アマゾーン女人族の月女神である。エペソスにおいてはラテン語名のディアーナ、あるいは「女神-アンナ」として崇拝された。あらゆる動物をこの世にもたらしたヒンズー教の女神サラニューSaranyuと同じく、アルテミスも「生物の母親」と呼ばれた。エペソスにあるアルテミスの像はその胴体いっぱいに多くの乳房をつけ、アルテミスがあらゆる生物を養育する女神であることを示している。しかしアルテミスは、同時に、「女猟師」でもあった。自分が生んだ生物を殺す女神でもあったのである[1]。スパルタではアルテミスの名はアルタミスArtamisであった。その名の意味は「切る人」、あるいは「屠殺者」である[2]。
アルテミス神話は、さかのぼると、新石器時代の供犠のならわしにいたる。タウロス人の国(クリミア半島の地)においては、アルテミスに仕える巫女たちは、女大祭司イーピゲネイアIphigeneiaの下にあって、その海岸に上陸する男性をすべて生贄とし、その頭に釘を打ちつけて十字架にかけた[3]。ヒエラポリスでは、アルテミスに捧げられた生贄はアルテミス神殿に人工的にしつらえられた木に吊された。アッティカでは、アルテミスの怒りを静めるために、男性の首を刀で傷つけて血を取り、それを捧げる祭式が行われた。これは昔、首を切り落として捧げた名残りであった。人間を生贄に捧げることは、のちに、雄ウシを捧げることに代わり、そのためアルテミスの添え名はタウロポロスTauropolos(雄ウシ屠殺者)となった[4]。
アルテミスが「女猟師」であるということは、アルテミスがなんでも物をぶちこわす老婆、欠けていく月という一面を表すからであった。ヘカテー Hecateと同様、アルテミスも夜に狩りをした。アルテミスの巫女たちは猟犬の仮面をかぶった。アランたち Alani(猟犬たち)というのはアルテミスを崇拝したスキタイ人のギリシア名であった。角のある神アクタイオーンを八つ裂きにした猟犬たちは、実際は、アルテミスの聖獣である雌イヌたちであった。
ギリシア・ローマ神話を編纂した人々は、アクタイオーンが純潔な乙女であるアルテミスの水浴中の裸身を見たために、慎みを失ったとして八つ裂きにされた、とした。しかし実際は、水浴、裸身、聖王の八つ裂き、ということは、ドラマの筋立てとしてはなくてはならないものであった。未開のゲルマン民族においては、女神が沐浴の祭式をするが、その裸身を見ることができるのは「死ぬ運命にある男性」だけであった[5]。アクタイオーンはシカの皮と枝角を身に着けていたが、それは彼が古代ギリシア以前の雄ジカの皮を着ていた聖王を表すものであった。彼は「大年」 Great Year (4年間のこと。この間、聖王の命が延命された)の半分の期間、聖なる狩猟を統治した。そしてそれが終わると、彼は八つ裂きにされて、後継者( 2人で交代で大年を統治する王)にその地位を譲った。 1世紀においても、アルテミスに仕える巫女たちは、アルカディアのリュカイオン山で、雄ジカの皮を身に着けた男性を追いかけて殺した[6]。アルテミスのいた小さな森は「シカ園」(ドイツ語では Tiergarten、スウェーデン語ではDjurgarten)となった。そして、昔は、そこはシカ肉などを食べて饗宴を催す場面であった。
アルテミスはその姿をいろいろな動物に変えるが、そのうちで最もよく知られているのは「大熊座」 Ursa Majorであった。(大熊座は俗に北斗七星と呼ばれる。 7つの明るい星が天極の周りを回っている星座で、その中に2つの指極星がある。短い期間ではあったが、この星座はその形がカール大帝の馬車に似ていることから Charles's Wain=Carl's wagonと名づけられたことがある)。この大熊座は星を統治し、「世界軸」 axis mundiの守護女神である。そして、大熊座が描く小さな円の真ん中に北極星があるからすぐわかる。ベルンの近隣に居住していたへルヴェチア人はアルテミスを雌グマとして崇拝した。ベルンの紋章には今なお雌グマが用いられている。ペルンBerneという都市の名前は「雌グマ」を意味するのである[7]。へルヴェチア人は、ときに、アルテミスをアルティオArtioと呼んだ。ケルト人はこのArtioをアルトArtと短縮して呼んで、 クマ-王アーサーArthurの妻とした。中世の魔女たちの神は、アルティオの狩猟の神として、「アルトの息子ロビン」と呼ばれるようになった。アイルランド人によると、アルトは男神を意味したが、最初の含意は女神であった。それもとくにクマ-女神を意味した[8]。アルトはまたキリスト教では聖ウルスラUrsulaとして聖人の列に加えられた。 Ursulaという名はサクソン名のUrsel(雌グマ)に由来する。
毎年毎年、北極星の周りを回るこの「雌グマ」(=大熊座)を崇拝する理由は、天文学的に見てもっともなものがあった。この星座はおそらく極東でいちばん最初に発見されたものであったろうと思われる。「月や季節は大熊座の回転によって決まった。この星座の尾の部分が日暮れに東方を指すと、それは春の到来を告げ、南方を指すと夏の到来を告げ、西方を指すと秋の到来を告げ、北方を指すと冬の到来を告げる……大熊座は、道教の天空観にあっては、至高神の天界における玉座という高位を占めている」。道教におけるこの至高神とは「天界の女王」、すなわち聖母馬祖婆で、アルテミスの特性によく似た特性を持っている。船乗りを守護し、天候を支配する女神である。乙女と呼ばれることもあるし、「計測の母」と呼ばれることもある。また「慈母」として聖母マリアや仏教の摩利支天に比肩する者ともされてきた[9]。
世界軸は男神と関連づげられることが多かった。そしてその男神は「大いなるヘビ」、あるいは「世界樹」ともされ、男根を象徴するものと考えられることがあった。同様に、大熊座の圏内にある小熊座をギリシア人はクマに変じたカッリストーの息子アルカスだとした。 Callisto. しかし最古の伝承を見ると、この世界を支える樹木や軸が女性であると思われるふしがある。ヴァイキングの世界樹であるイグドラシルを見てもわかるように、世界を支える樹木は近東地方の、子を生み、果実や乳を与える母親樹と共通するところが多い。この母親樹は昔「母親木」 Mjotvidr、 Mutvidrと呼ばれた。ときには、世界樹はミード-木(ミードとはハチ蜜と水を混ぜて発酵させた酒)であった。それは「フィノ-ウゴル民族の授乳の木」と同じもので。「さかのぼるとメソポタミアや太古の時代にもあったシンボルである」。「この木はこれから生まれてくる人々の源となる木」で、この木から新しい原初の女性が生まれる。この女性は現世が終わったのちに新たに生まれてくる宇宙の生命である、と言われた。この木の果実は「中にあるものが外に出るように」と、出産する女性に与えられた。この木の根元にある泉は知恵の泉、あるいは命を与える液体の泉であった。この液体は母親の「賢い血」にたとえられるものである。そしてこの液体は命を与える源泉として女性が持つもので、神話の中によく出てくる。ヨーガのクンダリニー(身体に6個の中心輸があって、脊椎の基部にあるものは根器と呼ばれ、そこに女神がヘビの形で眠っている)の子宮の泉の中にあるクラKula液にたとえられるものである。ヨーガによると、この世界を支えている母なる木とは母親の脊椎のことで、その脊維には6つの中心輸chakrasがある[10]。
Menstrual Blood.
多くの乳房を持つアルテミスは、つねに、滋養物、豊穣、生誕の守護女神であった。アルテミスのこうした属性に対して男神たちは背を向けた。それはアルテミス崇拝に反対であったからである。アルテミスの双子の兄弟や、ときには夫のアポッローンApollonも、アポッローンの聖なる島であるデロス島において、子を生むことを違法とした。みごもった女性たちはデロス島では神の怒りを恐れて島から追放された[11]。キリスト教徒たちもアルテミスのことを悪く言った。タティアン( 2世紀のキリスト教護教論者。ギリシアで教育を受け、グノーシス派の傾向があった。キリスト教徒はすべて結婚してはならないと主張した)は「アルテミスは有毒の神、アポッローンは治癒する神である」と言った[12]。福音書ではアルテミスのエペソスの神殿は破壊されるよう命令された(『使徒行伝』 19: 27)。聖クリュソストモスは406年に、アルテミスのこの神殿を崇拝するなと説いた。するとすぐに神殿は荒らされて焼かれた。コンスタンテイノープルの総大司教はクリュソストモスの熱意を賞賛して、「エペソスにおいて彼はアルテミスからその宝物を奪い去った。プリュギアにおいて、アルテミスを神々の母親と呼んだ息子たちを彼はアルテミスから引き離した」と言った[13]。
Diana.
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
レートーの娘、アポッローンの双生の妹。彼女の名はアポッローンと同じくギリシア語源では解きがたく、先住民族の女神であったらしく、彼女の支配するところは野獣にみちた山野であった。彼女はまた誕生、多産および子供(人間や野獣の)の守神であり、ロケイアLocheia《産褥の女神》なる称呼のもとにエイレイテュイアと同一視されている。エペソスEphesosで崇拝されていたアルテミスは多くの乳房を有する偉大な母なる女神で、これがマルセイユを経てローマに入り、ディアーナと同一視されるにいたった。
アルテミスはまた熊と特別の関係にあったらしく、女神の怒りをかって牝熊に変じられたカッリストーは、本来アルテミス自身(アルテミス・カリステーKalliste《もっとも美しい》)であったと思われる。オレステースが姉のイーピゲネイアとともにタウリスTaurisのケルソネーソスCbersonesos(クリミア)からハライHalaiにもたらしたアルテミス像は、人身御供を要求する恐ろしい女神で、これはブラウローンBrauronで祭られて、ブラウローニアーBrauroniaと呼ばれ、アテーナイのアクロポリス山上にも神域をもち、少女たちが熊をまねて、黄色い衣を着て踊った。女神に対する人身御供の風習の名残りは他のところにも見いだされる。アルテミスはアポッローンが太陽と同一視されたと同じように、月の女神セレーネーおよび月と関係があるヘカテーとしばしば同一視あるいは混同されているが、これはこれらの女神の支配の範囲や性格がたがいに重なりあっている部分があるからである。さらにアルテミスはスパルタのオルティアOrtheiaとも同一視されているが、オルティアは明らかにドーリス人が北方からもたらした印欧語源を有する女神で、もとはまったく異るものである。
神話では、しかし、アルテミスのこのような性格とは異り、女神はうら若い美しい処女の狩人で、猟犬を伴い、ニンフたちにとりまかれて、山野をはせめぐる。鹿を追い、ときには人間にも矢を放つ。産褥にある女に苦痛のない死をもたらすのもこの女神であり、彼女はとくに女の崇拝のもとに、町の女神ともなっている。彼女の矢で死んだ者に、ニオペーの娘たち、ティテュオスがあり、ともに母レートーの名誉のためであった。また彼女とアポッローンが生れる時に襲った大蛇をも兄とともに射殺した。巨人との戦ではグラティオーンGrationをヘーラクレースの助けを得て退治し、アローアダイをたおし、アルカディアでは怪物ブーパゴスBuhagos《牛くらい》を殺した。オーリーオーン、アクタイオーンの死については同項参照。彼女の怒りにふれて不運に見舞われた話も多い。メレアグロスの死の原因となったカリュドーンの猪、アゥリスで犠牲になったイーピゲネイアの話を参照。へーラクレースがエゥリュステウスに命ぜられて、アルテミスの鹿を追った諸については、同項参照。上記のように、アルテミスには独立の神話は少なく、この女神が比較的おそくギリシア神界に入り、あまり重要な地位をかち得なかったことを示している。(『ギリシア・ローマ神話辞典』)
この像は乳房をつけた豊穣神とみられているが、ドアン・ギュムッシュは『エペソス』で、「胸に連なる卵状のものは最初は乳房と考えられていたが、最近の研究では牡牛の睾丸、神への生贄のシンボルとされている」と書いており、デュルも『再生の神セドナ』で、多数の乳房でなく睾丸とみて、太母キュベレに仕える司祭が、春祭りに自分の睾丸を切り落としてキュベレに捧げたように、「春祭りのとき、人々はエーゲ海の太母神アルテミスに睾丸をくっつけて、太母を孕ませた」と書く。アルテミスに仕える司祭メガビゾスは必ず去勢されなければならなかったことからみても、これらの説も一理ある。この立像の起源を、睾丸をつけて屹立する男根像に求めることは、バーバラ・ウォーカーも大和岩雄も基本的に同じといえる。しかし、太母神としてのアルテミスには、もうひとつ、空飛ぶものという性格がある。この両者が結びついた例は、マリヤ・ギンブタス『古ヨーロッパの神々』(言叢社、1998.7.)が豊富な画像を提供してくれている。その一例が、下の画像である。
(大和岩雄『魔女はなぜ人を喰うか』p.217-218)
また前700年頃に作られた有名なボイオティアのアンフォラには、いわゆる「野生の女主人」または「動物たちの女王」が描かれている。この女神は2頭のライオン、斬首された牛頭、瓶型の図形(子宮か?)、鳥、卍文などに取り囲まれている。女神が昆虫のような腕をしていることは示唆的で、髪や下半身を囲むジグザグ線は、おそらく蜜蜂の毛深さを意味しているのだろう。……確かにエペソスでは蜜蜂がアルテミス祭祀にまつわる動物として密接に結びつけられていた。また、古典時代の宗教的組織には蜜蜂たち(メリッサイ)と呼ばれる一群の女官たちと、牡蜂(エッセネス)大勢の宦官や神官がいて象徴的に蜂の巣の構造を形作っていたという」
(マリヤ・ギンブタス『古ヨーロッパの神々』p.181-182)
2003年12月20日から2004年2月16日、大阪歴史博物館で「トルコ三大文明展」が開催され、アルテミス・エフェシア像が出展された。2004年2月12日に見に行ったが、観覧者があまりに多かったので、他には目もくれず、目指すアルテミス像のみを見て帰った。
全体的な構図は、ボイオティアのアンフォラのアルテミス像とよく似ているのではないだろうか。目当てだった乳房なのか睾丸なのかは、実物を見てもはっきりしなかった。
しかし、わたしの眼はその下半身にくぎづけとなった。
左図は、アルテミス像の下半身の左上部を拡大したものである。左端は、昆虫と花びら(平らに見えるのがそれ)とが交互に彫られている。次の列は、一部が欠損しているので、何かはわからぬが、これと昆虫とが交互に彫られている。昆虫は同じ種類のものと言ってよい(したがって、左上の昆虫は、横から見たところになる)。
一見して、これはセミではないのか?
ギンブタスの説明から推して、蜜蜂の可能性の方が強いのだが、どう見ても蜜蜂らしくない。また、この像はヘレニズム期のものであることも考慮しなければなるまい。蜜蜂の伝承が、セミに取って代わられた可能もあろう。疑問として提起しておく。