アマゾーン女人族はレスボス島を占領し、そこを「女たちの島々」のひとつ、すなわち、女性原理崇拝に捧げられた聖なる植民地にした。このことは、後世において、キリスト教の男子修道院が男性原理崇拝に捧げられたのと同様だった[1]。紀元前6世紀のレスボス島は、アプロディーテーやアルテミスへの奉仕と、「優美」charis(すなわち、音楽、美術、舞踏、詩作、哲学、ロマンティックな「レスビアン風」恋愛)の実践とに献身した女性集団によって統治されていた。
レスボス島に居住した女性たちの中で最も有名だったのが、詩人サッポーSapphoであり、彼女は同時代の人々からは、ホメーロスよりも優れていると言われた。彼女の作品は、西暦初期に行われた焚書のため、後世に残らなかった。彼女の膨大な詩作のうち、ほかの作家に引用された少数の断片を除けば、他はすべて8世紀以前に消滅してしまった[2]。
女性の同性愛は、一般に父権制社会においては、途方もない脅威とみなされていた。キリスト教時代のヨーロッパでは、女性の同性愛は「名づけようもないほどの大罪」と考えられており、レスビアンたちは、裁判にもかけられずに、生きたまま火あぶりにされたことがあった。今日でも、同性愛の女たちは恐るべき力があるとみなされている。フランク・カプリオは、「女性の同性愛には、われわれの社会組織の安定を損なう力がある」と言った[3]。男根中心社会は、すべて例外なしに、しかも当然のこととして、男根に無関心な女性たちを社会に有害な存在とみなすであろう。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
"lesbian"という言葉がいつごろできたのかわからないが、少なくとも、前5世紀ころのアテーナイでも、すでにLesbiavzw〔アリストパネース『蛙』1308〕、Lesbivzw〔同『鳥』1346〕という言葉があり、「レスボス島の女たちの流儀にしたがう」を含意している。その「流儀」の中に、「レスボス島出身の女流詩人たちの用いた韻律を踏む」という意味と、「女性同士の同性愛」という2つの意味があったと見られる(とくに『蛙』1308)。ラテン語ではLesbiasないしLesbisである。