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ギリシア語錬金術文献集成

ゾーシモス

001
器具と炉について/真正な覚え書き/字母Ωに関して






器具と炉について/真正な覚え書き/字母Ωに関して
(Peri; ojrgavnwn kai; kaimivnwn gnhvsia uJpomnehvmata peri; tou: w stoiceivou)

(e cod. Venet. Marc. 299, fol. 189r)


4319 001 1t
同じゾーシモスの〔書〕
4319 001 2t
器具と炉について
4319 001 3t
真正な覚え書き
4319 001 4t
字母Ωについて

〔049参照〕


 字母Ωは、円い形をした2つの部分から成り、有体的な言い方(e[nswmoV fravsiV)では、クロノス〔土星天〕である第7帯〔層〕に属するが、非体的な〔言い方〕では、翻訳不可能な別の或るものであり、これを知っているのは、隠された人ニコテオス〔キリスト教グノーシス主義の神秘家。ポリュプリオス『プロティノス伝』7参照〕のみである。しかし、有体的な言い方をすれば、いわゆるオーケアノス(=WkeanovV)であって、彼〔ニコテオス?〕の謂うには、あらゆる神々の生成〔起源〕と種子であり、謂われるとおり、有体的な言い方における専制君主である。この、いわゆる大いなる驚嘆すべき字母Ωは、神的な〔「硫黄」の意もある〕水の器具や、あらゆる機械的で単純な炉、端的にいって、万象にかかわるロゴスを包含しているのである。


 ゾーシモスからテオセイベイアに、常に幸あれかし。時宜にかなった染色法(kairikai; katabafaiv)は、おお、女性〔にょしょう〕よ、『炉について』という書に嘲りをあびせてきました。というのは、多くの人たちは、自分のダイモーンから、時宜にかなった〔染色法〕に成功するという僥倖を得るや、『炉と器具について』という書まで、真実にあらずとして嘲るからです。そして、いかなるロゴスも、たとえ明証的であっても、真理ありとして彼らを説得することはありませんでした。彼らのダイモーン自身が、彼らの運命(eiJmarmevnh)の〔変換〕時機に、心変わりして、悪行する〔ダイモーン〕が彼らを迎え入れ、〔真理ありと〕云わないかぎりは。〔だから〕彼らの術知も、幸福(eujdaimoniva)〔原義は「善きダイモーン」〕も、そのすべてが妨害されて、同じ言辞が術知によって〔成功・不成功〕それぞれに向かうときは、彼らの運命(eiJmarmevnh)の目に見える証明から、かろうじて、彼らがあらかじめ思案したあれら〔の言辞〕にも、相当な〔価値〕があることに同意するものなのです。


 しかしながら、このような人たちは、神からも哲学的な人間たちからも、受け容れられません。なぜなら、再び星辰が分秒の間に形を美しく変え、ダイモーン的なものも身体的に彼らに好意を示すとき、彼らは先ほどの目に見えるあらゆる事象を忘れはてて、別の同意へと再び心変わりするからです。言われている〔明証〕へであろうと、その正反対の事柄へであろうと、いついかなる時も運命(eiJmarmevnh)に聴従し、身体的なものらと別のものは何も想像することなく[運命(eiJmarmevnh)を〔想像して〕]。


 このような人間どもをば、ヘルメースは『諸々の自然について』という〔書〕の中で、理性なきものら(a[noeV)と呼びならわしていました — 運命の付き人(pomphv)にすぎない者たち、非体の何ひとつも幻視できず、自分たちを義しく導く運命そのものをも〔幻視することができず〕、むしろ、それ〔運命〕の身体的教練(ta; swmatika; paideuthvria)を呪詛し、それ〔運命〕の〔もたらす〕諸々の幸福以外に他のものを<何ひとつ>幻視しない者たちを。〔CH. IV-5, 7; Asclepius 7 を参照。〕


 しかし、ヘルメースとゾーロアストレースが、哲学者たちの種族は運命(eiJmarmevnh)を超越していると云った所以は、諸々の快楽を支配しているのですから、それ〔運命〕の〔もたらす〕幸福を喜ぶこともなく、いかなるときも内奧の生(aju&liva)においてすごしますから、それ〔運命〕の〔もたらす〕諸悪に圧倒されることもなく、諸悪の限界を注視するからには、それ〔運命〕からの美しき賜物を歓迎することもないからです……


 それゆえ、ヘーシオドスも、エピメーテウスに指令するものとしてプロメーテウスを導入するのです。「何を人間どもは、何よりも大いなる幸福とみなすのか」。「姿よき女と」と相手は謂います、「多くの富を」と。そこで彼〔プロメーテウス〕は謂います、「オリュムポスなるゼウスからの贈り物を受け取ってはならぬ、もとに送り返せ」と。ゼウスの〔贈り物〕、それはつまり運命(eiJmarmevnh)の贈り物ですが、これを送り返すよう、哲学によって自分の弟に教えて。


 さて、ゾーロアストレースの方は、上方のあらゆることに対する洞察と、有体の言説という魔術を誇り、運命(eiJmarmevnh)のすべての悪を — その部分も全体も — 逸らすことを主張しています。


 しかしながら、ヘルメースは『内奥の生(aju&liva)について』の中で、魔術をも非難してこう言います、 — 霊的人間、つまり、自己を覚知した者は、何かを、たとえそれが美しいものとみなされなくとも、魔術によってこれを修正する必要もなく、必然が強制されてもならず、むしろ、〔必然の〕自然と決定に任せるべきであるが、ただ自分自身を探求することによってのみ前進し、そうして神を覚知するや、口にするも畏れ多い三位にしがみつくべきである、そして、運命(eiJmarmevnh)には、その〔運命の〕泥、つまり、体によって、何を制作しようと、放任するべきである、と。じつにこういうふうに、彼が謂うには、理会し〔可考的世界での〕市民生活を送るなら、あなたは、万象は敬虔な魂たちのために生まれた神の息子〔ロゴス〕であることを観想するのですが、それは、運命(eiJmarmevnh)の領国から非体の〔領国〕へとこれ〔魂〕を引き寄せるためなのです。見よ、彼〔神の息子〕が万有として、神として、御使いとして、受難的人間として生まれることを。すなわち、どんなことでも可能な者として、何でも望むものになり、あらゆる体を貫通して父に聴従するのです。おのおののものの理性(nou:V)を輝かせ、体的なものとして生まれる前にもかつていた幸福の領地へと帰昇する、彼に聴従しつつ、彼に渇望されつつ、あの光の中へと道案内されるものとして。


 さらに、ビトスも描いたこの絵馬を視よ、そして三倍偉大なプラトーンも無量に偉大なヘルメースも〔言っていることですが〕、原人(oJ prw:toV a[nqrwpoV)は、聖なる第一の声によって、トーゥトス(QwvuqoV)、あらゆる諸有の翻訳者、あらゆる体的なものらの名付け人(ojnomatopoiovV)と翻訳されるのです。そして、カルダイオイ人、パルティア人、メーディア人、ヘブライオス人は彼〔原人〕のことをアダム(=Adam)と呼ぶのですが、これには、処女-地とか、血のような地とか、火〔色〕-地とか、肉-地という解釈があります。このことは、プトレマイオス朝の人々が、それぞれの神殿、とりわけサラピス神殿に収蔵した図書の中に見出されます。それは、彼らがヒエロソリュマ〔エルサレム〕の祭司長アセナースにヘルメースの派遣を依頼し、〔ヘルメースが〕ヘブライ語をすべてヘッラス語やアイギュプトス語に翻訳した時のことです。

10
 とにかく、こういうふうにして、最初の人間はわたしたちのもとではトーゥト、あの人たちのもとではアダムと呼ばれます。天使の声で彼を呼んで、その字母αは上昇つまり大気を意味します。その字母δは下降、重さのせいで下方へと沈む<地を>意味します。<……>。字母μは南中、つまり、これら諸体の中央にある成熟させる火、中央である第四の層に属する〔日天〕を意味します。

11
 とにかく、こういうふうにして、肉のアダムは、目に見える塑像の点ではトーゥトと呼ばれます。そしてその内なる人間は、霊的で、固有の名と呼び名を有します。とはいえ、この固有の〔名〕はしばらくは知られません。なぜなら、見つけられなくなった人ニコテオスのみがこれを知っているからです。しかし、それの呼び名の方は、ひと(FwvV〔「光」と同音〕)と呼ばれ、このゆえに人間どもは「ひと」とも言われることになったのです。

12
 ひと(FwvV)がパラダイスにおいて運命(eiJmarmevnh)に息をかけられたとき、〔四元は〕悪意も働きもない彼に対して、自分たち〔四元〕の配下にあるアダム、運命(eiJmarmevnh)から生まれたもの、四つの字母〔元素〕からなるものを着こむよう説き伏せました。彼は、悪意がないから、背けませんでした。彼ら〔四元〕は、彼が奴隷になったといって自慢しました。

13
 外側の人間は縛め(desmovV)で、ヘーシオドスが云ったところでは、ゼウスがプロメーテウスを縛ったものだといいます。ついで、この縛めの後に、パンドーラという別の縛めを〔ゼウスが〕送りましたが、ヘブライ人はこれをエウアと呼びます。というのは、プロメーテウスとエピメーテウスとは、寓意的ロゴスでは一つの人間、つまり、魂と身体です。そして、プロメーテウスが時には魂の、時には理性(nou:V)の、時には肉の似像を有するのは、プロメーテウス、つまり、固有の<理性の〔声〕>に聞き従おうとしないエピメーテウスの不従順(parakohv)のゆえです。というのは、わたしたちの理性(nou:V)は謂うのです。神の息子は何でもでき、何でも知っている、欲することが、欲するとおりに、各人に現れるからである、と。

14
 イエースゥス・クリストスはアダムに近づき、彼らがひと(fwvV)と呼ばれて、かつて過ごしていたところに〔アダムを〕引き上げる者です。彼はまったく無能な人間どものにも、受難を受けねばならぬ者、鞭打たれる者となって現れ、固有のひとたちを何の受難もないかのようにひそかに奪い去り、踏みにじられ放置される死を受けるのです。そして今に至るまで、いや、世界の終わりまでも、自分自身の〔仲間の〕ひとたちをこっそりとまた公然と奪い去り、彼らにこっそりと忠告し、彼らの理性(nou:V)を通して、彼らに苦しめられているアダム — 彼に殺され、盲目にされ、霊的で光る人間にあこがれる — との和解をもつよう説得するものなのです。自分たちのアダムを殺すということです。

15
 しかし、こう云ったことが起こるのは、反模倣者のダイモーン(oJ ajntivmimoV daivmwn)が登場するまでです — 彼らに慕われ、初めからのように彷徨うことを好み、魂においても身体においても醜いのに、自分は神の息子だと〔虚〕言する者です。だが、知慮深くなった人たちは、本当に神の息子であるものを掴んでいることから、固有のアダムを殺害することを彼に許し、世界ができる前にも自分たちがいた固有の領域<へと>自分たちの光る霊的なものらを救済するのです。ところが、反模倣者、熱心家(zhlwthvV)がそんなことを敢行する前に、先ず、自分の先駆者として、御伽話をしゃべる者、人間どもを運命(eiJmarmevnh)の近くに導く者をペルシアから派遣するのです。その者の名前は、二重母音が保持されれば、運命(eiJmarmevnh)の限界どおり、9つの字母からなります注4)。次いで、多かれ少なかれ7周回の後には、彼〔神の息子〕も自分の自然本性にしたがってやって来るでしょう。

16
 以上、光り輝く人間、神の息子本人の道案内者、土のアダム、反模倣者本人の道案内者、つまり、自分は神の息子だと惑わせる誹謗を言う者に関説しているのは、ヘブライオイ人と、ヘルメースの聖なる書物です。

17
 これに対し、ヘッラス人たちは、土のアダムのことをエピメーテウスと呼びます — 〔エピメーテウスは〕自分の理性(nou:V)、つまり、自分の弟に、ゼウスからの賜物を受け取らぬよう忠告されました。にもかかわらず、躓き、後悔し、幸福の領域を求める者であって、聞く耳〔聴聞〕を持つ者たちには、すべてを解釈し、すべてを忠告します。しかし、運命(eiJmarmevnh)に対する身体的な耳〔聴聞〕しかもたぬ者たちは、ほかのことは何ひとつ迎え入れたり同意したりしないのです。

18
 時宜を得た染色法(kairikai; katabafaiv)で成功した者たちはみな、この術知よりほかのものは何も言わず、炉法(kavminoi)に関する大いなる書を嘲弄し、詩人〔ホメーロス〕が、「しかるに神々は人間どもに、いまだかつて〔すべてを〕同時には与えたまわず云々」〔Od. VIII_167〕と言っていることにも何ら心にとめず、何ら思索もせず、人間どもの生き方に目を向けることもしません、つまり、人間どもは一つの術知にも異なった仕方で巡り会い、星辰の異なった形が、一つの術知を<異なったもの>となし、ある者は競争者たちの術知者、ある者は孤立した術知者、ある者は後退し、ある者は進歩のない劣悪者となということに〔目を向けることもしないのです〕。

19
 これはあらゆる術知において同様であって、異なった道具や方法によって同じ術知に従事する人たちや、異なった仕方で理知や成功を得る者たち、特にまたあらゆる術知をを越えて、医術において、同じことが観察されるのです。いざ、骨折したときを例に云えば、接骨医の神官が見つかれば、ダイモーンに対する固有の敬虔によって加療して、その骨を接合し、骨が互いに結合するとき〔折れた骨の〕こつこつ音をも聞くことができます。これに反し、神官が見つからぬ場合は、人間は死ぬのではないかと恐れることはなく、影さす線をもった線の図解書を有する医者たちが連れてこらる、〔文意不明。原文は、(kai; oJsaidhpotou:n eijsin grammaiv)〕。そして、人間は書によって巧みに包帯され、健康を得てしばらく生きながらえます。人間は、接骨医の神官が見つからないからと、死ぬにまかせるなどということは決してないからです。この者たちがしくじると、飢えで亡くなるのであって、炉法(kavminoi)の接骨術の素描を理会し実践することを評価して、〔その結果〕浄福な者となって、貧しさという不治の病に勝利することをしないからです。以上〔時宜を得た染色法〕の話は、ここまでです。

20
 そこで、わたしとしては、器具〔と炉〕法についてどうであるかをめざして進んでゆきましょう。というのは、あなたのお書きになった書簡を受け取って、器具〔と炉〕法の著作をもあなたのために著すようあなたが依頼なさっているのを見出したからです。しかし、義務もないことまでわたしから得ようと書いておかれるのは驚きです。それとも、哲学者が<……>と言っているのをお聞きではありませんか。これらのことをわたしが故意に沈黙したのは、わたしの他の著書にも惜しみなくさしはさまれているからです。ところがあなたはわたしからそれを学ぶことを望んでおられる。しかしながら、わたしが著すことが古人たちよりも信じるに足るなどと思ってはなりません。わたしに能力はないだと悟ってください。とはいえ、あの人たちの語ったすべてをもわたしたちが理会するために、とにかくあの人たちの〔語った〕ことをあなたのために追加しておきましょう。内容は以下のとおりです。

2009.01.17. 訳了。

point.gif女預言者イシスがわが子ホーロスに(redactio prima)、および、女預言者イシスがわが子ホーロスに(redactio secunda)の[参考]
point.gifギリシア語エノク書
forward.GIF002 神的ゾーシモスの〔書〕・作業 I
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