間歇日記

世界Aの始末書


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97年8月中旬

【8月20日(水)】
▼ちょっと発行が遅れていた「SFオンライン」(6号・8月18日号)が出た。今月の特集は、「アメリカン・コミックス最前線」。おれはまったく疎い分野だけど、けっこう奥が深そうだ。ついでに、「S-Fマガジンを読もう」もよろしく。
▼朝からバテバテで、買い置きの1本1000円の滋養強壮ドリンク「ゼナ」を飲む。このくらいの高いドリンクともなると、飲んだあと瓶の中にお茶を注ぎ込み、未練がましく打ち振っては、も一度飲まずにいられない。じつに貧乏たらしいなあと思いつつ、やっぱりやってしまう。よく考えたら、おれの祖母が生前よくこういうことをやっていた。とにかく瓶入りの飲みものであれば、必ずやっていた。祖母と二人暮らしだった、これもすでに故人の伯母が、みっともないのでいやがっていたものだ。
 さらに祖母の場合、これだけでは終わらないのであった。子供のころ近所に住んでいた祖母の家に遊びに行き冷蔵庫を開けると、オロナミンCの瓶が必ず数本並んでいた。オロナミンCを愛飲していたわけではない。たまに飲むオロナミンCの瓶をけっして捨てず、中に水やお茶を入れては、冷蔵庫で冷やして飲むわけだ。小分けにすると、早く冷える。また、大きな水筒で冷やすと、年寄りのことゆえ、コップに注ぐときなど重くてつらいのである。真似する気にはとてもならないが、じつにエレガントなアイディアではある。きちんと成型され、ねじ式のキャップまでついているガラスの小瓶を、一度使っただけで捨ててしまうなどというのは、祖母にとっては犯罪に等しい行為だった。親戚連中はみな苦笑していたが、いま思えば、時代の最先端をゆく“地球にやさしい”婆さんだったと言えるだろう。
 瓶や缶をゴミ箱に捨てるとき、いまだにおれはかすかな罪悪感を覚える。現代社会で消費生活を送っているからには、ほかにどうしようもないのでやっぱり捨てるのだが、これがあるべき姿では絶対にあるまいという引っかかりはどうしても外れない。毎度言うが、おれは死者の霊魂かなにかがどこかに存在し続けているなどとは、まったく思っていない。おれの祖母は死んだときに存在をやめた。だが、祖母のミームは、ちゃんとこうしておれの中に食い込んでいる。おれも誰かの中にこんなふうな残りかたをしたいものだ。

【8月19日(火)】
▼十五年来講読していた英文毎日Mainichi Daily News)をやめた。ここ二、三年、なぜか遅配、無配(!)がひどくなり、そのたびこちらから電話しないと持ってこない。ほかの会社の新聞なら、こういう場合、電話代を添えて早急に持ってくるものであるが、毎日新聞はそんな常識すらわきまえておらず、こちらが教えてやってようやくここ何回かは電話代を持ってくるようになっていた。“ここ何回か”というのは、遅配や無配がひどいときは週に一回くらいあり、ここ二、三年でも二十回や三十回の話ではないのである。昨日の朝も入ってなかったため、駅に急ぎながら携帯電話で電話すると、「すんまへん、まだ来てへんのですわ。夕方には必ず持っていきます」と殊勝にも言う。会社から帰ってみると、入っていない。翌朝、前の日の新聞と一緒に持ってくるつもりなのである。これまでもそういうことが何回かあった。おれはさすがに憤然とし、夜に営業所に電話した。先方は面倒くさそうに対応するばかり。言っておくが、ここは京都市内である。団地の密集地域である。連絡船の通ってる離れ小島じゃないのだ。災害でもないかぎり、新聞が丸一日遅れるなんてことが、月に何度もあるものか。「いくらなんでもひどすぎるんとちゃいますか。お宅にいくら言うてもいっこうに改善されんのですから、上に苦情入れさしてもらわなしゃあないですな」「そうまで言わはるんなら、取ってもらわんでよろしいわ
 なにをほざくか! おれは客だぞ。このおやじ、以前にも母に同じことを言い激怒させたことがある。かなりむかむかきていたおれは、完全にキレた。おれを個人的に知る人は、ヴァルカン星人の生まれ変わりのような冷静沈着で温厚なおれが(自分で言うか)キレるなどという状態が想像できないにちがいないが、それくらい頭に来た。おれは一度キレると、その瞬間から相手を人間扱いするのをやめる。「好きにしなはれ」と電話を叩き切り、大阪の毎日新聞販売部に電話して、さんざん苦情をぶちまける。相手は温厚な紳士であったが、なにやら自分たちは販売店より立場が弱いのだといったことを諦め口調で言い、もごもごと煮えきらない。あ、この新聞はあかんわ、とおれは見切った。
 おれは英文毎日の編集には、あまり文句はない。ドメスティック・ニュースと外電の比率がほどよく、英訳しにくい内容をうまく英文で表現している点には学生時代から教えられることも多かった。十五年講読した愛着のある新聞だ。だからこそ、まったく改善の気配のない販売店の不誠実な対応に苛々しながらも、今日まで取り続けてきたのだ。が、である。金を払っているお客様が、下々に新聞を下賜してくださっている毎日新聞様様に「お願いですから読ませてくだせえ、お代官様〜」と頼み込んでまで読むほどの新聞ではない。こんな売りかたをされていることを知ったら、編集部は激怒することであろうが、知らないとすれば、それはもう、会社全体がおめでたいとしか言いようがあるまい。
 というわけで、英文にかぎらず、毎日新聞だけは二度と金を払って買うものかと強く決意した。毎日来ないのだから、詐称である。JAROに訴えてやっても面白いかもしれないな。

【8月18日(月)】
8月3日の日記で、「ワイアード」に連載中の「爆笑問題の日本原論」はなかなか面白いから単行本も買おうかなあと書いたところ、喜多哲士さんが「ぜひ読むべきです」とメールをくださった。よっしゃというわけで、今日『爆笑問題の日本原論』(爆笑問題、宝島社)を買う。先日の植木不等式の事件があるので(笑)、締切間近の原稿を上げるまでは読むまいと思いつつ、やっぱりちょっと読んでしまう。うーん、よくできてるなあ。一篇数ページだが、これだけ練るには半日やそこらでは利かないだろう。もしこれを一、ニ時間ですらすら書いているのだとしたら、ほんとうに天才だ。よし、あと一篇だけ読んで仕事にかかろう。

【8月17日(日)】
▼ただただ資料読みと原稿書き。目・肩・腰に来たので、アリナミンEXを貪り食う。この薬、飲んだからといって覿面に効くわけではないが、飲まないと症状が酷くなるのはたしかに感じられる。案外ファンが多いのではなかろうか。大森望さんが飲んでるのを見たことがあるし、秋津透さんのお宅にも置いてあった。アリナミンEX以外に、手頃な値段で効果覿面という目・肩・腰系の薬があったら、ぜひメールください。
 なぜか昼間からテレビで『アビス』をやっている。いつもはやっていると必ず観てしまう映画だが、今日はさすがに観ている暇がなく見送る。派手さはないけど、けっこう好きなんだよね、この映画。映画を観た方にも観ていない方にもお薦めしたいのが、こいつのノヴェライズ版である。ノヴェライゼーションには落胆させられることのほうが多いから、あまり量を読んでいるわけではないが、オースン・スコット・カードの『アビス』は小説として非常に質が高い。いっそ、映画を観なくてもいいくらいだ。『ソリトンの悪魔』(梅原克文、朝日ソノラマ)がお好きな方はきっとお気に召すと思う。
 もっとも、おれはまたもやペーパーバックでしか読んだことがないので翻訳のよしあしはわからないのだけれども、それ以前の問題として、角川から文庫で出た『アビス』の翻訳はすでに品切れ・絶版のいずれかであるそうなのだ。もったいないことである。古本屋で発見なさったら、ぜひ入手しておかれるとよいと思う。ペーパーバックもとても読みやすいから、長篇を一冊読み通してみたいという初心者にもお薦め。冒頭にいきなりニーチェの引用があったりするけど、中身はべつに堅苦しい文章じゃないからご安心を。怪物と闘う者は怪物になりがちで、深淵(abyss)を覗き込む者は深淵に覗き返される、って例のやつね。どういうわけかアメリカ人はやたらこの文句が好きらしく、あっちこっちで目にする。「アメリカ人100人に聞きました。知ってる哲学者の名句は?」をやれば、かなり上位に食い込むんじゃなかろうか。最近でも、ロバート・K・レスラーマイクル・コナリーが使っていた。クーンツもどっかで使ってたような気がするなあ。ベストセラー書きが使うから知名度が上がるのか、もともと知名度が高いからベストセラー書きが使うのか。「怪物と闘う者は……」ってやってるアメリカ人の本のリストなんてのを、みんなで協力して作ってみるのも一興かも(そんな暇なやつはおらんてば)。

【8月16日(土)】
▼ただただ原稿書き。夕方ころに「SFオンライン」に入稿、ばたりと寝る。飯の時間にゾンビのように起きだし、食うもの食ってまた寝る。
 テレビを観ていないため、外界の状況がまったくわからない。どうもおれは情報中毒じみたところがあって、三時間も外界の情報を遮断すると、なんだか落ち着かなくなってくる。さほどの集中力を必要としない作業をしているときは、テレビかラジオを点けっぱなしにしているのがふつうだ。ひどいときは両方点けっぱなしにしながら本を読んだりしている。表層の意識ではそれだけの情報を処理し切れるはずがないのだが、とにかく流しておけば無意識が処理してくれるだろうと信仰しているようなところがあるのだ。実際に、憶えたつもりのないことにぶち当たったとき「これはなんとなく知っているぞ」といった勘が働いて、臭いソース周辺を調べると目指す情報が出てくることがしばしばある。熟読する必要のない文字情報なども、意味を追わず高速で眺めておくだけでも、かなりちがうと思う。あとで、不思議な勘が働くための源泉となるような気がするのである。
 たしかにひとつの情報ソースにじっと集中したり、情報を遮断して自分の意識の流れに耳を傾けなきゃならないようなときもある。子供のころには、ふたつ以上のことを同時にやると、「“ながら族”はいかん」などと怒る大人もけっこういた。しかし、現実の社会では、ひとつのことに集中していられるような恵まれた環境というのはきわめて稀だ。最近の子は集中力がないなんて話をよく聞くけれど、ひょっとしたら連中は、刺激が少なすぎると集中力が低下するような適応のしかたをしているだけなのかもしれない。このあたりを研究している人とか、ひょっとするといるのかもしれませんね。「“ながら授業”を試しにやってみたところ、理解度が向上した」なんて実験報告とか、あってもよさそうじゃないですか。

【8月15日(金)】
▼あー、今日は徹夜だ、と決めた途端、急に気が大きくなって本に手が伸びてしまったりするのは困りものだ。ちょいと数ページのつもりで読みはじめた『悲しきネクタイ 企業環境における会社員の生態学的および動物行動学的研究』(植木不等式、地人書館)を一気読みしてしまう。「科学朝日」(現「SCIaS」)連載当時からのファンなのだ。まあ、ほとんど一度は読んでる文章だし、そのうち読もうと買わずにおいたのを今日買ってしまったわけなのだった。たしかにファンではあるのだが、おれはこの植木不等式という人、ちょっと気味が悪い。思考回路の配線が妙に似通っていて、あまり近づくと精神が“引き込み”を起こしそうな気さえするからだ。まったく面識も電識もない方である。もっとも、SF方面の人と科学方面の人はかなりオーバーラップしている部分があるから、友だちの友だちの友だちの知り合いの知り合いの知り合いの……などというご縁で、いつかどこかでお目にかからないともかぎらないのだが。ともかく、おれに関して言えば、やはりこの人の文章は雑誌連載などで少しずつ読むのが安全だと、まとめて読んでみてよくわかった。
 さーて、仕事じゃ、仕事じゃ。

【8月14日(木)】
『脳ミソの迷宮 第2夜 地球外生命進化論』(NHK)を観る。テンポがよく、30分という狭い枠に最新の話題を苦心して盛り込んだ苦労が窺われる。単なる話題の紹介に終始せず、視聴者の想像力をかき立てるベクトルが開かれていて、一般向けとマニア向けのバランスを絶妙に取っているのが感じられた。タレント・ゲストの伊集院光は“当たり”で、けっこうSFノリなところを見せていた。ビデオが壊れているのでじっくり確認できなかったのだが、大阪大学助教授・菊池誠さんが着ていたシャツにプリントされていたのは、内田有紀にちがいない。菊池先生はいつもながらお茶目ですね(笑)。「内田有紀命」とでも染め抜いた鉢巻きをして出演なさるのかと秘かに期待していたのだけれど、よく考えたら“携帯用の卵型ゲーム機”としか言えない局の番組なのだった。
 先日会社をお辞めになった森山和道さんのNHK時代最後のお仕事だということで、篤と拝見させていただいた。こういう番組をお作りになる森山さんのことだから、ホームページからもわかるように、これからも科学とSFへの愛に溢れるいい仕事をしてゆかれることだろう。ご活躍、楽しみにしております。

【8月13日(水)】
▼大阪が2008年夏季五輪の候補地に決まった。おれはオリンピックにはほとんど興味がないが、まあいろいろと商機も増えることであろうから、来ないよりは来るほうがよかろう。
 お客様が来るというと、やたらあわてて掃除をしてみたりメロンを買いに行ったり(しないか、最近は)するのは家も都市も同じだ。せめて客に不快感を与えない程度にはしておこうというのならいいが、自分がいいカッコしようとするところまでゆくと、それはちょっとちがうぞと思う。おもてなしは客のためのもので、自己顕示のためにあるのではない。大阪人には相手が何者であろうが自分を取り繕ったりしない面があって、これが真に国際的に見えるときと、他者が存在しない田舎者に見えるときがある。「日本を代表するのだから……」などと肩に力を入れて役にも立たない急ごしらえのお化粧をしたりせずに、現時点で水準以下にある部分の底上げを図るようにしてくれれば、大阪のいい面が表に出てくるだろうと思う。
 「大阪の人情を世界の人にアピールしたい」といった主旨のことを、磯村市長があちこちで言っているのを耳にする。なるほど、音に聞こえた大阪名物・迷惑駐車や放置自転車を見た外国人は、身体障害者が表を出歩いては危ないから家でじっとしていろと配慮している人情厚い都市に仰天するにちがいない。唾や痰やガムや空き缶や煙草の吸い殻や、その他諸々の得体の知れないゴミが公共の場所に撒き散らされているのもすばらしい。駅の通路に這いつくばって金属板で乾いたガムをこそげ落としている人を見れば、清掃員の雇用の確保にまで気を配って吐き捨てをする人情の厚さに、異国からの客も涙することだろう。
 あとになって無用の長物と化すお飾りに税金を使われては、大阪市民だって恥も外聞もなくなるというものだ。くだらないことに使う金があるなら、まずゴミ箱をうんと増やしてはどうかと思うな。
 ――などと、柄にもなく優等生的なことを言って終わってしまったのではまるで天声人語である。この日記の読者はそんなものを期待していないことでありましょう(笑)。思うに、これくらいのことはおそらく当局にもよくわかっているはずだ。ところが、マナーなんてものは一朝一夕に向上するものではない。よって、オリンピックまでには、大阪もどこぞの都市の真似をして、ポイ捨てに罰金を課すような姑息な手段に訴えてくる可能性は高い。だが、これをやったら、大阪の場合は逆効果にすらなりかねないとおれは思う。絶対にやめたほうがいい。そんなことをするくらいなら、いっそ大阪をいまのままに維持する努力に金を使い、日本を代表する大都市のひとつが猥雑に爛熟している世紀末的ありさまをアピールしてはどうか。腕には時計の痕がある((C)嘉門達夫)未開の部族(?)が、自分たちの大むかしの風俗を誇張して売りものにするような感じだ。リドリー・スコットみたいな映画監督が、こぞって映画を撮りに来るかもしれない。「汚ねぇ大都市撮るなら、絶対大阪だぜ。あそこには、いまや先進国では失われた二十世紀的都市の姿がある」なんて映画業界で評判になったら、世界中の映画ファンが旅程に組み込むであろうし、その経済効果は測り知れない。おれは本気で言ってるのだ。磯村市長、大阪に住んでる人たち、いかがだろうか?

【8月12日(火)】
▼原稿あまり進まず。暑さと夏バテのため熟睡できないせいか、このところ六割ほど起きている状態と六割ほど寝ている状態が交互にやってくるような日々を過ごしている。ナルコレプシーじゃねーかと思うほどの猛烈な睡魔がだしぬけに襲ってきたりすることがあり、あまり身体によいとは思えないが緊急避難用にカフェイン錠を持ち歩いている。慢性の神経疾患でかかりつけの医者に、こういうものを飲むことがあるが、そちらでいただいている薬と飲み合わせが悪いものだろうかと尋ねると、「うーん、まあ、あまりお薦めはできないですねえ」 そりゃそうだろうな、あんたが出してる薬は眠くなる薬なんだから。だが、こちとら、いきなり駅のベンチで寝てしまうわけにもいかないのである。一日十二時間くらい眠るような生活を一、ニ年も続ければ、かなりよくなりそうな気もしないではないが、残念ながらロマノフ王朝の秘宝を隠し持ちハンガリーかどこかに潜んでいる没落貴族がじつはおれの曾祖父に大恩を受けた男でおれを遺産相続人に指定して三日前に死んだという話は、待てと暮らせど伝わってこない。おかしいなあ。東欧のお役所仕事で連絡が遅れているのかもしれん。
 そういうわけで、今日はおれが愛用しているドラッグの話である。前述のカフェイン錠は、「カーフェソフト錠」(製造元:三生製薬、発売元:エーザイ)というやつで、以前マンガ家の槇夢民さんにもらって試したところがけっこう効いたため、以来切らさないようにしている。1錠中、無水カフェインが93mgも入っているという優れもの。レギュラーコーヒー1杯分のカフェインが約60mgだそうだから、こいつを2錠も飲んだ日にゃ、コーヒー3杯強を小指の先ほどに圧縮して一度に胃に叩き込む計算になる。ほんとにコーヒー3杯飲むより、胃にはいいはずだ。アブナイから1錠ずつしか飲まないけども……。けっこう効くよとチャットで言いふらしていると、また別の事情で(笑)睡魔に悩まされている堺三保さんが「どこの薬か教えて」と言うので教えてあげたら、後日「わしには全然効かないっすよ〜」って、やっぱりおれの体格を基準にしてはいかんと思うな。かといって、カフェイン錠の食いすぎで日本SF界の逸材を一人失ったとあっては洒落にならないから、無理はしないようにね、堺さん。
 最近コンビニでよく見かけるようになったのが、いわばこいつの液体ヴァージョン。「パワフルブラック」(JT医薬事業部)「眠眠打破(みんみんだは)」(常盤薬品)というのが、ここいらでは売られている。どちらもスペックはほぼ同じで、50ml中、120mgのカフェインを含む。カーフェソフト錠よりも多いうえに、液体だから即効性はある。コーヒー一杯の分量を150mlとすると、その三分の一でコーヒー2杯分のカフェインが摂れるわけだ。すなわち、これをふつうのコーヒーカップに満たして飲めば、カフェインは6杯分――をいをい、ほんとにやっちゃだめだよ。「眠眠打破」ってネーミングがいいよね。同じようなものでも、常盤薬品の勝ちだな、これは(笑)。
 それにしても、こういうものがコンビニでジュースのようにして売られているんだから、現代人ってのは、みなつくづく眠いんだなあ。

【8月11日(月)】
▼SFマガジンを矯めつ眇めつしながら、SFオンラインの原稿をちょっと書く。よく考えたら20日までにもう一本別の仕事があったのだった。あまりゆっくりしてはいられない。
 唐沢俊一氏がSFマガジンに連載している「とても変なまんが」を毎月楽しみにしているのだが、9月号で取り上げてらっしゃる小説版『乾いて候』(小池一夫、小池書院道草文庫)には大笑い。小説の『乾いて候』がこういうものだったとは知らなんだ。劇画やTVドラマはかっこいいのになあ。暇なときにぜひ読んでみたいものだ。いっそ、小説版を忠実にTVドラマにしてみたら面白いかも。腕下主丞役は、そうだなあ――やっぱり田村正和でいいのではないか(笑)。
▼以前にもこの日記でご紹介した齋藤冬樹さんは、相変わらずくだらないことの考案に研鑚を積んでおられる。おれも未熟者ながら、齋藤さんの境地に一歩でも近づこうと日夜努力を続けているのだが、今回はさすがに脱帽した。やられた、という感じである。なぜ、これを思いつかなかったのだろう。最近、甘口のホームページが増えたとお嘆きのネットサーファーには、齋藤さんの力作「世の中に建設中のページは非常に多い。」を自信を持ってお薦めしたい。ページから迸るさわやかにひねこびた批判精神は、必ずや一服の覚醒剤となることであろう。


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