友人の訃報が伝えられることも多くなった昨今、先ずはじめに書きたいのは、これまでの日々を振り返ると幼い頃から今日まで、いつも両親をはじめ家族や周囲の多くの人たちに温かく助けてもらって生きて来れたのだということです。この助けがなかったらとても今日まで生きて来れなかったでしょう。助けを頂いていたその時には感謝することさえなかったのですが、人生助けられて初めて成り立っているものだと気付きました。遅まきながら心からの感謝を有縁の方すべてに捧げます。
人間一人一人違った条件の中におかれているのですから、その条件を考慮しないとうまく行くはずはありません。基本的に人の真似はしないで自分の条件を踏まえた、自分にふさわしい生き方をしなければなりません。条件は刻々変わリます。自分の希望的観測の下で立てた計画は、その通りに実現していくことはまずないのです。これをしっかり頭脳に据えて置かねばなりません。まして変化の激しい現在、いよいよ、事に応じての柔軟な思考が非常に重要になるでしょう。一つのアイデアが生まれたとき、遮二無二進むのではなく待ったをかけて全く別の視点を儲けて見直したうえで決断すれば自ずと柔軟な思考が出来ているものです。
ビッグバンは戦後50年間に溜まってきた経済や政治の矛盾そのものが、変革せざるを得ない原因なので、一首相の発想からきているのではありますまい。この変革は大きい社会不安や新しい矛盾を生み出すでしょうが、避けて通れません。現在の変革はこれまでの延長線上の発想では処理できず、これは国際化グローバル・スタンダードを視野に入れざるを得ません。国内でだけ通ずるスタンダードでの慣行がどうしようもなくなっていることは証券不祥事ででも見て取れます。しかしこの変革に伴って、数年先には新しい矛盾が大きくなり、新しい変革を必要とするでしょう。たいへんな世の中ですが、この不安こそが生きている証でもありましょう。まこと"万物は流転する”というヘラクレイトスの言葉は真理です。
私は、というよりも私たちの世代は、国というものを少し醒めた目で見つめる世代でもありましょう。50年前まで、国の方針にどっぷり浸かってひどい目に遭った世代ですから。大臣が大丈夫と声高にいうときは「本当は大丈夫でないのだな」と考えるのです。税金を取る以上、国は憲法に沿って国民にサービスする義務はあるのですが、さりとて何もかも国に依存することの危険も知っています。やはり基本は、個人個人が自由に考え、行動できることの方がどれだけよいか分かりません。まず自分でやる、国にはたかだか支援してもらえばよいので、過度に依存する気はありません。あまり個人の生活に立ち入ってもらいたくはないのです。 一つの方向に国が向い、それに従わないものを非国民視することの憂鬱を味わってきたので、現在の日本の方向を危惧するのです。いろいろな考えの人を包容する自由の国こそ思わぬ変化に対して即応できる素材を備えた強い国でありうるのです。
私は過去のことには後悔しないよう心がけ、できるだけ前向きに生きることを願っています。いろいろ先のことを計画し、思い計っても自分の都合の良いようには事は進まず、社会の姿も含めて、条件は刻々変化していきます。所詮は何が起こるか分かったものでなく、複雑な条件の組み合わせの下でその事象は起こっているのです。現在、私たちの社会は停滞し、一見希望がないように見えますが、こういうときこそ面白いのです。例えば、農業を始め地方の経済など大きくいうと、これまで政府の補助金に支えられてきたのですが、そのために、依存する気持ちが普通になって自分から進んで活路を開くという気性を失ってしまったのです。このことほど大変な危機はありません。経済システムが、いま乗り上げている暗礁など、この危機的な精神的依存体質に比べればそう大変なことではありません。終戦直後の日本では、想像を絶するどん底の生活にみんなが投げ込まれたのでしたが、国という重石が消え去って不思議に明るく希望が萌えて、みんなが自力で立ち上がろうと努力し、自ずと鍛えられ互いに助け合って、再興どころか未曾有の繁栄を獲得したのでした。食えなければ食えるようにまず自分が必死の努力をしてきたのです。こういう努力を止めてしまった家も国家も必ず衰退します。そういう意味では物が豊かにあること、あるいは政府が農業や地方を補助金などで補助してきたことが皮肉にも農民や地方の生きようとする力を潰してしまい、衰退を現に進めているのです。政府に頼って生活を保障してもらうことは、生殺与奪の権利を政府に譲り渡し、自分の活力涵養の放棄を意味します。私たちの世代は文字通り戦争を通じて修羅、餓鬼、畜生、地獄の世界を経験してきました。また戦前は天皇制の下、明治の伝統の中で生きてきましたし、戦後は一転して民主主義の時代に入りました。多くの学校では昨日まで忠君愛国を教えていた教師が、一朝にして民主主義の旗を臆面もなく振る浅ましい姿も見ました。そして戦後60年を経て今また大きな思考の変革期を迎えています。来し方を顧みて、政府を始め大きいものに凶暴な振る舞いだけは許したくありません。「自由」を圧殺する火は小さい内に消し止めなければならないと思います。変革期を迎えた現在、これからもいろいろ社会の移り変わりを経験したいと思っています。命果てる日には、平知盛のように「見るべきほどのことは見つ」と言って死にたいものです (注)。
私はあまり人から干渉されることは嫌いな性格ですが、その代わり他人様に対してもその方のやり方を尊重し、何かをお願いしてその方にやっていただく場合は、ほとんど口出しはしません。自分の方針がある場合はあらかじめ説明して納得していただいたら、後はその方を信頼し、お任せする方がその方も働きやすいし、責任を持って動いていただけるものです。たとえやり方の細かい点で自分の好みのやり方でなくても、そのまま口出しはしません。同じ目的に向かっていても、人にはそれぞれのやり方があるものです。自分のやり方を押しつけたいのなら、人を頼むな!自分でせよというのが私の一貫した考えです。勤めていたときにもすべての人にこういう態度で接してきました。不都合なことがあればわたしの代わりにやっていただいたと考えて、後で自分でその不都合を直すのです。現在も週二回看護師さんとヘルパーさんに来ていただいていますが、一人一人やり方に違いがあります。ここに書いた方針で対応しています。みなさんよく責任を果たしていただいています。子供たちの生活や進路についても、基本的には同じ姿勢でやってきましたが、自分ではよかったと思っています。
他人のことに口を出すときはその後もそのことに自分も責任を持つて行くというのが私の基本姿勢です。こういう考えですから責任を持って相談に乗ることは恐ろしくてできません。相談に乗るからにはその後の実務についても自ら責任を持って対処していく覚悟を持たなくてはなりません。世上見かける「○○相談所」は最後まで解決の責任を執ってくれる相談所なのでしょうか。
すべての人の顔が違うように考え方も一人一人違って当然です。現在の教育はあまりにもまた定まった型に入れ込もうと言う方向を感じます。日の丸・君が代の問題が教育の面から起こってきたのはその象徴のように思います。先年教育基本法の見直しが首相サイドから提言され議会を通過しましたが、時代が変化し、新しい世界が開けていく時、みんなと違った考え方ができる人材がいなくては道は開かれません。教育の基本はそれぞれの人が自由に与えられたその個性を伸ばせることですし、また教育機関はそれぞれの人の個性を引き出し開花させるものでなければなりません。現在の日本の教育制度はこの点で大きい欠陥を持っており改めなくてはなりませんが、首相の意図が画一的な日本国民養成のための改革なら百害あって一利なしです。
2001年1月24日のNHK番組“クローズアップ 現代”によりますと、ある会社では会議を止めて電子メールで意見を交換し、部長はその意見を統括し、また人事考課にも電子メールで出されていた意見を考慮しているとのことでした。その結果みんなにストレスが溜まって、「呑む会」が見直されているというのが当夜のテーマでした。私は以前から“真理は人から人へ”と思っていますから、会議の代わりを電子メールによる意見交換でさせようとした考えを、冷笑をもって誤りと断じます。顔や眼、体の動きを見て話すと言葉だけではないメッセージがお互いの間を行き交うのです。Body languageと言う言葉もあります。その結果最終的な判断も異なってくるのです。恵果和尚と空海、法然と親鸞の関係、更に新しいところでは立川談志と談かん(ダンカン)などそのよい例です(いま考えていること 59(2000年11月)―機械化の落とし穴―もご覧下さい)。戦争中夫の戦死公報を受け取って、感想を語る夫人の顔は笑っていたが、手がぶるぶる震えていたという話も聞いたものです。
2001年2月14日の「毎日新聞朝刊 雑記帳」に北陸先端科学技術大学院大学が、博士後期課程入試面接をやめてネット上で教官と研究テーマなどを対話すると報じました。これも冷笑をもって誤りと断じておきます。
私たちは人間なのです。“真理は人から人へ”ですから、師匠や友人との出会いが一番大切なのです。NHKのスタジオパークに鳥羽一郎さんが出ていましたが、鳥羽さんには船村徹先生との出会いが運命の扉を開けてくれました。船村先生の偉さも尋常のものではないことがよく分かりました。私にもありがたい出会いがありました。これまで書くのを遠慮してきましたが、もう許してくれるでしょう。私は11年間同志社高校で教えていましたが、大学時代の同窓で当時京大理学部助教授であった 丸山和博君が私を覚えていてくれてチャンスを与えてくれたのです。詳しいことは注に記しました。
雪印といえば私にとっては純白の雪のイメージで接してきました。それがどうでしょう。このところ雪印乳業のみならず雪印食品も完全に信用を失墜する所行を重ねています。鈴木宗男氏はお金を稼ぐために利権を漁ってきました。たかが数百万円くらいの収賄で一生を棒に振るような愚かな事件が後を絶ちません。お金に欲を抱いてはなりません。お金に関係するすべての面で簡単に言えば清廉潔白つまりきれいでなくてはなりません。お金ではなくて人生に最も重要なのは”信”なのです。志無くしてはすべては成りませんが、“信”無くしては志も実現できないことを肝に銘じましょう。“信”というものはお金よりも何よりもこの人生で大事な物なのです。
私が現在心掛けている事の一つは、できるだけ堂々としていたいことです。「じじむさい」ことは止めておこう、スマートシニアでありたいということです。決して自慢できるような服装をしているのではなく、ジーンズの上下ですが、活動に最も適しており、若者気分です。清潔でいたい、活力が見えるような振る舞いをしたいと思っています。2000年3月3日のNHKラジオ第一「健康ライフ」で山梨医大の渋谷昌三先生は、老化しないためには心理的に”自分で年を取ったなあと考えないこと”も大事だと仰っていました。大脳生理学の分野で「人間は自分が望む結果を作り出すために、脳内でホルモン(例えばベーター・エンドルフィン)を作り、体内の化学反応系をそちらに持って行く」という仮説もあるそうです。心の持ち方が体内にある種のホルモンを作り、健康状態を変えるというのです。モルヒネはアミンとアルデヒドの縮合したシフ塩基を原料として植物体内で作られるのですが、動物の体内でもアミノ酸からアミンができ、ケト酸やアルコールからアルデヒドもできますからモルヒネ様の物質ができるのでしょう。
私は毎日の散歩にも、アメリカから買った四季それぞれのカウボーイ ハットをかぶって出かけますが、決していい格好をしようと思っているのではありません。カウボーイ ハットはまず実用上、鍔が広くてまぶしい日差しを避けられますし、この帽子だと颯爽と歩かないと似合いません。自分への励ましのメッセージのつもりなのです。近頃の流行語でいえば“エイジレスファッション”というところですか。
もう一つ最近は次第に物忘れもありますので、頭に思いが浮かんだときにできるだけすぐにやってしまうように心掛けています。例えば水道のしまりが少し悪いなと思ったときは、すぐにカランのパッキングを交換します、明日はお寺の月参りがあるなと思ったらすぐにお布施を包んでしまいます。すぐにやってしまえばもう忘れてもよいので気楽です。いつかしなければならないことはすぐにやってしまうのです。家内の父が生前いつも「今日為しうること、明日に延ばす事なかれ」といっていたのが想い出されます。
また、思い切りの良い決断を常にしたいと心掛けています。日常生活でも、不要なものはどんどん処分していきます。何時か使うだろうと残しておいても使わないことが多いのです。狭い家(あるいは冷蔵庫)がますます狭くなりますから、貴重な高価な空間を無駄に殺しているようなものです。必要な資料にしても、ただ袋に放り込んでおいても結局使い物にならないで捨てる羽目になります。本当に必要で保管するなら、始めから分類と整理が終わっていなければ使い物にならないのです。とにもかくにも、要らない物を置かないとすっきりします。能の舞台からは不要になった物は直ぐに後見の方が引き下げていきます。能の簡素な美しい舞台はここから生まれます。この印象が私の日常生活に大きく影響しているように思います。近頃世間に「断捨離」という言葉がはやっているようですが、わたしのやり方とも共通したものでしょう。また、子供の頃に読んだ“少年倶楽部”に「大きいそろばん・小さいそろばん」という記事がありました。どういうものか一つの標語のようによく思い出されます。案外小さいことで節約と思ってケチって、大きくみると損をしていることも多いのです。
SF商法による高齢女性の被害が国民生活センターで集計されています。無料で品物を上げるとか、特別に安く販売するとかの口車に乗って会場に行き、異様な興奮状態に巻き込まれて高価な電気治療器とか布団を契約し、後で泣くというものですが、この例です。近頃はテレビのコマーシャルに出なくなりましたが、節水型のトイレというのも要注意です。少し水道代をケチったために、汚物が十分に流れて行かず、マンホールが詰まってしまったらどうしましょう。もうひとつ例を挙げましょう。私は冬になると狭い家のことですから、家中を暖かくするために暖房にはケチりません。何故かというと、歳を取ると寒くなると血圧が上がり、悪くすると脳出血や心筋梗塞を起こしかねません。防ごうとすればまず暖かくすることです。別項にも書きましたが、厚着は身のこなしを悪くし、動きを鈍くさせます。いい加減な健康食品にお金を投じるくらいなら、暖房にお金を使い、医療支出を減らしましよう。これが「大きいそろばん・小さいそろばん」です。省エネも念頭にないわけではありませんが、これも事情によります。病人や老人が居る家では、自ずと多めのエネルギー消費は必要です。一般家庭は省エネと言うような概念的な言葉は使いませんが、家計を思えば「節約、節約」で使うべきところにさえ使っていないのが現状でしょう。それよりも自動車などはもっともっと減らせますし、或いは職場や公共施設では、働く人や利用する人が自分ではお金を負担をしないので、つい浪費しがちなエネルギーの消費を減らすことは可能です。家計のことだけでなく、どんな場合も社会や国家がばらまく一律のスローガンに惑わされずに、それぞれ自分の事情に応じた答えを醒めた頭で落ち着いて広く考えましょう。ですから、社会との関係でも、私から見て意義のあることには、できる限りケチらないで、サポート活動、後援事業にも関わっているのです。
今から2000年前、漢の高祖の外孫、准南王劉安が著した准南子(えなんじ)に陰徳陽報という言葉があるそうです。これは「世に知られない善行をするものには必ず目に見える報いがある」という意味ですが、そういう勘定ずくの意味では(それでは陰徳にならないのです)なしに、陰徳を積むことは精神的に心を裕にしてくれます。何かをしてその見返りを求めるのでなく、もっぱら他人の幸福を願って秘かに行動することは必ず自分の心を潤し、すべてにおいて欲得を離れた広い思慮へと導くことは間違いありません。最近は“陰徳を積む”という言葉も久しく聞かない言葉になっていますが。
私は長く教職に就いていましたが教育する者にとって、もっとも必要なことは学生・生徒に接する場合、深く深く相手の気持ちの中に入っていって、言葉は悪いですが相手の気持ちに探りを十分入れ自分も同化してから、はじめて相手も理解できる語らいができることです。そういう意味では簡単にいえば教師は「心理の洞察者」でなければなりません。これは教育の面だけのことではありません。すべての人に接するときに心がけなければならないことだと思っています。一方的な押しつけは効果を生みません。かっての小沢一郎自由党党首の振る舞いを思い返しますと、あの人は彼一流の論理の展開はできる人ですが、長たる人ではありません。それは相手の心理が読めず、親身に相手の気持ちにはなれない人だからです。あれでは人はついていきませんし、彼自身の意図する志も成らないのです。
また、 家庭も一つのチームです。かってk大学の山岳部で予期されない遭難事故がありました。その時のメンバーの一人が言いました。「この遭難の原因はリーダーを決めないで、みんなで民主的に相談して決めていこうとしたことだ」と。その山行きではみんなが勝手なペースで歩いたのです。その結果、誰もが他人に責任を感じない体制になりました。一人のメンバーが遅れて歩いても自主的な選択に委ねられました。その結果遅れた一人が雪庇を踏み外して落ちて亡くなってしまったのですが、だれも気も使わなかったし、歩いているときに気遣いする責任者もいなかったのです。一つのチームには−−−家庭でも−−−最後の責任を負うリーダーは誰か一人---それが旦那であれ、奥方であれ---必要なのです。それを非民主的だといって拒否することは、いざというときに誰が責任を取るかということを曖昧にしてしまうのです。見てご覧なさい。すべてのチームと名前の付くものには、責任を取るチームリーダーもしくは監督、指揮者がいるものです。能でもシテは原則ひとりのものですし、他のメンバーはシテを盛り立てるために最善を尽くすのです。リーダーは時には他の人の反対を押しきってでも決断しなければなりませんし、その責任は重大です。他のメンバーは大事な決定には、リーダーの決断に無条件に従わなければならないのです。そうでないと危機は乗り越えられないのです。こういう体制は如何に時代が変わろうとも必要なのです。
次に、将来の約束、例えばこうこうこういうことをしてくれたら先々こういうことを約束するというような人に出会っても、それを信じてはなりません。そういう約束をすることは誰にも不可能だからです。約束したとき、本気でその人は言っていたということや、騙す気は本当になかったのだということはありうるのですが、自分だけでなく、約束すると言った人の、現在の状況も刻々変化することは避けられないのです。状況が変われば誰だって約束を果たせなくなることは起こりうるのです。ですから、未来に対して故なく期待することも、要らぬ取り越し苦労する事も無駄です。マタイ伝6章34節にも”このゆえに、明日のことを思い煩う事なかれ、明日は明日のことを思い煩え。一日の苦労は一日にて足れり。”とあります。何が起ころうとその時点時点で柔軟に全力を尽くしてその条件を分析し、対応策を講ずるしかないと考えています。
毎日いろいろの難題が起こってきますが、そのうちのどれがいま一番問題なのかを考えます。他の問題の解決はさしあたり後回しにして、その上で思い切りよく迷わずに当面その主要問題の解決に当たります。これを解決すると他の問題も解決されていることが往々あります。問題の解決が複雑であってもしっかりした作戦を立て、その実行には一歩一歩道筋を踏んで焦らずに順を追って進めます。これは私の性格の一部に最早なっているのですが、別のところに書いた若いときのビロードの切り職人としての経験が未だに生きているのです。
これに類する処世哲学はどうしても実行しなければならないaという課題と少し嫌だが実行しなければならないbという課題を持ち合わせる時は、先ずbからかたづけます。aはどうしてもしなければならない必要な課題ですからbが終わってからでも忘れることはありません。bが終わっているので気持ちには余裕が出来ています。
私の専門は有機化学反応機構です。長年この方面の仕事をしてきましたが、その中から掴んだのはそれぞれの反応はそれぞれに固有の姿を持っていますが、それを総括し系統的に見ていくと実は一つの原則があってその原則が個々の条件に応じて一見様々な特異性を現してくるということです。反応機構論というのは様々な反応にメスを入れてその根源に潜む原則を明らかにし、どのような条件でその原則が異なった様相を外見上呈しているのかを明らかにする学問でした。私が思うのに有機化学反応だけでなく世の中の様々な事象も一見複雑多岐に見えていても、それらの事象の根源に潜む原則は単純なものだと思います。世界で猖獗を極めているテロなども、その解決は武力では無力で、テロの起こる単純な根源を解決しなければどうにもならないということです。ロシア国内のテロは究極的にはチェチェンの独立という政治の問題だと思います。イラクでのテロ行為もアメリカの独りよがりな見解の撤廃がないかぎりは解決しません。糖尿病・高血圧症も元をただせば生活習慣に原因があり、これを正せば闘病はできるのです。根源の真理・原理はすべて単純です。
最初の作戦立案は重要です。問題解決の成否は99%ここにかかっています。作戦の構想には見本もなければ、本を読んでできるものでもなく、その時点での自分の総力を尽くして取り組むしかありません。最後はすべて個人の「人間そのもの」の仕事です。最初の着想で誤り、しかもどんどんこの誤った方向にのめり込んでいくと軌道の修正には大変なエネルギーを使わなくてはなりません。喩えていいますとワイシャツのボタンの上の方で掛け違ったまま、下までやってきて誤りに気がつき、かけ直そうとすると、先ずもう一度ボタンを一つ一つ外してもとへ帰り、それからでないと正しくボタンをかけ直せないのに似ています。
俗に「花伝書」といわれる「風姿花伝」の終わり近く、世阿彌は
「コノ男時(ヲドキ)・女時(メドキ)トハ、一サイノ勝負ニ、定メテ、
一方色メキテヨキ時分ニナルコトアリ、コレヲ男時ト心得ベシ。
勝負ノ物数久シケレバ、 両方へ移リ変リ移リ変リスベシ」
と書いています。風姿花伝は終始、立ち合いの能でどうしたら相手に勝てるか、ということをテーマにしていますが、調子よく物事が運ぶ男時もあればそうも行かない女時もある、併し何度も勝負をしている内には男時も女時も必ず交替する、というのです。人生、時には不幸が波のように次から次に襲ってくることがあります。ある年の春先、一族に立て続けに三つも葬式が続いたときがありました。そういうとき私はこの言葉を銘にして身を低く小さくして、波が我が身の上を通り過ぎていくのを達観して待つのです。ジタバタすればするほどうまく行かないものです。昨春の病気以来の私はまたこのような事態を現在経験しています。天は時たま恐ろしい試練を降すのです。しかし必ずそういう時期は過ぎていくのです。
「勝負ノ物数久シケレバ、 両方へ移リ変リ移リ変リスベシ」
今ひとつは”縁”を大事にするということです。人生いろいろの出会いがあります。その一つ一つが貴重な縁であり、その積み重ねが人生そのものです。私のわずかなこれまでの生活を振り返っても、過去のどの経験もどれ一つとして無駄なものはなかったような気がします。今、振り返ると。その時点では未来にどう役に立つのか全く分からなかった、また、考えもしなかったことでも、結果的に、はからずもすべて現在に活きて役に立っているような気がします。これが自己を越えた、仏の「計らい」なのかもしれません。
必要なものは仏様が下さるというのも、私の考えの重要な一つです。これまでの人生で常にこれは真実でした。楽天的に過ぎるかも知れませんが、真実必要なものは、余分はありませんが、物質面でも精神面でも必要なだけは与えられました。心配は要りません。
トルストイの民話でしたか、ある男が今日の日没までに君が走り回って来た土地はみんな君のものだと言われて、走り回り、やっと日没ぎりぎりに家に帰ってきましたが、疲れて死んでしまいました。結局必要だったのは自分が埋葬される一畳ばかりの土地だったという話がありますね。示唆に富む話だと思いませんか。 右の“本来無一物”は禅の言葉ですが三田屋の企画広報室長、浜近峻吉さん 揮毫。この言葉を本来人間は生まれてきたときは何物も持っては来なかったのだから、今の環境で満足しようということだと受けとめている人もありましょう。
竜安寺のつくばい「吾唯足るを知る」というのも同じ心境の言葉でしょう。しかし私はこの様な「本来無一物」の理解は、浅いと思います。私はこの言葉は「空(くう)」の形を変えた表現に他ならないと考えています。「空」は私が最も大切に思う基本的な考えですが、詳しくは別項をご覧下さい。
老人になってからではなくて、ものの考え方は長い人生の旅で鍛え上げられて行くものです。若い人も若い内から心がけていただきたいことです。恐ろしいことに、年を取るとその人の人間性が露わに出てくるものです。長年京大教授を勤められ、立派な勲章も持っておられた方でも、晩年、自分本位な面が日常的には窺えて、人間としてはとても尊敬はできないケースを経験したこともあります。
いまお前が人から座右の銘はと聞かれたら何と答えるだろうと自問自答してみました。いろいろ考えましたが、現在の所「本来無一物」と「虚心坦懐」(図は上と同じく浜近峻吉さん 揮毫)という2つの言葉が浮かびます。「本来無一物」というのはこの世の真実を言い表していますし、「虚心坦懐」というのは現実の生活に臨んで捕らわれないカラッポの心の状態でいると、そこに多くのものを容れることが出来、広い視野からの“ひらめき”が期待できるからです。かたくなに捕らわれると心がひっかかって錆び付き、新しい物の見方・発想ができなくなるように思います。閃かなくなるのです。同じ曲でも聴いていて楽しめるかどうかはこちらの心の状態にも寄ります。虚心であれば素直に楽しめます。
一時期株価が下がると世上一般にアメリカでの株価とくにナスダックの低下を原因に上げるのが普通になった時がありました。果たしてそうだったのでしょうか?株価は一例ですが、何によらず簡単に常識を是認せず一度は立ち止まって考えてみることが大切だと思います。真実の姿の解明は「虚心」にそういう世間の常識に「疑い」を持つことから始まるのです。自分が納得がいかない限りは常識や他人に屈服しないことが私の行き方です。そのために孤独の味も舐めましたが、心の中では北村透谷の「吾人は知る戦うために生まれたるを」という言葉が唸りを挙げていました。透谷は25歳の若さで亡くなりましたから、戦いの対象は自分以外のものであったと考えられますが、老齢まで生きた私は戦う相手は何よりも自分自身だと思うようになりました。
若いときとの違いといえば、若いときは何か目標を設けるとその過程をゆっくり楽しむこともせずにその実現に全力を尽くし、実現するとまるで山頂に立った登山家のような満足を感じたものですが、最近は目標を設定したとしても、その達成まで生きているかどうかが怪しくなったせいか、一つ一つの過程を楽しむように努めています。利休もいうように茶の道は所詮お茶を飲むという行為にすぎないのですが、普通の行為の過程そのものに意味を持たせた点で茶道は類を見ないすばらしい創見の結晶だと思います。あの美しい慎重な瞬間瞬間での動作や道具の取り扱いへの神経の集中と、そこに自然に醸し出される美は、美の極地のように感じます。日常の立ち居振る舞いも茶道の心構えでしますと、自然に美しいしかも無駄のない、物の破損も起こさないものになるでしょう。茶道のこのような見方は老年になって初めて出来ることなのかも知れません。茶道に通じる動作と物の処理は、決して疎ましい処理法ではなく、この年になって初めて理解でき、楽しめる生き方の一つのスタイルなのかも知れません。
山本兼一はその著「利休にたずねよ」の中で次のように述べています。
どうすれば、一服の茶にみちたりてもらえるのか。それだけに心を砕いてきた。点てた茶を、ただ気持ちよく喫してもらうことだけを、けんめいに考えてきた。
どうしても書いておきたいと思うのは、「人を道具として使ってはならない」ということです。自慢になりかねないので今まで書かなかったのですが、私のところにも短大卒の実験助手の方がおりました。他の先生方は実験助手を私の目から見ると使い捨ての道具くらいにしか見ておられないような使い方をしておられました。いくら長く勤められても実験助手はプロモートされる道もなく、ただ毎年同じことの繰り返しといって良い生活が与えられていました。ともかく一言でいうと繰り返しになりますが使い捨ての道具といって良い待遇でした。私はこういうあり方は我慢できないのです。「人の材を尽くす」というのが私の教育理念ですから、学生だけでなくこの実験助手についてもこの理念から勤務時間が終わってから本人の希望を入れ、私の見付けた研究テーマの一つを探求させ、勤務校では学位を出せなかったので、前に書いた畏友丸山京都大学教授に依頼して研究の指導を依頼し、研究を完成させて理学部から博士号を授与してもらうところまで漕付けました。この実験助手は現在は独自の道を歩み、滋賀県の某短期大学で正規の教授として仕事をしています。学位を持っていることはその人のキャリヤーに何らかの寄与をしているものと思っています。人を粗末にしてはなりません。上に立つものは、今の仕事がその人の生涯にとって何かプラスになるようなものにしてあげなくてはなりません。
私が大学を卒業した昭和28年も大変就職の厳しい年でした。職業選択について私の考えも書いておきましょう。
学内には例年通り、会社からの求人広告も掲示されていましたが、応募しようとして指導教授に相談すると、「一応会社にもプライドがあるから求人広告を出しているが、今年は採用する気はないから応募しても無駄だ。」と指導された経験をした年でもありました。製鉄会社とか教科書出版会社も受験しましたが落ち、教授の推薦で某大学の助手に応募して先方の教授を訪ねましたが、「今年はうちの大学でも就職先がなくこのような年に他大学卒業生を採用することは教授会で反対され、君を採用することは出来なくなった。君困るか?」との言葉、困るというと「それでは君、高等学校の先生でも良いか?」とのことでその教授に連れられてある高校の校長に会いに行きました。「それじゃこれから県の教育委員会に行こう」とのことで県教育長に会い「今度これを採るからよろしく」の校長の一言で、採用試験も受けていなかった県の高校教諭になったのが、私が教育界に足を入れた端緒になりました。思えばあの頃はまだ悠長で必ずしも規則通りではなかった時代でした。
自分で描く通りにならないのも人生ですし、自分はこの方向に向いていると言って我を通すのも一つの道ですが、他人が見て君はこちらに向いていると言って道を開いてもらうのも人生。案外その分野選択が客観性を持っていて正しい道なのかも知れません。私は必ずしも望んでいなかった道を歩むことになりましたが、この道こそ天から与えられた道であり、天命と思って脇目を振らずに精進するというのが信念でした。その後も人様が道を開いてくださって今日に至りました。
最後に、先年の新聞から、老後の心がけについて書かれた文章を引用しておきます。
東京都老人総合研究所心理学部門研究室長 下仲順子
毎日新聞1997.02.22 朝刊
ぼけシンポジュウム 基調講演
(前略)
では、100歳老人はどのような人格特徴を備えているのでしょうか。東京都老人総合研究所が25年前に全国117人の家庭に直接訪問して, 医学的・社会学的・心理学的調査を行ったのが日本で最初の研究でした。皆さん若いころは外向型が多く、明るく親しみやすい、物事にくよくよしないなどの反面、仕事熱心で何事もきちんとするという特徴が示されました。
諸外国との比較ではどうでしょうか。アメリカでは1960年代から調査が行われ、その多くが朗らかで、自信を持ち、独立心が強く、今の生活をエンジョイしているなどの特徴が得られ、日本人と非常に類似性があります。
100歳になるにつれて円熟タイプになると思われがちですが、アメリカでの調査では, 自分の意のままに感情を強く表したり、簡単に人を信用しないといった特徴も報告されています。
東京都老人総合研究所では87年から2年間に都内在住の100歳以上の294人を対象に訪問面接調査を行いました。
その結果は男女とも自分に満足している、信念を通す、はっきりした立場をとろうとする強い人格面と、愛情深く、いたわりの気持ち、心が温かく優しい、朗らかで無邪気などの特徴が得られました。また日常生活のパターンは急がされても焦らず、我慢強く待てる。イライラしたり、焦ることなく、自分の能力の範囲内で行動するという"悠々自適"などの面が見られました。しかしその一方で何事にも全力を尽くし、一生懸命やる前向きな行動パターンも強くみられました。マイペースで物事に取り組むストレスのたまらない行動様式は、もしかすると長寿につながっているのかもしれません。(後略)
多くの百歳老人に会って来た欽ちゃん(萩本欽一さん)は、1999年9月11日のNHK番組「百歳バンザイ」で、以上に加えて、特徴として感じていることは“百歳老人は指先の仕事を続けている人が多かった”と言っていました。コンピューターのキーボードに両手の指で打ち込むこともこの条件に叶った動作なのかも知れません。
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