冥界を表すギリシア語で、 tartaruga(カメ)と関連があるが、その理由は、古代ヒンズー教の伝承によれば、大地はカメの姿をとるヴィシュヌによって支えられていたからである。カメは冥界神のトーテム動物であった。冥界神は牧神パーンやへルメースの姿をとることもあり、へルメースはカメの甲羅で竪琴をつくり、宇宙のハーモニーを奏でた[1]。錬金術では、冥界神はタルタロスの霊spiritus tartariとなったが、これは、酒石酸 tartaric acid または単に酒石 tartar のことである。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
インドの創世神話にカメ(英語のtortoise)が出てくることと、ギリシア語のTavrtaroVとが似ていることから、カメを大地の支えと解し、おまけに、冥界と関係のあるヘルメースはカメの甲羅で竪琴〔lyra〕をつくり、宇宙のハーモニーを奏でたと云われると、思わず信じたくなるが、バーバラ・ウォーカーの誇大妄想であろう。
タルタロスは、プレ・ヘレーネスの言葉でギリシア西部にある土地の名前によく見るタルtarという言葉を二重に繰り返したもののようである。(グレイヴズ、p.182)
〔ギリシア・神話〕 タルタロスの神話上のテーマは、空しい熱狂にあらがう、内面の葛藤の中での、「高揚と失墜」を象徴する。神々の饗宴に招待された彼は、努めて彼らの仲間になろうとした。そして今度は、神々を彼が饗宴に招待する。だが、神々からもらった財宝を使って、そうするのである。彼は、神々に息子の四肢を振る舞う。このため、《冥府》に落とされる。彼に対する刑罰は、その罪に見合っている。自分の渇望する水、果物、自由などが、目の前にあるのに、手に取ることができない。
「引いていく水、遠のく果物は、現実感の全面的な喪失を明らかに象徴しているし、幻覚を起こすほど無力化した想像力のシンボルである」(DIES、58-71)。
彼の判断ミスは、虚栄心から直接来ている。彼は、神々に比肩しようとして、まるで自分の私有物のように、神肴や神酒、息子、訳のわからない秘伝の品を振る舞う。皆、神々から貰ったものばかりなのに。神々は、息子のペロプスを生き返らせたが、父親を刑罰に処した。ポール・ディェルは、破局的な招待の後で、神々が加えたタルタロスへの罰を別の言い方でこう説明している。
「彼は、洗い清めた自分の魂(神の息子)を献げる代わりに、肉、肉欲(人間の息子)を神々に振る舞ったのである」(DIES、66)。
〔象徴〕 したがって、このシンボルは、3つの様態を表そう。第1は現実感の喪失。第2は人の命は神々が握っているはずなのに、そうした財宝を人間が私有化してしまうこと、第3は、霊的財宝でなく、物的財宝の奉納である。このような象徴解釈の根底には、人間と神々の関係をめぐる同じ誤りが見出せる。神に比肩しようとして、神を気取る者は、激しい無力感に罰せられよう。しかし、タルタロスも、ただ単に、「不断の、抑え切れない欲望」、常に満たされない欲望のシンボルなのである。なぜなら、彼は、決して癒されない、人間の性を生きているからである。彼が欲望の対象に近づけば、対象物は身を交わす。そして、貪婪な探求が果てしなく行われる。
(『世界シンボル大事典』)