シュメールのイナンナ(インニン、ニンニ)に同じ。
以下、バーバラ・ウォーカーの豊かな説明。
バビロニアの「星」の意の太女神。聖書には、「天后」(『エレミア書』第44章 19節)に相当するアシュトレト、アナテ、アシュラ、またはエステルEstherの名で登場する。イシュタルは「大娼婦」(大いなる娼婦)でもあり、『ヨハネの黙示録』第17章 5節では、「大いなるバビロン」、「淫婦どもの母」と述べられている。そのほかの彼女の称号のひとつに「女神ハルHar」があり、この女神は自らを「慈愛豊かな娼婦(聖娼)」と呼んだ。男たちは、娼婦-巫女との性交儀礼を通じて、この女神と霊的な交わりを結んだ[1]。Prostitution.
バビロニアの聖典では、イシュタルは、「世界の光」、「万軍を率いる者」、「子宮を開く者」、「正義の判事」、「律法を定める者」、「女神の中の女神」、「力を与える者」、「すべての法令を立案する者」、「勝利の女神」、「罪を許す者」などと呼ばれた[2]。旧約聖書に出てくる礼拝時の神への讃美の言葉も、その多くは、イシュタルに対するバビロニア人の祈りの文句から盗用されたものだった。一例を挙げれば次の通りである。
「緑の牧草を芽生えさせたもう御方、人間たちの女王よ! 万物を創造され、生きとし生けるものを正しく導きたもう御方! 御身にとって善と思われることを我が身に行いたもうよう、我、御身に祈り奉る。……おお、我が女王よ! 我に我が行いを知らしめたまえ、我に休息の場所をもたらしたまえ。我が罪を許し、我が面を上げさせたまえ!」[3]。
バビロニアの祈祷文は、聖書記者の祈祷文や讃美歌、さらには、聖書の神学体系までも明白なかたちで予示していたが、その中で女神イシュタルは、「おお、崇むべき御方よ、救済と生命と正義をくだされたまい、我が名を命あるものにしてくださる御方よ」と述べられていた[4]。旧約聖書の神と同じく、イシュタルも「力強き者」であり、戦いの勝利者であると同時に山々をも覆す者だった[5]。イシュタルは次のように語った。
「私は、豊かなる前兆を授けるべく、光に満ちた天界に出現する。私は、我が身の至高さに歓喜の念をいだきつつ、最高の女神として誇らかに歩を進める。私は夕べの女神イシュタル、私は暁の女神イシュタル、最高の統治者として天界の門を開くイシュタルである。至高の存在として、私は、天界を破壊し地上を荒廃させる力を持つ。天と地の祈りに応え、私は天界の蒼穹に光輝あふれる最高者として、私は山をもなぎ倒す。最高の統治者として私は、山岳の大岩壁であり、山岳の大いなる土台である」[6]。
バビロニアの長い祈祷文には、後にユダヤ人の司祭たちに模倣されて、彼らの神のために使われた比喩や礼拝の文句が、数多く示されている。
「女王の中の女王、女神の中の女神、あらゆる年の女王にしてすべての人間の支配者であるイシュタルよ、私は御身に祈りを捧げ奉る。御身は世界の光であり、天界の光である。……女神イシュタルよ、御身の力は最高であり、御身はすべての神々よりも優れている。御身は判定をくだし、その判定は公正である。地上の法律、天界の掟、神殿や礼拝堂の規則、私室や秘密の小部屋の決まりにいたるまで、すべてが御身の支配下にある。御身の名が知られていない地域や、御身の戒律が知られていない場所がどこにあろうか。御身の名を聞くとき、天地は震え、神々を恐れをなす。天界の精霊たちは御身の名を聞いて恐れおののき、人間たちは御身の名に畏敬の念をいだいている。偉大にして、高貴なる御方よ。すべてのシュメールの民、すべての生き物、すべての人間が、こぞって御身の名をたたえる。御身こそが、人間の行為を公正に裁いてくださる御方である。御身は抑圧されている者たちにも目を向けられ、虐げられている者たちに日々正義をもたらしたもう。『天と地の女王』よ、青白き顔をした人間たちの『女守護者』よ、いつまで、一体いつまで、御身の到着は遅れたもうや。疲れを知らぬ足と、急ぐことのできる膝を持つ女王よ、いかほど遅れたもうや。『万軍の女王』よ、『戦いの女神』よ、いつ現れたもうや。天界の精霊たちがことごとく恐れをなし、すべての怒れる神々を服従させ、栄光に満ちあふれる御方よ。御身は支配者よりも力強く、すべての王たちを統率したもう。すべての女たちの子宮を開きたもう御方よ、御身の光は偉大である。天界の輝く光、地上の光、人の住むあらゆる場所に光をもたらしたもう御方よ、御身は数多くの国民をひとつにまとめたもう。男たちの女神にして、女たちの神であられる御方よ、御身の意図は人間には計り知れない。御身は一瞥を与えられるとき、死者は甦り、病める者も起きあがって歩き出す。心に悩みを持つ者も、御身の尊顔を排するとき、悩みが癒える。女主人よ、我が敵はいつまで我らに勝利し続けるや。命令を発したまえ。御身の命により、怒れる神は退き行かん。偉大なるかなイシュタル! イシュタルは女王なり! 我が女主人は位高く、我が女主人は女王なり!」[7]。
アッカドの資料によると、イシュタルは、中東の各地においてデア・シリア、アスタルテー、キュベレー、アプロディーテー、コレー、マリなどの名で崇拝されていた例の太女神であったことがわかる。
「女神たちの中で最も畏怖すべき神であるイシュタルをたたえよ。女たちの女王であり、最も偉大なる神であるイシュタルを敬え。イシュタルは喜びと愛を賦与されており、活力・魅力・官能美をそなえている。彼女の唇は甘く、彼女の口は生き生きとしている。彼女の出現により歓喜が満ちる。彼女は栄光に包まれている。……あらゆるものの運命を彼女はその手に握っている。……イシュタル、この女神の偉大さに匹敵しうる者がいるだろうか。彼女の神意は、力強く高貴で雄大である。イシュタル、神々の中でその地位はずば抜けて高く、彼女の言葉は尊ばれている。彼女は至高の神であり、神々の女王である。神々に彼女の命令を常に実現させ、すべての神々が彼女に頭を垂れる」[8]。
冥界の神も、イシュタルが彼女の息子-愛人タンムーズTammuzを救出すべく冥界に下ったとき、彼女の前に頭を垂れた。このイシュタルの冥界下りは、イシュタルの先輩にあたるシュメールの太女神イナンナInannaが、やはり自分の息子-愛人ドゥムジを、冥界から救出したときの経緯と同じだった。イシュタルは、冥界の7つの門の門番に向かっても、「もしもおまえが門を開けて私を通してくれないなら、私は扉を打ち壊し、かんぬきを粉砕し、側柱を叩き壊し、扉を取り払い、生きている者たちを食べて死者を増やし、死者たちの数を生者の数よりも多くしてしまう」と言った[9]。ところで、この種の脅迫は、冥界に住むイシュタルと双子の暗黒の姉で、天界の神々から供犠の食物を奪い取る力を持っていた死の女神エレッシュキガルEresh‐Kigalの常套手段だった[10]。イシュタルが一時的にせよ冥界に行ってしまったため、地上の世界では作物が実らず、性的な活動も停止した。「女神イシュタルが冥界に下ってからは、もはや雄牛は雌牛の上に乗って交尾することなく、雄のロバも雌のロバの上に乗りかかることもない。男は自分の場所で眠り、女はひとりで眠った」という[11]。
この「冥界下り」は、聖劇の中では、危険に満ちているがしかし不可欠な部分だった。劇は3日連続で行われ、男神が復活する「歓喜の日」に大団円を迎えた[12]。悔悟と贖罪と供犠とをすませて、この日から新しい新年が始まったのである。「新年の元日には、イシュタルとタンムーズが床をともにすることになっている。そこで、地上の王は、神殿の秘密の部屋で女王(すなわち、地上で女神を体現している神殿娼婦)と交合の儀礼を行い、神話的な聖婚を再現する。この秘密の部屋には、女神の婚礼用寝台が置かれている」[13]。
ギルガメシュによれば、太女神イシュタルは愛人に対して残酷だった。それは、彼女の愛人たちが、次々と例外なしに、自らの血で大地の生産力を回復させるあの生贄となる男神を体現していたからである[14]。雄ウシがこの男神の化身とみなされた場合、その雄ウシは去勢され、切断された雄ウシの生殖器がイシュタルの像に向かって投げつけられた。これは「たぶん、イシュタルをたたえて行われた自己去勢の儀礼に由来する」儀式のひとつだった[15]。イシュタルの巫女たちは、年ごとにエルサレムの神殿で、女神に男神を捧げる供犠の儀式を行っていた模様である。その場合、イシュタルの処女相は、マリ、マリ・アンナ、ミリアムMiriamなどと呼ばれ、彼女に仕える聖なる女たちは、年に1度、生贄にされたタンムーズの死を悼んで、声をあげて泣いた(『エゼキエル書』第8章 14節)。
Salome. Mary Magdalene.
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)