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牧神パーン(Pavn)

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 アルカディアのサテュロスの王で、とひづめを持つ典型的な森林地帯の神。パーンはギリシアの最も古い神々の1人であり、ディオニューソス信仰と結びつき、ときにはディオニューソスと同一視された。パーンはディオニューソス教のマイナスたち(熱狂した女信者たち)のすべてと交わりを結んだと言われた。さらに彼は、アテーナー、ペーネロペー、セレネー、その他多くの、古代において太女神と言われた女神たちと結婚した[1]

 パーンの名は「牧草地」paeinに由来した。Panはまた「すべて」 allと「パン」bread を意味する語である。ウシル〔オシーリス〕、アドーニスタンムーズのように、聖なるパンbreadの神であった万物の父を思い起こさせられる。彼らのようにパーンは大地を豊穣にするために死んだ聖王であった。「偉大なパーンは死んだ」 Great Pan is deadという儀式の句はタンムーズの儀式からとったのかもしれない。なぜならこの句はまたThamus Pan-megas Tethnece (万能の偉大なタンムーズは死んだ)という意味にも解釈されるからである。

 ギリシア人は、エジプトの太陽神アモン-ラーはパーンと同ーの神であると主張した。彼らはアモン-ラーの聖なる都市をパノポリス(牧神パーンの都市)と呼び、「パーンとサテュロス」が住んでいた所であると言った。「儀式用の服装と飾り付け」panoplyはパーンの都市で行われた聖なる行列に由来するものである[2]

 パーンの祭儀と結びつく語としては、そのほか「はね回る」 caper、「移り気」 caprice、「戯れ」 capriccioがあるが、すべてラテン語のcaper (ヤギ)から派生したものである。パーンの聖なると再生のドラマが、最初の「悲劇」 tragedyであり、この語はギリシア語のtragoidos (ヤギの歌)から派生した[3]。「パニック」panicの語は、本来はパーンの恐ろしい叫びを意味した。パーンは呪術的なわめき声をあげて敵を追い散らしたが、その声を聞いたものは恐怖に満たされて、すべての力を失った。

 パーンの伝説はヒンズー教の豊穣の神パーンチカに起源があるのかもしれない。パーンチカはハリティのであり、ハリティは、原初の女神たちの1人で、多くの乳房を持っていた。多くの乳房を持つディアーナが、パーンを王とする森の動物たちに乳を飲ませたように、ハリティも、ヴェーダ時代以前の多くの動物の精に乳を飲ませた[4]

 パーンは中世の異教の「を持つ神」の重要なモデルであり、教会はこの神をサタンと呼んだ。悪魔はつねに、パーンの属性であるヤギのひづめと、と、旺盛な性欲を持ち、ときには、ヤギの頭、大勢のサテュロス(デーモンたち)を従えていた。しかし19世紀の新ロマン主義は、わずか数世紀前の中世にはパーンに帰せられていたデーモン的性質を取り去って、パーンを、羊飼いやニンフの集う、今は失われたアルカディアの穏やかな像として作り上げた。ロマン派の詩人はパーンを、彼らの原生林の神として受け入れたのである。

 1821年、シエリーは、友人のトマス・J・ホッグにあてて、こう記している。「君が真の宗教の儀式をおろそかにしていないと聞いて、嬉しかったよ。君の手紙は、ぼくの心の中に眠っていた信心を呼び覚ました。すぐさま、ぼくは夕暮れに1人で家のうしろの高いに登り、花飾りをかけ、そしてを逍遙するパーンに捧げる小さな芝の祭壇を作った」。オスカー・ワイルドは物憂げに記した。「おお、アルカディアのヤギ足の神よ! この現代の世界はお前を必要とする!」[5]。バイロンは、パーンのを悼む賦を書いた。

古き神々は海辺にて黙す、
偉大なる牧神パーンは死せり、イオーニアの水の響きを貫きて、
恐ろしき「力あるパーンは死せり」の声ぞ起こりぬ。
彼とともに偽りも真も多くが死せり。
— 過ぎ去りし夢ぞ美わしかりき。流れにはの群。
森や水辺に、花恥ずかしきニンフぞ集う。追い来たる神々の恋の戯れ、ニンフは嗤い、
はてはまた神々の腕に抱かれ、
山も海もその名をとどめん高貴なる
雄々しき血筋をぞ生みいだす。[6]

[1]Graves, G. M. 1, 103.
[2]Budge, G. E. 2, 22.
[3]Fank, 253, 302.
[4]Larousse, 359.
[5]Merivale, 64, 119.
[6]Merivale, 72.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



 アルカディアの牧人と家畜の神。彼の名はのちギリシア語のpa:n《すべて、全宇宙》と関係づけられ、哲学者によって宇宙神とされているが、Pa:nは古形Pavwnであって、形容詞pa:n(語根pant)とは関係がない(『ギリシア・ローマ神話辞典』)

 パーンという名前は、ふつうパエイン「放牧する」から派生したとみられているが、じつは豊饒と繁栄を祈るアルカディアの信仰 — ヨーロッパの西北部における魔女信仰に非常によく似たもの — における「鬼神」あるいは「義人」のことである。高い山々マイナスたちの底ぬけさわぎの酒盛りが行われているあいだ、このヤギの皮を着た男が彼女たちの恋人にえらばれるのであるが、彼はおそかれはやかれ、その特権の代価を自分のであがなわなくてはならなくなるのである。

 パーンの誕生については、諸説紛々としている。ヘルメ−スはさきにのべたマイナスたちの底ぬけさわぎの酒盛りの中心をなす男根の形をした石像に宿っている力であるから、羊飼いたちは自分たちの神であるパーンのことを、きつつきにたたかれて生れてきたヘルメースの息子だと考えていた。きつつきがコツコツと木をたたくと、やがて待ち望んでいた夏の雨が沛然としてやってくると信じられていたのである。ヘルメースがオイノエーと交わってパーンを生ませたという神話は、自明のことで別に説明の必要もあるまい。もっとも、初期のマイナスたちは酒以外の興奮剤を用いていたという。またパーンの母親が有名なペーネロペイア〔ペーネロペーの、ホメーロスにおける表記〕だとすると、その名前(「顔を織物でおおった」)から想像されるのはマイナスたちが彼女らの底ぬけさわぎの酒宴の際に鴨の一種であるぺーネロぺーPenelopeの羽根の縞目によく似た、なにかの形をした出陣の化粧を顔にほどこしてい たのだろうということである。ブルータルコスが書いているところによると(『神罰の猶予について』一二)、オルぺウスを殺したマイナスたちは、その罰に夫たちから刺青をいれられたということだ。また、手足に織物の模様の刺青をほどこしたひとりのマイナスの姿が、大英博物館所蔵の聾にえがかれている(カタログ・E301)。ヘルメースが雄羊に姿をかえて — ヨーロッパの西北部につたわっていた魔女信仰では、雄羊に化けた悪魔はヤギのそれとおなじように、ごく普通に見られるものであった — ペーネロペイアに近づいた という話や、ペーネロペイアが求婚者のすべてと交わってパーンを学んだという話や、パーンがあらゆるマイナスたちと交わったという自慢話などはみな、もみの木の女神ピテエスあるいはエラテーをまつる祝宴に掛けて男女乱交の風習があったことを物語るものであろう。アルカディア地方の山嶽人たちは、ギリシアでもいちばん野蛮なひとたちなので、彼らよりももっと文明度の進んでいた隣国の人々は、あからさまに彼らを軽蔑していたのである。

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 パーンの息子とされているアリスイ鳥、あるいは蛇食い鳥は、異性をひきつける呪いに用いられた春の渡り鳥であった。〔アルカディアの猟人がまる1日獲物がなかったとき、パーンの神像を打ったという〕つるぼ(skivlla。ユリ科ツルボ属の植物。学名Urginea maritima。Dsc.II-202)は一種の刺激性の毒 — 鼠の駆除には貴重なものだが — をふくんでいるので、祭式に参加するまえの下剤や排尿薬として使用されていた。そういうわけで、つるぼは悪霊のたたりを払う象徴とされるようになり(プリニウス『博物誌』第二〇書・三九)、狩の獲物がすくないときには、つるぼでパーンの像をうちすえる風習が生れたのである。

 パーンがセレーネーを誘惑した話は、五月祭前夜の明のもとでの狂乱の祭のことをいっているにちがいない。 — この宵、若い「五月の女王」は緑の森のなかで結婚を祝うのにさきだって、まっすぐに立った相手の男の背なかにまたがってゆくのである。このころまでに、アルカディアでは雄羊の 信仰がすでにヤギの信仰にとってかわってしまっていたのであろう。

 あのエジプト人の舵とりタムースQamou:Vは、あきらかに「Tamw:V Pa;n oJ mevgaV tevqnhke.」(偉大な神タンムーズは死んだ!)という儀式のときにあげる哀悼のことばを「タムースよ、大いなる神パーンは死んだ!」と聞きちがえたのである。ともかく、一世紀の後半にデルポイの祭司であったブルータルコスは、そう信じてこれを公表した〔De Defectu Oraculorum, xvii〕。けれども、それからほぼ百年のち、パウサニアースがギリシア全土を旅行してまわったとき、彼はパーンをまつる神殿や聖壇、私邸内にパーンをまつる一角などが、いまもなお参拝の信徒たちで賑わっているのを目撃したのだった。(グレイヴズ、p.154-155)