建築
25歳の頃、何もかも白紙からやり直すつもりで片道チケットを握り締め、単身オーストラリアに渡りました。そこではじめたことは、紙切れ1枚にペン1本で19世紀末頃に建てられた建物をスケッチすることでした。
毎日自転車で通ううちに、この国には光が満ち溢れ輝いていることを知り、いつの間にか風景を描くようになりました。きらきらした光の感じを表現したかったからです。風景のなかでは建物も草木も水も空も鳥も皆等しくあるのだということに気付いてからは、建物を風景としてみつめることができるようになりました。
やがて日本の風景を描くようになるのですが、何でもないような茅葺きの農家が絵になるのに、多くの建物はどうもしっくりと馴染まないのです。これはつくり手の作為が邪魔をしているからに違いなく、このことを分かっている人が建築家になると景観問題は起こらないのではないかと思います。
縁あって福祉施設の職員として働いていた頃、僕は一体何をしていたかというと、たぶん人をみていたのだろうと思うのです。世間では障害者と呼ばれている人たちの考え方は、実のところかなり真っ当で大筋間違っていないはずなのに、そうでない人たちのほうが随分とおかしな行動や間違った考え方をしているのでした。ちょっとあべこべなことをいっているように思われるかもしれませんが、くもりのない目で人をみつめることができてこそ、本当の意味でのバリアフリーデザインやユニバーサルデザインができるのではないかという気がするのです。
昭和のはじめに建てられた町家で暮らすようになって、天井のある意味をようやく知りました。それまでは、埃が落ちてこないためとか、断熱層として機能するとか、化粧材として…などと思っていたのですが、ある日、天井裏からかさこそ物音がすることに気付き、ネズミの棲家であることを知ったのです。
どんな近代的な建物でもちいさな虫はいるもので、もちろん町家もそうなのですが、ちいさなクモがいると食べてくれる。きっとネズミもそうなのだろうと…。昔の建物は懐が深く、人も小動物も分け隔てなく、それぞれの暮らしを丸ごと受け入れて成り立っていて、どこかでつながっている。少々隙間風があってもこころがぽっと暖かくなります。
ちいさな庭には蝶々がやって来て木に卵を産み付けるらしく、蝶々は好きなのですが、こうなると幼虫に葉っぱを食べられてしまいます。ところが、毎日水浴びにやってくる小鳥たちが虫を食べて帰ってゆくのです。庭の手入れはおこないますが、殺虫剤を使ったためしがありません。
「風景をみる広い眼差し」 「人の暮らしをみつめる等身大の眼差し」 「小動物のちいさな眼差し」。 この3つの眼差しが揃ってはじめて、建築に携わる資格が備わったのかなと、そう考えることにしています。