E


Earth(大地)

gaiaboulet.jpg

 「大地には3つの異なる名前が与えられてきたが、大地は1つである。名前は女たちの名前に由来する」[1]とヘーロドトスは言った。だが、ヘーロドトスは計算違いをしていた。実は、大地には何千という女の名前が与えられてきたのだ。大陸(アジア、アフリカ、ヨーロッパの3大陸)は大地の女神が地上に現れたときのさまざまの姿にちなんで名づけられた。国々の名前の方は、女性の先祖の名前とか、あるいは大地の女神の別名に由来している。リビア、リュディア、ロシア、アナトリア、ラティウム、オランダ、チャイナ(中国)、イオーニア、アッカド、カルデア、スコットランド(スコティア)、アイルランド(エリウ、へラ)はほんの1例である[2]。それぞれの国民が各自の母なる大地の名前を祖国につけたのであった。母なる大地を「万物を治め、他のすべての物が従い、服する神」[3]とヨーロッパの諸部族が見ていたとタキトウスは述べた。

 母なる大地は世界中どこでも、全般的に親とみなされて、いたるところで崇拝されてきた。アメリカ・インディアンはいまだに、人間と動物はいずれも初めは大地の女陰の穴から出たと語る。「子供が母から生まれてくるのと、生物の誕生はそっくりであった。出てくる場所は大地の子宮である」というのであった。シベリアのトナカイ狩りをする人たちは、人類はある女神から生まれたと言う。彼らは供物を捧げて、「私たちが健康でいられるようにお助けください。獲物をたくさん殺せるようにお助けください」[4]と祈る。すると女神の像が猟師の小屋を守ってくれる。

 アメリカ・インディアンの宗教の中心となっている信条では、母なる大地の子宮から新しい生命が再生するという。これには古代の言葉で「再び生まれる」という意味があった。スモハラという名前の酋長は、この信条から生じる自分の道徳上の義務について、次のように話している。

「農業に従事して、私たちの共通の母を傷つけたり、切ったり、裂いたり、引っ掻いたりすれば、罪になります。大地を掘り起こせと私にいうのですか。この私が刃物を取り、母の胸に突き刺すのですか。でも、それでは、私が死んだとき、母なる大地は私を胸に抱き寄せてはくれないでしょう。あなたは、私に掘り起こし、石をどけろと、おっしゃる。骨まで達するほどに、母の肉を切らなければならないのでしょうか。それでは、私は2度と母の胎内に戻れなくなり、生まれ直すこともできなくなります」[5]

 大地の内部に入って行くという点では、東洋のインド人たちの考え方もほとんど変わらなかった。ヒンズー教の聖職者は死者に向かって、「行け、大地を求めて。あの賢く、優しい万物の母を求めよ。おお、大地よ、立ち上がってください。おお、大地よ、母が幼児を服の裾で覆うように、この者を覆ってください」[6]と言った。

 古代ローマの哲学者たちの考え方も同じだった。「大地母神は万物の生命を呼び起こす神秘的な力である。……すべての物が、大地から生じ、大地に終わる。…‥大地は万物を生み。そして再び抱き寄せる。……大地の女神はあらゆる生命の始まりであり、終わりでもある」。3世紀のある作家は、大地に祈って言った。「神聖なる女神、大地よ、自然の母よ、万物に命をもたらし、日ごとに万物を整えらせる者よ。あなたは命の糧を永遠に、忠実に、与え続ける。そして霊魂が肉体を離れるときがくると、私たちはあなたの体内に加護を求める。あなたの与えてくれた物のすべてが、再びあなたの子宮のうちのいずこかに戻っていく」[7]

 父権制をとるキリスト教徒は、母なる大地よりも、父なる天について語るのではないかと思うかもしれない。ところが、そのキリスト教徒でさえ、キリスト教以前から存在する大地の女神を捨てることはできなかった。教皇グレゴリウスの墓碑名には、「受け取り給え、大地よ、あなたの体内より生まれいでし者を」[8]とある。20世紀にいたるまで、ドイツのキリスト教徒の墓には「ここ母なる大地の胸に……眠る」[9]というきまり文句が刻まれていた。チョーサーの『免罪符売りの物語』の中で、老人は大地の女神に懇願した。

「……我、1人歩き、待つ。
大地のあたり。それは我が母の門。
杖持ちて、夜もすがら、昼にいたるまで、我、叩き続けん。
そして我は叫ぶ、『母よ、直ちに扉を開きて、
見給え。母よ、入れ給え。
我が肉も、骨も、皮も、どれほどに衰えしか、見給え。
ああ、この我が骨は、いつの日にか、横たわり、休めるであろう」[10]

 この1節に見られるのは、単なる詩的表現を越えるものである。ヨーロッパ人の多くは、12世紀になってもまだ、おそらく唯一最高の神である女神として、母なる大地を認めていた。当時のイングランドの植物誌では、神には一言も触れていないのに、大地については次のように書いている。

「大地よ、天の女神よ、母なる自然、万物を創造する者よ、自らが諸国民に与えた太陽をつねに新たに生み出す者よ。空と海の守護神、あらゆる神々と力の守り神よ。あなたの影響を受けて、自然界はことごとく静まり、眠りにおちる。……再び気が向くと、あなたは輝かしい昼の光を送り、あなたの永遠の保証を得て生命が養われる。人の霊魂は肉体を離れると、あなたのもとへ戻る。まことにあなたは神々の大いなる母という名にふさわしい。勝利があなたの聖なる名前。あなたは人々にとっても、神々にとっても、力の源である。あなたがなくては、何ものも生まれない。完成もない。あなたは強力である。神々の女王よ、女神よ、神として、私はあなたを崇め、あなたの名前を唱える。どうか私の願いを叶えてください。神に感謝の返礼ができるように」。[11]

 ルネサンスにいたるまで、イングランドの農民は植えつけのとき、大地、すなわち母なる大地に助けを求める習慣を続けた[12]。同じように、20世紀になるまで、ロシアの農民は湿気を含んだ母なる大地Mati-Syra-Zemlyaに、ほとんど事あるごとに助けを求めた。ロシアの農民は、誓言をするときに、聖書に手を載せる代わりに、土くれを頭に載せて、約束を破ったときは呪ってくれと母に訴えた[13]。これは古代の名残りであった。父権制のオリュンボスの神々でさえ、誓うときは、母なる大地にかけてと言った。すなわち、万物の母と呼ばれるガイア、あるいはレアーに、すなわちしっかりとはった根を持つ、神々の中でも最古の、豊かな胸をした女神に呼びかけたのであった[13]。ヘシオドスが認めたところでは、古代ギリシアの神々が出現する以前は、ガイア、あるいはレアーがオリュンボスを治めていたのである。この女神はロシアも支配していた。ロシアの国名はボルガ川とそこに住む、民族の母を意味する女神の古い名前ラーRha(Rhea)、すなわち赤い人からとった[14]

 故郷という言葉と母という言葉は、この2つの言葉を大地-女神と結びつけて考えた人々にとっては、文字通り同一物とされた。多くの人たちが、子供のときに自分たちを支えてくれた土に埋められるのが当然だと信じていた。母権制のキムメリオス人(ホメロスの詩の中で世界の西の果て、永遠の闇の国に住むと歌われた種族)は侵略されたとき、故国を捨てれば助かった可能性もあったのに、数で勝る敵に立ち向かって、 故郷の地で死ぬ方を選んだ。キムメリオス人にとっては、自分たちを生んでくれた大地ともう1度結ばれるのでなかったら、生命に価値はなかった[15]。エジプト人の旅人、シヌヘはが迫ったと感じたとき、「万物の奥方が永遠に私の傍らで過ごしてくれるように」[16]願って、「その女神に従うために」母国へと急いで帰って行った。死後、「母」と再結合するという考えは、母との結婚という考えとつねに重なる。人間は、大地の女神の子供であり、死体であり、婿でもあると考えた。これらの3つの役割を切り離して考えたことはめったになかった。バルカン半島の農民はいまだにを神聖な結婚と見ていて、死体に結婚衣裳を着せる。葬式のときに歌う哀歌に「黒い大地を妻に迎え」という歌詩がある。古代ギリシア人の墓碑にも同じように、死者が「ペルセポネーの花嫁の部屋に迎えられた」と刻まれている。アルテミスは「結婚に付属する物は、必ずにも付属する」[17]と書いている。

 大地との結婚の原型イメージはポーノトピアといわれるヴィクトリア朝中期独特のポルノグラフィの中に奇妙な再登場をする。この本の中では、女体は風景として描かれる。それに合わせるように、幻想の中で、男は次第に小さくなって、しまいにはハエ くらいの大きさになってしまう。

「真ん中辺りの隔たったところに、大きくて不規則な形がぽんやりと見える。地平線に2つの巨大な、雪のような白い丘が盛り上がっている。この上には、大きなピンク色をした、いわばつまみ頃といった頂、というか先端がかぶさっている。これは、まるでバラ色の指先をもつ暁の女神がすぐうしろで戯れているとでもいう風情だ。やがて風景は穏やかな膨らみをもつ平野になる。そのやさしくうねる曲線は、真ん中の下方まで来て、やっと途切れる。そこは小さな火山の噴火口、すなわち中心である。さらに下がって行くと、眺めは遠景が狭まり、変わる。左右に別れて、2つのなだらかな雪に覆われた尾根が突き出ている。その中間の、ちょうど接合地点に、暗い森があり……ときに薮と言われることもある……これが三角形をしている。この三角はシーダー材の覆いのようでもある。真ん中には暗いロマンチックな割れ目がある。この割れ目には自然の驚異が豊富に存在する。いちばん高いところから、大きな、ピンクの鍾乳石が吊り下がっている。この石の形、大きさ、色はすぐ下および内側を流れる水の動きに応じて変化する。おおざっぱに言うと、割れ目は西洋ナシの形をしていて、中には、人間には計りしれない洞穴、小洞窟、隠遁者の住む穴、地下水の流れなどがある。完全な、奥まった地下の風景である。大地の振動や揺れについても同様なことがよくある。洞窟の壁は激しいリズムを刻んで、膨んだり、縮んだりすることがよくある。そのとき中を流れる塩分を含んだ水は速さを倍増する。地域全体は暗くはあるが、見ることはできる。これが大地の中心であり、人間の本来いる場所である」[18]

 マルクスによれば、このような春画的イメージが、ヴィクトリア朝社会に出現したのは、性が抑制されていたせいでもあるが、精神の喪失のせいでもある。ヴィクトリア朝という時代が宗教的シンボルの中の大地 母神を拒んだことと、この現象はおそらく関連するだろうとマルクスは見ている。

「この文献をよく読むと、これが人生のある時期に、飢えた経験をもつ人にしか書けないものだというはっきりした印象を得る。……ポルノグラフィの作家には、自分が引き離された乳房を求めて泣き叫ぶ幼児の姿が、必ず重なる。春画とは、乳房と、乳房が与える至福を取り戻そうとするたゆまない努力を描くものである」[19]

 この所有欲は、母なる大地を取得したいと願う隠れた心理的飢えが、別の形で表されたようだ。ヨーロッパで大地に与えられている名前、ウルト、ヘルサ、エオルサ、エルグ、レサなどはサンスクリットのアルタArtha「物質的富」に由来する。インド系のジプシーの間では「大地」は幸運、財産、金を意味した[20]。ラテン語のMaterマーテル(母)は英語では、Matter(物質)となる。これについて、プルータルコスは「物質とは母と乳母の機能を持ち……万物が生み出される素となる四大をふくんでいる」[21]、と言った。チベット人は、現在も四大は「老母」から生まれると言う[22]。その物質の本体はアンナ・マーヤAnna-Mayaという特別の名前を持つ。その変形が太女神の名前として、古代地中海世界のいたるところに出現した[23]。「物質のなかに表された霊魂」はアンナ・マーヤそのものと定義さ れる。腎者たちは「精神と物質は。同じ力の別形態であって、根は1つである。精神は偏向した意識の主観的要素の1つであって、物質は客観的要素である」[24]、と言う。

 西欧の神学は、この一元性を分けて、二元性をとり、物質(肉体)と精神(霊)は本質的に異なり、対立するものとみなすのである。このように「物質という言葉はあくまでも乾いて、非人間的で、しかも純粋に知的概念に留まって、私たちには、なんら心霊的意味をもたらさない」、とユングは述べる。「物質、すなわち太母の昔のイメージは何と異なっていたことか。昔のイメージは母なる大地の深い、情緒的な意味を包 含し、表現することが可能だった」[25]。生を授けるものとしての母なる大地のイメージに次いで、死者を受け入れる者としての母なる大地のイメージがあった。おそらくそれは最高に深遠な感情的反応を誘った。というものが、母の胸で眠る幼児の状態への回帰と見られる場合には、の恐怖は減るようだ。リグ・ヴューダに「母なる大地のもとへ這って行きなさい。大地は虚空からあなたを救ってくれるでしょう」[26]とある。中世のバラッドでは、ときに主人公の恋人の女性が母なる大地の役を演じる。恋人は主人公を緑の外套で覆って、まるで大 地に埋められたように「見えなく」した[27]。ギリシアの農民にとっては、敵に与える最悪の呪いは、「大地がお前を消化しませんように。黒い大地がお前を吐き出しますように。地面がお前を呑み込みませんように」[28]と、母なる大地が敵を受けつけないように願うことだった。このように大地に拒まれた者は、亡霊か、あるいはさ迷える幽霊となったのだろう。

 12世紀のフランスの話である。ほかにも罪状はあったのではあるが、ある異端の宗派の人たちが、明らかに母なる大地を崇拝したという理由で、レイムの大司教に火刑を申し渡された。処刑のために引きずり出されたとき、異端者の1人が「『ああ、大地よ。裂けて、口を開いてくれ』と何度も叫んだ。聞いていた人たちは、この男は大地に敵を呑み込んでもらおうとしたのだと思った。しかし、この男は、自分が口を開いた大地に呑み込まれて、火刑から救ってもらえると信じていたのかもしれない」[29]。本来レアーやセリドゥインにの要素が備わっていたように、母なる大地も自分の子供を呑み込むと、その頃は思われていたのだ。


[画像出典]
Magna Mater
Picture by Susan Boulet "Mother Earth"



[1]Herodotus, 226.
[2]Agrippa, 269.
[3]Tacitus, 728.
[4]Campbell, P.M., 240, 314.
[5]de Riencourt, 23.
[6]Hauswirth, 21.
[7]Vermaseren, 10, 49.
[8]de Voragine, 187.
[9]Lederer, 24.
[10]Chaucer, 269-70.
[11]Graves, W.G., 64.
[12]Turville-Petre, .
[13]Larousse, 287, 89.
[14]Thomson, 252.
[15]Mumford, 416.
[16]Maspero, 83.
[17]Lawson, 547, 554.
[18]Marcus, 271-72.
[19]Marcus, 273-74.
[20]Leland, 99.
[21]Knight, S.L., 22.
[22]Bardo Thodol, 15;Waddell, 484.
[23]Mahanirvanatantra, 11.
[24]Avakon, 49, 318.
[25]Jung, M.H.S., 95.
[26]H.R.E. Davidson, G.M.V., 92.
[27]Wimberly, 390.
[28]Summers, V., 161.
[29]Coulton, 55.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)