太平洋戦争へと到る激動の1930年代において重大な役割を果たした陸軍軍人である。満州事変、2・26事件、そして日中戦争に関わり、その個性的な才能は多くの追随者を生み出した。
日中戦争は東アジアの中の仲間内での争いであり、速やかに終わらせることが、必要であると考えていた。
法華経・日蓮信仰と結び付いた独特の歴史観・戦略観を持っていた。
『世界最終戦論』では、最終戦争は日本とアメリカにおいて行われる。そのために日本は力を蓄えなければならない。そのため、現在の戦争(日中戦争・太平洋戦争)は時期尚早である、と主張した。
最終戦争は圧倒的な武器によって一瞬の内に勝負が決まる、と考えていた。
昭和12年(1937)1月の林銑十郎内閣の組閣の際には、板垣征四郎陸相・末次信正海相等を実現しようと画策するが失敗。
東条英機と対立。太平洋戦争前に現役から離れる。
在野で、東亜連盟の運動を強力に進める。
国柱会会員。
敗戦後戦犯として裁かれることはなかったが、証人として訊問を受ける。
経歴についてはここを見てください。
石原莞爾 没後47回目の8月15日(1996/8/15)記す
石原莞爾 没後48回目の8月15日(1997/8/15)訂正
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