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Palm Tree(ナツメ椰子の樹)

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 原初の花園に関するバビロニアの神話では、ナツメ椰子の樹は、女神アスタルテーの住居である「生命の樹」であった。アスタルテーという名をヘブライ語では、タマル(「ナツメ椰子の樹」)といった[1]

 彼女に対応する男性の神が、バール・ペオあるいはポイニクスで、フェニキアの神であり、その名は「ナツメ椰子の国」を意味した。男根神として、バール・オペルは、2つの大きな石の間のナツメ椰子の樹によって象徴された。フェニキアとイスラエルでは、バール・オペルと女神との結合を祝って、神殿で性の狂宴が行われ、儀式の最中に、ヤハウェの祭司が祝祭の参加者を殺すまで続いた(『民数記』第25章8)。

 ナツメ椰子の樹には女性的な含意もあった。女神はしばしば「母なるナツメ椰子」に具現して、ココナッツの果汁やナツメ椰子として、生命の食物を与えた。錯綜した聖書の神話は、「ナツメ椰子の樹タマル」を、殺された「ユダの初子」として描いている。また、ユダの国の印と杖と腕輪を持ち、被服をかぶった聖なる売春婦、ヤギの捧げ物を受ける寡婦(老婆)、ヤハウェの祭司たちが焼き払おうとした「道のかたわらの」偶像として、タマルを描き出している(『創世記』第38章)。彼女は、ウシル〔オシーリス〕とセテフ〔セト〕に対応する、ヘブライの双子のライバルであるペレズとゼラを生んだ。ナツメ椰子の樹の精は、初期キリスト教の伝承においても「太母神」であって、キリスト教徒は、「処女マリア」に、「聖なるナツメ椰子の樹」(タ-マリー)の添え名を与えた[2]。しかし、エジプト人は、男性のペニスを、「ナツメ椰子の樹」と呼び続けた[3]


[1]Graves, W.G., 197.
[2]Hughes, 55.
[3]Book of the Dead, 518.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)


[画像出典]
 抽象化されたナツメ椰子の樹。鷲頭のアプカルル(賢人)が受粉しているところ。
 ニムルド(現イラク)宮殿の浮彫装飾
 紀元前865 - 60年頃(新アッシリア)
 大英博物館蔵


ナツメ椰子と生命樹

 前五世紀にバビロニアを訪れたヘーロドトスは次のように述べている。
 また平野にはいたるところにナツメ椰子が生えており、その大部分は実を結び、彼らはこの実から食物や酒や蜜を作る。彼らはこの樹をちょうどイチジクの樹と同じ仕方で世話をするが……。(松平千秋訳『歴史」巻i - 193)
 この後の記述はヘーロドトスの思い誤りがあって引用しないが、ナツメ椰子は雌雄異株で、受粉が必要である。新アッシリアの浮彫に鷲頭のアプカルル(賢人)が文様化したナツメ椰子に受粉している図像があるのは、こうしたナツメ椰子の栽培の実際を反映している。
 ナツメ椰子は塩害に強く、現在では不毛の地となったかつてのシュメールでも採れる。収穫高の増減が穀物より少ないので「農民の木」といわれた。酒や蜜のほかに、携帯食料として乾燥ナツメ椰子を作り、乾燥ナツメ椰子とチーズを持って旅ができた。貴重な樹であるから、「ハンムラピ法典」にも記され、果樹園に関する条文は具体的には「ナツメ椰子の果樹園」をさしていた。

「エデンの園」の中央の樹

 すでに説明したように、『旧約聖書」「創世記」第2章には「エデンの園」の有名な記述がある。
 主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生え出でさせられた。
 「知識の樹(知恵の樹)」はリンゴといわれ、一方「命の樹(生命樹)」とはナツメ椰子であって、古代メソポタミアでは豊饒の象徴である。
 ベルリン国立博物館が収蔵しているラガシュのエンテメナが奉献した石壺の断片には、ナツメ椰子の房を手にした女神の浮彫が刻まれているが、女神が誰かを特定するのは難しい。碑文にはナンシェ女神、ニンフルサグ女神の名前が見えるが、一方で図像には背後に六本の矢のようなものが見え、しばしば矢を背にするイシュタル女神の図像と共通しているようにも見える。

パラダイス

 キリスト教を受容した西洋世界での庭園は「エデンの園」を意図し、中央に樹木、泉あるいは噴水をしつらえ『聖書』の記述を表現した。
 「エデン」はシュメールのグエディンナ(「エディンの首」の意味)がモデルともいわれている。前25 - 24世紀にラガシュ、ウンマ両市が争奪を繰り返した肥沃な耕地であり、シュメール語の「エディン」は原野、荒野の意味である。また、エデンの園は、基本的にはベルシアの庭園の構成を継承したともいわれている。
 楽園を意味するパラダイスとは、古代ペルシア語のpairidaêza、周りが囲われた土地をさす。王侯貴族が特に獲物の多い土地を自分たちの狩猟のために囲い込んだ狩猟園のことで、メディア語からの変化といわれている。
 クセノフォンの記録によれば、「サルディスのキュロスの庭園」は直角に交わる二本の川によって四つの部分に区分され、中央に「中心の山」をいただく構成であり、ペルシアの世界観を表現していた。この中心の山がエデンの園では二本の樹に変わったという。

ドゥムジ神とニンギシュジダ神

 グデアの個人神ニンギシュジダ神は、名前の意味が「真理の樹の主人」であって、神殿の入口に立つ聖なる樹をさし、聖婚の行われる神殿だけに立つナツメ椰子の樹といわれる。
 『アダパの神話』には「天の神アヌの神殿の門に立つギシュジダとタンムズ」が登場する。ギシュジダはニンギシユジダ、タンムズはドゥムジのことであり、「地上から姿を消した二神」「死んだ神」でもあって、死と復活を象徴し、冬に枯死し春に生き返る草木のシンボルである。
 神殿の入口で警護の役をした対をなす、幾組かの守護神の仲間がいて、「タリメ」と呼ばれた。そのタリメであるギシュジダとタンムズが聖なる樹の守護神の役を命じられたのは、彼らが「聖婚の花婿」であったからである。また、ナツメ椰子の樹は花嫁(女神)の化身であって、生命、知識の源はこの女神に由来するともいう。
 なお、知識の樹は「死の樹」でもある。神の言葉では「食べると必ず死ぬ」(『旧約聖書」「創世記」第2章第17節)樹であり、蛇の言葉では「食べると目が開け、神のように善悪を知るにいたる」(第3章第5節)とあり、楽園からの追放と生命の樹からの遮断は死を意味していた。

と流水の壷

 ユーフラテスとティグリスの両河はベルシア湾に注ぎ、メソポタミアの人々は先史時代から河の、海のを重要な蛋白源としていたから、楔形文字でもに関する文字は多い。
 は先史時代からメソポタミアでは犠牲に使われた。両河の真水はアプス(深淵)から通じていると信じられていたので、は水神エア(シュメールのエンキ)神に結びつけられたのは当然であろう。エアの図像では肩から水が流れ出ている。そしてしばしばその水の中にが泳いでいる。エアは知恵の神であったので、は知恵の象徴となった。
 初期の段階からアケメネス朝時代まで、流水の壷の図像が見られる。こののアッカド語名はヘガルゥ「豊富」であって、文字通り「豊饒の象徴」である。なかにはが流水を泳いでいるものもある。
 は様々な神々が持っている。エア、ラフムなどの男神そして女神も持っている。マリからは流水のを持つ女神像が出土している。そしてイランへ転ずるとゾロアスター教のアナーヒター女神もを持っている。図像学では、は女性を象徴するともいわれている。
 (『古代メソポタミアの神々』p.83-84)