝過ごして『こどものおもちゃ』を観逃してしまった。やはり録画機能がついたビデオデッキ(?)をそろそろ買わねばなるまい(十ニ年前に買ったうちのは、もはや壊れていて再生しかできない)。
などと言ってる場合ではないので、終日原稿書き。SFオンラインの連載&ブックレヴューとSFマガジンのスキャナーと東京創元社のリーディング。日記以外、なかなかホームページの更新ができないなあ。一段落したらやりますので、真面目なSFコンテンツを期待している方々、見捨てないでね。
【7月12日(土)】
▼『戦争を演じた神々たちII』(大原まり子、アスペクト)を精読。えっと、これはまだ書店では売ってない。借りものなのだ。23日発売予定であります。
『戦争を演じた神々たち』の連作は、とても翻訳しやすいのではないかと思う。SFなんてものは西洋人が発明した道具にはちがいないのだが、大原まり子の場合、道具そのものを変造しジャパナイズしてしまうことはない。ただ、発明者の予期せぬ使いかたをしているように思う。これは確実に西洋人にウケる。自分たちの理解できる作法で、自分たちの文化と異質なものを提示しているからだ。ちょうど、男に理解できる文法で女を語ってみせる上野千鶴子や小倉千加子のようだ。“日本風のSF”と“日本のSF”というのは、意味がちがう。西洋人から見た場合、川端康成は“ほんとのところよくわからんが、なんだか異質なものが描かれている”というエキゾチズムが評価された面が大きかっただろうとおれは思うが、大江健三郎となると“連中にもほんとうによくわかった”から評価されたのである。そういう意味で、大原まり子のSFは、西洋人にもよくわかる“日本のSF”となっているだろう。西洋に輸出できるSFなのだ。いつの日か、夕食後にバカ番組をテレビで観ているとテロップが流れ、大原まり子のノーベル賞受賞を知らせないともかぎらないとさえ思えてきた。まあ、その点では、言語の壁の厚いところに立っている筒井康隆はとても損をしているけれども。
▼この日記にしつこく登場する亀田製菓の「ほたてっぷり」を、近所のコンビニで見つけた。関西でも発売されたようだ。嬉しい。
【7月11日(金)】
▼人妻とデートして、いじくりまわした。開くとき、最初ちょっと抗ってくる感じがあるのだが、ぐいと力を入れると、あとは迎え入れるようにすんなりと開く。棒の入る穴はきつくもなく緩くもなく、ちょうどいい按配だ。なかなか感度もよくて、力を入れてつつかないと反応しないなどということはない。突起部も適度な弾力があり、心地よく指を押し返してくる。ただ、Windows CE は、HP200LXに慣れた身にはやっぱりちょっとじれったいよな。あー、なんとなく説明が足りないような気がしているので補足しておこう。人妻である友人が、注文していたカシオのPDA「カシオペア」を店に取りに行くというので、同行して飯食ったあと、喫茶店でいじくりまわさせてもらったわけである。おれのような第二種兼業原稿書きには、携帯端末はなくてはならないもので、並々ならぬこだわりがあるのだ。
カシオペアはじつに所有欲をそそるマシンではあるのだが、LXerのおれに言わせると、まだ動作速度がじれったい。携帯機の命は反応速度と電池の寿命だとおれは思っているが、Windowsマシンにそれを求めるのは、ないものねだりではあるだろう。電子メール送受信用の端末としては十分使えそうだ。簡易版のExcelやWordもついているけれど、この大きさの画面で表計算をする気にはならない。愛用のツールをインストールしまくってカスタマイズすればけっこう使えるかもしれず、2か月ほどいじくり倒してみたいマシンではある。おれの200LXからフラッシュメモリカードを抜いて差し込むと、すんなりドライブとして認識した。原稿を表示してみる。おお、じつに見やすい。画面がモノクロ液晶なのがいい。いまの性能の携帯機にカラーなんぞ要らん。うーん、いいなあ。でも、“いらち”のおれには遅いなあ――。そもそもおれはカシオの電子手帳のファンで、200LXにする前には4台に渡って使っていた。地味ながらいいものを作る会社として、カシオには好意を持っているのだ。でも、これで原稿を書くのは、ちょっとしんどいよな。まあ、200LXではもっとしんどいのだが……。このカシオペア、すぐには使いみちを思いつかないくせに、触っていると欲しくなるという厄介なマシンである。金があり余ってりゃ買うだろうけど、携帯機よりも、いまこれを書いている“母艦”マシンを快適なものにするのが先だ(B5ノートが母艦なんだよ。それも、Windows3.1。わびしい……)。せいぜいがんばって稼ぐことにしよう。
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