━━エステイト 信の風通信 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
       ◆◇◆ 京町家、扱こうてます! ◆◇◆
   京町家専門の不動産屋エステイト信の風通信メイルマガジン゜・.★。・゜・*。:☆.*:・゜ 
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♪2002.09.23秋分 Vol.1 創刊号/♪2002.10.8 Vol2 寒露号/♪2002.10.23 Vol.3 霜降号
♪2002.11.7 Vol.4 立冬号/♪2002.11.22 Vol.5 小雪号/♪2002.12.7 Vol.6 大雪号
♪2002.12.22 vol.7 冬至号/♪2003.1.6 vol.8 小寒号/♪2003.1.20 vol.9 大寒号/♪2003.2.4 vol.10 立春号
vol.11〜vol.22/vol.23〜vol.32/vol.33〜vol.41/vol.42〜vol.50/vol.51〜vol.56/vol.57〜vol.64

♪2002.09.23秋分 Vol.1 創刊号
こんにちは、エステイト 信の井上です。
風通信・創刊号をお届けします。末永く、ご愛読のほどよろしくお願いいたします。
実は、自分が生まれたときから住んでいる家が「京町家」であるなんて、二年ほど前までほとんど意識したことがありませんでした。
子どもの頃、表のミセの間で祖父が周旋屋を営み、続くダイドコでご飯を食べたり遊んだりしていました。私の家は西陣にあるので、友だちの家に遊びに行くとその両親が奥の機場(はたば)で作業をしておられたりしました…のに、です。
京町家の仲介を重ねるなかで、たくさんの京町家を見たり、お客様の町家に対する思い入れをお聞きするうちに、町家の凄さを再発見することになりました。一人でも多くの方にこの町家の良さをご理解いただき、町家暮らしを楽しんでいただきたいと願っております。
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◆  「京町家」って、何やろか? …京町家いうたら、石の上に建っとるんですわ。
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今回は少し、かたい話になりますが、簡単に町家の定義を…
京町家とは何か、諸説ありますが、私が考える京町家の定義をひとことで言うと、≪洛中にある戦前木造住宅≫ということになります。もう少し、詳しく述べると…
京町家は、平安時代中期に起源を持ち、現在の形の基礎は江戸時代中期に形成され、その後、マイナーチェンジを重ねて、大正末期から昭和初期に完成されました。特徴としては、以下のことが挙げられます。
1)伝統的軸組(じくぐみ)構造。柱や梁などが家の内部に露出している。特に、通り庭といわれる、表から裏の庭まで細長く続く土間部分を見上げたときに見える木組や平入りの軒を支える木組に特長がある。柱は石(「ひとつ石」という)の上に乗っている。

2)外壁が表通りに面し、隣の建物と近接して軒を連ねている。連棟(いわゆるテラスハウス)の家も多い。これは、都市住民が都市の中で高密に住まい、商いあるいは生産する職住一致の建物であるためである。
3)外観の特徴としては、瓦屋根・大戸(おおど)・格子(または出格子)・虫籠窓・土壁などが見られるが、商売の内容や間口によっていろいろで、どの家にも全てが揃っているわけではない。
基本的には2階建であるが、古い建物は平屋や厨子(つし)ニ階のものが多い。一方、なかには3階建てのものもある。
4)内部は通り庭に沿って部屋が細長く続き、奥に庭がある(敷地面積の関係から庭とはとうてい呼べないほどの狭いものもある)。比較的大きな商家では、坪庭や離れ、蔵があったりする。織屋建では、別棟の作業場がある場合も。
5)建築年代は、建築基準法や消防法他の関係から昭和25年以降のものは上記の条件を満たすことができなくなってしまっているので、それより前のものとなる。

現在、石の上に柱が乗った新築町家は建てられなくなっています。なぜ、町家がよいのか、この話はまたおいおい…。
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◆編集後記
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創刊号、お楽しみいただけましたでしょうか。しばらくは、かたい話になりそうですが、根気良くお付き合いください。

♪2002.10.8 Vol2 寒露号
こんにちは、エステイト 信の井上です。風通信・寒露号をお届けします。すっかり秋になりましたね。
当店は(もちろん、わたしの家でもあります)、北野天満宮(天神さん)の氏子のエリアにあります。この10月1日〜5日は、天神さんの「ずいき祭」でした。うちの前の通りは下立売通というのですが、1日と4日にずいき御輿が通りました。ずいき御輿は、その名の通り、里芋の茎である「芋苗英(いもずいき)」で屋根葺き、その他、柱や壁面も野菜やおゆば、穀物で飾られています。
お御輿が通るときには、みな仕事の手をとめて道端に立ってお迎えします。この辺りの町内はほとんどが自営業か隠居暮らし家庭なので、昼間でもたいていみんな家におられます。少し前までは、親類縁者を招いてご馳走したといいます。町家暮らしは、こうした地域の祭や行事とは切り離せないものです。
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◆  「洛中」って? …京町家と古民家の違いは何やろ?
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前回、「京町家とは『洛中にある戦前木造住宅』」と書いたのですが、「洛中とは何ぞや?」というご質問をいただきました。
京都は、平安時代に始まって、明治までずっと都でしたので、「洛中」と一口に言ってもいつの時代の洛中なのか、難しい面があります(当然、現在のいわゆる繁華街と、この洛中の中心部とは多少のズレがあります)。そこで、当店では一応、
北は北大路通・南は九条通・東は東大路・西は西大路に囲まれたエリアを洛中としています。このエリア内の戦前木造住宅を京町家、それ以外のエリアに在する戦前木造住宅(石の上に柱がのっている建物)を古民家として扱っています。
この京町家のエリアというのは、今でいうところのオフィス街だったり、デパートが建ち並ぶ商店街だったりしたエリアです。例えば、四条河原町の高島屋の隣に高塀や前栽のあるような居住用住宅が建ってたりするとどうでしょうか?
京町家というのは、職住一致、つまり家で仕事をしながら住まうための家ということになります。もともと京都人の仕事というと伝統産業が主流だったこともあり、今で言うところのSOHO※がごく一般的でした。例えば表のミセの間で商いをしながら、または家の奥の機場で織物を織りながら暮らす。そういう、職住一致の暮らし方というのは、身体的・精神的に楽な上、子どもは親の働く姿を目にし、家業と言うものをからだで覚えていくのです。家の中が職場であり店舗・社交場であるため、家にいながらにして社会性を身につけることができたりもします。
家内工業的な仕事が多い伝統産業では、こうして次代を担う商人・職人を作っていくことが重要です。「門前の小僧、習わぬ経を…」というのは、職住一致の賜物なのです。
少々話がずれましたが、そんな訳で、京町家というのは前面道路ぎりぎりに建っていて、いわゆる商家(西陣地区では商家及び機屋)となります。
一方、古民家は、洛中以外の地域に在るもので、職業的にはいろいろですが、専用住宅を始め、京都の場合、農家が多いのも特徴です。この古民家についてはまたいずれ詳しく述べたいと思います。
※SOHO〈Small Office Home Office〉:一般には自宅や小さなオフィスで、個人あるいは少人数で行うビジネスの形態を指し、「会社組織に縛られない自由なライフスタイル」「女性の新しい働き方」「リストラの受け皿」「地域活性化の起爆剤」としても関心が集まっている。
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◆編集後記
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寒露号、いかがでしたでしょうか。京町家の形態と隆盛については、京都独自の職業の在り方というものが切り離せません。そこの地域に最適な形で存在しているということでしょうか…。「京町家に住む」ということは、「洛中に住む・洛中の暮らしを受け入れる」ということとお考えいただきたいと思います。

♪2002.10.23 Vol.3 霜降号
こんにちは、エステイト 信の井上です。風通信・霜降号をお届けします。
やっと日中も涼しくなりましたね。町家ブーム(?)のおかげで、うちのような個人商店でも、不動産取引のオフシーズンといわれる夏場であっても、訪ねてくださるお客さまが絶えませんでした。
ただブームにのって来られるだけのお客さまや、町家は古くて広くて家賃或いは売却価格も安いだろうと勘違いして来られるお客さまも多いというのが現実です。だいたい、そういうお客さんには町家暮らしはきついものがありますから、お止めになった方がよいのではないかと、お話しして帰っていただいています。メディアから得る町家暮らしの知識と現実とは隔たりが大きく、せっかく入居しても一月もたたないうちに退去されたという話を耳にすることも多いです。
写真や図面・物件情報からだけでは町家暮らしのあれこれは浮かび上がってはきません。せっかく町家暮らしをしてみようかな…と思って訪ねてきてくださるのですが、こうすることが、お客さまひいては将来の京都のためになると思い、再考をお願いしております。
町家の仲介って、ホント、町家暮らしを実践している個人商店むきの仕事だなぁ、と最近つくづく思います。
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◆  「町家って何年くらいもつのやろ?」 … 「この、築80年の家を買うても、死ぬまで住んでられるやろか?」 
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町家を買おうかなぁ…とお考えのお客さまを物件にご案内すると、この質問をよくいただきます。もちろん、町家に興味はお持ちなのですが、ディープな町家愛好家とまではいえないお客さまなのでしょう。でも、考えてみれば町家といえば新しいものでも築50年程度は経っているので、それを改修したところでいったい何年くらいもつのか、不安に思われるのも当然といえば当然。せっかく家を買って改修しても、何年か後にまた建て替えなければならないとしたら、何をしていることか分かりませんよね。
現在、新築で売られている家などは、せいぜい20〜30年もつのが精一杯なのではないかともいわれています。
建材の多くは年を経るにつれて劣化し、強度が落ちてきますが、実際の木材の強度は200〜300年のスパンではほとんど変わらないといわれています。また、曲げ強度や縦圧縮強度実験で、古材が新材を上回る数値をだしています。
法隆寺を思い出してください。1300年前に建ったものでもきちんとメンテナンスさえすれば、ちゃんともつことのよい実証例です。
法隆寺の棟梁だった西岡常一氏も樹齢50〜60年のヒノキで建てた家でも300年以上はもつといっておられます。
町家に使われている材木は、今の輸入材や集成材とは品質が違います。当時は搬送がたいへんだったこともあり、京都の家には京都近辺の材木が使われていますから、京都の気候風土(特に湿度)にマッチした材質となっております。その意味からも、町家は長持ち、ということができます。
今の家は、建てたときが一番美しく性能も最高で、その後は老朽化の一途をたどり、やがて朽ちてゆくだけです。それに比べて町家は、時を経るにしたがって味わいがうまれ、人が住み生活を営むことで輝きを増すものです。
皆さん、安心して町家を買うてください。新建材の今の家なんて買ったらダメですよ。それこそ、30年くらいしたら
また家を建て直さんとあかんことになりますよ!
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◆編集後記
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霜降号、いかがでしたでしょうか。
先日、近々築70年の京町家に入居されることになったA夫妻がご近所に挨拶に廻られたときのこと。ご近所の方から、「どの家に引越さはるの?」と訊かれ、答えると、「あぁ、あこねぇ、あこの家はまだ新しい方の家やさかいなぁ…」と。ご自分の家もじゅうぶん古いと思っておられたA夫妻、いぶかしそうにしていると、「この町内の家は、明治・江戸期の家がほとんど」と知らされ、「はぁー」としか返すことができなかったとか。京都洛中では、築100年120年の家は決して珍しくありません。みなさん、どうぞ、築年数を聞いて、驚かないでくださいね。

♪2002.11.7 Vol.4 立冬号
こんにちは、エステイト 信の井上です。風通信・立冬号をお届けします。
京都はそろそろ紅葉のみごろです。
町家暮らしに欠かせないアイテムは?と訊かれると、「自転車と半纏」と答えています。洛中は思ったより狭いエリアですから、歩いたとしても、半日もあれば北から南までゆっくりゆけます。ましてや自転車があれば縦横無尽。少々のことなら自転車での移動が一番! 一方通行も、途中でちょっと一休みも思いのままです。バスも地下鉄もそれなりにはありますが、ルートによっては遠回りしたり、距離の割に時間がかかったりします。自転車で移動していると地元の人間と思われるのか、しばしば道案内を乞われたりすることもしばしば…。

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◆  町家は寒い? …京の底冷えってききますけど、住み難いですか?
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「町家って寒いですか?」とよく訊かれます。
「はい、町家は寒いです」とお答えしています。京の町家は「夏、涼しきように」、もっと言うと、夏の祭(祇園祭…7月1日から一月間続きます)のときに快適なようにできています。ですから、とーっても寒いです。でも、京都人は言います、「寒さもご馳走・・・」。
ただ、町家というのは基本的に商家ですから、人気(ひとけ)のない時間帯というものがありません。つまり、冬、火の気のない時というのがないということを前提にできています。ですから思ったほどのこともなく、住み難いということにはならないはずです。
確かに、建具が傷むから暖房は手あぶりの火鉢だけ!という暮らしをしておられる方もありますが、家に赤ちゃんや年寄り、病人とかがおられればそうもいうてはおられません。また、冷えはからだの大敵で、寒い町家に我慢して住んだがために冷えて不妊症になった…なんて話も聞いたりします。
やっぱり、しっかり寒さ対策をして住んでいただくことをお薦めします。具体的には、風の吹いてくる口をとにかくふさぎます。町家の階段は、押入の中に収納されている場合が多いですが、そうでない場合は暖かい空気が上に抜けてしまわないように、階段の昇り口をカーテンなどで仕切るのも方法です。通り庭が土間の場合は、すのこを敷いて、更に足許暖房…というのがよいでしょう。いずれにしても、足許が冷えるので、裸足生活はお止めになった方がよいかもしれません…!?
これから町家暮らしを始めようと考えておられるみなさん!冬に向かっては何といっても綿入れの半纏(ちゃんちゃんこ)をご用意ください。町家は風通しがよいばかりか、京の底冷えというやつもあります。しっかり寒さ対策をして快適な町家LIFEを!!
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◆編集後記
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立冬号、いかがでしたでしょうか。11月に入って、急に冷えこんできましたね。10月が思いのほか暖かかったせいで、よけいにこたえました。でも、数日たつと、何となくからだが寒さに馴れてくるから不思議です。

♪2002.11.22 Vol.5 小雪号
こんにちは、エステイト 信の井上です。風通信・小雪号をお届けします。
このところ、雑誌やTVの取材がいろいろあって、何やら手をとられています。町家という年月を経たものと日々接しているだけに、ちょっと世の中の流れの速さとか、何が流行っているのかとか、ついていけない部分を感じたりしています。
きくところによりますと「町家ブーム」とか言われているらしいのですが、実際は、どうなんでしょうか?うちへ来られるお客さまの中にも、確かにそれらしい方もおられますが、大半は「ブームなんか早く終わって欲しい」という、「真の町家愛好者」であられるようです。また、そういう方々は、「町家に住みたい」のではなく、「町家暮らしをしたい」と口を揃えておっしゃるというのも、興味深いところです。結局、町家ブームから町家に住みたいだけの方って、「町家」という「ハコ」が欲しいだけなんでしょうねぇ…。
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◆ 京町家の種類は?…一般的な京町家・表屋造・織屋建・仕舞屋…
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最も多い京町家の形というと、「一列三室型」といわれるもので、道路側から見て、ミセの間・ダイドコ・奥の間と三室が縦に並んでいるものです。もちろん京町家は職住一致のための建物ですから、ミセの間で商いをし、ダイドコ(キッチンのことではありません)はいわゆる居間兼食事室、奥の間は客間兼寝室…と考えるとよいでしょう。この三部屋に沿って、玄関から裏庭まで続いている土間のことを「通りにわ」といいます。流し(キッチン)は、この通りにわにあり、だいたい、ダイドコの間に近いところに位置しているのが普通です。
問屋さんなどの大店になりますと、表屋造(おもてやづくり)の京町家が大半です。これは、店舗部分(ミセ)と母屋を玄関棟でつないだ形となります。ミセの部分は、むしこ窓の入った厨子(つし)二階、裏の母屋は本二階というケースがほとんどです。京都市登録有形文化財になっている町家さんは、この表屋造が多いようですね。中京区・下京区の北部、いわゆる「まちなか」といわれるエリアに多い建物です。
次に、織屋建(おりやだて)という建て方ですが、これは、西陣地区特有の建て方で、いわゆる機屋(はたや)さんのお家です。普通の一列三室(または二室)の町家の裏手に作業場(機場-はたば-)があります。この機場は、母屋とつながっていることもあれば、別棟のお家もあります。
この織屋建の場合、流しが機場に近い部分にあるのがもう一つの特徴です。織機を動かしているのは女性が多いものですから、機を織りながらご飯ごしらえをする…というのに便利なようにできているのでしょう。まさに、職住一致の生活です。
京町家の建て方としては、以上の三パターンになるのですが、機能面で分けると、「商家である京町家」と「仕舞屋(しもたや)」になります。
これは、文字通り「仕舞(しま)った家」ということで、最初は商売や作業をお仕舞いにして隠居した人とか、利息や家賃で食べている人のお家といった意味だったらしいのですが、後にはそれに加えて役人・勤め人のためのお家となりました。
したがって、居住専用の住宅ということで、家の表は出窓格子が多く、板塀などが巡らされている場合もあります。当然、まちなかや西陣には仕舞屋は少なく、洛中では中京区西ノ京などに多く見られます。
「機屋のややさん(赤ちゃん)は、機音がしないとよく寝ない…」。繊維関係の家ではよくいわれることです。まさか真実とも思えませんが、織り手さんは妊娠中も機を織られますし、生まれてからも機音がする側で寝かされたり、おぶって仕事をされたりします。機音は80フォンほどあって、非常にうるさいのですが、それでも子守唄代わりになるのでしょうか…。
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◆編集後記
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小雪号、いかがでしたでしょうか。明日(11月23日)のMBS毎日放送「サタモニ」(午前8時〜)で当店と貸町家(岡崎徳成町の仕舞屋)を案内しているようすが放映されます。お時間がありましたら、ゼヒ、ご覧ください。

♪2002.12.7 Vol.6 大雪号
こんにちは、エステイト 信の井上です。風通信・大雪号をお届けします。
先日、関西電力へ電話をかけました。ご案内した仕舞屋の京町家に入っている電気が20アンペアだったため、増量してもらうにはどうすればよいか、訊ねるためでした。 現在、一般家庭に入っている電気は、30アンペアが通常です。
以下、そのやりとりです。
井上「不動産屋をしてるんですが、左京区のある家に入っているの が20アンペアなんですが増量するにはどうすればよいんですか?」
関電「えっ! 今はそんな(20Aの)お宅はないはずですが…?」
井上「でも、実際にそうなんですから…。お客さま番号を言えば、ほんとうかどうか調べてもらえますか?」
関電「わかりました。調べますので、どうぞ」
井上「************************」
関電「…、確かに、そうでした。20アンペアでした。。。」
20アンペアというと、エアコンをつけて電子レンジでも使えば、もうブレーカーが落ちてしまいます。冷蔵庫に洗濯機、パソコンや掃除機、 となるともうアウトです。家の中に今のようにたくさんの電気商品がなかった時代、20アンペアでもじゅうぶん事足りたのかもしれませんが…
関西電力の職員もしらない、京町家の電力事情でした!!
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◆ 京町家は寒い、暗い、汚い…?   京町家は寒くて暗いもんなんです。
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町家をお探しのお客さまから、「日当たりがよい家」とのご条件をいただくことがあります。「町家=寒い」というのは仕方ないにしても (立冬号で述べました)、暗いというのは譲れないとおっしゃるのです。しかし、残念ながら、日当たりのよい、明るい京町家は皆無といってよいかもしれません。なぜって? 町家でお商売をしているお家を思い浮かべてください。室町の呉服問屋さんにせよ、西陣で機(はた)を織っておられる機 屋さんにせよ、直射日光は大敵なのです。友禅のかけられていない白生地は直射日光が当たると蛋白質が変性を起こして変色してしまいますし、箔を使った商品はダメになってしまいます。箔を使っているのは、機屋さんだけではありません。仏壇屋さんだって唐紙屋さんだって、みんなそうですよね。家の中に取り込む光は、格子を通すなり角度をつけた天窓から射すようにしたり、庇をのばしてやわらげたり、何とかして直射日光からの被害を少なくしようと工夫しています。まさに、「日当たりのよくない家」にしようとしている訳です。ところで、みなさん!
「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」ということばをおききになったことがおありでしょうか?文豪谷崎潤一郎の随筆としても有名ですが、彼は、この本の中で「日本の伝統美は陰翳にあること」を手を替え品を替えて説いています。影を落として、うすぼんやり浮かび上がるシルエット、これこそが日本人がDNAの中に持つ美意識に他ならない…ということな 京町家は暗いからよいのです。暗いから、京町家なんです。陰翳礼讃しながら、暗さを楽しんで、町家暮らしをいたしましょう。
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◆編集後記
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大雪号、いかがでしたでしょうか。
さて、「町家は汚い」という話ですが、確かに、築100年近く、或いは100年以上の建築物なので、使い古されて荒れているというお家もあります。実際に空家の物件をご覧になられて、あまりの旧さと、ご自分の抱かれていた町家像との落差に唖然として口もきけずにお帰りになるお客さまもいらっしゃいます。これがとんでもない家がというと、そうでもなく、我々から見ると極めて程度のよいお家だったりするのですが…。 そんなお家でも、入居されてしばらくして伺うと、我々でもビックリするくらい活き活きとしてステキになっている場合が多いです。やっぱり、家は人が住んでこそのものなのだとつくづく思います。

♪2002.12.22 vol.7 冬至号
こんにちは、エステイト 信の井上です。風通信・冬至号をお届けします。
12月に入って、何軒か京町家の仲介をしたのですが、商談時の話をちょっと…。
上京区のとある京町家、外観からすると築70年くらいでしょうか…(そのときの流行りや技術の問題で、京町家は外観や部材の状態か
ら建築年代が推定できます)。うちのお客さまの希望条件を管理の不動産会社へ交渉しているときのことです。
井上「天井板をめくって大和天井を出したいのと、貼ってある床板とかまちをはずして、たたき(土間)にもどしたいとおっしゃるのですが
…。つまり、もとの町家の姿にもどしたい、ということです」
担当者「大和天井って何ですか? 天井をめくるとそんなものが出てくるのですか?」…そんな担当者が多いのも事実です。
井上「京町家のミセの間とダイドコの天井は本来、大和天井なので、出てくるはずです」
担当者「京町家みたいにされるのですね?」…ちがいます!京町家なんです。京町家というと、木格子が入っていないといけない!なん
て思っている不動産業者はまだまだ多いようです。
担当者「それにしても、あんな不便で旧くて汚い家、寒いだけやし…。何でお客がつくのか分かりまへんわ。いったい、なんで町家なんか
に住まはるんでしょうかねぇ?」
井上「ずっとわたしも住んでるんですが…」
担当者「…」
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◆ 京町家はいつごろからあるんやろ?    平安時代に始まるという話だっせ…
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もうすぐ、今年も終わりですね。温故知新、今回は京町家の歴史についてちょっとお話しいたしましょう。
京町家の原形は平安時代初期、10〜12世紀にかけて現れたといわれています。もっとも、この頃の家は、貴族の大邸宅を除けば桟敷に毛の生えたようなもので、しごく簡便なつくりであったようです。平安時代末期に描かれた「年中行事絵巻」によると、その頃の町家は、掘立て柱に壁は板か網代、屋根は板葺き、一部は職人の手を借りるものの、自分でぼちぼち…に近いものがあるようです。何軒かが軒を連ねた長屋建ちで、家は道路ぎりぎりに建っていて店棚を持ち、商売が営まれていました。こんなことからも、京町家は、農家から発展したものでなく、最初から職住一致の商店として成り立ったものだということが明らかです。
その後、次第にその形を整えていき、江戸時代には現在の形に辿りつきました。
現在、見かける京町家は、江戸時代後期から明治・大正にかけて建てられたものが殆どで、昭和25年の建築基準法の改正後は1軒も建てられておりません。尚、現存する一番旧い京町家は、上京区にある川井家住宅で、当エステイト 信の近くです。室町時代の建築とか。一般公開などはされておりませんが、ご散策の折にはゼヒ外観だけでも!
もともと京町家は住宅というよりも、京都独自の祭礼や職業形態、暮らしと密接に関わりながら、その暮らしを遂行していくために便利なように、いわばひとつの生活道具として発達してきた、といって過言ではありません。京町家が京町家としてこんにちあるのは、京都人の気質を語ること抜きにして説明はできません。詳しくは、次号にて…
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◆編集後記
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冬至号、いかがでしたでしょうか。町家なんぞを扱っているせいか、永い日数をかけてお家探しをされるお客さまが多く、従って、私たちとも永くお付き合いしていただく…ということになります。お家探しを始めた頃にはまだ寝たきりの赤ちゃんだったお子さんが立っちばかりか歩き出す頃やっとお引越し…というケースも少なくありません。不動産屋という性格上、あまりリピーターにはなっていただきたくはないのですが、このお家探しの間に仲良くなり、お引越し後も引き続き家族ぐるみで親しくしていただいているお客さまが多いです。うちは、ほんとうに、お客さまに恵まれているなぁ…と、いつも感謝しております。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。みなさまにとって、今年はどんな年だったのでしょうか?どうぞ、来る年がよい年でありますように、お祈りいたしますとともに、2003年も、風通信、ご愛読の程、よろしくお願いいたします。

♪2003.1.6 vol.8 小寒号
あけましておめでとうございます。エステイト 信の井上です。風通信・小寒号をお届けします。今年も、ご愛読の程、宜しくお願い致します。
当店は京町家・古民家の専門店として、不動産の仲介業務を中心にやっているのですが、当店がオーナー様から直接お預かりした物件のみを扱っているのではありません。他の業者さまが預かっておられる町家物件も仲介いたしております。じゃ、何も他の不動産屋とかわりはないじゃないか…と、おっしゃられる向きもあろうかと思いますが、当店では、「エステイト 信に仲介を頼んでちょっとおトクだったな」とお客さまに思っていただけるような仕事をしたいといつも考えております。
例えば、町家の改修ひとつをとっても、一般の住宅やマンションのリフォームとは注意点や業者の選択が違います。シックハウス経験のある方、アレルギー体質の方がお住まいになる場合は尚更注意が必要です。また、入居時の家に対するチェックポイントや入居後の町家暮らしのあれこれ…ご近所づきあいや洛中のしきたり、家のメンテナンス等々に至るまで、ハードとソフトの両面からお役に立ちたいと願っています。また、当店は、<京町家・風の会>という町家愛好者の会を主宰しておりまして、このネットワークをご利用いただくことも可能です(風の会につきましては、また別の機会に詳しく)。
どうぞ、今後ともお引き立ての程、よろしくお願い申し上げます。
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◆ 京都人気質について(その1)…曖昧さと京町家・通り庭
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京町家が京町家としてこんにちあるのは、京都人の気質を語ること抜きにして説明はできません。と、先号で述べたのですが、平安遷都以来1200年余、京都洛中はめんめんとしてその地位を保ちつつ存在しつづけています。その秘訣は、どうも、京都人気質にあるような気がしてなりません。
その永い歴史の中では、度々戦乱がおこって焼野原になったり、また、一部とはいえ先の大戦で空襲を受けたりしました。時の権力者が度々変化する…という世の中では、ときに自分の態度をはっきり表明せずどちらとも受け取れるように振舞う…ということをよしとしたのでしょう。「曖昧」にしておくということは、自分を守る手段の一つであったはずです。京都人は、他人との距離をとるのが上手…らしいのですが(実のところ自分ではよくわかりません)、京都特有の曖昧さや婉曲または間接表現が人とのほどよい距離感を保ち、それを共有することで日々の暮らしがスムーズに流れていったのだと思います。
町家暮らしの一日は、「門(かど)掃き」から始まるといわれますが、道を掃き清めて水を打つにも、担当エリアが決まっています。決して、自分の家の前だけを掃くのではなく、家の間口からすこし(この「すこし」というのがミソ)はみでるくらい、道路の中心から気持ちむこう側までを清めます。お隣やお向かいさんを意識しつつ…ということなんでしょうか…。
また、京町家をみてみると、間取などに、ずいぶん、この「曖昧さ」が活かされているような気がします。京町家は、大まかにいうと、道路側からミセの間・ダイドコ・奥の間と並び、それに並行して通り庭が玄関から裏(戸外)まで続いています。
ミセの間に腰掛けたりあがってもらうのは仕事関係とか一見(いちげん)のお客さん、ダイドコはプライベイト、奥の間は特別なお人…。はっきり告げずとも、「あなたとはこういう関係なんですよ」ということが伝わります。暗黙の了解ともいえるでしょう。
また、この通り庭の「庭」ですが、これは、本来、植物が植わっていたりつくばいがおかれているような、今でいうところの庭ではなく、「作業をするところ」という意味になります。ですから、ミセの間に面している「ミセ庭」は、仕事の用事をしたり接客の場だったりします。その奥のダイドコや奥の間に接する部分は、生活のための作業…ご飯ごしらえとか…や個人的なお付き合いをするところです。当然、家の裏にあるトイレから汚物を表に運び出したり、織屋建だと材料や製品の搬出入は頻繁ですし、裏に用事のある職人さん(植木屋さん等)の出入通路でもあります。
このように、通り庭は、家(ウチ)の一部でありながら道路(ソト)の役割も果たすということになります。同じ一つの通り庭でも、さまざまに用途を変化させてフレキシブルに利用する…というのは、曖昧さのなせる技ではないでしょうか?
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◆編集後記
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小寒号、いかがでしたでしょうか。最後までお読みいただき、ありがとうございます。みなさま、どんなお正月を過ごされましたか?京都洛中は、ちらちらと風花の舞う、底冷えのお正月となりました。
私どもは、ほっこりごろごろ寝正月…といきたかったのですが、昨年のツケがまわってきて書類の整理と事務処理に追われております。これが一段落つく頃にはきっとまた新着物件が出て、ばたばたの日常に戻ることと思います。

♪2003.1.20 vol.9 大寒号
寒中お見舞い申し上げます。エステイト 信の井上です。風通信・大寒号をお届けします。
「町家暮らし」なんて、ご近所づきあいが大変でいろいろ干渉されたりしてうっとおしいんじゃないか…なんて、お考えの方もおられると思います。現に、わたしの知人にも、そういうことが面倒で洛中には住みたくない、という人がいないわけではありません。ご近所づきあいを難儀なことと考えるか否かは、その人次第だとは思いますが、また、このご近所があるからよい、という人がたくさんおられることも事実です。
うちのご近所に住む老夫婦の話をひとつ。右京区に息子さんが立派なお家を建てていつでもご両親を呼べるようにしておられるそうです。が、このご夫婦、いっこうに越される気配がありません。戦前からお住まいになっているのは、ろうじの中の長屋の貸家です。先日、ちょっとお話しする機会がありまして、「なんで息子さんのところへ行かはらへんのか?」と、お訊ねしてみました。曰く「ろうじのみなもようしてくれるしな、死ぬまでここにおいてもらおうと思うんや」とのこと。今更、新しい土地での生活は考えられない…と、おっしゃるのです。遠くの親戚よりも近くの他人、ということなんでしょうね。さらに、もう一言。「息子のところへ行ったら、近所にお風呂屋さんもないし…」ですって…!
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◆ 京都人気質について(その2)…町家暮らしの秘訣…?
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京町家が京町家としてこんにちも存在している理由のひとつに、京都人気質が大きく関係している…という話のつづきです。
「町家暮らしをするときに必要な心得は何?」と訊かれることがよくあります。みなさんそれぞれお考えはおありでしょうが、わたしが一言で答えるとすると、「出ず入らず」でしょうか?
洛中の旧い町並が続くエリアを歩いてみてください。何だか、同じような家が建ち並んでいる…という印象を受けませんか?よくよく見てみると、まったく同じ外観の家が並んでいるわけではなく、そのお商売や住む人の好みによって微妙に異なっています。例え連棟であっても、隣り合う家同士は全く同じ…にはなりません(借家の場合はそうでないこともありますが)。しかし、軒の高さを揃え、お隣やお町内を意識してとっぴな印象にならないように、かつその場所にあって貧相にならぬよう、つまり「出ず入らず」の家を建てているのです。
ときに自分の態度をはっきり表明せずどちらとも受け取れるように振舞う…という話を前回お話ししましたが、「出ず入らず」でやっていくということは、自分を守る手段の一つにもなります。間違っても、三月に引越して四月から町内の組長を引きうけるような真似はしてはいけません。やはり、一年待って、町内の行事のことやらをそれなりに知ってから引きうける…というのが常道でしょう。その反面、(例えば仕事が)忙しいからといって町内の役を引きうけない…というのも、考えものです。「できることはやらせてもらう」というのが肝要です。
この兼ね合いの中で暮らしている…というのが、京都人の日常生活なのではないでしょうか? 都市の中でたくさんの人が高密に住まうためには、やはり、それなりのルールとそれにしたがって暮らしていこうという意識の高さが必要です。
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◆編集後記
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大寒号、いかがでしたでしょうか。一年でもっとも寒い時期ですね。町家暮らしのみなさん、いかがお過ごしですか? お風邪、召されていませんか?この時期を乗り切れば、快適な町家ライフが待っていますよ〜!あと、すこおしの辛抱です!

♪2003.2.4 vol.10 立春号
こんにちは、エステイト 信の井上です。風通信・立春号をお届けします。寒いですねぇ、いかがお過ごしですか? 「寒いのは町家暮らしの醍醐味」なんて、笑ってられなくなりそうです。
「なばな」・「きくな」というと何のことかお分かりですか?「菜花」「菊菜」というと、何となくお分かりでしょうか?そうです、「菜花」は菜の花、「菊菜」は春菊のことです。京野菜といって京都でしか作れない野菜もありますが、これらの野菜そのものは全国的なものです。が、このような呼び方をするのは京都とその近辺、関西エリアのみだとか。京町家でもそうですが、京都人って、変化を好まないというか、よそがどうあろうとうちらはうちら、自分たちが好きでそう呼んで食しているのやからそれでよい、というところがありますね。よそから京都へ越してこられると、食文化の違いにびっくりされるとか。
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◆ 京都人気質について(その3) …町家暮らしのキーワード?
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「なんぞごと」という言葉を耳にされたことはおありでしょうか?「なんぞごとのときにはよろしゅう…」とか、「なんぞごとがあったらあかんし…」などと遣います。ご近所づきあいはなんのために必要なのか…と考えると、究極は、この「なんぞごとのとき」のためなのかもしれません。なんぞごとのときに対処できるように、ご近所がどんな生活をしてて、今どういう状態なのか知っておくということは重要です。
町家を買いたい(借りたい)けれど、チェックポイントは?とお訊ねされたとき、不動産屋としてでなくわたし個人がお答えするとすると、次のようになります。先ず第一に、家の躯体(くたい)がしっかりしていることでしょう。外観や内部のいろいろはお金を出せば何とでもなります。例えば、格子があるとか建具がどうとか、そんなことは二の次三の次の話で、容易に取り換えられない梁や柱を重視すべきです。もちろん、部分的に交換できるのが町家のよいところですから、悪い柱や梁は交換可能ですが、全部を取り換えるわけには行きません…ものね。建具は、建具屋さんで買うてくればOKです。
次に重要なのは、ご近所のことでしょう。どんなお町内であるのか、どんな人が住んでおられるのか、どんな暮らしをしておられるのか、氏神様はどこなのか…。ご近所は、お金では買えません。交換もできません。町家暮らしはご近所に支えられてできていくものです。軽視できることではありません。
わたくしごとですが、20年ほど前、両親が亡くなり、その後、祖母と二人暮らしをしていたことがあります。わたしはそのころ、まだ不動産業には就いておらず、司法浪人をしていました。ある日の夕方、帰宅すると、うちの家の前にご近所の人が立っておられます。玄関の引き違い戸は外されています。びっくりしていますと、事情を話してくれました。
ご近所の方がうちに遊びに来てくれた際、呼んでも応答がないので、玄関戸の郵便受け口の隙間から覗いてみると、通リ庭に祖母が倒れていたのだそうです。これはタイヘン!と玄関戸を外して家の中へ入り、救急車を呼んで祖母を病院へ運んだ。玄関の戸を外してしまい物騒なので家の前に立ってわたしを待っていた…とおっしゃるのです。結局、祖母は助からなかったのですが、ご近所の方がわたしが祖母と二人暮らしなことや、日中、留守にしていることを知っていてくれたからこそ、上記のようなことになったのだと思います。現在のように、携帯電話を持ち歩いていることもないので連絡のとりようもなく、ご近所総出で対応してくれていたようです。
もちろん、「なんぞごと」などあってはいけないことなんですが、そういうことも起こりうるのがわれわれの暮らしです。
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◆編集後記
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立春号、いかがでしたでしょうか。暦の上では、春。とはいえ、「節分冬なか」とも申します。新暦は、どうも皮膚感覚にそぐわない面がありますね。俳句に欠かせない季語は旧暦で規定されているので、新暦で考えるととても違和感があります。いっそのこと、世の中を旧暦に戻してしまうとよいのに…といつも思います。春は名ばかり。どうぞ、みなさま、お風邪を召されませぬように。。。