魔術・文学・医学・オカルトの知恵を司るギリシアの男神で、エジプトのトート、ローマのメルクリウスと同一視された。へルメースは、実は、古代ギリシア以前からの存在で、エーゲ文明の「太母」の原初におけるヘビ-配偶者の一員だった。彼は、そもそもは太母の一部を成していたのであり、したがって、彼女の知恵を分有していた。カーリーとシヴァが合体して1つになったインドのアルドハナリスヴァラと同じく、へルメースも、アプロディーテーと結合して一体を形成していた始原の「両性具有者」hermaphroditeだった。へルメースに仕えた聖職者たちは、キュプロス島のアプロディーテーの神殿を司るときは、両性具有神ヘルマプロディトスの姿になり、人工の乳房をつけ、女の衣装を身にまとった[1]。
ヘルメースは、インド・ヨーロッパ人全体から崇拝された神だった。彼は処女マイアから生まれた「秘義を極めた者」であると同時に、インドでは、やはり処女マーヤーから生まれた「秘義を極めた者(悟りを得た者)」(プッダ)だった。『マハーニルヴァーナタントラ』では、プッダはメルクリウ卜ス(へルメース)と同じ存在で、月(マーヤー)の息子であると述べられていた[2]。
ギリシア人は、へルメースのことを「霊魂を冥界へ導いてくれる者」、すなわち「霊魂導師」と呼んだが、この称号は、ギリシアのみならずあらゆる地域において、「生命の女王」の配偶者となった「死の王」に与えられた。へルメースは、再生と輪廻転生に関しては、天界の父ゼウスよりも大きなカを持っていた。ディオニューソスが男から生まれるようにと、彼を「月の女神」の子宮からゼウスの「腿」(ペニス)に移したのは、へルメースだった。ゼウスは、自分のカだけでは、この奇跡を達成することができなかったようである[3]。
へルメースは女性的な知恵も所有しており、普通ならば女神の属性とされた文化的技芸の面でも、度量衡・天文学・占星術・音楽・指関節の骨による占いなどは、彼の発明と考えられていた。彼は、「運命の三女神」がアルファベットを考案するのに力を貸した[4]。へルメースは、四大を意のままに操ることができた。彼が持っていた杖は、触れるものすべてを黄金に変えることができた。それゆえ、彼は練金術師の守護神になった[5]。
ローマの詩人オウィディウスによると、へルメースは、カリア(「女神カルの領地」)にある聖なる泉の月の巫女と結婚した。ヘルメースはまた、「母なる大地」や「父なるハーデース」とともに三位一体を形成しており、プリュギアの秘儀やサモトラーケーの秘儀で、デーメーテール・カピーリアを崇めて狂宴に耽ったカビーリの信者たちの男根神だった[6]。
ヘルメースの男根霊は、ギリシア・ローマ世界の各地で、「へルメース柱像」の形をとって十字路を守護した。ヘルメース柱像は、石造りの男根像か、または、頂にへルメースの首が載っていて、前面に勃起した男根がついている背の低い柱だった。キリスト教の時代になると、ヘルメース柱像の代わりに、道端には十字架が立てられた。しかし、十字路にこの種のものを立てて神に奉納するという発想は、キリスト教のものでなく異教のものだったのである。
サクソン人は、へレスブルク(「ヘーラーの山」)の「母なる山」の大地に打ち込まれて立っているへルメセウルまたはアーミンサルと呼ばれた「世界柱」の男根霊として、へルメースを崇拝した。へレスブルクは現在はエレスブルクと呼ばれており、昔へルメースの至聖所があって男根原理と母なる大地とを1つに結合していた場所には、今は霊ペテロ教会が立っている。他のゲルマン諸族も、トートまたはテウタティス(「チュートン人の父」)の名でへルメースを崇拝した[7]。へルメース-メルクリウスはゲルマン人の父神ウォドンと同じであり、したがって、「へルメースの日」にあたる水曜日Wednesdayは、英語では「ウォドンの日」 Woden's Day、ラテン語系諸語では「メルクリウスの日」なのである。
「ウォドンの十字形」(すなわち、?)も、へルメースが「唯一の四相一体の神」であることを表していた。キリスト教徒が、頭や胸に手をやって切るあの十字のしるしは、そもそもへルメースの十字形の一種で、アラビア数字の4から発したものであり、キリスト教徒が十字を切るときのように、 4を逆さまにした形、すなわち4を逆から描いた形で表される場合も多かった[8]。中世の伝説では、魔女たちはキリスト教徒の場合とは上下あるいは順序を逆にして十字を切ると言われたが、この話はへルメース信者の十字の切り方から生まれたとも考えられる。しかし、実際は、キリスト教徒の方が異教徒の考案した十字のしるしを逆にして使うようになったのであり、異教徒がキリスト教徒のまねをしたのではなかった。
十字形は、へルメースが、十字路、大地の四方位、四大、聖なる1年の4区分(四季)、四方からの風、更には、金牛・獅子・天蠍・宝瓶といった十二宮のトーテムによって表される夏至、冬至、春分、秋分などの神であることを示してい た。この雄ウシ、ライオン、ヘビ、人-天使などのシンボルは、キリスト教に取り入れられて4人の福音書記者を表すようになった[9]。へルメースの十字形は、ときには、アンク(輪つき型十字形)と同じ場合があり、その十字形が、ヘルメースの母なる月を意味する半月形の上に立っていた。このしるしが発展して、例のメルクリウスのしるし、すなわち、円の下に十字形がつき、円の上に半月形を戴いているしるしになった[10]。
へルメースはまた、グノーシス派の「世界」のしるし、すなわち、マルタ十字形の4本の腕の先に円が1つずつついている十字形でも表された[11]。この十字形は、夏至・冬至ならびに春分・秋分の4つの太陽を指していたものと恩われる。グノーシス派の信者たちは、へルメースのことを、世界卵に巻きついている「世界ヘビ」の化身で、時間を支配する者とみなしていた[12]。グノーシス派の福音書によると、イエスはマリアに向かつて、このヘビは世界をとりまいていて、自分の尾を口にくわえており、その体内には十二宮を宿していると言ったという。すなわち、このヘビはエジプトの神トゥアト(トート)やドルイド教のウロボロスと同一視されていたのである。ウロボロスの方は、「賢いヘビ。へルメース」の名でも知られていた[13]。
新プラトーン主義の哲学者たちは、へルメースをロゴスLogos(「神の言葉の化肉」)と呼んだ[14]。「ロゴスとしてのキリスト」というキリスト教のイメージは、この古代の神から借用されたものであり、次のようなへルメース賛歌で使われている呼びかけの言葉は、福音書に用いられている言葉とそっくりだった。
「創造の主であり、全にしてーなる御方よ。……我が魂の光なる御方よ。我が力に祝福を与えたまえ。……たたえんかな、真実にして真なる御方よ、善にして、善と命と光なる御方よ、我、御身に感謝を捧げるとき、御身は恵みを与えたもう。父よ、我がカのカなる父よ、我、御身に感謝を捧げん。神よ、我がカのカなる神よ、我、御身に感謝を捧げん。我が内なる御身の御言葉により、御身をたたえまつらん。……我が内に満てる命なる御方よ、我らを救いたまえ。光なる御方よ、我らが蒙を啓きたまえ。神よ、我らに聖なる霊を授けたまえ。聖霊は、御身の御言葉を守護するものなればなり。……永遠なる御身より、我、祝福と我が求めるものを受けたり。御身の御心により、我、平安を見出したり」[15]。
当然のことだが、へルメースは、グノーシス派時代の宗教哲学者がこぞって希求した「内なる神」になった。 Antinimianism. 伝統的にへルメースのものとされた両性具有は、自己愛と解釈された。ヘルメースが自己愛の儀式、すなわち自慰を発明したと言う人もいた。ヘルメースの杖は、自慰のシンボルと呼ばれた。杖にからまっているヘビが杖をさすったというわけである[16]。自慰は、隠修士たちが行う典型的な自己-瞑想行為であると言われた。女性との性的交合が女神を理解する道であるように、自慰は男神を理解する道であると唱えた人々もいた。herm-etは、文字通りの意味では、男根に聖霊を宿している「小へルメース」のことだった。
ヘルメースは、へルメス・トリスメギストス(「3倍も偉大なる者へルメース」)という新たな姿をとって、中世にも生き続けた。へルメス・トリスメギストスは、へルメス・トリスメギストス流の魔術、占星術、錬金術、更には、その他の神秘主義と自然科学の混合物など、さまざまな体系の創始者だった。ラザレルリの『キリストの聖杯とへルメースの器』では、すべての学問はへルメースから発していて、彼はそれをエジプトの地でモーセに伝授したと述べられていた。アグリッパ・フォン・ネッテスハイムは、しばしばへルメース(トリスメギストス)の著作を典拠にしたが、彼は、へルメース(トリスメギストス)をアプラハムの孫であると誤解していた。パートンの『憂修の分析』の中では、ヘルメース(トリスメギストス)は、ソークラテース、プラトーン、プローティーノス、セネカ、エピクテートス、東方の3博士、ドルイド教の聖職者たちと並んで、最高の哲学者の1人にあげられていた[17]。16世紀に書かれたある論文によると、「へルメス・トリスメギストスの器」は、「個人の精神的更新または再生のための子宮であり、……聖典にもまして探し求められたもの」だった[18]。
へルメス・トリスメギストスの魔術は、アラビア人によって大いに発展させられた。彼らは、数や錬金術に関する体系の大部分を、へルメス・トリスメギストスから伝授されたと伝えられる知識の上に構築した[19]。スーフィー神秘主義者や東方の錬金術師たちも、ヘルメース(トリスメギストス)こそが自分らの技術の創始者であると主張した[20]。十字軍による遠征ののち、ヨーロッパ人は、彼らが古代東方の知恵とみなしたものに新たな興味を抱き、古代ギリシア・ローマ起源の哲学から多大の感銘を受けるにいたった。
1460年頃、東方の「へルメス文書」のギリシア語写本が、レオナルド・ダ・ピストイアという名の修道士によって、コシモ・デ・メディチに献上された。その後、他のさまざまな文書が、当時その内容を充実しつつあったこの半ば秘密の「悪魔の学問」に追加され、この学問に対するヨーロッパ知識人の関心がますます高まっていった。トマス・ブラウン卿(1605-82。イギリスの内科医で、有名な『医師の信仰』をはじめ、数々の著作を執筆した)は、へルメス・トリスメギストスの教理は、「エジプト人の象形文字学問所の中で発展させられたモーセの神秘主義的方法」であると言い、エジプト人はへルメースを、メルクリウスあるいはアヌービス(「サートゥルヌスの書記、ウシル〔オシーリス〕の助言者、エジプトの宗教儀式の偉大なる創始者であり、エジプトに善を広めた者」)として崇拝していたと述べた。へルメースは、昇天してシリウス(すなわち、天狼星)になった。イタリアでもへルメース(トリスメギストス)崇拝が盛んに行われ、その結果シエナの大聖堂のモザイク画には彼の姿が描かれていて、「へルメス・メルクリウス・トリスメギストス。モーセの同時代人」という題詞がついていた[21]。
キリスト教の神話の中でへルメースと同一視されることが最も多かったのは、古代の霊魂導師と同じ役割を担っていた大天使ミカエル(「死の天使」)だった。「丘の上に建てられるのが通例だった古代のメルクリウスの神殿の跡には、聖ミカエルを祀った礼拝堂が立っていた」。その昔へルメース-メルクリウスが祀られていたフランスの丘には、今もなおサン・ミシェル・モン・メルクリウスという名がついている。この丘は、英仏海峡をはさんで、イングランドの地にあるもう1つの「へルメースの丘」と対峙している[22]。
この2つの丘に宿る霊は、キリスト教以前の時代には両方とも「メルクリウス」と呼ばれており、おそらくは、死と再生の王としてのへルメースの二面的役割を表す双子のヘビを意味していたと思われる。この双子のヘビは、錬金術や魔術の分野で、さまざまな化身を持っていた。アラメルによれば、「この2匹はヘビであると同時にドラゴンでもあり、古代エジプト人は両者が1つの円を作っている姿で描いた。すなわち、一方が他方の尾をくわえていたのであり、それは、この2匹が同じ1つのものから生まれたことを教示していた。この2匹は、昔の詩人たちが、つねに目を覚ましてへスペリデスの乙女らのリンゴの番をしていると歌った、あのドラゴンであり、……更には、使者の官杖やメルクリウスの杖にからまっている2匹のヘビである」[23]。
へルメス・トリスメギストスの神秘主義では、通常、この2匹のヘビを雌雄とみなしていた。それは、へルメス・トリスメギストス的な魔力の真の秘密が、両性具有にあったからである。へルメースに備わっていた霊験あらたかな力は、東方の神々の場合と同じく、彼が「世界の女性霊」(古代においてへルメースと両性具有を形成していたアプロディーテー)と結合しているおかげだった。「世界の女性霊」は、中世の文書では「アニマ・メルクリウス」(メルクリウスの霊君主)と呼ばれ、タロット・カードの「世界」の札に見られるように、楕円形のマンドルラ模様に囲まれた裸の女性で表されていた[24]。この「世界」の札は、タロットの切り札の順番では最後のものであり、へルメースと同一視されていた「魔術師」の札は、 1番目の切り札だった。マンテーニャ作のタロットでは、この「魔術師」は、ヘビがからみついている杖を持ち、羽をつけた兜をかぶり、笛をたずさえ、神託のシンボルである切り落とされた首をまたいで、告知を象徴する雄鶏の方へ行こうとしている、あの古典的なメルクリウスの姿で描かれていた[25]。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
ゼウスの末子として、アルカディアのキューレーネーKyllene山中の洞穴で生れた。母はアトラースの長女マイア。彼はギリシア先住民族の神であって、その崇拝の中心はアルカディアで、ここからギリシア全土に広がったらしい。
彼は富と幸運の神として、商売、盗み、賭博、競技の保護者であり、智者として……竪琴や笛のほかに、アルファベット、数、天文、音楽、度量衡の発明者とされ、さらに道と通行人、旅人の保護神として、彼の像と称せられるヘルマイHermai(上部が人間の形で、男根があり、下部は柱になっている像)〔右図〕が道路、戸口などに立てられていた。彼はまた夢と眠りの神であり、霊魂を冥界に導く霊魂導師の役目をもち、おそらくこの地下神としての職能と関連して、諸市で豊穣の神としても祭られていた。アルカディア生れの彼はパーン(アイギパーン)と関係が深いが、この古い神々が本来どういうものであったか、またいかなる関係にあったかは不明である。ヘルメースは若々しいカに溢れた美青年で、鍔の広い旅行帽ペタソスpetasosを被り、小杖ケーリュケイオンをもち、足には有翼のサンダルをはいた姿で表されている。(『ギリシア・ローマ神話辞典』)