アプロディーテーは「ギリシアの愛の女神」とされることが多いが、本当はそれ以上の女神であった。カーリーと同様、アプロディーテーも処女-母親-老婆という三相一体の女神であった。昔は「運命の三女神」 Fatesと同一視されていた。アプロディーテーの古い名前はモイラで、「時」より古い女神であると言われた。アプロディーテーは母権集団の自然法によって世の中を治めた[1]。
アプロディーテーはギリシアだけの女神ではなかった。シリアの女神でもあって、その名前はアシュラAsherah、アスタルテーAstarteと言った。絶えず外敵に占拠された世界最古の神殿に祀られた女神であった[2]。ローマ人の祖とされた。それは、ローマ建国の父アイネイアース Aeneasを生んだからであった[3]ウェヌス〔ヴィーナス〕という名前になると、ベネティ人の生みの親となった。ベネティ人の都は、ウェヌス〔ヴィーナス〕にちなんでベネチアとなり、「海の女王」と呼ばれた。
アプロディーテー崇拝の主要な中心地の1つは、キュプロス島のパポスであった。キュプロス島は銅鉱山があったためにキュプロスと名づけられたのである。かくしてこの女神は「キュプロス島の女神」、または「パポスの女神」と呼ばれた。そしてこの女神に捧げられる金属は銅であった。また、この女神はマリMari(海)とも呼ばれた。エジプト人はこの女神の島を指して「アイ・マリ」と呼んだ[4]。
キリスト教時代になると、キュプロス島にあったアプロディーテーの神殿は聖母マリア(アプロディーテーの別称でもある)を祀る聖所になった。しかし、この聖所では、聖母マリアは、今日でも、「よろずに聖なるアプロディーテー」 Panaghia Aphroditessaとたたえられている[5]。
キュプロス島でアプロディーテーが長い間崇拝されていたために、キリスト教徒たちは、キュプロス島の住民はすべて悪魔の子孫であると信じた[6]。実際は、キュプロス島のアプロディーテーは太女神が女神の姿をとったもので、そうした女神は他にも多い。生誕、生、愛、死、時、運命を司るのである。こうしたことを官能的、性的神秘主義を通して人間に受け入れさせたのである。キュプロス島の哲人ゼノーンはアプロディーテーの哲学を次のように教えた。「人間と宇宙は運命という体系によって結ぼれた……ディオゲネース・ライエルティオスによると、人間存在の目的は自然に従って生きることである、と定義した最初の人間は私ゼノーンであるという」[7]。
千の名前を持つカーリーと同じように、アプロディーテーもさまざまな力を発簿するために多くの添え名を持つ。マリ、モイラ、マリーナ、ペラギア、ステラ・マリス こうした添え名はアプロディーテーが海を支配することと関連してつけられたものである。アプロディーテーにはまた、出産の女神イーリーテュイア、婚姻の女神ヒュメーン、性と狩猟の女神ウェヌス〔ヴィーナス〕、天界の女王ウーラニアー、人間の殺戮者アンドロポノス Androphonosなど、その他数多くの名前があった。 またアセト〔イーシス Isis〕と同一視されることも多かった。アンキセースはアセト〔イーシス〕を愛し、アイネイアースをもうけてから去勢されたが、アンキセースという名前の意味は「アセト〔イーシス〕と交合する男」であった[8]。アプロディーテーは、さまざまな名前のもとに、セム人の神々と交合した。西暦70年以後になっても、エルサレムにある神殿の本殿で、アプロディーテー崇拝が行われていた。キリストが掛けられた十字架の本物が、アプロディーテーを祀ったエルサレムの神殿に埋葬されていたのを、4世紀に、コンスタンティヌス皇帝の母親が発見したという話があった。
Cross.
アプロディーテーの聖地のうちで小アジア最大の聖地の1つがアフロディシアスという町であった。この地は、かつては、イシュタル Ishtarに捧げられていた。 12世紀にトルコのセルジューク王にその地が占拠されるまでは、アプロディーテー崇拝があって、アプロディーテーは芸術、学問、工芸、文化の守護女神であった[9]。最近の発掘調査で、そのすばらしい工芸品や彫像が発見された。このことは、アプロディーテーのもとにあって、生活様式がいかに洗練され教養量豊かであったかを物語っていると言えよう[10]。
今日の暦にはなおアプロディーテーの名前が見られる。それは4月(Aphrilis)がアプロディーテーに捧げられているからである。古代のロムルス暦では、 4月はウェヌス〔ヴィーナス〕の月とされた[11]。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
愛欲の女神アプロディーテーは、大海の泡から裸のままで生れ、帆立貝にのって、まずキュテーラの島に上陸した。けれども、ここはほんの小島にすぎないことを知って、次にペロポネーソス半島に渡り、最後にキュプロス島のパボスに居をさだめた。キュプロスは今もアブロディーテ一信仰の中心である。彼女が足を踏みいれたありとあらゆる土地からは、草や花々が生い茂った。パポスでは、テミスの娘である季節たち(^Wrai)が、いそいでアプロディーテ一に着物を着せ、髪かたちを飾ってやった。
異説によると、彼女はクロノスがウーラノスの男根を海に投げいれたとき、そのまわりにうちよせてきた泡から生れたのだという。さらに他の説は、オーケアノスと海の女神テーテュースの娘と、あるいは天空と大地の娘であるディオーネーとゼウスが交わって、彼女を生んだのだと伝えている。しかし、どの説も彼女がそとを歩くときにハトと雀をともなっているという点では一致している。
アプロディーテー(「水泡から生れた」)は、カオスのなかから生れて海の上で踊っていたというあの女神、シリアやパレスティナではイシュタルもしくはアスタルテーの名で信仰されていたあの絶大な支配力をもっていた女神と同じ女神である。彼女の最も有名な信仰の中心地はパボスで、今でもここの壮大なローマふうの神殿の廃墟のなかには、女神の像 人をも動物をもかたどっていない白い原型の像が展示されている。またここでは、毎年、春のおとずれとともにアプロディーテ一につかえる巫女たちが海で沐浴して、その身をきよめている。
彼女がディオーネーの娘と呼ばれるのは、この女神ディオーネーの霊木が樫の木で、その枝に好色なハトが巣ごもるからである。ゼウスがドードーナでディオーネーの神託所を奪いとったあと、どうしてもアプロディーテーの父となるのだと言いはったので、ディオーネーはアプロディーテーを生むことになった。「テーテュース」Tethysとか、「テティス」Thetisというのは、ともに天地創造の女神の別名であり(「テミス」Themisや「テーセウス」Theseusという固有名詞とおなじように、「配置する」とか「秩序づける」という意味のtithenaiからつくられた)、また、生命はまず海洋から生じたものであるから、海の女神の別名でもある。ハトと雀とは好色をもって知られた鳥で、海産食物は今でも地中海の各地で性欲を促すものと考えられている。
キュテーラは、古くペロポネーソス半島と交渉のふかかったクレータ島の重要な貿易の中心地であったから、アプロディーテーの信仰がはじめてギリシアへはいっていったのは、ここからであったろう。このクレータの女神は、海と密接な関係をもっている。クノーソスにある彼女の神殿の床には貝殻が敷きつめてあるし、彼女の像はイーデー山の洞窟から掘りだされた宝石の上で法螺貝を吹いている姿であらわされ、その聖壇のかたわらにはイソギンチャクがおいてある。ウニとイカも、女神にゆかりがある。法螺貝はバイストスにある初期の彼女の神殿でもみつかったし、ミーノース後期の墓のなかには、おびただしい数の法螺貝がおさめられていた。もっとも、なかには赤土素焼〔テラコッタ〕の複製品もあったが。(グレイヴズ、p.76-77)