adulteryはad alterum se conferre(人に[物]を授ける)に由来する語である[1]。相続権が母系にあった時代、財産を持っている女性は夫婦関係(=富)を他の男に授けることによって、夫を捨てて一文無しにすることができた。そこで、父権制社会になると、経済的理由のために妻が貞節をつくすことが要求されるようになった[2]。
このため、聖書では、姦通した妻や結婚前に情事を持ったと思われる花嫁は、石で打ち殺されなければならないとされている(『申命記』22:21)。こうなったのは、結婚前の女性が他の男に処女を奪ってもらうという異教徒の習慣を打破するためであった。それは、そうしないと、夫以外の男が花嫁の財産を求めることになる恐れがあったからである[3]。へブライの族長たちは、夫を亡くした女がその夫の一族以外の男と再婚しようとすると、その女も「姦通した」と考えた。未亡人は死んだ夫の兄弟と結婚するようにと命令された。財産を夫の一族の支配のもとに置くためであった。このように、夫が死亡すると、その兄弟と優先的に結婚しなければならないとする「逆縁婚」の掟は、明らかに宗教的な拘束力を伴ったために、後世、いろいろと問題になった。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
ギリシア語ではmoiceiva。
アテーナイ法では、現場をつかまえられた姦夫は殺害するも罪にはならなかった。ただし、その殺害は義務ではなかった。しかし、姦通した妻を離縁することは間違いなく義務であって、もしも離縁しなければ、夫の方が市民権を剥奪されたという。そして姦婦の方は、離縁されるばかりでなく、公共の神事に参加することを禁じられ、参加した場合には、*死以外ならどんな仕打も*お構いなしとされた(デーモテステネース、弁論第59番87節)。
姦通に対する処罰の厳しさは、父権制の特徴といってよい。したがって、これに対するバーバラ・ウォーカーの反発もまた、むべなるかなと云わざるをえない。