間歇日記

世界Aの始末書


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97年7月上旬

【7月10日(木)】
▼讀賣新聞夕刊文化欄に日野啓三が連載しているコラム「流砂の遠近法」(7月10日付)で、須磨の殺人事件が取り上げられている。「動機は、容疑者の内面は人々の期待するような形では出てこないだろう」という日野啓三の指摘はたぶん正しい。まるでお祭りのように教育問題を取り上げはじめたマスコミは(どうせ76日目には消えてなくなるに決まっている)、いったいなにが出てくると思ってやっているのだろう。そのうち、「いまの教育はこれこれこういうふうに悪いからA少年の性格はこれこれこういうふうに歪み、これこれこういう思考を経て、理路整然とこれこれこういうことをしたのだ」などと“答え”を出してくれるとでも言うのか。前にも日記で触れたライフル乱射事件(97年3月17日)のように、「月曜日が嫌いだから」小学生を撃ち殺したくなる少女だっているのだ。
 ひとりの狂人がこういうことをしたからといって、「すみません。学校教育が悪うございました」という発想がおれにはわからない。傲慢にもほどがある。たかが学校ごときにそんな影響力があるはずがない。学校なんぞ、出てしまえば終わりではないか。なあにが“心の教育”だ。そんなおせっかいなことを学校にやられてたまるものか。“心の教育”とやらがもし可能なものだとしたら、そういうことは各個人がそれぞれの方針で家でやるこった。他人に自分の子の“心の教育”をされることなど想像すると、不気味なことおびただしい。学校も学校だ。「“心の教育”に力をいれます」などと国や学校ごときが言い出す傲慢が、皮肉にもA少年を生んだ環境の問題を浮き彫りにしているように思われてならない。じゃあ、“心の教育”とやらをいまの学校でやれるもんならやってごらんよ。ただでさえ重労働の先生たちに、これ以上余計なことができるわけがない。それに、いったい誰がなにを教えるんだ? 無理にでもやると、きっと“心の試験”ができて“心の塾”ができて、そのうち親が言い出す。「まあ、あなたったら、どうしてこんなに“心の教育”の点数が悪いの! しょうがないわね、来月から“心の家庭教師”に来てもらわなくちゃ」「大丈夫だよ。○○大学の受験科目には“心の教育”ってないからさ」「あら、そうなの。じゃ、まあ、他の科目のお勉強に影響しない程度に、適当にやっときなさい」

【7月9日(水)】
▼『SFへの遺言』読了。なんだか元気が出てきた。続いて、『戦争を演じた神々たち』(大原まり子、アスペクト)を新書判で再読に移る。さらに文學界8月号を購入。これは買っておかずばなるまい。ついに恐るべきことが実現したからだ。筒井康隆の香り高いスカトロ傑作「エンガッツィオ司令塔」が活字になってしまったのだ。これはやはり朗読を前提に書かれているものであるからして、周囲に食事中の人がいないことを確認し、ひとり朗々と音読するのがよい。パーフェクTVでの朗読を録画で観せてもらったが、あの面白さは黙読していては出ないであろう。“脱糞”といった語感を舌の上でワインを転がすように味わい、怒らない相手がいれば読んで聴かせてあげるのが望ましい。こういうとき、おれは独身であることを残念に思う。

【7月8日(火)】
▼体調最悪。自律神経がガタガタなのか、暑いのやら寒いのやらさっぱりわからない。『SFへの遺言』(小松左京、光文社)を半分ほど読む。前半は知っているエピソードばかりで早く読めるが、歴史の整理には便利。SF作家の原子力研究所見学のくだりは、何度聞いてもおもしろい。
▼容疑者A少年の年齢がいつのまにか15歳に変わっている。これは本人を特定しうる重要な情報だと思うのだが、最初に14歳と報道してしまったからには、いまさら突然年齢を伏せるわけにもいかず、報道する側も相当悩んだところであろう。まさか逮捕から二週間と経たないうちにA少年が誕生日を迎えるとは、予想外のことだったはずだ。これがもし、19歳から20歳へ変わっていたのだとしたら、マスコミや世間はどう右往左往しただろうか。報道というものの難しさを改めて考える。

【7月7日(月)】
▼あんまり蒸し暑いので、会社の帰りに近所のショッピングセンターの自動販売機で缶ビールを買っていると、パティオの時計台の下に腰掛けていた貧相なランニングシャツ姿の老人が、突如大声で叫び出した。「きょうわあ、わしのお、誕生日じゃあ。ケーキくれんかあー!」 酔っ払っているのではないらしい。腰掛けたまま背筋をぴいんと伸ばし、誰もいない虚空に向かって東海林太郎が唄うようにして喚いているのだ。まあ、とにかく叫びたかったのであろう。
 ここいらではそう珍しい出来事でもないから、おれはちらと目をやっただけで、よく冷えたサッポロ・ドラフティー・ブラックを握りしめ家路を急いだ。すると、向こうのほうから、どう見ても十三、四の女の子が、夜目にも白い太腿を必要以上に剥き出しにして、煙草を吸いながら歩いてきた。まるで街娼である。髪型だけはじゃりん子チエのようで、煙草の吸いかたがてんでなってない。夜店で買ったハッカパイプをしゃぶっているみたいだ。パカパカとやたら煙だけを撒き散らしながら、その娘は去っていった。
 はっきり言って、おれの住んでいるところは、お世辞にも高級住宅街ではない。むかし竹藪を切り開いてバカスカ団地を建ててみたはいいが、余裕のある若い人は子供ができるとどんどん出ていって、あとには子供のような老人たちと老人のような子供たちが残った。近所を歩いていても、働き盛りの成人に遭遇することはきわめて少ない。大友克洋の『童夢』を初めて読んだとき、あまりによくわかる雰囲気に息を呑んだものである。
 だが、どうもこういう見るからに猥雑で疲れたような地域では、せせこましい事件がしょっちゅう起こるわりには、凶悪犯罪が少ないように思う。もう19年住んでいるが、おれ自身は身の危険を感じるほどの目に会ったことはない。なるほど、ヤク中らしき怪人物はたまにうろついているし、麻薬だか覚醒剤だかを自室で売っていたやつが捕まったことはあるし、自転車やバイクはほいほい盗まれるし、朝病院に行く途中の老婆は殴られて金を奪われるし、残業の地方銀行員は催涙スプレーで襲われて金を奪われるし、夜中になにやら騒がしかったなと思った翌朝、うちの前の階段にぽたぽたと血痕が残っていたし――という程度のことはあったが、おれの記憶にあるかぎりでは、殺人事件は徒歩十分ほどのところで一件あったきりだ。やっぱり田舎なのであろう。東京や大阪のような都会では週に何度も大事件が起こり、解決に三十分から二時間半を要するらしいから、ここいらなどはきっと治安がいいのにちがいない。
 とはいえ、念のために、おれの部屋には手ごろな鉄の棒が備えてある。これからアメリカのようになっていったら、ちゃんとした木刀くらいは置いておかなくてはなるまい。銃は扱う自信がないし、自分がブッ放したくならないともかぎらない。本末転倒である。そんなところまでアメリカの真似をする義理はないだろう。

【7月6日(日)】
▼終日原稿書き。時折、NASAの Mars Pathfinder Mission - Home Page を見て気分転換。しこしこ原稿書いてるのと同じ小さなノートパソコンの画面で、火星から送られてきた映像がすぐ見られるなんて、なんともはやSFな世の中になったもんである。レイ・ブラッドベリはインターネット嫌いだそうだが、はたして見ているだろうか。ことあるごとにコメントを求められるアーサー・C・クラークは、案の定 CNN Interactive の記事に登場していた。

【7月5日(土)】
▼SFマガジン・7月号のSFスキャナーで Drowning Towers をご紹介したばかりのオーストラリアSF界の大御所、ジョージ・ターナー氏が6月8日に亡くなっておられたとは……。昨日電子メール版が届いたイギリスのSFニュースレター Ansible (120号)を読んで初めて知ったのだ。WEBマガジンの Science Fiction Weekly の最新号(48号)では少し前に報じられていたのだが、このところ見ていなかったのである。この電子ネットワーク時代に、手前の紹介した作家の逝去を一か月も経ってから知るとは不覚だ。氏は6月5日に脳卒中で倒れられ、そのまま意識を取り戻されなかったとのこと。享年80歳。
 ターナー氏は、99年にメルボルンで開催される第57回世界SF大会 Aussiecon III のゲスト・オヴ・オナーに、グレゴリイ・ベンフォード氏と並んで予定されていた。香港返還直前に逝ったトウ小平氏を思わせる。オーストラリアで初めてネビュラ賞にノミネートされ、地球の“下のほう”(ダウン・アンダー)にもちゃんとしたSFはあるのだぞと世界に示したターナー氏のことだから、世界各国からのSFファンで賑わうメルボルンを最後に見極めたかったことだろう。
 ファンが作っている個人ホームページなども含めてリサーチしてみると、どうもジョージ・ターナーという作家には、従容として“売れないSF作家”たらんとしていたところが感じられる。The Miles Franklin Award という四十年の歴史があるオーストラリアの大きな文学賞を62年(おれが生まれた年だ)に受賞しているのだから、押しも押されぬ主流文学作家として国内で食うに困るようなことはなかったのだろうが、彼の経歴を調べるにつれ興味が湧いてくるのは、そんな作家がなぜわざわざ低く見られているSFの評論や創作をはじめたのかということである。子供のころから熱烈なSFファンだったとのことだから、やはりひとかたならぬ愛情があったのではなかろうか。オーストラリアのSF誌 Eidolon の17・18合併号に寄せた A Dissatisfied Client (“不満な一読者より”とでも訳すか)と題するエッセイを読むと、彼はSFにかなりアンビヴァレントな想いを抱いていたことがわかる。SFの一般的リーダビリティーの低さを嘆いているのだ。こんな調子である――

   So let's stop pretending that sf can challenge mainstream fiction at its
  own game. It is genre fiction with all the limitations implied by the 
  term, produced mainly by writers of the second rank. If it is, for the most
  part, avoided by the discerning reader of mainstream fiction, this is 
  because its occasional gems of fine writing and shrewd thinking are buried
  under floods of repetitive gloop and not easily distinguished on the 
  display counter by the reader asking for better. 

  (というわけで、SFが主流文学と同じ土俵で互角に渡り合えるふりをするのは    やめようじゃないか。SFは、その名の示すとおり、限界だらけのジャンル・    フィクションで、しかもたいていは二流作家の手になるものだ。目利きの主流    文学読者が概してSFを避けているのだとすれば、それは、読ませる文章と冴    えた思索を具えた宝石が折にふれ現われても、これでもかこれでもかと押し寄    せるクズの洪水に書店のカウンターで埋もれてしまって、よりよいものを求め    る読者に容易に見分けられなくなっているせいである。)

 おいおい、こんなのSF誌に載せていいのかよと思うくらい辛辣だ。しかも、安全圏からSFを見下しているのではなく、みずから主流文学もSFも創作も評論もものし、ネビュラ賞候補にまでなって功なり名遂げてしかも現役という男が、わざわざSF専門誌でこういうことを言って挑発するのである。オーストラリアの若手にとっては、さぞや厭な爺いであったことだろう。このあとターナー氏は、おもちゃSFにはいいかげんうんざりだから、もっと地に足のついたものを読ませろ、下見て暮らすな上見て暮らせといった主旨のことを述べて、主流文学クオリティーのSFを目指せなどとハッパをかけるのだ。つくづく厭な爺いであるが、痛いところを突いているのだから、やっぱり厭な爺いである。だが、なぜか彼はあちこちのコンベンションに招かれ、SF誌にもしばしば登場し、ワールドコンのゲスト・オヴ・オナーにまで選ばれている。もしも日本で主流文学の偉い人がSF誌でこんなことを言ったら、「ブンガクの爺いになにがわかる」とSF側から完全に無視されることであろう。そもそも、そういう人がSFに苦言を呈するほどに関心を寄せるかどうか。じつに不思議だ。これはやはり、ターナー氏が、小うるさいけれどもSFへの愛がある頑固爺いとして、オーストラリアのファンに愛されていたとしか考えようがない。
 おれはターナー氏の意見に必ずしも全面的に賛成ではないが、こういう骨のある頑固爺いがいたオーストラリアSFに最近ますます興味が湧いてきた。がんばれよ、グレッグ・イーガン。

【7月4日(金)】
▼十人のうち、三人がAと言い、二人がBと主張し、四人がCであると言い張り、一人がDにちがいないと喚いていると、「ああ、世の中はけっこう健全に回っているな」とおれは思う。七人くらいが同じことを言いはじめると「あれれれ」となり、九人の意見がなぜか一致していると気味が悪くなり、十人が十人とも示し合わせたようにひとつの見解を出してくるに至っては、絶対みんな病気だと思うことにしている。
 新潮社がやったことは法を冒している。人権を侵害している。それは動かぬ事実である。だからといって、猫も杓子も同じリアクションをするのはどこかおかしい。入力が同じでも、出力は千差万別であるのが正常に機能している民主主義社会であろうかと思うがどうか。
 ある日、あなたの子供が学校から帰ってきてにこやかに言う。
「今日ね、転校生が来たんだ。ちょっとおとなしいけど、いいやつだよ。すぐ友だちになっちゃった」
「あら、よかったわね。どんな子なの?」
「ちょっとおとなしいけど、いろんなこと知ってて面白いやつなんだ。ほら、お母さんも知ってるでしょ? えっと、ニ、三年前だっけ、神戸で小学生殺して首切ったやつ。すっかり反省して、心の病気も直ったんだって」
「まあ、それはよかったわね。ちゃんとふつうの子供になって社会に帰ってきたんだから、大むかしのことを持ち出していじめたり差別したりしちゃだめよ」
「やだなあ、そんなことするもんか。あ、そだ。今度の土曜日に、うちにホラービデオ観にきたいって言ってるんだ。連れてきてもいいでしょ?」
「ええ、いいわよ。あなたはあまり社交的なほうじゃないから、そういうふつうの人にはできない経験をした子とおつきあいするのはとてもいいことだわ。いいお友だちができてよかったわね」
 ――まあ、極端な想定ではあるが、この母親のような対応ができるという絶対の自信があなたにあれば、新潮社に思い切り石をぶつければいいと思う。特大の石を投石器でぶつければよかろう。おれは独身で子供もいないが、このくらいの想像はできる。
 国が新潮社を攻撃するのはいくらやってもよい。法をひょいひょい冒されたのでは、法治国家の国民としておれも不安だ。また、現行法の精神を背負って立つ弁護士さんたちも、新潮社を徹底的に糾弾するべきだ。だが、自分の頭で考えず、ムードに流されるだけ、他人の尻馬に乗るだけで新潮社バッシングを楽しんでいる人々には言いたい。当然、少年法の条文くらいには目を通したうえでやってるんでしょうな? おっと、これは失礼。うちにある小六法にだって載っているくらいだから、人権の擁護者たる正義の味方のあなたたちがそれくらいのことをしていないわけはありませんでした――さて、A少年の人権を現行法に従って擁護するのは大人の務めである。だから、A少年が正規の手続きを経て社会復帰した暁には、温かく迎えてあげてほしい。ちゃんと勉強させてあげてほしい。あなたの会社で雇ってあげてほしい。もし彼がその特異な精神を藝術的に陶冶して文才を開花させたとしたら、日本文藝家協会にも入れてあげてほしい。それがほんとうに彼の人権を護るということだ。おれはといえば、とても五年や十年では、彼をふつうの市民として扱える自信はない。だからおれが新潮社にぶつける石は、どうしても小石になってしまうのである。

【7月3日(木)】
▼近ごろ、ベストセラーと言われるような本をあまり読んでいない。不勉強はちっとも自慢にならないのだが、やはりおれの一日もたいていの人と同じ二十四時間であって、どうしても昼の仕事で読まねばならぬ本と夜の仕事で読まねばならぬ本の合間には、ごく個人的な興味と好みと勘の命ずるところにしたがって本を読むということになる。本の紹介をしている人間にあるまじきことを言うが、おれは根本のところではベストセラー嫌いである。中学・高校のころなど、正直に言えば、ベストセラーなどバカが読むものくらいに思っていた。厭なガキだ。やがて徐々に、「ほほお、ベストセラーであるのは珠に疵だが、こういうよいものもあるではないか」などと偏見が薄れはじめ、「これはじつにいい。え? ベストセラーになってたの?」と、売上げをまったく気にせず本を選ぶようになった。思えば、中学・高校のころは、逆の意味で売上げを気にしていたわけである。人はこれを成長と呼ぶ。
 立派なおじさんになってしまったいまはといえば、「ああ、これはくだらなさそうだ。だが、ベストセラーだから買ってはおこうか」くらいに人間が丸くなってしまっている。読んでやっぱりくだらなかったからといって怒ったりしない。なぜなら、ベストセラー読みというのは、ここからはじまるからだ。この本がベストセラーなのはなぜなのかを読む、メタな読書がベストセラーを読むということなのである。ひと粒で二度おいしい(一度めはおいしくないことも多い)わけだから、さすがはベストセラーだと妙な感心のしかたをすることもできる。
 日経産業消費研究所「雑誌と本の購入調査」というモニタ調査データによると、「よく買う単行本・文庫本のジャンル」として30%の人が「ジャンルは問わずベストセラーになっている本」を挙げている。これには大笑いした。あなたも笑わずにはいられないはずだ。有名人が有名人であるのは有名であるからだというトートロジーを、筒井康隆は昭和四七年の「おれに関する噂」で剔抉したものだが、もはやベストセラーも完全なトートロジーと化しているのはあきらかだ。ベストセラーがベストセラーである主たる理由は、よく売れているからなのだ。有名人が書いた(とされている)本がベストセラーになるのは、トートロジーのトートロジーであって、こうなるともう、いっそハウリングとでも言ったほうがよい。マイクから入った雑音を自分の出力スピーカーから拾ったマイクから入った雑音を自分の出力スピーカーから拾ったマイクから入った雑音を自分の出力スピーカーから拾ったマイクから入った……(中略)……と、雑音が増幅されてゆく過程にすぎない。
 おれはベストセラーがみなくだらないと言っているわけではない。構造としてこういうものなのだと割り切っているだけである。大傑作がトラックに轢かれるようにベストセラーになってしまうこともあれば、愚作が隕石に当たるようにベストセラーになることもあろう。書物それ自体の内容とはあまり関係がないことなのだろう。
 よって、ベストセラーにするためのノウハウを文学論やジャンル論と勘ちがいして論じるような人が万が一いたとしても、なにを言っているのかさっぱりわからないと言われるのがオチである。そういう論を張る人が万が一いたとして(しつこいな)、しかも、その人が作家であったりした場合、おれはその人に同情を禁じ得ないだろう。なぜなら、彼なり彼女は、一作でもベストセラーにならないものを書いたが最後、自分の存在価値を自分で否定することになってしまうからだ。そういうプレッシャーをみずからに課すことで優れた作品を生み出そうという決死の覚悟であるというならそれはそれで敬意を表するが、これは人間にできる業ではない。あたら才能ある作家が、みずからの自殺的言説にがんじがらめにされて芽を摘まれてしまうとしたら、こんなにもったいないことはない。

【7月2日(水)】
▼新潮社の写真週刊誌「FOCUS」が土師淳君殺害事件(被害者は実名出してもいいらしい)の容疑者・A少年の顔写真を掲載した。おいおい、FOCUSさんよ、A少年はまだ容疑者なんだぜ。いまから大どんでん返しがあって真犯人でも出てきたら、どう責任取るんだ? それに、悪法も法であって、時代遅れになっているとはいえ、法律にはそれなりの叡知が集約された立法主旨と精神というものがあるのだ。法治国家の国民であれば、それを軽々しく冒涜すべきではない。
 だが、どうせ“売らんかな”ばかり考えてああいうことをしたのだろうと、安易にFOCUSを攻撃するのもどうかと思う。少年の写真を出せば、当然轟々たる非難が集中することは予想していたはずである。売らんかなどころか、販売の自粛や差し止めを食らうやもしれぬこともわからないほど編集長はバカじゃないだろう。自分の首が飛ぶ(洒落じゃないよ、くれぐれも)ことだってあり得るのだ。つまり、FOCUS自身、新潮社自身が、少年法や世論と刺し違える覚悟でやっているわけで、それほどまでに訴えたかったメッセージを“読めなかった号”から読み取るべきである。おれ自身は今回のFOCUSの判断は誤りであると非難するが、みずから傷つくことを覚悟でなにがしかの主張をしようという出版人としての姿勢には一目置く。自分は絶対に傷つかないところから、それこそ興味本位に、少年の実名や写真をインターネットに流しているようなど阿呆どもと一緒にしてはならない。時と場合によっては、法を冒してでも主張せねばならぬことがあるのは、日本人なら、とくに年配の日本人なら、よく知っているはずだ。誰にも理解されないままの悪者に断固としてならねばならぬ時と場合というのは、たしかにある(そういう状況には極力置かれたくはないものだが)。
 しかし、今回はまだその“時と場合”じゃないと思うよ、FOCUSさん。子供が子供であることにつけあがっている世の中がいいとはおれもけっして思っていないが、ものには順序というものがあるでしょう。

【7月1日(火)】
▼就寝前にNIFTY-Serveでチャットをしていると、常連のひとりが香港からアクセスしている。香港返還実況生中継チャットだ。よもや二十年後の自分が夜中にぽてちを食いながら香港の友人とコンピュータで筆談しているとは、十四歳のおれに教えてやったとしても信じないだろう。生まれたときからこんな技術があたりまえという世代を見ると、おれは羨ましいと思うと同時に、気の毒に感じる。どうも若い世代を見ていると、「こんなことができるようになったのか!」という素朴な感動が薄れているような気がするからだ。掌に入るような小さな箱で遠くの人と連絡を取るなど、おれの子供のころは、怪獣と闘って地球の平和を守る人だけが享受できる特権だったものだぞ。
 おれたちの世代は、そろそろ世の中に興味を持ちはじめようかというころ、テレビでベトナム戦争を観た、安田講堂を観た、浅間山荘を観た、三島由紀夫とかいう人が拳を振り回すのを観た、人間が月の地表を跳ねまわるところまで観た。シャープペンシルとはなんと便利なものだろうと芯の細さを競い合った。当時で12,800円もしたカシオミニに目を丸くした。テレビが途中からカラーになった。高性能のラジオから流れる海外放送のわけのわからない言葉に耳を傾けた。家にクーラーがついたが、メロンを食うように使っていた。あろうことか、腕時計が数字を表示してくれるようになった。そのうち、涙を流さず泣いていた松田聖子が見慣れぬ銀色の小さなディスクに入ったかと思うと、店先になんと“コンピューター”(コンピュータではない)が置いてあるのを目にするようになり、ひたすら球を打ち合うだけのホッケーゲームをやったりしていたのだった。
 まあ、前後関係は多少乱れているかもしれないが、おれたちは、新しい技術の進歩と自分の成長とが、ふつうに生活していればおのずとシンクロしていった世代なのである。とくに努力せずとも、日常に侵入してきた科学技術が衣服のように身体に馴染んでいったのだ。その時々はべつになんとも思っていなかったのだが、ふと振り返ると、おれたちも時代の子だなあという感じがする。おれがもし十年早く、あるいは遅く生まれていたら、ここにこうしてホームページなんぞ出していたかどうか疑問である。不精なおれのことだ。早くても遅くても、「パソコンなんて、いまから覚えるの面倒くせぇなあ」などと投げ出していたのかもしれない。むろん、個人差はあるだろうが、新しい技術やそれによる社会の変貌のありさまに恐怖も倦怠も感じず、「おお、おもろいおもろい」と素朴に感心しながら調子よくつきあっているのは、概ね三十代前半から四十代前半の連中だという気がしませんか? これって、SF読者のコアの世代なんだよね。やっぱりなにか関係があるのだろうか。


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