「すべてを癒す者」を意味し、ティタネーにあるペラスゴイ人の至聖所に祀られた母神レアー-コロニスの聖なる娘たちの1人。もう1人の娘がヒュギエイア(鍵康)であった。今日でもこの2人の女神は「ヒポクラテスの誓詞」(医師になろうとする者が行う宣誓)の中で名を唱えられる[1]。彼女たちは、「優しさの乳」と「治癒の香油」の源である太女神の乳房の擬人化であったと恩われる。
エジプト人は、ほとんどすべての病気に効く薬は、「子供を生んだ女性の乳であり、たいそうよい香りがし、その香りで病気のデーモンを追い払うことができる」と言った[2]。パナケイアとヒュギエイアは、エジプトの2人の女神ブトーとネヘベト〔ネクベト〕に比べられる。ブトーとネヘベト〔ネクベト〕の乳はファラオに神性を与え、すべての者に健康を与えた[3]。ブトーは、ラトナ、ラダ、レートー、あるいはレーダー、バビロニアではアラトゥ、アラビアではアラート(のちにアラーとなる)と呼ばれた養育の母神と同じ女神であった。エトルリア人は彼女をラトLatと呼んだ。ラトはラティウム(現在のローマ南東方にあった古代イタリアの都市国家)の母であり,月の乳を与える者であった。ラトポリス(「乳の都市」)は、エジプ卜で最古のブトーの神託神殿に与えられたギリシア語の名である[4]。
中世ヨーロッパはなおも、母乳の治癒効果を信じ続けた。どんな母親でも、子供の痛む自に母乳を滴らせて、治すことができると言われた[5]。男性の医者はしばしば病人に女性の乳を奨めた。
皮肉なことに、パナケイアを最後まで迷信的に信じた1人に教皇インノケンチウス3世(1161?-1216)がいた。教皇は悪名高い教皇教書Sumrnis Desiderantesの布告者であり、この教書によって魔女の処刑は法的根拠を与えられ、何百万という女性の責苦と死を引き起こした。死の病の床で、教皇インノケンチウスは、女性の乳房から出る乳を飲んで、自身の死を払いのけようとした[6]。しかし魔術は効き目を表さず、教皇は死んだ。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)