title.gifBarbaroi!
back.gif「黄金の華の秘密」註解

C・G・ユング
「錬金術研究」II

ゾーシモスの幻像

(1/7)


[もともとは、1937年8月、スイスのアスコナ村でのエラノス学会の講演用に作成され、1937年エラノス年報(チューリッヒ、1938年)に、「ゾーシモスの幻像に関する若干の注釈」という表題のもとに公刊された。改訂と大幅に増補されて、「ゾーシモスの諸幻像」として、『意識の根源について:原型に関する研究』(心理学紀要、IX巻;チューリッヒ、1954)に。ここに翻訳されたのはこの版である。 — 編者]




 『意識の根について(Von den Wurzeln des Bewusstseins)』(Zurich: Rascher, 1954)の「ゾーシモスの幻視」から翻訳。

[目次]

  1. 諸テキスト
  2. 注釈
    1. 翻訳上の一般的注意
    2. 秘儀の執行
    3. 諸々の擬人化
    4. 石の象徴的意義
    5. 水の象徴的意義
    6. 幻像の源泉




I 諸テキスト

85
 先ず、はっきりさせておかなければならないのは、紀元後3世紀の重要な錬金術師にしてグノーシス主義者であるパノポリスのゾーシモスの幻像についての以下の観察は、格段に困難なこの材料に対する最終的な説明を意図したものではないということである。わたしの心理学的寄与は、これにわずかな光を投げかけ、幻像によって提起される幾つかの疑問に答えようとする試み以上のものではない。

86
 最初の幻視は、「術についての神的ゾーシモスの書」[001]の初めに登場する。ゾーシモスは、この文書を、自然の過程に関する、とくに、「水の構成(qevsiV uJdavtwn)」と他のさまざまな施術に関する、幾つかの一般的注意をもって始め、次の言葉で結ぶ。「……そして数多の色のこの単純な方式に基づいて、万物の多相的で不定なさまざまな研究が成り立つ」。ここからテキスト[002]が始まる。

(III, i, 2.)
 そして、こう言いながら、わたしは眠りに落ち、わたしの前、盃形の祭壇の上に、一人の犠牲祭官[003]が立っている夢を見た。そこには、その祭壇の上へ通じる15段の階段があった。そこに神官が立ち、上からわたしに言う声をわたしは聞いた:「暗黒への15段を降りてゆく行と、光明へと上る行をもわしは成就した。犠牲祭官は、身体の嵩を脱ぎ捨てることで、わしを新しくする者でもある;やむにやまれずわしは神官として聖別され、今は霊として完成の域に達した」。そこで、祭壇の中に立っている彼の声を聞いて、彼が何者であるかをわたしは彼に尋ねた。すると彼は弱々しい声でわたしに答えて言う:「わしはイオーン[004]、内なる至聖所の神官、しかし耐え難い責め苦[005]にわしは耐えている。というのは、早朝、ある者が急ぎやって来て、わしを圧倒し、剣でわしを切り刻み、階調の規則どおりにわしの肢体を切断した[006]。そして、彼は力強く振りまわす剣で、わしの頭の皮を剥ぎ、骨を肉切れとをいっしょに混ぜ合わせ、これを術の火の上で焼かれるようにし、ついにわしは、身体の変成によって霊となったことを知覚した。そしてこれこそが、わしの耐え難き責め苦である」。彼がこのように語り、わたしもまた彼をつかまえてわたしと会話するよう無理強いしているにもかかわらず、彼の両眼は血のようになった。そして、彼は自分自身の肉をすべて吐き出した。そしてわたしは見た、いかにして、彼が自分自身とは反対のものに、手足を切断された小人[007]へと、変化し、自分自身の歯で自分の肉を噛みきり、くずおれるのを。

(III, i, 3.)
 恐怖に満たされてわたしは眠りから覚め、わたしは自分で思案した:「これは水〔複数〕の構成のことではないのか」。そしてわたしはよく理解したと確信して、わたしは再び眠りに落ちた。わたしは見た、同じ盃形祭壇を、その上で沸騰する水を、そして、その中の無数の民人を。祭壇の近くには、わたしが質問できそうな人はいなかった。そこで、この光景を見るため、わたしは祭壇を登っていった。そしてわたしは小人を認めた、歳で灰色になった理髪師[008]で、これがわたしに言った:「おまえは眺めているのか」。わたしは彼に答えた、水の煮え立ちと、人びとが焼かれてもまだ生きているのを見て驚いているのだ、と。すると彼はわたしにこう答えた。「おまえが目にしているこの光景は、入口であり、出口であり、変化である」。わたしは彼に尋ねた:「いかなる変化ですか」。すると彼が答えた:「これは木乃伊化と呼ばれる施術の場所である。この術[009]を得ようと求める者たちはここに入り、身体から逃れることで霊となる」。そこでわたしは彼に言った:「するとあなたも、あなたは霊なのですか」。すると彼は答えた:「しかり、霊にして霊の守護者である」。わたしたちが語っているとき、その間も煮沸は続き、人びとは痛ましい叫び声をあげていたので、銅人間がその手に鉛の書板を持っているのをわたしは見た。すると彼は、その書板を見ながら、大声で言った:「罰を受けている者らみなに命ず、静かにせよ、めいめいが鉛の書板を取れ、おのれの手で書き、おのれの眼を上に向け、おのれの口を開けたまま保て、おのれの口蓋垂がふくらむまで[010]」。言葉に行動がしたがい、 家長がわたしに言った:「おまえは見た。おまえの首を上に伸ばして、何が行われているかを見た」。わたしは見たと答えた、すると彼は続けた:「おまえが目にしている銅-人間は、犠牲祭官にして犠牲にされるもの、自分自身の肉を吐き出したものである。彼には、この水に対する、また、懲罰を受ける者らに対する、権限が与えられている」。[編集者註]

(III, v, 1.)
 ついに、しかもふさわしい1日、7段の梯子を登って、7つの罰を見たいという欲求にわたしは圧倒された:そこで上昇を完成するためにもどった。何度もそれをやり過ごした後、ついにわたしはその途についた。しかし、まさにわたしが上ろうとするとき、わたしは再び自分の道を失った;すっかり意気消沈して、わたしは行くべき方角が見つけ出せないまま、 眠りに落ちた。そうして、わたしは眠っているうちに、わたしは見た、ひとりの小人、高貴な紫の長袍をまとった理髪師が、懲罰の場の外に立っているのを。彼はわたしに言った:「おい、おまえは何をしているのか」。そこでわたしは応えた。:「わたしがここで止まっているのは、道から逸れて、自分の道を失ったからです」。すると彼が言った:「わしについてこい」。そこでわたしはもどって、彼についていった。わたしたちが懲罰の場に近づいたとき、わたしは見た、わたしの案内人、この小さな理髪師が、その場所に入って、彼の全身が火で焼き尽くされるのを。

(III, v, 2.)
 これを見て、わたしは恐怖のあまり戦慄してとびのいた;それから眠りからさめて、こころの中で言った:「この幻視は何を意味するのか」。そして再び、自分の理解をはっきりさせ、この理髪師、紫の衣服を着こんだ者は銅-人間であることを知った。そこでわたしは自分に言いきかせた:「わたしはよく理解した、これは銅-人間だ。最初に彼は懲罰の場に入ることが必要なのだ」。

(III, v, 3.)
 再び、わたしの魂は、第三の梯子をも登ることを欲した。そして再び、わたしはひとりで道を進んで行き、そして懲罰の場に近づと、再びわたしは、自分の道がわからなくなって迷い、わたしは絶望して立ち止まった。そして再び、みたところ、歳で白くなった老人をわたしは見た。彼は、目もくらむほどの白さで、真っ白になっていた。彼の名前はアガトダイモーンであった。振り向いて、白い髪をした老人はしげしげとわたしを見つめた。そこでわたしは彼に頼んだ:「正しい道をわたしに教えてください」。彼はわたしの方には来ず、自分の道を急いだ。しかしわたしは、あちらこちらと走って、祭壇にたどり着いた。そして、わたしが祭壇の天辺に立ったとき、灰色の髪をした老人が、懲罰の場に入って行くのを見た。おお、汝ら、天なる自然〔複数〕の造物主たちよ! たちまち彼は炎によって火柱に変わった。同胞たちよ、何と恐ろしい話であることか! というのは、懲罰の暴力のせいで、彼の眼は血で満たされたのだ。わたしは彼に話しかけて、尋ねた:「そこに横たわっているのは、なぜなのですか」。彼は辛うじてそのその口を開いて、そして呻き声をあげた:「わしは鉛-人間、わしは耐え難い責め苦に耐えているのだ」。そこでただちに、大いなる恐怖にとらわれて、わたしは目がさめ、わたしが見た理由をわたしの内に探した。そして再び、わたしは熟考し、自分自身に言った:「わたしはよく理解した、というのは、これが意味しているのは、鉛は投げ捨てられなければならない、そして、真実、幻視は液体の合成に関連するということだから」。

(III, vbis.)
figsun.jpg 再びわたしは、神的で神聖な盃形祭壇を認め、足まで届く白衣をまとった神官が、あの恐ろしい秘儀の犠牲祭を執行しているのを見て、わたしは言った:「いったい、これは誰なのか」。すると、答えが返ってきた:「それがしは、内なる至聖所の神官である。彼こそは、身体を血まみれに変える者、千里眼にする者、死人をよみがえらせる者である」。それから、再び地に倒れて、再びわたしは眠りに落ちた。そして、第四の梯子をわたしが登っているときに、わたしは見た、東に、近づいてくる者があり、その手に剣を持しているのを。他にもうひとり、彼の後ろ伴っているのは、身体中諸々の徴で飾られた者で、白装束で、見目うるわしく、名を「太陽の正中」[012]といわれる者。そして、彼らは懲罰の場に近づくと、剣をその手に持する者が[言った]:「彼の頭を切れ、彼の身体を生け贄に捧げ、彼の肉を細切れに切れ、そうやって、先ず、方法どおりに[013]煮立てられ、それから、懲罰の場に引き渡されんがために」。そこでただちにわたしは目をさまして再び言った:「わたしはよく理解した、これは金属の術における液体に関係していることなのだ」。すると、剣をその手に帯びている者が再び言った:「おまえは7段の下り完成した」。すると別のもうひとりが、諸々の水をあらゆる湿った場所からほとばしり出させながら言った:「手続きは成就された」。

(III, vi, 1.)
 そしてわたしは見た、盃形をした祭壇と、火のような霊が、祭壇の上に立ちのぼり、その上に立ち上がる人びとを煮え立たせ、沸騰させ、焼くことに火を奉仕させているのを。そこでわたしはそこに立っている人びとについて自問し、わたしは言った:「わたしは水の沸騰と煮え立ちと、人びとが焼けながらなお生きているのを驚いてみている!」。すると彼がわたしに答えて、言う:「おまえが目にしているこの沸騰は、木乃伊化と呼ばれる施術の場である。この術を得ようと求める人びとは、ここに入り、彼らはその身体をみずから脱ぎ捨て、霊になる。[この術の]実践は、この手続きによって説明される;というのは、身体の嵩を脱ぎ捨てるものは何でも、霊となるからだ」。

87
 ゾーシモスの本文は、配列が混乱している。III, i, 5 は配置間違いで、これは明らかに、幻像に対する確実なレジュメrésuméないし付言であり、II. i, 4 はその哲学的解釈である。ゾーシモスはこの一節全体を「以下に続く言説の序」(III, i, 6)と呼んでいる。

(III, i, 5.)
 一口で言えば、わが友よ、単一の石で神殿を建てよ、〔この石は〕白鉛のような、雪花石膏のような、プロコンネーソス産の大理石[014]のようで、この建物には終わりも始まりもない[15]。これの内部に、清浄このうえない、太陽のようにきらめく水をたたえた泉をもたしめよ。この神殿の入口がどこにあるか注意深く書き留め、おまえの手に剣をとれ;それから、入口を探せ、というのは、開口部のある場所は狭いからだ。入口には竜が待ち伏せ、神殿を護っている。これを捕らえよ;まずこれを生け贄に捧げよ;これの皮を剥ぎ、これの肉を骨ともどもに取って、肢体を分割せよ;それから、肢体[の肉]を[016]、骨といっしょに、神殿の入口に置き、これで梯子段をつくれ、これに乗れ、そうして入れ、そうすれば、おまえは探していたものを見つけることであろう[017]。神官、あの銅-人間、泉のそばに坐り、物質を構成しているのをおまえが目撃したあの者は、銅-人間のようには見えない、というのは、彼は自分の自然の色を変え、銀-人間になってしまったからである;もしもおまえが望むなら、間もなく彼を金-人間[として]有することであろう。

(III, i, 4.)
 そして、わたしがこの幻影を見た後で、わたしは目覚め、わたしは自分自身に言った:「この幻視の原因は何か。あの白くて黄色い水、聖なる水ではないのか」。そして、わたしはよく理解したことを見出した。そこでわたしは言った:「言うことは美しい、聞くことは美しい、与えることは美しく、受け取ることは美しい、貧しいことは美しく、富むことは美しい。与えることや受け取ることを自然はいかにして教えるのか? 銅-人間は与え、溶解鉱石は受け取る;金属は与え、植物は受け取る;星辰は与え、花々は受け取る;諸天は与え、大地は受け取る;雷は、きらめき出る火を放つ。そして、万物は織り合わされ、万物は再び元通りにされる;万物はいっしょに混合され、万物は結び合わされる;万物は一体化し、万物は分離される;万物は湿らされ、万物は乾かされる;万物は花開き、万物は盃形の祭壇の中で次第に消えゆく。なぜなら、おのおのの事物が起こるのは、四元素の道筋によって、きまった計測において、正確な[018]重さによってなのだから。万物をいっしょに織り合わせること、万物を元通りにすること事物の織物全体は、方法なくして実現し得ない。方法は自然なものであり、その吸気とその呼気の中に、然るべき秩序を保っている;それは増大をもたらし、それは減少をもたらす。そして、約言すれば:分割と結合の調和を通し、方法が決して否定されなければ、万物は自然を生み出す。なぜなら、自然にふさわしい自然は、自然を変容させるからである。自然の法の秩序は、全宇宙を通じて、かくのごとくであり、万物はこうして辻褄が合っているのである。

(III, i, 6.)
 この序は、以下に続くはずの言説の花々 — すなわち、諸々の術の、知恵の、理性と理解の研究、有効な諸々の方法、秘密の言葉に光を投げかける諸々の啓示 — を、あなたのために開くことになる鍵である。
forward.gifII 註釈