「家 hus につながれた者」の意で、財産権が母系にあった古代サクソン人の母権制社会において、女性の財産を管理するため選び出された家令または執事。夫なるものは、母系親族の必須な一部とは考えられず、男性たちの神ゼウスが「よそ者たちの神」であった初期のギリシアに見られるように、家の中では終始「よそ者」の地位にとどまった[1]。
イスラム教以前のアラビアの夫たちは、子どもをもうけるまでは母系親族の中できちんとした名前がなく、子どもができて初めて「アブーabu・某」(「某の父」の意)を名乗ることができた。今日でも、アラブ人の名前では、この「アブー・某」の部分が最も重要と考えられている[2]。
インドの東南部では、夫は妻の家の長期滞在客のような存在とみなされ、客の守るべき規則に従って努めて神妙に振る舞うよう求められた。古代の日本では、夫は妻の家の住人になることはなく、訪問者にすぎなかった。「結婚」を表す古代日本語は、「夜、女の家に忍んで行くこと」という意味だった〔妻訪い婚〕[3]。夫方居住の結婚様式は、日本においては西暦1400年まで知られていなかった[4]。
古代世界での夫の地位は一時的なものにすぎない場合が多く、いつ何時、即決で離婚されるかわからなかった。アラビア人の妻は、続けて3夜、自分の天幕の向きを西に変えておくことで夫を離別することができた[5]。イスラム教の父権制が導入されると、この制度は逆転し、男性が有利になった。夫が妻を家から追い出したいときは、「私はおまえと離婚する」と3回言うだけですんだ。
初期のラテン系諸部族も、アラビア人の場合と同様の規則に従っていた。すなわち、女性が夫と別れたいときは、3夜続けて夫を家に入れなければよかった[6]。帝政時代になっても、ローマ人の妻は、1年に3晩だけ夫の住まいから離れてすごせば、自分の財産に対する夫の請求権を棄却することができた[7]。
古代エジプトでは、いくつかの結婚形態が併存していたが、その中のある形態は、たぶんこれが最古のものだったと思われるが、妻が持っている財産権とそれに比して無力な夫の法的立場とを細かく規定した婚前の合意文書によって律されていた。次に示すものはその一例である。
「私はあなたが持っている妻としての権利の前に頭を下げます。今日からは、あなたの要求に対して、決して一言たりとも反対しません。あなたに対して、『おまえは私の妻でいなければならない』などと言う権利は私にはありません。しかし私の方としては、万人の前であなたを私の妻と認めます。私だけがあなたの夫であり、連れ合いです。あなただけが、離婚の権利を持っています。私があなたの夫となった今日以降、あなたがどこへ行きたいと言っても、私にはその願いに反対することができません。あなたのなさる処置に私が口をはさむ力は、私にはありません。私に有利に作成された証書の中で私に与えられているすべての権利を、私はこの文書によってあなたに譲渡します。あなたとともにあるかぎり、私は以上の権利譲渡すべてに対して、異議を申し立てません」[8]。
エジプトの聖職者は、のちにキリスト教の司祭が妻たちに向かって夫に従順であるよう助言したのと同じように、逆に夫たちに対して、いつまでも妻に気に入られるようにしなさいと助言した。
「家庭を支え、妻を愛し、妻とは争ってはならない。暴力を振るえば、妻はあなたから離れてゆくであろう。妻を養い、妻を美しく飾り立て、妻の身体を揉んであげなさい。妻を抱擁し、生あるかぎり妻の心を喜ばせてあげなさい。……妻の望みをかなえてやり、妻が考えていることに配慮しなさい。なぜなら、そのようにされれば妻も納得して、あなたと一緒に暮らすようになるからです。仮にも、あなたが妻に反対するなら、自らの身の破滅を招くことになるでしょう」[9]。
エジプト人の夫は、「汝が持っている時間のかぎり」自分の妻の心を喜ばせよと教えられた。この期間は、地上における一生の間か、または、一時的な結婚の間という更に短い期間か、そのどちらかをさしていたと思われる[10]。妻方居住制の家庭の場合、夫たちの多くは、花嫁を得るために一定期間は試験的に奴隷の身分となって働いたのであり、聖書においても、ヤコブはラケルと結婚するために同様のことを行った(『創世記』第29章)。そこでソポクレスは、「エジプトでは、夫たちが1日中家の中に座って機を織り、妻たちが外に出て取引を行っている」と述べたのだった[11]。
同様に、アングロサクソンの各部族では、通常、夫には妻の土地で働く義務があったのであり、したがってhusbandryという語は「農作業」を意味していて、今でもその意味を失っていない。この種の農耕母権制社会は、今日でもいくつかの地域に見られる。北米インディアンのズーニー族の間では、夫たちは畑で働いたが、畑と、畑から取れる収穫物の所有権は妻にあった[12]。結婚してもらう代償として労働を提供するという昔の風習から、bridegroom(文字どおりの意味は「花嫁に奉仕する者」)という語が生まれた。イスラム教のコーランも、夫たちに向かって、「汝らの妻は、汝らの耕地である」と言っているが、これは、古代アラビアの法律によると、妻を持たぬ者は土地もなかったからである[13]。Matrilineal Inheritance.
タントラの賢者たちは、別の意味ではあるが、「夫であること」bhavananが絶対に必要と考えていた。すなわち、男性の精神的発達にとっては、夫になることが不可欠だったのである。アーリア民族のケルト人の間でも、同じような考えが見られた。古代アイルランド人によれば、神の意味での吟唱詩人は、「夫としての純潔さ」を持っている場合、すなわち、自分の妻に対して貞節である場合にかぎって、詩や魔術を意のままに操る力が得られた[14]。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)