いま考えていること 51(2000年07月)
――教育改革の道――

森首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」の報告書原案には満18才のすべての国民に「一定の試験期間後、出来るだけ速やかに満1年の奉仕期間を義務づける」とあるそうです。この試みは森さん好みかもしれませんが、私には嘗ての中国での紅衛兵騒ぎや「下放」を思い起こさせました。満一年の奉仕の内容は新聞記事からは不明ですが、強制的に勉学を放棄させて集団的に奉仕活動に投げ込もう、あわよくば国民としての鋳型教育を考えているのならば、そんな物騒なことはやめておけ、反感と抗争を招き、学力を低下させるだけだと言いたいのです。奉仕というのは強制するものではなく、自分の心からの自然な発露いわば“愛”の心から出発してこそ奉仕なのです。強制された奉仕は私たちの世代では“勤労動員”でした。振り返ってみても私にとっては何も得るところはありませんでした。戦争中でしたが、私たちは寮で私たちを動員に駆り立てた校長を襲い、土足で駆け込んだ憲兵の鎮圧を喰らい、全員半田警察署に出頭、「天皇陛下に謝罪する始末書」を書くという経験もあります。私たちの寮は兵舎式でしたから、天井は各室に通じ、校長室の天井に水の入ったバケツを仕掛け、電気のヒューズをとばすと同時に、離れた部屋でひもを引いて水を落下させて校長を水攻めにし、全員下駄履きで廊下を闊歩し、喚声を挙げながら、焼夷弾を除けるための鳶口で天井を突き破りつつ校長室に向かい、さらには庭に出て石を拾って校長室に投石破壊するというものでした。こういう抵抗がいわば自然発生的に誰の指導ということもなく起こったのでした。憲兵来るの報に、暗闇の中、一同下駄履きのまま布団に潜ったものですが、下駄履きのまま寝たのはこのときが最初で最後の経験です。

第一分科会の報告は「日本人へ」がタイトルだと言います。これも森さん好みですが、どういう日本人像を設定するのか、明治から敗戦までのそれまで未曾有の天皇制下の日本人と, 白鳳・天平のアジアさらにはシルクロードの国々との交流を求めた日本人では随分違ってきます。一定の像など設定不能です。もしそれが戦前への復帰だとすれば、これまた恐ろしいことです。妙なイデオロギーの教育を意図するのならそれは受け入れられないのです。形に人間の目を向けさせるとき、もっと大事なものへ目を向ける余裕を失わせます。最近の17才の少年がバットで下級生を殴ったと言う事件も、私はむしろ、この少年は“形−−野球部は丸刈り”の犠牲だと思っています。私はほかにも書いたように人間の持つ多様性を存分に伸ばすことが教育の目的であり、社会もこの多様性を承認するものであって欲しいのです。なぜかと言いますと世の中の変化は予想も出来ず、常に新しい事態が生まれてくるのです。この頃の我が国の動きを見ても新しいあり方への対応が出来ず、政治家や経営者を始め、相も変わらぬ思考をして、斬新なアイディアをよう生み出さないところにバブルからの本当の脱出が出来ない最大の原因があるのではないでしょうか。型にはまらない独創性は柔軟な自由な思考から生まれるのです。一つの鋳型にはめ込んだ教育を受けた人からは、生まれることは期待できないのです。型にはめずに自分で考えさせる教育でなければ、異常事態が発生したとき家庭でも社会でも対応できる人材は出現しないのです。どうか皆さん国に教育を委ねることなく、一人一人の子供の持つ素質を十分観察し、注目してその個性的な芽を伸び伸びと育ててあげてください。教育(education)はeducate(引き出す)以外のものではありません。 文化勲章を受章した彫刻家・朝倉文夫さん(1883〜1964)は戦前の日本の小学校教育では、個性を壊すと、二人のお嬢さんを小学校には入れず、家庭教師を招いて教育されました。舞台芸術家・日本画家の朝倉摂さん(夏の夜の夢・星の王子さま・大正四谷怪談その他数々の舞台の美術監督、さらに国際的にニューヨークメトロポリタンオペラの美術監督も勤める)と妹さんの彫塑家・朝倉響子さん(新宿駅西口の「約束」、神戸松蔭女子学院のモニュメントなどの作者)で、お二人とも個性豊かな芸術家になられました。私の学問、教育、その他 もご覧ください。

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grenz

いま考えていること 52(2000年08月)
――忘れられない光景と音――

次第に人生の終着駅が近づくからか、鮮明に近頃思い出される光景と音があります。この二つともいろいろ記録を見ていると、滅多に出会えないものであることが判ってきました。それで記録しておこうと思います。

昭和29年(1954年)の夏、膳所高校(当時は大津東高校)で教えた生徒諸君数人と伊吹山に登りました。近江長岡についたのはもう夜の12時にも近い頃でした。当時はゴンドラもなければドライブウエイもまだない時でした。頂上まで歩くしかないのです。早くも一合目でダウンする人も出ました。しかし歩いている内に次第に調子を取り戻して、この女性は頂上に近づくにつれ仲間の内で一番元気を取り戻しました。このころでも伊吹を訪れる人は多く、九合目辺りから下を見ると登山道を遙か麓まで光の筋が続いていました。頂上にはない方が良いような不格好な大和武尊の像がありました。その傍で少し休んだと思うと、もうご来迎の時がやってきました。伊吹山は多くこの時間は靄か霧が出るらしいのですが、この日は驚くべきご来迎が訪れました。太陽が姿を現すより前、太陽が小さな真珠の玉と化し、小さい間隔を置きながら連なる光の玉が、右へ左へとパッパと水平に走るのです。その真珠の玉は時にはピンクに、時にはグリーンに、紫にと色づき刻々色が変わります。しかも右にツツッと走ると思うと次の瞬間左にツツッと走るのです。その都度色が変わり、走った先端で消えていくのです。この光の真珠の左右への展開は、宇宙の交響楽が鳴り響いている錯覚さえするのでした。この小さな玉の色が白色に変わり輝き、ついには現れなくなって、太陽が次第に明るく大きく昇ってくると、空は明るさを増し、今まで真っ暗だった西の麓、山下の木々も灰色のバックの前に黒いシルエットとなり、栖鳳さんの絵でも見ているような風景を展開しました。やがて私たちは明るくなった山道をゆっくりと下りましたが、九合目付近の石灰岩はかわいいフズリナなどを宿して、軽くハンマーで叩くとこれがかけらとなりました。このご来迎が私の過去70年間に見た最も美しい光景でした。

いまは唐招提寺の金堂の前も京都の河原町のような賑わいが時にみられます。しかし私が高校生だった頃の唐招提寺は訪れる人は稀で、講堂の手のない仏や頭のないトルソのような仏を拝もうとするとき、案内に来てくれた若い僧に「何度も来ていますから案内は結構です」と言うと、どうぞごゆっくりと言って庫裏に帰って行かれたものです。心おきなく講堂に入ってただ一人時間も忘れて、ゆっくりと仏たちと会話を交わしたものです。当時はまた一人のずんぐりした体つきの名物婆さんが、独特の歌うような名調子の案内を聞かせてくれました。ある時この婆さんが私を金堂の正面に案内してくれ、天平の彩色のかすかに残る、立派な大きな縦長の扉を静かに開いてくれました。その瞬間扉は不思議な音を奏でてくれました。婆さんは「こんなに良い音は滅多にしないのです。あんたさんは良いときに来られた」といいながら扉を開けたり閉めたりして、この妙音を何度も何度も聴かせてくれました。扉全体が共鳴して不思議に明瞭な響きを伴った音を発したのです。
この音はこういうわけで、今までに聞いた音の中の忘れられない最高の妙音なのです。開かれた扉から中に入ると、ほかの仏たちと共に立派な千手観音が拝まれます。婆さんは「この仏さんは本当に千本の手をお持ちで、前に修理したあと組み立てたら、三本の手が埋め込めなくて余ってしもた」と古代の仏師の精妙な技術を語ってくれました。

この二つの光景と音とは、私がこれまでの七十年間に経験できた最高の贈り物でした。どちらも自然が、よほど稀な条件を満たしたときでなければ、見ることも聴くことも出来ないものでしたでしょう。私はそれをありがたいことに享受出来たのです。これほどの幸せはそう出会えるものではないだろうと、密かに感謝し喜んでいるのです。

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grenz

いま考えていること 53(2000年08月;同月追記;9月追記)
――株価と公定歩合――

ここ数日は株価が低迷して大きく落ち込んでいます。かってはこのように大幅な株価の下落が起こると、各マスコミも政界も一斉に公定歩合の引き下げを合唱したものです。その結果多くの場合多少とも公定歩合が下げられ、息を吹き返したのです。

今回はさすがに現実が公定歩合(公式には0.5%、コールレートが〜0%)ゼロの状態ですから、公定歩合引き下げを合唱しようにも出来ないのです。「ゼロ金利が景気の下支えをしているのだ」、「「そごう」問題で再び銀行の不良資産処理の遅れが明らかになった現在ゼロ金利を解除するなどもってのほか」と言われるのですが、視点を変えれば今は明らかに株価の調整機能を失った状態にあると思っています。公定歩合がインフレやデフレを調整する機能が現在の日本には失われていると言うことです。

この面からだけ見ても現在の日本は異常な国になっており、今後いやでも正常な金利を支払う国にならざるを得ないと思うのですが、膨大な財政赤字を賄っている赤字国債の金利も上がらざるを得ないでしょう。額面金利が引き上げられて、国の支払う利息が大きくなり、ますます財政は圧迫されて支払不能に陥るかもしれません。破産です。また低利で発行された既発債の額面価格は下がり、保有する金融機関は大損を覚悟しなければなりません。こういう将来への不安が外国の投資家の信用を失い、大幅に売り込まれて株価が下がっているのでしょう。

確かに日本の企業は一時よりも持ち直し、優秀な会社はそれなりの利潤を上げて来ています。それにも関わらず、そういう会社の株さえが低迷しているのは、今回の株価の暴落が日本そのものへの信用不安を現しているのでは無いでしょうか。

今この状態を脱却しようと思えば、もはや先送りでなく、思い切った財政赤字処理の将来展望を明らかにしなければなりません。そうしませんと対外的信用は回復できないのでは無いでしょうか。ところが来年の参議院選を控えて、どの政党も思い切った展望を示さないのです。否それどころか相変わらず、これまでと同じように権益を守ろうとして公共投資を増やそうとしたり、口当たりの良いことを言っているのです。外国だけではありません。国民は日々迫ってくる将来への不安を感じ、本能的に支出を控えて備えようとしています。赤字があれば支出を減らすことと収入の増加を計ることしか解決方法がないのは、我々の家計と同じことです。これ以上借金をすれば一時は凌げても将来の世代も含めて、ますます泥沼に落ち込むのです。いやなことですが、私は国の支出予算の減額と増税しか方法は無いと思っています(それでなければ大幅なインフレ)。これを国会に堂々と持ち込むのはどの政党でしょうか。先の総選挙で民主党が所得税課税最低限の引き上げを正面に掲げましたが、一つの見識でしょう。しかし例えば政党助成法による国からの支援を受けながら、相変わらず業界からの政治献金を受けて当然という発言や、架空の政治団体を作ってトータルとして政治資金規正限度額以上の献金を受け取ると言う誤魔化しは、とても受け入れられるものではありません。医師の課税なども見なし措置が大きく、さらに消費税の滞納が6000億円もあるなど、大衆課税の引き上げよりもっと先にやらなければならないことがたくさんあります。2000年8月6日のサンデー・プロジェクトで教えられたことですが、ガソリン税関係約5兆円が道路特定財源になっているのも一般財源に組み入れられなければなりません。国の予算について、現状ゼロシーリングがよいとか悪いとか日本新生予算1兆円とかの議論しか見られませんが、もっと予算構成の根幹からの見直しが必要な時期に来ています。これは単に総理が誰かなど現政府の問題では無く、自民党が政権与党である限り、族議員を抱えて根幹からの見直しが不可能なのではないかと思っています。

<付記>(2000年8月12日記)昨日、日銀はゼロ金利政策を撤廃しました。政府関係を始めIMFも懸念を述べ、また景気の持ち直しがうまくいかなければ日銀の責任だぞと言わんばかりですが、私は政府はこのゼロ金利政策に甘えて問題解決を先に延ばし、ことに目先のことだけでは無く根本的に改めなければならない国の財政のあり方の検討も、IT革命という土俵の上で構築しなければならない新しい政治と経済の新構造のデザインもせず、その結果として新構造への転換も出来ていないと思っています。土木関係・不動産関係で借入金を精算せずにやってきた不良企業にとっては金利の引き上げは痛いことでしょうが、こういう会社にとっても、ゼロ金利に甘えて無責任に問題解決を遅らせてきた姿勢は、もう猶予されないと覚悟させるだけでも有意義なことだと思います。

金融の本山としてこれ以上放置できないというのが、日銀の決断であったのでしょう。日銀を非難するより、一度目を覚まして転換された金融政策の下で何をなすべきか考え無ければならない時を迎えているのでしょう。

<付記>(2000年9月9日記)昨日ムーディズは日本の国債の格付けを下げ、スペイン・ポルトガル並みにしました。政府筋は影響を否定していますが、“強がり”と見るべきでしょう。結果的には長期金利の上昇を呼び、国内金融の全てにも影響してきましょう。ゼネコンなどの債務を放棄する銀行にも金利の上昇は今までのように利潤を確保できなくするでしょうし、一部債務を免除してもらうとはいえ不良ゼネコンなどの残る債務への利息と返済の重圧は一段と重くなるでしょう。いよいよ最終段階に入りつつあるのが現状でしょう。

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いま考えていること 54(2000年08月)
――閣僚の靖国参拝――

2000年8月17日のテレビと18日の新聞は一斉に、森田運輸相の訪中計画が中国によって拒否されたことを報じました。

例年この時期になると靖国参拝が話題に上ります。今年は、安岡法相・相沢金融再生委員長とともに森田通産相が公人として参拝しました。通産相は北京上海間の中国高速鉄道計画をにらんで日本方式の新幹線売り込みを計って事務当局に中国側との折衝を指示し、9月6日から4日間の中国訪問が決まっていました。11日「この時期に運輸大臣がこられても話すことはない」との中国からの連絡が突如入り、森田さんは「こういうことになるのなら靖国神社に参拝はしなかった」と語ったと報じられ、村上正邦自民党参議院議員会長は「中国ももっと大人の姿勢で臨んでほしい。対中国政策全体を見直さなければならない」と発言しています。わたしが言いたいのは、まず森田さんや村上さんの言葉は“英霊”冒涜の言葉だと言いたいのです。あなた達が本当に英霊を神と考えて、胸を張って堂々と参拝するのであれば、中国新幹線計画参入がだめになっても自分の所信を貫く発言で無ければなりません。ビジネス優先の信仰などというものは唾棄すべきものです。もう一つはこれも神道の考え方でしょうが“みそぎ”をすれば罪科は晴れるという思想です。この思想は一部の日本人には通じるかもしれませんが、国内国外を問わず他の人には必ずしも通じないものであることを“みそぎ思想”を持つ人たちも念頭に置かなくてはなりません。「もう済んだことや。ええやないか。グダグダ言うな」というのは加害者の言葉でしょう。被害者は忘れないものです。事実を直視し、認め、その上での行動でなければ、本当の信頼のある前進は得られないのです。昭和天皇の戦争責任についても国際的には今なお議論され決して免罪されていません。近々公刊される“Hirohito and the making of modern Japan”(この本は現在インターネットでAmazon.comのホームページに繋ぎますとすぐに目に入ります。予約も受け付けていて、定価35ドルのところ予約では28ドルです)もその例です。

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grenz

いま考えていること 55(2000年09月)
――国民運動としてのIT革命――

現国会冒頭の首相所信表明演説中の表題をそのまま表題として使いました。演説の中で「5年後には我が国を世界の情報通信の最先端国家に仕上げてまいります」とか「われわれの目指すべき『日本型IT社会』は、すべての国民が、デジタル情報を基盤とした情報・知識を共有し、自由に情報を交換することが可能な社会であります」という所信が見られました。私は不吉なことをいうようですが、この夢は現状のままでは実現しないだろうと思っています。それはなぜでしょう?

三省堂の「言語学大辞典」によると、現在英語は、北米大陸・イギリス・オーストラリア・ニュージーランド・南アフリカでは母語として、また旧植民地のインド・アフリカ諸国など複雑な言語事情を抱える国々で公用語・共通語として不可欠なものになっています。シンガポールも挙げることができましょう。フィリピンの貧しい子供の親も文法的にはおかしいことも多いののですが、英語で手紙を送ってきます。オランダ・スイス・オーストリアの青年たちは英語が使えないと良い就職口がないということもあって、ほとんど母国語のように話します。かって英国の斜陽化がやかましかった頃、毎日新聞の社説に“英国が滅んでも英語は生き続ける”という意見があったのを覚えています。また中学一年で英語を手ほどきしていただいた菊地周一郎先生は、開講時、英語は入りやすいが奥の深い言葉だと話されました。そうです。確かに英語は文法もやさしく、入りやすい使いやすい言葉なのです。残念なことに私たち70歳から60歳後半の世代は、英語を学ぶ時期がたまたま戦争中で、“敵性語”というわけで、音楽の時間“Home,Sweet Home" を習っていたのが途中で止めになり、次の時間は”Deutchland,Deutchland ueber Alles"とナチスドイツ国歌を教えられた世代なのです。私のいま考えていること 16−−インターネット−−にも書いておきましたが、英語をある程度使いこなせないと国境を越えて自由に情報を入手し、交流に使えるインターネットも国内使用に留まります。外国から品物を買うのにも英語が要ります。一例をお見せしましょう。私がジーンズを注文したSheplers社から今日(2000年9月26日)届いたメールです。返事を早速送りました。

*** *****       order# 6531414

THANK YOU FOR YOUR PATIENT REGARDING THE SHIPMENT ON YOUR STRETCH JEAN CATALOG NUMBER EO014070 COLOR:INDIGO DMM SIZE: 36 . IT WAS NOT ARRIVED, AND WE APPOLOGIZE FOR THE DELAY: OUR ANTICIPATED SHIP DATE TO YOU IS 11/11/00. IF THIS IS UNACCEPTABLE. PLEASE CALL US AT 316-946-3780, AND WE WILL BE GLAD TO ASSIST YOU IN MAKING AN ALTERNATE SELECTION. OR, IF YOU PREFER, WE CANCEL THE ITEM AND ISSUE A REFUND OR CREDIT YOUR ACCOUNT.

首相を始め多くの人たちがインターネット立国を叫んでいますが、英語力の強化を唱える声は聞かれません。すべての日本人が英語は中学校で習ってはいるのですが、現状日常使える言葉になっていないのです。少々文法的におかしかろうと、会話・手紙など生きた英語を、フィリピンの人々のように日本人が自由に使えるようにならない限り、コンピューターと親密につき合えず、IT革命は日本では成功しないのです。世界からのこの点の遅れは致命的です。文法をきちんと押さえた逐語訳教育も必要でしょうが、かなりの長文の英文と一定の時間を生徒に与えて、すぐに読みとった内容を口頭発表させるような授業も要ります。

ともあれIT革命の怒濤は避けられないのです。この革命の波がこれからの日本人の英語観をいやでも変え、バイリンガル化は濤々と進むことでしょう。IT革命は経済問題に止まらず、文化の革命をももたらすのです。それほど大きい意味を持っています。

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私とITに戻られる方は