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back.gif第7巻・第5章


Xenophon : Hellenica



訳者 あとがき





 伝存するクセノポンの作品を列挙すると、以下のごとくである。

(1)『ヘレニカ』(前350年代執筆。初めの部分の執筆年代は、かなり古いかもしれない)
 トゥキュディデスの「ペロポンネソス戦史」は、前411年の記述の途中で終わっているが、クセノポンのこの作品は、トゥキュディデスの「戦史」の続きを書こうとしたこと明らかである。アテナイが没落し、スパルタもまた没落し、代わってテーバイが力をつけてくる時代(前362年)までの、混迷するギリシア世界を描いた歴史書。

(2)『アナバシス』(前370年代〔?〕)
 前401年、ペルシアの(小)キュロスは、兄王アルタクセルクセスとの確執に最終解決をみるべく、ギリシアの傭兵をかき集め、内陸めざして攻め上った。しかし、キュロスはクナクサの会戦であっけなく戦死。以後、内陸に取り残されたギリシア人傭兵部隊約1万人の、敵中6000キロにおよぶ脱出記。
 松平千秋の訳で、筑摩書房(後に岩波文庫)から出版されている。感想を一言でいえば、崇高なまでの精神性と恐るべき野蛮さの共存――古代ギリシア人とは古代人であって、現代人の感覚で推し量ってはいけないのだと、強く教えられる。

(3)『キュロスの教育』(前362年以前)
 キュロス(2世)の生涯についての空想的な作品。読んでいないので知らないが、「あぜんとするほど退屈な代物」であるそうだ。

(4)ソクラテスに関説した作品。
 1.『ソクラテスの思い出』(佐々木理訳、岩波文庫)――eu pratteinを「よく仕合わせている」と訳した訳者の苦心に、訳者とともに涙を流したい。
 2.『家政論(オイコノミコス)』(田中秀央・山岡亮一訳、生活社)
 3.『饗宴(シュンポシオン)』(村治能就訳、世界人生論全集1、筑摩書房、1963所収)
 4.『ソクラテスの弁明(アポロギア)』(拙訳ながら <http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/apol.html>

(5)雑多な小品。
 1.『ヒエロン』(前357年以降〔?〕)シュラクウサイの僭主ヒエロン1世と詩人シモニデスとの間の、僭主制についての対話。
 2.『アゲシラオス』(360年頃)他界したスパルタのアゲシラオス王についての頌辞。
 3.『ラケダイモン人の国制』(年代不詳)スパルタの国制について。(拙訳ながら <http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/lac_rep.html>)。
 4.『歳入論(ポロイ)』(前355/4年)アッティカ銀山の開発によって生じるものについてのアテナイ人への助言。
 5.『騎兵指揮官(ヒッパルキコス』(前360年代)アテナイ騎兵指揮官の心得。
 6.『馬術(ヒッピケ)』(前360年代)馬術全般についての現存する最古の論文。
 上記2書は、『騎兵隊長・馬術』として田中秀央・田中一次訳、生活社(後に『クセノポーンの馬術』として恒星社厚生閣)から出版されている。
 他に、クセノポンの名で伝えられている著作として、
 7.『狩猟論(キュネゲディコス)』があるが、これは真作でないとすべきであり、
 8.『アテナイ人の国制』(拙訳ながら <http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/athe.html>)は、確実に偽作である。

 このように、クセノポンは数多くの貴重な同時代証言を残してくれているのに、なぜかあまり信用がない。特に、ソクラテス崇拝者の間では、聖ソクラテスを凡庸な通俗的道徳の説教家ないしは迷信家に成り果てさせたとして、その評判すこぶる悪い。たしかに民主制嫌悪者(misodemos)の一人ではあったが、彼の実際行動をみていると、骨の髄まで民主制的傾向を持っていたことがわかり、当時の時代風潮というものを感じさせて、興味深い。その点、表だってはあまり非難されないが、じつは骨の髄まで民主制嫌悪者だったプラトンとは、好対照である。

*      *      *

 原文を読んで、原語で考えられるほどの器量は、自分にはない。したがって、一度日本語に訳してみなければならない。時間のかかること、甚だしい。

 自分の心覚えのために訳したものが、いつしか山を成すにいたった。このまま日の目も見ずに朽ち果てさせるのは、何としても惜しいと、わが「三段櫂船の漕ぎ手」のうるさいこと。言われてみれば、まんざら価値なきものでもないような気分になって、ついに上梓に心が動いた。かくして成ったのが本書である。


 翻訳の底本としたのは、Loeb Classical Library, Xenophon I/II, HELLENICA I-VII のみである。他に校訂本の類はもとより、注釈書もいっさい参照していない。いや、参照できなかった。

 もちろん、入手すべく出来るかぎりの努力は払ってみたけれども、どうやら、日本の大学というところは、そもそも「一般人」が学問するということが信じられないばかりか、許しがたい僭越と思っているらしい。

 もちろん、一人ひとりの「大学人」はとても親切なのであるが、そういうコネがないかぎり、自分たちが「一般人」に対していかほど巨大な壁の一部となって立ちはだかっているかに、ほとんど気づくことをしないのである。機械音痴のわたしが、インターネットなど始めたのは、大学による知識の囲い込みに少しでも風穴をあけられればと思ってのことである。


 そういう次第で、この翻訳はインターネットにも流している( <http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/hellenica/hell0.html>)。当然ながら、バージョンはそちらの方が高い。何か一言いわずにおくものかという方は、そちらの方を見ていただきたい。

1998年4月16日
                          富田章夫
               <tiakio@mbox.kyoto-inet.or.jp>

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