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Moon(月)

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 「エジプトの聖職者は月を『宇宙の母』と名づけた」とプルータルコス(46?-120? 古代ギリシアの哲学者、伝記作者)は述べている。なぜならば、月は、「湿気を与え、妊娠させる光を持ち、生ける者の誕生と植物の結実を促進する」からであった[1]。上エジプトはかつてケメヌ(「月の国」)と呼ばれていた[2]。天体を礼拝するとき、最初の礼拝はつねに月に捧げられた[3]。バビロニア人は太陽よりも月に優位を与えた。

 一般に東方の諸国は太陽崇拝より前に月を崇拝していた[4]。モーセ・マイモニデス(1135-1204。スペイン生まれのユダヤ人哲学者、ユダヤ教神学者)は月崇拝はアダムの宗教だと言っている[5]ヘビを崇拝するナアセン派(Naassians)と呼ばれるグノーシス主義の一派は、「天界の月の」として知られる原初の存在を信仰していた[6]。月は永遠の「太母神」であった。中央アジアでは、マーヤーの鏡のように、月は世界のすべてを映し出す女神の鏡であると言われていた[7]

 未開人の多くは太陽より月を崇めた。太陽は昼間輝くだけであるのに反して、月母神は夜、光が必要なときに、光を与えてくれるという理由からである。この信仰は、日光と昼光は同じではないという、原始人に共通に見られる考え方を前提としている[8]。聖書記者はこの同じ誤りを犯している。彼らは、神は太陽と月の前に「光」(昼の光)を作ったと述べているからである(『創世記』 1: 5、 16)。

 アシャンティの人々は、すべての神を総称するときに、「月」を意味するボシュンという語を用いた。パスク語では、「神」と「月」は同じ語であった。インディアンのス一族は、月を「決して死ぬことのない老婦人」と呼び、イロコイ族は「永遠なる者」と呼んだ[9]。南アフリカのエリトリア地帯の支配者は、女神の名「月」を名乗っていた[10]。トゥトシ族の古代の支配者はムウェジ(Mwezi、月)と名づけられた[11]

 月を指すゲーリック語はgealachであり、ゲール族とガリア族の本来の「月母神」であるガラまたはガラタに由来する語であった。英国はかつてアルビオン(「乳のように白い月母神」)と呼ばれていた。ペルシア人は月を「その愛がいたるところに浸透する」メトラ(マトラ、「母」)と呼んだ[12]

 「月」 moonと「精神」 mindの語源はともに印欧語の manas、 mana、あるいはmenであった。マナは、女性の中にある 「太母神」の「知恵の血」を表し、その血は月に支配されていた[13]。その派生語maniaは、かつては悦惚たる啓示を意味した。ちょうどlunacyが、「月」 Lunaの精にとりつかれることを意味したのと同じである[14]

mana、あるいはmen
 manaあるいはmenは、古代ローマ以前の時代の女神メンルウァ(ミネルウァ)の名のもととなった。さらにmentality(知恵)、 menstrual(月経の)、 menology(月別聖人伝)、 menage(家政、母系の家庭)、 omen(前兆、月からの啓示)、 amen(アーメン。再生をした月)などの語を派生した。

 「呆然となる、気が狂う」 moon-touched、 moon-struckことは女神によって選ばれたことを意味した。「精神薄弱者」 mooncalfは、女神に愛され連れ去られた者のことであった。父権制l社会の思想家が女神を矮小化したとき、これらの語は単に狂気を指すだけとなったのである。月に打たれた(moon-struck)者は「愚か」 (silly)と言われたが、sillyも以前は「祝福される」(blessed)ことを意味し、おそらくセレネーSelene(月)から派生した語と思われる[15]

 ギリシア人にとって、 menosは「月」と「カ」をともに意味した。ローマ人にとって、「月母神」の徳性は「太陽神」のそれより優位におかれた。プルータルコスは述べている。「月の影響は理性と知恵のもたらす影響に等しい。一方、太陽の影響は体力や暴力によって引き起こされる影響と同じように思われる」[16]

 多くの文明において、「月母神」と「創造女神」は同一であった。ポリネシア人は「創造女神ヒナ」を「月」と呼んだ。ヒナは最初の女性で、すべての女性はヒナを型どって造られたワヒネ(wahine、ポリネシア婦人の意)であった[17]。フィン族にとって「創造主」はルオンノタル(ルナ、月)であった。彼女は海の上で巣ごもり、「世界卵」と天と地を生んだ[18]。スカンジナヴィア人はときには創造主マルドルを「海の上に輝く月」と呼んだ[19]

 「月母神」は、創造、成長、衰退、破壊という月の周期をくり返して、時を創った。古代の暦が月の相と月経の周期にもとづいて作られた理由はここにある。point.gifMenstrual Calendar. インドのある地方では、今日でもなお月の朔望によって農作業の時期を決定している[20]。インドネシアの月の巫女たちは、それぞれの仕事に適した正しい月の相を見出す責任を負っていた。ダヤク族は子供の誕生、ウシの増殖、穀物の豊穣を月に祈った。彼らは月が時を創り、時を測ると言った[21]。ギリシア人はデーメーテールについて同様のことを言い、デーメーテールに仕える祭司は「月の息子たち」と呼ばれた[22]

 ペルーの人々は月をママ・キラあるいはママ・オグロと呼び、ときには、デーメーテールコレーのように、この2人を母と娘であるとした。ママ・キラは太陽と結婚し、月の乙女ママ・オグロ()と、その兄弟の太陽の男を生んだ。この2人が結婚し、クスコの地にインカの王統を創設した。クスコは「へソ」を意味し、インカの宇宙論ではクスコは世界の中心であった[23]

 「月女神」は三相一体の女神で、創造主であるとともに破壊者であるため、生命を与える神であり、同時に死者を貧り食う神であった。メキシコにおいては月女神の破壊者としての相が、貧り食う者を求めて、夜に空を徘徊するミクテカシワトルとなった。彼女は「破壊者カーリー」と同様の姿をしており、「死者の国の女神」と呼ばれた。月であるばかりでなく、「万物の母」であり、大地にあるミクテカシワトルの生殖器の穴から、初めに人間が這い出で、再びその穴に戻って行くとされた[24]

 ヴェーダは、すべての霊魂は死後、月に戻り、そこで母なる霊たちに食い尽くされる、と言う[25]。トロプリアンド諸島(ニューギニア東端の北方にある群島)の人々は、この霊たちのことを、死者を食う月と結びつけて、「女魔法使い」として語った[26]。マオリ族は「月母神」を「人食い」と呼んだ。中央アジアのタタール族は、人間を食べると言われる「生との女王」マハ・アラとして、月を崇拝していた。アフリカ人は、月は人間を探し求めて貧り食うと言った[27]

 オルペウス教徒とピュタゴラス学派の人々は、月を死者の家、女性の門(女陰)と考えていた。そこを通って霊魂は星のきらめく天国の野へ行くのである[28]。ギリシア人はしばしば、エーリュシオン(神に愛された死者の家)は月にあるとしている[29]。カストール・オブ・ロドスは、ローマの元老院議員の靴は、死後、月に住むことを示すため、象牙の新月型(三日月)の飾りが付いていた、と述べている[30]

 ローマの宗教は、「正しい者の霊魂は月で浄化される」と教えた[31]

 三日月を身につけることは、女神崇拝を人の目に示すものであった[32]。予言者イザヤが月の護符を身につけていたシオンの乙女たちを非難したのは、この理由によるものであった(『イザヤ書』 3: 18)。

 ディアーナが身につけ、他の女神たちから崇拝されるときに用いられた三日月は、方舟、または舟型の器と言われており、豊穣のシンボル、または「あらゆる生命の芽生えの容器」であった[33]。同様の方舟が、ウシル〔オシーリス〕の場合のように神々をへ運んだのであって、エレミアが、方舟の象徴に敵意を持っていた理由はここに由来するのかもしれない(『エレミア書』 3: 16)。

 セム族は、ヒンズー教徒が貧り食うカーリカーを恐れる如く、人を貧る古い月を恐れた。月の二元的な性質が、セム語のima(母)とe-mah(恐怖)の相互関係を明白に表すものと思われる[34]

 迷信深いキリスト教徒は、月光がさすところで眠ることを拒否する。ロージャー・ベーコン(1214?-94? 英国の哲学者、科学者)によれば、「月の光から身を守ろうとしなかったために、多くの者が死んだ」と言う[35]。つねに月はと結びついていた。

「死後、月へ旅立つという考え方は、進歩した文明社会においてもなお失われずに残っているものの1つだ。……月の主題が『死者の国』であり、霊魂を再生させる容器であることは、容易に納得できる。……月が生物の生成ばかりでなく、分解をも支配する理由の1つがここにある[36]

 再生するまでの霊魂の容器であるところから、月は、死者といまだ生まれない者たちの両方に隠れ家を与えた。この両者は同ーのものであったからである。夢の予言を信じる者たちは、男性が夢で月の中に自分の姿を見たら、男の子の父親になると言った。もし女性が夢で月の中に自分の姿を見たら、その女性は女の子を生むとされた[37]

 月と生誕を結びつける最も重要なこととして、母親は経血から子供を生むが、月はその経血の容器と考えられていた。神々でさえ、この禁忌的なsacer月の液体によって、活力を保っていた。月は「死ぬことのない生命の液体の杯であって、植物界と、月下の地球で生育するあらゆるものに活力を与え、天界の不死の神々をも活気づけるもの」であった[38]

 月への旅立ちを諮る多くの神話が、月の天国に対する古代人の信仰を証明している。ジプシーは、「霊魂導師へルメース」のように月に霊魂を運ぶジプシーたちの救世主を信仰して、キリスト教の救世主に対抗した[39]

 月への旅立ちの神話の中で最も奇妙なものはイエス自身が出てくる神話である。 16世紀のディグピィの宗教劇†は、 「イエスが、太陽に昇る前に留まりし……彼の母にして、器なる『月』に捧げし頒歌」を引用している[40]

ディグピィの宗教劇
 英国のルネサンス時代の受難劇「マクダラのマリア」。作者不明だが、マイルズ・プロムフィノレデの作とも言われる。

 フランスとポルトガルの農民は、イエスの母親と「月母神」を混同し、「月母神」を「聖母マリア」、「神の母」と呼んだ[41]。スコットランドの女性は、月を見たときに、おじぎをして「きれいな月ね、神の祝福があるように」と言った[42]。ロアール地方には、「月の奥さん、赤ちゃんをくれる人」という童謡があった[43]。中世ドイツのカタリ派は、月を、へヴァ(イヴ)、「万物の母」、「聖母マリアの年をとった化身」として崇拝した[44]。カトリック教会でさえも、イエスが第2のアダムであるならば、マリアは第2のイヴであると考えた。さらにマリアは月と海の両方に結びつけられていた。

 月は海の干満を支配するため、生との潮を支配すると考えられた。海の近くに住む人々は、赤ん坊は満ち潮のときに生まれ、の床にある病人は、潮が引くまでは死ぬことはないという根強い確信を抱いていた。その結果として、満潮あるいは満月のときに生まれた子供は幸福な一生を送る、としばしば言われた[45]。へステルバッハのカエサリウスによれば、霊魂は月の姿となって潮に乗るのかもしれないと言う。そして「霊魂は、月の球のように、球状をした霊的物体である」とされた[46]

 スコットランドの少女は、女性にとって最も幸運な満月の日以外に結婚式を挙げようとしなかった[47]。スカンジナヴィアの女性は、月を表す金属である銀で作った護符を大切にした。ルネサンス時代においてさえ、月は女性にとって特別な神であって、その当時には、何か願い事があったら、神に祈ってはいけない、代わりに月に祈るように、と言われた[48]

 魔女たちは「月を招きおろして」、彼女たちの女神に祈願した。これはキリスト教時代より数世紀前の、月を崇拝していたテッサリア(古代ギリシア北東部)にまでさかのぼる儀式であった[49]。テッサリアの魔女もまた、「月の露」を用いて呪いをかけることによって、「魔術」をあらかじめ示した。「月の露」とは、月食の間に集められた初潮を迎えた少女の経血のことである[50]。中世の民衆は、このような呪いは解くことができないと信じていた。

 聖アウグスティヌス(354-430)および教会の神父たちは、ウェルギリウスが「月の~女」について言ったことを信じていた。すなわち彼女たちは、月を招きおろし、呪文で川の流れを止め、星の運行を逆にし、木を歩かせて山からおろすことができた、というものである[51]。聖アウグスティヌスは、「新月のに1日中、厚かましく下品な踊りをしていた」という理由で女性を叱責した[52]

 宗教的なシンボルの中で、月ほど多くの異なった内容を持つシンボルは余り見られない。古代北欧の月別聖人暦では、三日月の鎌は収穫祭を表していた。スコットランド人はこの祭りをキルン(コレーイオン。月の乙女コレーに由来する語)と呼び、キリスト教徒は、さらに名前を変えて、「慈愛深き聖母の祭り」と呼んだ[53]

 ガリアでは、三日月はドルイド教のディアーナを表した。 Crescereはラテン語のcreare (創造する、生産する)の活用形で、「成長する」を意味した[54]。Crescent(三日月)はこの語から派生している。ガリア人は聖餐のパンを三日月型に作ったが、フランスでは今でも三日月型のパンを作り、「クロワッサン」croissants(三日月)と呼ぴ、日常語では「月の歯」として知られている[55]

 月は女性の性欲を支配し、女性はそのために、ときには男性主導社会の階層意識を噸笑するようなことを起こした。 1688年に出版された占星術の本は次のように警告している。「金星と月が二重結合するとき、女性はきわめて淫乱になり、性病にかかったり、良家の女性が下僕に心を奪われたりするようになる」[56]

 あらゆる教会の非難にもかかわらず、農村の人々は、最も大切な良作業をするにあたって、「月母神」を信頼し続けた。広く流布されていた暦書には「塩漬けの煉製にする肥ったプタは満月の頃殺すこと……月が満ちていくとき、ヒツジの毛を刈ること……満月が欠付始めたら、木を伐り倒せ……ウマロバは月が満ちて行くとき、かけ合わすべし。月が欠けて行くときできた仔ウマは丈夫に育たない……月が欠けて行くとき、果実を集め、ウシを去勢するのがよい」と書かれていた。何よりも特筆すべきは、月はつねに魔術を支配していた、ということである。メルトンは1620年に、いかなる魔法使いも、月の相を観察せずに、魔術の開始を意味する護身の輸を描くことはなかったと述べている[57]


[1]Knight, S. L., 99.
[2]Hallet, 115.
[3]Cumont, A. R. G. R., 19, 69.
[4]Budge, G. E. 2, 34.
[5]Briffault 3, 78.
[6]Jung & von Franz, 13.
[7]Jobes, 32.
[8]Briffault 2, 677.
[9]Briffault 2, 436, 601, 670 ; 3, 76.
[10]Campbell, P. M., 166.
[11]Hallet, 152.
[12]Jobes, 29.
[13]Avalon, 178. ; Mahanivanatantra, liii.
[14]de Lys, 414.
[15]Cavendish, T., 62.
[16]Briffault 3, 2.
[17]Campbell, M. T. L. B., 43.
[18]Larousse, 304.
[19]Briffault 3, 67.
[20]O'Flahert, 89.
[21]Briffault 2, 711.
[22]Castiglioni, 192.
[23]Jobes, 41, 58.
[24]Summers, V., 263-64.
[25]Briffault 3, 132.
[26]Hays, 400.
[27]Briffault 2, 576.
[28]Lindsay, O. A., 92.
[29]Cumont, A. R. G. R., 96, 107.
[30]Lindsay, O. A., 222.
[31]Gettings, 91.
[32]Elworthy, 194.
[33]Avalon, 423.
[34]Brasch, 25.
[35]Gifford, 31.
[36]Gettings, 95.
[37]Hazlitt, 191.
[38]Zimmer, 167.
[39]Trigg, 202.
[40]Malvern, 121.
[41]Harding, 100.
[42]Hazlitt, 417.
[43]Briffault 2, 589.
[44]Knight, D. W. P., 179.
[45]de Lys, 398.
[46]Jung & von Franz, 138.
[47]Briffault 2, 587-88.
[48]de Lys, 458.
[49]Cumont, A. R. G. R., 186.
[50]Graves, W. G., 170.
[51]Cavendish, P. E., 97.
[52]Hazlitt, 417.
[53]Brewster, 424.
[54]Potter & Sargent, 278.
[55]Jung, M. H. S., 276.
[56]de Givry, 224.
[57]Hazlitt, 418, 143.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



2つの基本的な意味〕 月の象徴的意味が明らかになるのは太陽のそれと関連してである。その最も基本的な2つの性格は、第1に月が固有の光を欠き太陽の反映にすぎぬという事実と、それに月がさまざまな位相を経て形を変えるという事実とに由来する。それゆえ月は依存と女性原理(例外を除く)、および周期性と更新を象徴する。その二重の意味で、月は変形と生長のシンボルである。

象徴・生命のリズム〕 月は〈生物的リズム〉のシンボルである。「満ちては、欠けていき、消滅する天体、その生命が生成、誕生、の宇宙法則に従う天体である。……月は、人間の歴史と同様に、感動的な歴史を有する。……しかしその〈〉はけっして最終的なものではない。……元の形への永遠の回帰、果てしない周期性のゆえに、月は生命のリズムを示す典型的な天体とされる。……月は水、雨、植生、豊饅……といった、循環的生成の法則に規定される宇宙のあらゆる次元を支配する」(ELIT、139)。

宇宙の測定手段〕 月はまた〈流れる時間〉、生きた時間をも象徴し、その規則的な位相の継起によって時間の尺度となる。「月は宇宙の測定手段である。……《月》、《水》、《雨》、女性の生殖能力、動物の生殖能力、植生、人間の死後の運命、イニシエーション儀礼を相互に関係づけているのは同一のシンボリズムである。月のリズムを明らか にして初めて可能となる精神的総合は、もろもろの異質な実在を照応させ統合する。もし原始人がこの天体の〈周期的変動の法則〉を直観的に把握しなかったなら、それら実在間の構造的対称性も、あるいは機能的類似性も発見されなかったであろう」(ELIT、140)。

死者とのかかわり〕 月はまた「最初の死者」である。太陰月毎に3夜の間、月はまるで死んだような状態で、やがて消滅してしまう。……それから月は再び現れ、輝きを増して行く。これと同様に、死者も「存在の新たな様相」を獲得するものとしてみなされる。月は人間にとって、生からへの、から生へのこの移行のシンボルである。多くの民族において、月は地下の世界と同様に、この移行の場所とみなされてもいる。それゆえメーン、ペルセポネー(おそらくは。ヘルメースも)といった多くの月の神々が冥界と同時に墓にかかわるのである。地上で死んだ後の月への旅、月での不死の滞在は、一部の信仰によると、英雄王、秘義を極めた者、呪術師といった特権者に限られている(ELIT、152。また139-164頁の月と月の神秘思想とに関する章全体も参照せよ)。

象徴・反省的認識〕 月は論証的、前進的な覚めた〈間接的認識〉のシンボルである。「夜の天体」である月は隠喩として美を、また果てしない闇の中の光を喚起する。しかしその光は太陽の光の〈反映〉にすぎぬから、月はもっばら「反映(反省)」による認識、すなわち理論的、概念的、理性的な認識のシンボルとされ、その意味で月にはフクロウの象徴的意味が結びつけられる。またそれゆえ月は〈陽〉の太陽に対して〈陰〉とされ、「変動性、受容性」を持つとされる。月は太陽の火に対して水であり、熱気に対して冷気である。北と冬が象徴的に南と夏に対立する。

水とのかかわり〕 月は雨をもたらす。《准南子》の唱えるところによれば、水生動物は月の満ち欠けとともに大きくなり、また小さくなる。水の受動性と生産力を持つ月は、〈豊饅〉の源でありシンボルである。それは発現を生起させる原初の《水》と同一視される。月は周期的再生の芽の集積所であり、不死の飲み物を入れる杯である。それゆえにこそ月はこの飲み物と同じく〈ソーマ〉と呼ばれる。同様にイブン・アル・ファーリドも、月を知識の「陰」を入れる杯とみなす。また中国人は月に、不老不死の《霊薬》を作るための原料をすりつぶしている野ウサギがいるという。彼らは月から露も抽き出すが、この露にも上の霊薬と同じ効能がある(方諸水)。

インド・ローマ・神話〕 ヒンズー教では、「月の球面」は「祖霊の道」(ピトリ・ヤーナ)の終点である。彼らはそこでも個人としての条件から解放されず、周期的更新を繰り返す。形姿が完成すると消滅し、十分に発達していない形姿がまた現れる。これが〈シヴァ〉の「変形をもたらす」役割とも無関係ではないところから、シヴァのエンブレムは三日月となる。しかも月は過と月の循環の支配者である。この循環的運動(満ち欠けの相)は〈ヤヌス〉の月のシンボリズムとも関係づけられよう。というのも月は「《天国》の門」であると同時に「地獄の門」であり、ディアーナであると同時にへカテーであるからである。だがここにいう「天国」とは宇宙という建造物の天辺に他ならぬ。「宇宙からの脱出」は「太陽の門」からしか行われぬであろう。ディアーナは月の好意的な面、ヘカテーは恐ろしい面を表すことになる(DANA、GRAD、GUEV、GUED、GUES、SOUL)。

中国・満月の意味〕 コウガという女神の住む月の祭り(仲秋節)は中国の3大例祭の1つで、秋分の満月の8月15日に催される。神への捧げ物は果物と、この日のために作って売られる砂糖菓子、それに赤いケイトウの花である。男は祭礼に参加しない。これは明らかに収穫の祭りで、ここでも月は豊饅のシンボルである。月は水にかかわり、陰の本質である。太陽と同じく、月にも動物が住むが、それは野ウサギかヒキガエルである(MYTF、126-127)。

新月の意味〕 アルタイ系の諸民族は新月に敬度の念を表し、新月に「幸福と幸運」を願った(同書)。エストニア人、フィン人、ヤクート族は新月に結婚式を挙げる。彼らにとっても、月は豊鏡のシンボルである。

忌まわしいしるし〕 月はときに忌まわしいしるしとされる。サモイェード族にとっては、月がヌム(《天神》)の「悪い」、太陽が「良い」となるであろう。

中米・神話〕 マヤ族においても、たとえば最高存在の息子であるイツァムナー神(「きらめきの家」=《天》)は太陽神キニチ・アハウ(「太陽の顔の主」)と同一視される。「それゆえ《月》の女神イシュチェルは彼の伴侶であったが、また彼の敵意と不吉さの現れでもあった。彼女は額に女神の持ち物であるヘビのバンドを着けてはいるが、顔だちは彼とそっくりである」(KRIR、98)。

 月が周期的更新を司る事情は宇宙的レベルでも、地上的な植物・動物・人間のレベルでも同じである。そこでアステカ族の場合は、月の神々の内に酩酊の神々を含める。その理由は第1に、眠っては、何もかも忘れて目を覚ます大酒飲みが、周期的更新の現れだからであり(SOUM)、それに酩酊は祝宴に伴い、祝宴は取り入れに際して行われるから、したがって豊餞の現れだからである。ここにはすべての農耕文明に付き物の収穫儀礼が見出される。アステカ族は酩酊の神々を「400羽のウサギ」と呼んだ。このことは月の動物説話におけるウサギの重要性が大きいことを意味する。

 これもアステカ族の場合だが、月は、雨の神で火にも結びつけられるトラロックの娘である。メキシコの大部分の絵文書では、月は「ウサギのシルエットをくっきり浮き出させた、水の一杯入っている三日月形の容器の如きものとして」表される(SOUM)。

 マヤ族の場合、月は怠惰と性的放縦のシンボルである(THOH)。月はまた機織りの守護者でもあり、そのためクモを持ち物とする。

南米・宗教〕 ミーンズによれば(MEAA)、インカ族においては、月が4つの象徴的な意味を持っていた。第1に月は太陽とは関係なく、女神とみなされた。次に月は女たちの神、太陽は男たちの神とみなされた。次には月が太陽の妻とみなされ、太陽との間に星々を産んだ。最後にインカ族の哲学・宗教思想の究極段階として、兄弟である太陽の近親相姦の相手とみなされた。というのも月と太陽の2神は天界の至高神ヴィラコチャの子供だからである。その上、月は、天界の女王にしてインカ帝国の王家の始祖というその原初的機能によって、海と風を支配し、女王と王女たちを支配し、また分娩の保護者であった。

 太陽と月の神格化は必ずしも月を太陽の妻とするとは限らない。たとえば、ブラジル中部および北東部の原住民ジェ族にとって、この天体は男神で、太陽とは何の血のつながりも見られない(ZERA)。

 南西セム語の全世界でも(アラビア語、南アラビア語、エチオピア語)、月は男性であり、太陽が女性である。というのもこれら遊牧と隊商の民族にとっては、夜の方が快適で安らぎを与えてくれ、移動するのに好都合だからである。非遊牧民の他の多くの民族でも、月は男性である(SOUL、154)。月は夜の案内人なのである。

ユダヤ〕 ユダヤの伝承では、月はヘブライ民族を象徴する。月が位相を変えるのと同様に、遊牧民であるヘブライ人も絶えずその旅程を変更する。アダムは放浪生活を始める最初の人間であり(『創世記』3、24)、カインも放浪者となるであろう(4、14)。アブラハムはその土地と《父》の家を去れという意味の命令を神から受ける(13、1)。その子孫たちも、ディアスポラ(ユダヤ人の離散)、さまよえるユダヤ人などの示す通り、同じ運命をたどるであろう。

 カバラ学者は隠れては現れる月を「王の娘」になぞらえる。月は姿を見せては引き籠もるが、常に問題とされるのは可視の相と不可視の相の交替である。

 『創世記』(38、28-30)において、妊娠中のタマルが出産のときを迎えるが、胎内には双子がいた。出産のとき、1人の子が手を出したので、助産婦は「これが先に出た」といい、真っ赤な糸を取ってその手に結んだ。ところがその子は手を引っ込めてしまい、もう1人の方が先に出てきたので、この子はベレツ(出し抜き)と名づけられ後の子はゼラ(真っ赤)と名づけられた。ところで、〈タマル〉(ヘブライ語)とはシュロの木のことで、シュロには雄と雌がある。それゆえ、『バーヒールの書』によれば、タマルの2人の子供は太陽と月になぞらえられ(SCHK、107、186)、月が出ては引っ込んで、太陽を先に行かせたのだという。

イスラム〕 月(アラビア語で〈カマル〉)はコーランにも非常に頻繁に出てくる。それは太陽と同じく、「アッラーの神兆」(41、37)の1つである。アッラーによって創造されたゆえ(10、15)、月はアッラーを崇敬する(22、18)。「アッラーは人間たちのために月を役立たせて(14、37)、月の満ち欠けによって(2、185)、人間たちが年の数を知り、月日の計算ができるように取りはからい給うたお方(10、15;36、39)。月の循環のおかげで時刻の計算もできる(55、4;6、96)。しかしもうじきやって来る《審判》の日には、月が裂けるのが見られ(50、1)、月は太陽と1つになって、光を失うであろう」(75、8-9)(RODL)。

 イスラムには2つの暦が存在する。1つは太陽暦で、農耕上の必要性に応じたもの、もう1つは太陰暦で、宗教的理由から採用されたが、それは月が「宗規上の礼拝行為を規制するもの」だからである。

 コーラン自体も〈月の象徴的意味〉を用いている。月の各位相と三日月がと復活を喚起している。

 イブン・アル・ムウタズ(908没)はユゴーより10世紀も前に、よく知られた次のイメージを、最初に発見した。

「三日月の美しさを見るがよい。それは現れるが早いか、その光の矢で闇を切り裂く。
さながら銀の半月鎌の如く、暗がりにきらめく花々の中から、スイセンを刈り取る。
極度に美しいものを描きたい、その究極の完壁さを示したいとき、真っ先に頭に浮かぶのは、そんな三日月に似た顔だと言おう……」。(H・ベレス仏訳より)

 ジャラール・ウッディーン・ルーミー(1273没)にとっては、「月が太陽の光を反映するように、《預言者》は神を反映する。神の輝きによって生きる神秘家も月に似て、夜闇の中の巡礼者は月を頼りに進むものである」。

ケルト〕 大地、太陽、四大と同じく、月(esca)は〈アイルランドの誓いの定型表現〉において保証の役目を果たす。コリニーの太陰太陽暦として知られるケルトの暦は、初めは太陰暦であった。「ガリア人がその月と年を、30年からなるその世紀とともに、決めているのはこの天体(月)によってである」(プリニウス『博物誌』16、249:OGAC、13、521および以下)。

月の斑点〕 〈月の斑点〉については、それぞれの民族の想像力に応じて、あらゆる月の動物説話が存在する。

 グアテマラとメキシコでは、斑点はウサギを表し、ときにイヌを表す。ペルーではジャガーかキツネである。

 だが同じペルーでも、一部の伝承は、ヨーロッパの民間伝承と同様、そこに人間の顔の表情を見てとるし、他方インカの伝承によれば、それは太陽が月を自分よりきれいだと思い、嫉妬して、月を曇らせるため月の顔に投げつけた塵だという(MEAA、LECH)。

 ヤクート族にとっては、月の斑点は「2つの水桶を下げた天秤棒を肩に担いだ少女」を表す。ブリヤート族の場合、これと同じイメージにヤナギの林が追加される。類似の形象表現はヨーロッパでも用いられるし、トリンギット族やハイダ族のようなアメリカ北西沿岸の若干の民族集団にも見出される(HARA、133-134)。

 アルタイ山脈のタタール族はそこに、神々が人類を守るため地上から連れ去った人食い老人を見てとる。アルタイ系諸民族はそこに野ウサギを見る。月にはイヌオオカミクマも住んでおり、中央アジアの、中でもゴリド族、ギリヤーク族、プリヤート族の月相の変化に関する神話中には、それらが登場する。

28という数字〕 月は、その視表面が太陽のそれと同じ大きさなので、〈占星術〉ではとりわけ重要な役割を果たす。月は受動的だが豊餞な原理、夜、湿気、下意識、想像力、精神現象、夢、受容性、女性と、それに(太陽の光を反射するものとしてのその天文学的役割からの類推によって)不安定で一時的な、影響されやすい一切のものを象徴する。月は28日で《獣帯》を一周する。一部の歴史家の考えるところでは、28宿からなる月の《獣帯》(西洋の占星術では現在稀にしか使われない)の方が、12宮からなる太陽の《獣帯》より古い。このことはあらゆる宗教と伝承における月の重要性を教えている。

 仏教徒の信じるところによると、プッダ(仏陀)はボダイジュ(聖なるイチジク)の下で28日間、すなわち太陰暦の1か月、あるいはこの世界の1サイクルの間、静観思索して、ついに《ニルヴァーナ(浬柴)》の域にいたり、世界の神秘の完全なる知識に到達した。ブラーフマナ(僧職)の教えによると、人間の状態の上には28の天使的ないし楽園的状態があるという。すなわち月の支配力はこの世界に対してと同様、微妙な超人間的次元にまで作用しているのである。ヘブライ人は月の《獣帯》を、普遍的人間アダム・カドモンの両手と関連づけるが、それは28が〈シャラール〉(命)という語の数であり、両手のの関節の数だからである。右手は祝福を与える手で、満ちてくる月と関連し、左手は呪いをかける手で、月が欠けて行く14日間と関連する。ヒンズー教の月の28宿のさまざまな象徴的イメージは、ゲラン師の『インドの天文学』(パリ、1847)中に描かれている。

月と女神たち〕 無数の神話、伝説、信仰の源である月は女神たちに月のイメージを提供する(アセト〔イーシス〕、イシュタルアルテミスまたはディアーナ、ヘカテー……)。それは太古から現代までのあらゆる時代にわたって、あらゆる地域で一般化された宇宙的シンボルである。

 このシンボルは神話、民間伝承、民話、詩を通して、女性の神性と豊餞な生命力とにかかわるが、この2つのものは植物と動物の生殖力の神々として具象化され、《大いなる母》(マーテル・マグナ)の信仰の内に一体化される。この永遠にして普遍的な流れは占星術のシンボリズムを通してさらに延長される。すなわちそのシンボリズムによって、この夜の天体には、母親が(授乳者としての母、温かさとしての母、愛撫としての母、感情世界としての母の名において)個人に及ぼす感化の浸透までが結びつけられるのである。

占星術〕 占星術師にとって月は、個人の誕生時の星位(ホロスコープ)の内にあって、「動物的な」の部分を表すが、このとは、精神(プシューケー)の小児的、太古的、植物的で、美的、霊的な生命が支配する領域にあるものと想定される。人格の月にかかわる領域とは、我々の動向、我々の本能的欲動の、無意識的でもうろうとした夜の領域のことである。それは我々の内にまどろむ「原始」の部分で、睡眠や夢、幻想、想像的なものの中に今なお根強く残っていて、我々の深部感覚を形成している。それは心の内なる「秘密の庭園」の静穏な呪縛、のかすかな歌の静穏な呪縛にかかった内奥の存在の感性であり、その幼年期の楽園にかくまわれ、自分の殻に閉じ籠もって、生のまどろみの内にうずくまり(本能の陶酔にふけるまでにはいたらず)、生命の揺らめきの恍惚状態に身をゆだねる内奥の存在の感性である。この感性はその内奥の存在の移り気で、落ちつかぬ、気まぐれな、幻想にふける、夢想的なを、気の向くままに運び去る……。

象徴・夢と無意識〕 月はまた、夜の価値としての夢と無意識のシンボルである。ドゴン族においては、青いキツネ《ユルグ》が月を象徴するが、これは予言を司り、「神の最初の言葉」を知る唯一の存在である。神の最初の言葉は〈夢〉の中でだけ人間に現れる(ZAHD)。

 しかし無意識と夢は夜の生活の一部をなす。月と無意識の象徴的コンプレックスは夜に対し、四大の水と大地とともに冷気と湿気の両性質を結びつけるが、これと対照的に太陽と意識の象徴的意味は昼に対し、四大の気と火とともに熱気と乾燥の両性質を結びつける。

 夜の生活、夢、無意識、月はいずれも、「第二存在」の神秘的領域と共通点を持つ言葉である。その意味で、ブリヤート族の伝説において、「エーコーの槍」という美しい隠喩が月に結びつけられるのを見るのは印象深い(HARA、131)。

 ポール・ディエルの解釈によれば、月と夜は下意識から生じる不健全な想像力を象徴する。この著者は下意識という語を「克進的、抑圧的想像力」の意味で使っていることを付言しておこう(DIES、36)。こうした象徴作用は多くの文化において、月や夜にかかわる、未完成の、悪事を働く一連の英雄たち、ないし神々のすべてに適用されている。

moon2.jpgタロット〕 〈月〉または〈薄暮〉は「タロットの18番目の大アルカナで、解釈者によってそれぞれ次のようなものを表す。すなわち物質への精神の埋没(エネル)、憂鬱、悲嘆、孤独、病気(G.マケリー)、狂信、虚偽、見せかけの安心、人を欺く外見、間違った進路、近親者もしくは召使いが働く盗み、無価値な約束(Th.テレスチェンコ)、苦労、骨の折れる真実の獲得、苦痛を通して学んだ知識あるいは錯覚、失望、罠、強請(ゆすり)、悪行(0.ヴィルト)。このアルカナは〈恋人たち〉というアルカナの意味を補完し、その絵札と同じように、占星術ではホロスコープの第6宮に対応する。ヘールト・ヴァン・レインベルクが引用した、18世紀初めのフランスのタロット〈月〉は、普通用いられている札に見られるように、2匹の吠えイヌではなく、雌ウシとコウノトリと雌ヒツジを照らしている、ということを付言しておこう。このことはホロスコープの第6宮への伝統的な家畜の帰属と比較対照してみてもよい問題である」。

 だがこの絵札をもっと近くに寄って吟味してみる必要がある。このカードは3つの面に分割されているように思われる。青い月の視表面(そこには三日月の中に横顔が描かれている)からは29本の光の矢が発し、その内7本は青、7本は白、もっと小さい15本は赤い光の矢である。天と地の間では、8滴の青い露、6滴の赤い露、5滴の黄色い露が月に吸い寄せられているように見える。

 地面は黄色く起伏が多く、そこには3枚の葉をつけた2本の小さな植物しか生えていない。その一方で背景の左右には、隅切りにした銃眼を施した2つの塔が建っていて一方の塔は青天井だが、もう一方は閉ざされているらしい。風景の中央には、肌色の2匹のイヌ(あるいはオオカミイヌ)が向き合って、口を開き、吠えているようで、しかも右のイヌは青い露の1滴に食いつきそうに見える。

 最後に絵札の一番下の3分の1のところでは、黒い筋の入った青い水の鏡の中央に、これも青い巨大なザリガニが、背中を見せて進む。

 これらのはっきりと分かれた3つの面は天体と大地と水の面を示す。それらを見下ろす月は反射光で輝くだけだが、この世のすべての現れを自分の方に吸い寄せて、それらに精神と血の色、霊魂とその神秘的な力の色、あるいは物質の勝ち誇った黄金の色を与えようとする。2匹のイヌは、番犬で霊魂導師のケルベロスで、月に吠えて、我々に次のことを想起させる。ギリシア神話の中で、ケルベロスは狩りをする月の女神アルテミスの動物であると同時に、《天界》と《冥界》の強力な女神へカテ(対立する両世界の境界である2つの塔はそのことを暗示している)に捧げられた動物であるということを。ザリガニまでが、月の歩みに似て、後ろに進むところから、しばしば月に結びつけられた。

 しかし月は常に嘘つきとみなされた。我々はこうした宇宙的レベルの表面的意味だけに満足すべきではない。なぜならこの絵札にはもっと深い、精神的レベルの意味作用があるからである。「月は善良な人間の死後に身を置くところである、とプルータルコスはいう。彼らはそこで、神的とも至福ともいえぬが、心配事のない生活を送って、第2のを迎える。なぜなら人間は2度死ななければならないからである」(RIJT、252)。こうして月は、霊的分離から第2の死までの間の人間のすみかとなり、そこからやがて新生が始まるのである。

 霊魂は3つの異なる色(おそらく霊化の3段階に対応するのであろう)の露となって、月を目指して昇って行く。イヌ霊魂を怖がらせようとするのは、霊魂が想像力の錯乱から、越えてはならぬ境界を越えないようにするためである。反映と外観の世界は実在の世界ではない。ザリガニだけは月の光が岐々と照らす青い水の中にいる。それは占星術の《巨蟹宮》を想起させるが、これは伝統的に月の宮で、自己への回帰、良心の究明を促す。それはエジプトのスカラベ(聖甲虫)と同じく、移ろい行くものをむさぼり食って、精神の再生に一役買うのである。

 17番目のアルカナ《星》が我々を導いた神秘的照明への道で、月は常に危険な、想像力と魔力の道を照らすのに対し、太陽(XIX)は照明と客観性への王道を切り開く。
 (『世界シンボル大事典』)


[画像出典]
   Selene, by Susan Seddon Boulet.