間歇日記

世界Aの始末書


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97年8月下旬

【8月31日(日)】
▼好奇心が殺すのは猫ばかりではない。人まで殺すとなると、これは考えものだ。有名人ってのはたいへんだなあ。
 というわけで、ダイアナ元イギリス皇太子妃が亡くなってしまった。昼ごろのそのそと起き出しテレビを点けると、事故で重態というニュースが入っていた。それから『こどものおもちゃ』を観て、ずっとテレビを点けっぱなしでネットサーフィンしていると、ピーピピッピピッと死亡の速報が流れた。ネットに繋いでいるついでだから、急いで CNN Interactive を見る。事故で重態とのニュースが現れた。「やっぱテレビのほうが速いな」と思いつつ、なにげなくリロード・ボタンをクリックしたおれはのけぞった。死亡の報が出てきたのだ。テレビの速報が流れてから3分と経っていない。すぐさま朝日新聞の asahi.com も見たが、こちらではまだダイアナさんは重態である。うーむ、CNN怖るべし。テレビに遜色ないインターネットの速報性をまざまざと見せつけられた。
 「SFオンライン」では、テキサス州サンアントニオの大森望さんから、世界SF大会の模様が時々刻々と写真入りで送られてくる。すげえ世の中になったなあと感慨無量のおれはもはや旧人類で、いまの子供はこれをあたりまえだと思って育つわけである。もう三年ちょっとで二十一世紀。おれの子供のころは、二十一世紀ともなるとそこいらを空飛ぶ車が飛び回っているのだろうなどと空想していた。そうはならなかったけど、ことコミュニケーションに関しては、子供時代の空想はもはや現実のものとなった。

【8月30日(土)】
▼あいかわらず日本の平均寿命が世界一と聞くと、非常に奇異な感じがする。そりゃまあ、食うものがなかったり、ちょっとした病気をこじらせて死んだり、ある日軍服を来たやつがやってきて連行されたまま帰ってこられなかったりなどということはない(と思う)。日本のことをよく知らない外国人などは、まさか建物が黄金でできているとは思っていないにしても、ニッポンというところは、住む者はみな教育水準が高いうえに金持ちで自然と調和し健康食を食って百二十くらいまで生き、なにやら魔法じみた東洋の精神文化が空気の色まで変えている街にはパチンコ屋からカラオケが流れ、半導体の詰まった千両箱を抱えたニンジャが道行くスモウ・レスラーをよけながらツブラヤのように走り回るかと思えば、ウサギ小屋に住む勤勉な“さらりまん”たちは昼はひたすらマエハタのように頑張り、夜はオノ・ヨーコかヨーコ・シマダに似た妻とナギサ・オーシマの映画の如く激しく交わって疲れ果て眠ればクロサワのような夢を見て朝は五時に起きペットのウナギに餌をやってサーディンの缶詰のような通勤電車に揺られながらソニーで雅楽を聴いたりニンテンドーで遊んだりしているとセーラームーンみたいなジョシコーセーが寄ってきてタマガッチを与えればヤラせてくれる地上の楽園だと空想していたとしても不思議はない。実際、いいところを箇条書きにしてゆけば、なに不自由ない国である。なのに、この窮屈な感じはなんだろう? 八十歳まで死にたくないと思っている人は多いだろうが、八十歳まで生きたいと思っている人はそれよりずっと少ないような気がする。最近おれは、ダイアスパーとはこういうところではないかと思うことがあるのだ。
▼今日のBGMは、バッハのオルガン小曲集より「われ 汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ」(Ich ruf zu dir, Herr Jesu Christ. BMV.639)――などと言うと全然おれらしくないが、アンドレイ・タルコフスキー『惑星ソラリス』で頻繁に流れていたアレと言えば、かなりおれらしいかもしれない。SF映画に使われたクラシックでは、『ツァラトゥストラかく語りき』と『美しき青きドナウ』に次いで有名なものではないかと思う。有名というのは語弊があるな。みな曲は知っていても、タイトルを知る人は少ないからだ。
 タルコフスキーの映画は眠い。眠いが、寝てはしまわないのである。七分の三ほど眠っている状態で、ひたすら水を眺めているという感じだ。それがたいへん心地よく、映画評論家の方には怒られそうだが、ヒーリング・ムーヴィーとでもいった用途でたまにビデオを取り出す。水ってのはいいですね。心が落ち着く。タルコフスキーの水は、海や川や池ではない。あくまで“水たまり”なのだ。それも透明な水たまり。これがなぜかとても落ち着くんだなあ。『惑星ソラリス』みたいに、流れている水が出てくるのはむしろ例外的だろう(『ローラーとバイオリン』と『アンドレイ・ルブリョフ』は観ていないので、言い過ぎなのかもしれないが)。たいてい、水はただただ溜まっているか、漏れ出しているか、ゆっくりと動いているだけで、水滴の音だけが聞こえている。それをただただ嘗めるように撮っているカットがいちばん好きだ。なんなんだろうな、これは。おれの忘れている幼児体験が絡んでいるのかもしれない。

【8月29日(金)】
▼会社の帰りにCD屋に寄る。最近あちこちで耳にする長渕剛の『ひまわり』が、やはりここでも流れている。『刑事ジョン・ブック/目撃者』と『ボディーガード』とをチャンポンにした柳の下の鰌ドラマの主題歌だ。それにしても、華原朋美のアレといい、長渕剛のコレといい、どうして最近こうもおれの耳に障る曲ばかりが流行るのだろう。8月25日に出た zabadak 『TRIO』に、原田知世とZARDのニューシングルをついでに買って、早々に退散する。まだ長渕剛が流れていた。
 無理やり聴かされて、はたと気づいたのだが、あの曲のリフレインになってる方角の順番は妙だ。「北へ南へ東へ西へ」というのは、英語の言いかたそのままである。たしかに東西南北の順にしたのでは語呂が悪くて歌にならないが、狙って英語式にしたのだろうか? 中国は東南西北だよな。右回りに順番に言っているわけで、日本語式や英語式に比べると、自分が世界の中心に立って周囲を見回しているような感じが強い。中華思想と関係あるのだろうか。うーむ、つまらんことばかりが気にかかるなあ、などと言いつつ、おれはこういうバカな思いつきを自分では全然つまらないとは思っておらず、脳が無益に自走するのを眺めて楽しんでいるフシがある。やっぱりビョーキだろうな。

【8月28日(木)】
▼さて、解禁になったので書く。NIFTY-ServeSFファンタジー・フォーラム<読書館>(FSF2)の一部が改装され、オンライン・ミニ情報誌の体裁になった。2番会議室「本屋の片隅」が一般会員には書き込みができなくなり、運営側がコンテンツを提供するリードオンリー会議室に生まれ変わったのである。従来どおり、早川書房、東京創元社、中央公論社からの新刊情報は提供されるが、新企画として、外部のライターに原稿を依頼するブックガイドがはじまる。ひとごとのように書いているが、じつはやるのはおれなのだ。今後、NIFTY-Serveでも隔月でお目汚しする。IDをお持ちの方は、ご笑覧ください。もうひとりのご担当は、FSFのパワフルな書き込みで知られるEQMMさんである。雑誌『ムー』から作家デビューもなさっていて著書もおありの方なのだが、ご本人がハンドルで書いておられるので、ここでは敢えてペンネームは出さない。おれは逆に冬樹蛉名義で書いており、パソ通ユーザとしてのハンドルはパーソナルな用途に使っている。人それぞれである。
「本屋の片隅」のブックガイドは、“SF中級者向け”というスタッフからのご注文。つまり、SFやファンタジーを読む習慣はあるが、どうも手を出しかねている作家・作品がけっこうあるといった人を対象にする企画だ。誰にでも偏りはあるものだから(当然、おれにもある)、「あなたがいつも読まない作家にもこんなに面白いのがあるよ」「こっちの水も甘いよ」と、呼び込みをやろうというわけである。おれとしては、古典と呼ぶには新しすぎ、新作と呼ぶには古すぎる作品から、なるべく入手しやすいものを選んでご紹介・ご推薦してゆくつもりだ。
 初回の8月号では、『戦闘妖精・雪風』(神林長平、ハヤカワ文庫JA)を取り上げた。EQMMさんは、『中継ステーション』(クリフォード・D・シマック/船戸牧子・訳、ハヤカワ文庫SF)を紹介しておられる。パソ通のフォーラムを使ったミニ情報誌だから、WEBマガジンとちがって画像もなにもなく文字ばっかりだが(つまり、このページみたいだが)、パソ通にはパソ通の良さがある。なにとぞ、よろしくお願いいたします。
 おや、いま電子媒体のほうが仕事が多いぞ(笑)。

【8月27日(水)】
▼宝塚歌劇団にもうひとつ組ができるという。当然、誰もが考えるように、新しい組の名を考えてみるも、うーむ、困った、思いつかない。「花」「月」「雪」「星」と来たからには、やはり自然の事物や現象を表す漢字一文字が好ましいだろう。美しいイメージも伴わなくてはなるまい。“雷組”なんてのは面白そうだが、だめだろうなあ。「霞」「霧」「雲」「雨」「光」……いまいちだ。“虫組”とか“蛙組”とか“蛇組”とかは、おれの趣味では悪くないのだが、世間が許すまい。カエルグミは、あまりおいしくないのが多いからな。おお、そうじゃ、“蛇組”で思いついた。“虹組”ってのはどうだろう? うん、これに決まりだな。

【8月26日(火)】
▼うーむ、またまたまた(何回だっけな?)動燃である。ここまでくると、「次はなんだろう、わくわく」などと、なにやら期待にも似た倒錯的な楽しみが生まれてくるから不思議だ。ほら、ニュースのアナウンサーが「どうねん、動力炉・核燃料開発事業団が……」と読みはじめると、あまり更新されないホームページをたまたま見に行ったら新着情報があったかのような、かすかなときめきを感じませんか?
 それにしても、低レベルとはいえ、放射性廃棄物貯蔵庫への浸水を十五年も放っておくか、ふつー(って、ふつーじゃないことはすでによくわかってるが)。“低レベル放射性廃棄物”って言葉がよくないよね、そもそも。なんだか、取るに足らない危険しかないような感じに響く。生物濃縮を考慮してない言葉だし、総線量が小さいとしても、あまり距離を飛ばないα線を出す核種なんかだと、線源が体内に入った場合はそれだけに遺伝子に対する破壊力はでかい。頭のおかしい発明家のテロリストが二人攻めてきたとしよう。一人は、鍼治療に使う鍼を百本、高速で遠くまで飛ばせる武器を持っており、もう一人は、五寸釘を五本、至近距離の相手にのみ発射できる武器を持っている。どちらかと一回だけ闘えと言われたら、おれは迷わず前者を選ぶよ。
 どうもおれは“低レベル放射性廃棄物”という言葉を聞くと、コンピュータ系ライターの丹羽信夫氏がむかしやってらした“低レベルソフトウェア研究所”というギャグ活動を連想する(いまもやってらっしゃるのかな?)。なんの役にも立たない笑えるソフトを開発する研究所なのだ。おれが最も感動したのは、“どんなファイルでも必ず70%に圧縮できる”という画期的な圧縮ソフトである。画期的だが、このソフトは使えるハードウェアが限られていた。5インチFDドライブと3.5インチFDドライブを搭載していなくてはならない。この条件を満たすパソコンで、適切なパラメータを与えてこのソフトを起動すれば、5インチ・フロッピィが3.5インチ・フロッピィにディスクコピーされ、いかなるファイルも70%に圧縮される。いやあ、いま思えば時代を感じさせるギャグだなあ。
 というわけで(どういうわけだ?)、“低レベル放射性廃棄物”の“低レベル”というのは、“放射性廃棄物”にかかる言葉じゃなくて、それを扱う人にかかる言葉であるらしい。

【8月25日(月)】
Arthur C. Clarke Unauthorized Homepage を見ると、クラークのスケジュールのところに『都市と星』映画化の話が出ている旨の記述があるのに先日気づいた。はて、いつから書いてあったんだっけな。まあ、クラーク作品の映画化の話は、出ては消え出ては消えするのが常だから、あまり期待はしないけど。ほんとにやるとなったら、CG使いまくってやるんだろうなあ。ダイアスパーでの日常生活なんてのは、映像技術の見せびらかし甲斐がありますよね。そうだ、いっそ生身の俳優はアルヴィンとリスの人々だけにして、ダイアスパーの住民は全部CGで作ってしまえ。
 クラーク作品で映画化してほしいものといえば、『遥かなる地球の歌』『楽園の泉』。『楽園の泉』なんて、おれが脚本家だったら――などと空想して、オープニングのシーンを考えてあるくらいだ。
 シダやリンボクが生い茂る古生代の森。どんよりと濁った沼の底で、一匹のユーステノプテロンが這うともなく泳ぐともなく、逞しい手足で水草をかき分けながら餌を捜している。と、その前にとりわけ立派な水草が現われる。ユーステノプテロンは、なにやら哲学的な目つきで水草の茎を見上げる。まっすぐに伸びたその茎は、水面に吸い込まれてゆくようだ。ユーステノプテロンの視線を追うように、カメラは根元から水面に向かって茎をなめてゆきズームアップ。ぐんぐん水面が近づいて、近づいて、ついに水面に出た――と、そこは宇宙空間。静止軌道上のステーションから軌道エレベータのケーブルが地球に向かって垂れているのを見下ろしているカットになるのだ。
 わはははは。映画の『2001年宇宙の旅』を知っている観客はにやりとするというわけである。

【8月24日(日)】
▼夜八時ごろ、煙草が切れたので近くの自動販売機に買いにゆく。夜道を歩いていると、突如横合いから煙を吹き出す筒が飛んできて、おれの足元にぽとりと落ちた。見ると筒から火の粉がこぼれている。おれはとっさに跳びのき、闇に目を凝らした。伊賀者か、甲賀者か――。と、筒から白い炎が勢いよく吹き出し、ぐるぐると回転しはじめた。おれはさらに跳びのく。なにも人が通るアスファルトの道路上で花火をやらんでもいいのにと思うのだが、団地というのは土が露出している地面がきわめて少ない。まったくいまの子供はかわいそうだ。
▼このところ、このホームページで日記以外に妙にアクセスを稼いでいるのが「迷子から二番目の真実[8]〜 心霊写真 〜」である。エッセイの目次よりアクセスが多いから、誰かがとくに「心霊写真」が気に入って直接リンクを張ってくれたのだろうか。あるいは、全文検索エンジンから跳んできているのかもしれない。だが、それにしては安定していて、一日十数人がやってくる。日記じゃないのだからあんなものは一度読めば二度と読まないはずで、しょっちゅうアクセスがあるのは不思議だ。夏だから、「心霊写真」というキーワードで検索する人が多いのかな。まさかなあ。

【8月23日(土)】
▼このところ、『戦闘妖精・雪風』(神林長平、ハヤカワ文庫JA)をじっくり再読している。新・雪風の「ショック・ウエーヴ」(SFマガジン・92年8月号・10月号)「戦士の休暇」(95年2月号)、『敵は海賊』のラテル・アプロ・ラジェンドラが雪風に遭遇する読者サービスの「被書空間」(SFマガジン・セレクション1984所収)に至るまで、とにかく雪風の出てくる作品を改めてまとめ読みした。じつは、仕事をいただける会社が一社増えて、そちらで近々使うのだ。いやあ、このシリーズは何度読んでも傑作ですね。まったく古びていないばかりか、ますます時代にフィットしてくる。深井零中尉って、世が世なら(?)下手するとM君や酒鬼薔薇クンになってた人かも。
▼今日と明日は、第36回日本SF大会「あきこん」が広島で開催されている。おれは今年も見送り。DAICON6以来、全然参加していない(って、あれが初めてだったのだが)。一度はお会いしてみたい人もいるのだが、どうもああいう大勢の人が集まる催しものというのは苦手なのだ。ここ数年体調が悪いということもある。さらに経済的にも余裕のあるほうではない。まあ、また近場で開催されたときには参加することにしよう。せめてホームページでも見ようと「あきこん」のページに行ってみたが、もう深夜なのに“実況中継”のコーナーにはなにもアップされていない。事務局もバタバタしてたいへんなのだろう。よほど人員に余裕がないと、いくらなんでも“実況中継”というのは難しいと思うな。

【8月22日(金)】
▼みんな思っていることかもしれないので、書いてみる。ZARDのニュー・シングル「永遠」だが、あれはCanonのカメラ「EOS Kiss」のCMと、テレビドラマ『失楽園』のテーマソングの両方に使われている。どんな曲かご存じない方(これだけ流れてりゃ、少ないとは思うが)は、 ZARD Official Web Site で試聴できます。
 さて、EOS Kissのほうは、素人がスナップ写真に使える一眼レフ入門機といったコンセプトの製品であり、当然CMのコンセプトも製品のネーミングと相俟って、ありふれた日常の愛情表現、いわば“堅気のしあわせ”のヒトコマをフィーチャーした作りになっている。ところが、『失楽園』のほうはああいう内容であって、個々人の愛情というものが本来持ち得る反社会性(というか、没社会性)が主題である(のかな?)。つまり、PRに於けるイメージ戦略としては、はなはだ食い合わせの悪い状態になっているわけだ。『失楽園』のテーマに使われると判明したとき、先に使っていたCanon側は「やばい」と慌てたのか、それとも、達観して「露出が上がるから、結局こっちにも益あり」と見たのかどっちだろう。ひょっとすると、すでにひと悶着あったのかもしれないし、あるいは、めでたしめでたしだったのかもしれない。「広告批評」あたりに載ってそうなネタだけど、定期講読してるわけじゃないので、詳しい事情をご存じの方は、ちょっと教えてほしいなあ。本来こういうネタは広告業界誌のバックナンバーを総当たりしてから書くべきだが、そこまでする気になるほどの疑問じゃないので、知ってる方に教えを乞うほうが手っ取り早いだろうと、ものぐさを決め込んでいるのだ。厚かましくてすみません。
▼CMの話が出たついでだけど、我孫子武丸さんに一票。華原朋美の歌っている銀座ジュエリーマキのCMソングは、一刻も早く変えるべきだ。あの歌のド下手さは公害である。地球環境によくない。青少年の正しい音感の発達を阻害する。今日もすでに6回も聴いてしまった。浅田美代子の「赤い風船」と差し替えてくれたら、安堵の溜息をつくことだろう。
▼おれをカフェイン錠の世界に引きずり込んだ槇夢民さん(マンガ家が眠気覚ましに効くと言えば、すごく効くように思いませんか?)にせっかく展覧会の案内状をいただいたのだが、場所が相模原市ではとても行けないので、罪ほろぼしにここで宣伝する。8月21日から26日まで、ギャラリートーニチ(相模原市相模大野4−5−11 カルチャーロビー2F TEL:0427−66−7822)にて、『猫ねこ展』(11:00〜19:00 最終日は17:00まで)を開催中。マンガ家や造形家など、猫系(?)のアーティストの猫作品をいろいろ展示しているらしい。出展者は、船越哲也、カワノさかな、槇夢民、曽根麻矢、咲也・M、猫洞まこと、RIO(敬称略)ら。『猫の毛帖』(ミッシィコミックス・セレクション、主婦と生活社)でおなじみの槇夢民先生も、24日〜26日は顔を出すとのことである。24日には、17:00からパーティーもあるんだそうだ。関東圏にお住まいの猫好きの方は、ぜひお運びいただきたい。

【8月21日(木)】
▼以前に亀田製菓の「ほたてっぷり」をくださった北海道在住の明院鼎さんが、またもやスナック菓子を送ってきてくださった。「いかっぷり からしマヨネーズ」である。青い袋に入った「いかっぷり」で、ここらでは売ってないから、例によって現時点では地域限定販売なのだろう。ちなみに「ほたてっぷり」は、最近関西でも売っている。アタリメにマヨネーズをつけて食うくらいだから、なるほど「いかっぷり」にからしマヨネーズ味があってもいい。さっそくビールのつまみに食ってみたが、なかなかいける。これも全国販売すればいいのに。
▼今日はよく物を送ってくる。細長い包みを開けると、コバルトヤドクガエルと思しきカエルをあしらったシルクのネクタイ。友人がコミケの帰りに(笑)見つけたそうで、わざわざプレゼントしてくれたのだ。これでもらいもののカエルのネクタイが二本になった。宇海遥さん、OCHIKA/LUNAさん、むーきちさん、ありがとう。今度、背広姿で会うときにはしていきます。


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