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聖婚(iJero;V gavmoV)

 「聖なる婚姻」の意のギリシア語で、王または聖王(すなわち、真の王の身代わり)と女神との結婚をさした。女神の方は、通常、女神を体現している巫女-女王の姿で顕現していた。聖婚は、王が統治権を得るためには不可欠と考えられていた。point.gifKingship.


Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



聖婚

 前1千年期のバビロンの新年祭において、ウル第三王朝のシュルギ王の新年祭で言及されていた聖婚の儀礼が行われたかどうかについては、研究者の意見が分かれている。ランバートはこれを否定している。その代わりに、マルドゥク神(妻神はザルパーニートゥ女神〉とバビロンのイシュタル女神との聖婚が、イシュタル女神の神殿エトゥルカラマ(「邦の社」)の「街路」において行われたときの儀礼歌を発表し、これは旧約聖書の雅歌に似ていると言う。この聖婚は、元来農耕儀礼に起源すると一般に考えられ、原始宗教についての種々の型態の儀礼が知られている。しかしこのような儀礼がシュメールの全土に広く行われていたかどうかは分からない。ただウルクだけは、古来より伝承があったことが各種の文献より推定されている。

 この儀礼は、動物および植物の繁殖はもとより、国土の繁栄を祈願するもので、繁殖や繁栄をつかさどると考えられている大女神と男神の結婚を象徴する結婚式が、儀礼の中心をなしていた。この場合、大女神と男神の役を演ずる男女は、国王と女神官の場合や、エンとラガルと呼ばれるこの儀礼のために特別に(おそらく占いによって)選ばれ任命された神官の場合などがあった。

 この大女神の名であるイナンナはニン・アン・ナに由来する言葉で、アンのニン(神、女神、主、妃〉と解されている。この場合のアンの意味は、天または天の神アンで、イナンナは「天の妃」と理解されている。シュメール人自身もそのようにみていたらしい。これに対して、アンにはナツメ椰子の(実の)房の意味があるので、「ナツメ椰子の房の女王」の如き意味に解することも可能である。(ジャイコブセンの説)

 イナンナ女神は、聖婚においてドゥムジ(タンムズ)神と結婚する。この両神を主題としている宗教文書によると、文書の原型が書かれた当時の古代メソポタミアの結婚式とほぼ同じ形式によって聖婚の儀礼が行われているとみられる。「花婿が、結婚の贈物である食物を持って、花嫁の両親の家の戸口に来て、入れて貰えるように頼む。花嫁は、湯浴みをして着飾ってから、戸を開ける。これは婚姻を結ぶ犠礼的行為である。ついで花婿と花嫁は、別々に花嫁の部屋に案内される。次の朝、若いカップルが主人公となって、盛大な宴が催される」。ジャイゴブセンによると、この儀礼の古い伝承を残すとみられる文書では、イナンナ女神はアマ・ウシュムガル・アンナという称号をもち、ギパル(建物の名)の戸口でドゥムジ神を迎えることになっている。この称号も「ナツメ椰子の房の大蛇という精霊名をもつ大母」に解し得る。(ただし「天においてひとり偉大なる母」とも訳される)ギパルは一般にエン(神官の称号)の居所またはジグラ ットの上の建物を差すとされるが、古くはナツメ椰子の実を納める倉庫であり、この儀礼はナツメ椰子のための繁殖儀礼(豊饒儀礼)であった。”ウルクのつぼ”と言われる有名な祭具に刻まれている図柄も、これを表現している。類感呪術としてのまぐわいが古い形であったのが、のちに王がこの儀礼の祭祀権を掌握したとき、一般社会の通念に従い、いわば良家の子弟の結婚式の如き形式となって呪術的意義を失い、シュルギ王やイシン王朝の王たちにみられるように、単なる儀礼的な祭りになったと言われている。

 クレイマーは、この聖婚儀礼はウルク起源とみている。その理由は、ドゥムジは王統表によるとウルクの王であり、歴史的実在(前三千年期の前半)であるとみられるからで、この王のときウルクのイナンナ女神との聖婚が始まったという。(これに対してハインベルは、ファルケンシュタインに同調して、王統表のドゥムジに比定できるとすればそれは大洪水以前のドゥムジであるとみている。)このドゥムジの聖婚については、当時の記録もなく、これに言及した文献もウル第三王朝より古いものはまだ発見されていないが、古バビロニア時代の書記たちの伝承となっていたとみることはできる。とのウルクにおける聖婚をシュメールの国民的な行事として国民的祭礼に高めたのが、どの時代であるかは分らない。シュルギ王は、その治世の初め各地方都市国家に巡幸して戴冠式を行ったときに、ウルクで聖婚の儀礼を執行し、その折の儀礼歌がのち学園に保存された。たぶん前三千年期の後三半分期に、このような国民的信仰と行事が成立した言われる。(芹澤茂「各種の宗教儀礼〈メソポタミア〉」〈『オリエント史講座2』所収〉)