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vol.1〜vol.10/vol.11〜vol.22/vol.23〜vol.32/vol.33〜vol.41/♪2004.5.21 小満 Vol.42/♪2004.6.5 芒種 vol.43
♪2004.7.22 夏至・小暑・大暑合併号 vol.44/♪2004.8.7 立秋号 vol.45/♪2004.8.23 処暑号 vol.46
♪2004.9.7 白露号 vol.47/♪2004.9.23 秋分号 vol.48/♪2004.10.8 寒露号 vol.49/
♪2004.10.23 霜降号 vol.50/vol.51〜vol.56/vol.57〜vol.64

♪2004.5.21 小満 Vol.42
こんにちは、エステイト 信の井上です。風通信・小満号をお届けします。
小満、「万物が成長する」とされているときです。先日、風の会の例会で、大津の京町に在る「大津百町館」を訪ねました。ここは、明治32年築、およそ百年前の建物です。母屋、蔵、離れと中庭で構成されており、かなり大きな町家さんです。これを借りられた「大津の町家を考える会*」が改修、「まちづくり大津百町館」として再生しはりました…というものなのですが、ちょっと面白いことを言われました。
この日の例会の参加者は25人ほど。そのうち4人が子どもでした。一番小さい子は五ヶ月のBABY(女の子)。2歳・3歳・4歳の男の子。「大津の町家を考える会」の会長さん曰く、「ふつう、この家に子どもが来はったら、『こわいー』言うて泣かはるのに、今日の子たちは元気やねぇ」。確かに、走りの荘厳な吹き抜けと太い梁、歴史を感じさせる柱や壁、決して明るいとはいえない座敷の中…。昭和初期に迷い込んだかのような佇まいです。実は、この日、参加した子どもたちは4人とも町家住人。ふだんがふだんですから暗いとか家の中にいろいろ段差がある…なんてものともせず走り廻ってしまうのです。…恐るべし、町家パワー?
*「大津百町館」 http://hyakucyou.s11.xrea.com/

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◆ 京都でお商売しよと思たら…(10)    「判断」と「決断」、そして「英断」…
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先日、久しぶりに妻の実家を訪ねまして、岳父から聞いた話です。

昭和40年代の初めの頃のこと、ある日、一本の電話がかかってきました。
A「あんなぁ尾瀬はん、わしもうちりめん屋やめようとおもうんや」     B「やめて何しはるんですか?」
A「ちっとは貯めたもんもあるしなぁ、ビル屋でもしょうかと思て」
B「そうですか…、またこっち来はったら寄ってください。寿司でもとりますわ」。
Bは岳父、Aは京都の貸ビル業としては老舗の長谷ビル初代社長です。長谷さんは浜ちりめんで有名な滋賀県長浜の出身。京都・むろまちでちりめんの白生地屋をしておられ、父の会社はその仕入先でした。なかなかおもしろい方でやり手さんだったそうです。お寿司が好きで、「丹後のさかなはうまいなぁ」と、来はるたびににぎりを食べて行かれたとか。

「ロマン吉忠」とか「吉忠マネキン」という名を耳にされた方は多いと思います。吉忠は、明治8年に呉服屋として創業。「あれ?」と思われましたか?確かに、現在は呉服部門はごくわずかで、マネキンとテキスタイルがメインの会社です。社歴は永く、京都でも老舗です。が、この会社とて順風満帆なときばかりではなく、これまで何度かの危機を乗り越え、こんにちの地位を築いておられます。(財)京都市中小企業支援センターが2ヶ月に1度、発行している情報誌のWeb版- InformationからすまVol.184(2003年5月)-の中で、吉忠株式会社の代表取締役社長の吉田忠嗣氏の講演「創造的変革『伝統の中のしなやかな革新』―古きよき伝統を守り,時代のニーズにあわせて変革を続ける経営戦略―」より少し引用してみたいと思います。

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(前略)戦後の復興の中,今後は洋装が主流になるであろうとの予測から,京都では5本の指に入った“呉服”の吉忠という看板を捨て,洋装へ180度の営業方針の転換を行いました。これには,仕入先や販売先の猛反対に合いました。そういった中で粘り強く得意先を説得し,洋装への転換に際して行動を共にしてくれるよう依頼をしました。全く予想もつかない洋服地への方向転換は,まさに我が社の命運をかけるものでした。しかし社員の意識を高めこの変革を成功させるため,和装は一切の取り扱いを中止し,洋装100%の背水の陣を敷いて改革に挑みました。創業社長の経営理念である“大衆と共に,時の流れに従う”を実践してきたのです。先見性があったのか洋装に特化してから数年で和装の業績を超えることとなりました。また,それと前後して非繊維であるマネキン製作の事業を島津製作所から譲り受けて開始しました。こちらは長期間赤字を計上することとなりましたが,現在では吉忠の総売上の50%を超えるまでになっています。(後略)
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過日、Vol.39(清明)で、「京都の商売人は、『これではあかん』と思ったら悩むことなくさっさと見切りをつけて次の商売へと移行できる。いつまでもいつまでも引きずって、契機を逃してしまってはお家の存続が叶わないかもしれない。世の中の流れを読んで生き残っていく…。これも無視できないことである」と、のべましたが、今回ここに挙げたお二方はいずれもそれぞれの時代のニーズにあわせて革新を繰り返してこられたからこそ、こんにちの繁栄があるのだと思います。
「判断」はできるけれども「決断」ができない経営者や企業家が多い昨今、「英断」ということばの重みを改めて感じました。

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◆ 京ことば*ノート p.10
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「・・・してください」というとき、京ことばでは「・・・しとおくれやす」とか「・・・しとおくれやっしゃ」といいます。後者の方は、ちょっと慣れないと言い難いかもしれませんね…。

  例1)「がんばってくださいね」→「おきばりやす」または「きばっとぉくれやっしゃ」
  例2)「おめしあがりください」→「あがっとぉくれやす」または「あがっとぉくれやっしゃ」

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◆編集後記
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小満号、いかがでしたでしょうか。今年は雨が多いですね。五月に雨の日が続くことを「走り梅雨(はしりづゆ)」と呼ぶそうですがそのまま長引いて梅雨に入ってしまうこともあるとか。屋根屋さんのため息がきこえてきそうです。
♪2004.5.21 小満 Vol.42


♪2004.6.5 芒種 vol.43
こんにちは、エステイト 信の井上です。風通信・芒種号をお届けします。
入梅まぢか…ですね。いかがお過ごしでしょうか? 梅雨といえば紫陽花。京都では、6月の6のつく日(6・16・26日)に紫陽花の茎を半紙にくるんだものをトイレや裏口、座敷の天井につるす風習があるそうです。こうしておくと、流行病から逃れられたり、他人さまに下の世話にならなくて済む…ということのようです。
歴史的にみても、京都の人間は疫病逃れにはかなり熱心だったようで、今宮神社のやすらい祭、八坂神社の祇園祭、多くの神社で行われる夏越(なごし)の祓え・茅の輪くぐり…、その目的はいちように厄除け・病気除けです。

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◆ 京都でお商売しよと思たら…(11)   丁稚(でっち)のはなし その1 
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「丁稚(でっち)」という言葉を耳にされた方は多いと思います。かつて、「徒弟制度」という名のもと、一人前の職人や商売人になるため、大将(主人)の家に住み込んで働く「丁稚奉公」がありました。
大阪の船場や江戸では、10歳頃(のちには小学校卒業頃、さらに高等科卒業の15〜16歳頃)に入店し、丁稚から手代、番頭となって、その上で別家独立が叶いました。ざっとここまで13年〜20年かかります。一方、京都の商家に丁稚にはいると、だいたい手代のうちに分家独立を果たします。また、そのおりには家一軒を買える程の、今で言うところの退職金のようなものももらいました。同じ「丁稚」というても、船場や江戸は名実ともに「奉公人」だったことに対し、京都では家の子どもとそう大差なく扱われ、大事にされたようです。他の地の丁稚奉公制度と比較すると、途中退職者が極端に少なかったのは、このためであるといえそうです。
丁稚になると、最初は特定の仕事を与えられず,掃除・子守・炊事手伝いなどの雑用の手伝いをします。慣れてくると、走り遣い・荷造りや店内の雑用を店の先輩(手代・若い衆ら)の指図を受けて働くようになります。夜は読み書き・そろばんを家人や先輩から学んだり、戦後になると夜間高校へ通わせてもらったりもしたようです。
丁稚の期間は、店や主人の家内外の労働力であるとともに,基礎的な職業訓練と学習の場も与えられました。もちろん無給で、盆と正月、お祭には着物・肌着・足袋・下駄等の身の廻りの品一切が支給され(仕着せ制度)た上、ご祝儀(お小遣い)が出ました。食事や寝具のかかり、病気の治療費等はすべて店主の負担です。お休みは正月とお祭りだけで、年が進むと月2回、さらには週休となりました。その間、雇う側は丁椎の教育・病気治療・生活監督・しつけ等、さまざまな責任を負う義務がありました。
京都の企業の特徴の一つに「『のれん分け』をいやがらない」というのが挙げられます。確かに、自分のところの子飼いの社員を外へ出さず、どんどん傘下を広げて店(会社)を大きくする…というのも企業の一つの在り方です。しかし、京都では、(今まで何度も述べてきたことですが)自分の店を大きくすることはそれほど重要なこととは考えません。それよりもむしろ、何十年、何百年と続けることに執着します。そのためにも、息のかかったお店(企業)がたくさん増えて(いわば、「ファミリー企業」のようなものですね…!)、有形無形、自分の店の存続に貢献してくれたら…と、考えるのだと思います。
妻の実家は丹後ちりめんの織元だったのですが、若い子が独立するときには家を建ててあげたり、女性の事務員さんが結婚するときには婚礼家具一式を整える…(業種柄、中身は在職中に自分でいろいろ作ってしまうのが通例)のが一般的だったそうです。その代わりというわけでもありませんが、退職後も盆暮れの挨拶はもちろん、冠婚葬祭、なにごとにつけ手弁当で駆けつけてくれるとか。親方の方も、子どもが生まれたとか、その親御さんに不幸があったとか…祝儀不祝儀、きちんと礼を尽くします。親方と丁稚(従業員)というのは、血縁以上の絆で結ばれている…というても過言ではないかもしれません。
数年前、妻の母方の祖父が亡くなったときのこと。同じ日に、妻の弟の会社(大阪・堺市)の会長さんがなくなられました。もちろん、葬儀も同じ日です。この場合、どちらに参列すべきと思われますか? 商売に何の興味もないサラリーマンの義弟は、何の疑いもなく実家に帰ろうとしました。が、妻の母は弟の寮に電話をかけ「帰ってこないように」伝言したのです。結果的には、会社から「会長の葬儀はパスするように」言われ、弟は帰省したのですが、妻の家族はみな「???」だったようです。これは大阪・堺と京都の商法の違いなのか、はたまた時代の違いなのか…おおいに疑問です。

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◆ 京ことば*ノート p.11 形容詞を強調する時
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形容詞を強調する時、その語を繰り返して用いることがあります。「ごっつ(い)〜」とか「えらい〜」ということと同じです。
例1)お風呂入って、きれきれしてきよしや。→お風呂に入って、きれいにしてきなさいね。
例2)六月になって、日がなごなごなったなぁ。→日がとてもながくなりましたね。
例3)こんな遅ぅ遅ぅからすんまへん。→こんなに遅がけに(お訪ねして)申し訳ありません。

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◆編集後記
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芒種号、いかがでしたでしょうか。わたしの父は整経、母は西陣織の職人で、よその工場に働きに行っておりましたので、祖父が不動産業をやめてからは、サラリーマン世帯とかわりない生活をしておりました。妻や岳父の話をきくと、職住一致の暮らしというものは、あらゆる面で暮らしの中に商売が入り込んでいることを痛感します。「当たり前」「常識」と思っていることがそうでなかったり、対応の仕方が違ったりします。
サラリーマン社会で、「京都でTOPをとるのは日本一難しい」と言われているそうですが、それは、京都でやっていこうと思ったら、まず、こういう「京都の商習慣」から身につける必要があるからかもしれません。

♪2004.7.22 夏至・小暑・大暑合併号 vol.44
こんにちは、エステイト 信の井上です。風通信・夏至・小暑・大暑合併号をお届けします。
空梅雨かと思えば集中豪雨、地球温暖化のせいなのか、何なのか…。このまぐまぐは読者の方の情報は当方には伝わってこないのですが、みなさまのところでは大丈夫でしたでしょうか?被害にあわれたみなさまに心よりお見舞い申し上げます。

京の夏の風物詩といえば、鴨川の床。その始まりは、500年ほど前、豊臣秀吉の頃。豪商が遠来のお客を接待するのに五条河原に床几を置いたのがきっかけだとか。当時は川幅ももっと広く(現在の河原町通から川端通の東側辺まで)、両岸に茶店が並んでいたようですが、疎水運河完成(明治27年)や京阪電車開通(同43年)によって東岸の床は廃止されました。現在、床がかけられるのは、鴨川の西側の狭くて浅い川、「禊川(みそぎがわ)」です。これは、室戸台風(昭和9年)による大被害のため鴨川補修工事がなされ、これによって整備された川で、荒神口に始まり、いったん地中に入って二条で顔を出し五条まで続きます。

ところで、この「床」の時期はふだんよりも床の分だけ客席が増えて、お店としては万々歳!となるのでしょうか? 今は全部が全部そうではないと思いますが、本来「床」を出しているお店はその床の客席の分だけ、室内の客席を空いたままにしておくのだそうです。なんでやと思わはりますか? 「もったいない…」と、言うてしもてはいけません。この時期は雨の多いときでもあります。もし、急な雨降りになったときせっかく盛り上がった宴をお開きにするのは気づつない、ちょっとお家の中に座を移して…ということが可能なようにお席を確保しておくのです。ダブルブッキングはご法度というわけです。経済効率などから見るとあんまり利口とはいえないかもしれませんが、なんとまぁ、京都らしい考え方やないですか!

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◆ 京都でお商売しよと思たら…(12)   「京都ビジネスの根幹(京都人のみやこ気質)」
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「京都でお商売しよと思たら」と題してのお話を昨年の晩秋から11回ほどしています。「京都でお商売しよと思たら」大事なことは何やろか、まず知っとかんとあかんこと、知っててあたりまえやと世間様が思たはることは何やろか…、そんなことをつらつら並べてまいりました。

「京都の商売」つまり「京都人の商習慣」というのは、「継続」を重んじる…というのは何度も申し上げてきたことですが、この「京都人の商習慣」つまり「京都商法」の特徴を端的に表現しておられる方があります。企業コンサルタントの南村与士重氏は滋賀県のご出身で、いわば、京都に一番近いところから客観的に分析されています。・・・余談ですが、とある有名会社のセミナーを収録したサイトで、「石田梅岩は近江商人出身」との記載がありました。これを見つけたとき、即、サイトの主宰者に連絡を取り訂正を求めたのですが、こんな間違いが普通に通ってしまうくらい、京都商法と近江商法は一見混同しやすいのです。しかしながら、近江出身の南村氏は、京都と他地域との差を的確に表現しておられます。
氏によると、「京都ビジネスの根幹(京都人のみやこ気質)」は、次の五つに大別されるようです。

1)市場に対して・・・地域や自治区(*註1)の町衆と限られた個人を対象にする。
2)商品と開発・・・こだわりの商品、こだわりを追及。原料、加工、デザイン、機能性味は感性と感動を重んじる。
3)事業計画(方針)・・・身の丈(*註2)サイズ。損をしない。
4)人員計画・・・企業理念にあった好きな人材を選ぶ(この仕事が好きという人)。
5)販売促進(PR)・・・口コミ。大衆を狙わない。わかっている人のみへのPR最小公倍数のフロシキ。

「そりゃ、そうよね。あたりまえのことやなぁ」と、思われましたか? それとも
                        「そうかなぁ、ちょっと違うんやないかしら」と、思われましたか?

昨今の町家ブームのおかげで、東京などの大きな資本で大がかりに起業をし、さほど発展しないと思うとさっさと引き上げる…というやり方の店も珍しくなくなってきました。それに加えて、他地域でそれなりに会社員をしてノウハウをつかんだ上で京都で起業を(しかも町家で)する…という方も少なくありません。当店にもいろいろご来店を賜ります。しかし、上記のような方々はたいてい、上記の5つの件に関して(全部とは申しませんが)、「自分たちは自分たちのやり方で…」ということを主張されます。
お客さまそれぞれのお考えがあってのことですから、当店としては「そんなことしてもあきまへんよ!」ということはできないのですが、非常に不安を覚えます。京都・洛中で、京都人を相手にお商売するのですから、京都人におうた(合った)お商売のやり方でせんとあかんとは思うのですが…。

最近のお話を一つ。
この夏にオープンするお店が二軒(仮にA屋さんとB家としましょう)あります。いずれも京町家で繊維関係の商品を小売される物販店です。現在、A屋さんは契約も済み、改修工事に入っておられます。「オープンのご予定は?」とお訊ねすると、「8月に入ると盆月なので、一日でもよいから7月のうちにオープンしたい」とのお返事。
B家さんは、入居のOKは出たものの、契約はまだ先です。「できれば9月からお借りしたい」と申されるので、いったいいつを目安にオープンされるのかとお訊きしたところ、「9月後半」とのこと。もう、びっくりしてしまいました。黒いもの(つまり喪服関係)を扱うのならばまだしも、8月や9月・3月の盆月・彼岸月にそんなめでたい「開店」をするなんて、われわれにとっては考えられないことです。まして、呉服を扱われるのなら、なおさらのことです。喪服をつくるとき、特に差し迫っていない限り、京都では出来上がっていても納品をわざわざ3・8・9月に延ばしたりするほど、その辺のことには気を遣うのが普通です。
そんな、9月にお店をオープンなんかしたら、得意(仕入)先はもちろん、ご近所の人はなんと思わはるでしょうか? そんな常識を持ち合わせていない店で呉服を誂えようと考えはるでしょうか? 京都で店をする…ということをよく考えてほしいものです。

(*註1)自治区:すなわち、いわゆる「学区」のこと(小学校の通学校区ではありません。詳細は、ここをクリック!
(*註2)身の丈(みのたけ):自分の分(ぶ)。京都商法や京都人気質を語るとき、このことばは不可欠です。今後の「風通信」にてあらためて取り上げます。お楽しみに・・・!?

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◆ 京ことば*ノート p.12 「マ」行の音が「バ」行音に…
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「マ」行の音が「バ」行音に変化することがままあります(音訛)。どの語もこの法則に従う…というわけではないのが少々やっかいですが、もうこれは慣れるしかありませんね。。。。。。。。

例1)さむい(寒い)→さぶい  例2)ひも(紐)→ひぼ  例3)つかまる(掴まる)→つかばる

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◆編集後記
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夏至・小暑・大暑合併号、いかがでしたでしょうか。合併になってしまったのはあまりの暑さで…というのは言い訳でしかないのですが、家族が体調を壊していたりして、なんだかばたばたの毎日です。

世間の小中学校や幼稚園では夏休みに入ったようですね。うちの二人のボン(息子)は保育園なので、お休みはお盆の三日間だけです。ありがたいことです。

最初のところに書きました「床」ですが、盆地特有の酷暑をやり過ごす生活の智慧の一つですよね。正式名称は、「鴨川 納涼床」。ちなみに、貴船川にかかるものは「川床」と呼ばれます。いずれももてなしのこころのあらわれといえましょう。まだまだ暑中。みなさま、お大切に・・・。

♪2004.8.7 立秋号 vol.45
こんにちは、エステイト 信の井上です。風通信・立秋号をお届けします。
先月末、「イギリス食品規格庁は28日、日本から輸入されたヒジキの中に発がん性が指摘されている無機ヒ素が高い濃度で含まれているとして国民にヒジキを食べないよう勧告した」というニュウスがありました。覚えておいででしょうか?これに対して日本の内閣府食品安全委員会では、ヒジキに含まれるヒ素について、「摂取したヒ素が1日摂取許容量を超えてしまうことはあるかもしれないが、(中略)直ちに悪影響が発生するという値ではない」とコメントしています。ま、毎食毎食ヒジキを召し上がるという方は多くはないでしょうし、そんなに気にする必要もないのかもしれませんが、京都・洛中ではヒジキよりもアラメ*ですよね!
ところで、もうすぐお盆ですが、8月16日の夜、五山の送り火でお精霊さんが帰って行かれるのはご存知の通り。この日は朝からアラメを炊き、お仏壇にお供えします。また、ゆで汁は門口に流します。こうすることでご先祖様の霊は帰ってゆかれるとか。これが「追い出しあらめ」です(もちろん、お精進ですからお出汁に鰹節などは用いません)。つねの日は、毎月「8」のつく日、つまり「8・18・28」に炊きます。これは、末広がりの八(はち)の日で、芽がでるようにとの願いからとか・・・。京都では、このように、何日にはこれを食べる・・・という習慣がいろいろあります。ただの語呂合わせに近いものから、科学的根拠のあるものまで・・・様々ですが、このアラメに限っていえば、決まった日にどの家もアラメのゆで汁を流すことで土管の一斉掃除になる・・・というメリットもあります。町家暮らしの大敵の一つは「土管の詰まり」ですから・・・

※アラメ(荒布):海草の一種。ヒジキに似ているが、また別で昆布のように平たく、刻んだ状態で売っているのが一般的。生のものを細かく刻んでたたくと、とろろのようにもなる。調理の際は、ヒジキに比べてざっくりと炊かないと煮崩れしやすい。お好みですが、ヒジキよりも甘みを抑えるほうがおいしい。

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◆ 京都でお商売しよと思たら…(13)     丁稚(でっち)のはなし その2-職人の弟子-
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先日の芒種号(vol.43)で、「丁稚のはなし その1」というお話をしたのですが、今回は、その続きです。芒種号では、商家の丁稚のことを書いたのですが、これが職人さんのところになると「弟子」となります。一人前の職人になるため大将(親方) の家に住み込んで働く「丁稚奉公」には違いないのですが、一本になって一人立ちするまでにしっかりと技術を身につける…ということが肝要です。
職人は、「年季奉公」「年季明け」「お礼奉公」の各ステップを経て、一人前となります。これが、いわゆる「徒弟制度」です。大工の棟梁は、弟子として奉公人をあずかります。かつて、その奉公人は10〜15歳くらいのまだまだ子どもでした。自分の家に住み込ませて、わが子と同じように、しつけから常識、風習まで教え、立派な棟梁になれるよう、衣食住三食面倒をみて育てるのです。
一人立ちするまで最低10年くらいの修行を必要です。この修行期間を辛抱して一人前になると、3年前後のお礼奉公をします。その後、棟梁として暖簾分けを許されます。棟梁として、請負が許されるわけです。「徒弟制度」は封建的で閉鎖的、かつ民主的でないとの理由で戦後批判の対象となり、職人の世界ではほとんど姿を消しました。昭和22年成立の労働基準法なども関係が深いです(しかし、京都の伝統的な工法を受け継ぐ親方のところではまだまだこの「徒弟制度」が色濃く残っています。もっとも、今は小遣い程度の賃金とはいきませんが・・・)。
戦後、アメリカの強い力で押し付けられた民主主義の弱点の一部と言うてよいかもしれません。人格、技術、知識すべてを兼ね備えた、すばらしい職人を育てようと思えば、この制度は賞賛されこそすれ、批判されることはないと思います。
ところで、宮大工棟梁、西岡常一氏*をご存知の方は多いと思いますが、氏によると、弟子の「育成」について、「教育」は「教え」「育てる」だが、徒弟制度では、「育てる」だけだとか。つまり、技術は「教える」ものではなく、自分で習得するものということでしょう。だからこそ、職人は、小さいころからしっかりと職人になるべく「育てられなければならない」のです。

*西岡常一氏:法隆寺の宮大工。奈良薬師寺西塔・法隆寺三重の塔の再建なども手がけた。宮大工棟梁として、近代建築工学の建築学者たちの万全の設計図と施工計画に対して、培ってきた経験とカンと心情とでその工法に反対し一歩も譲らなかったことは有名。故人。
奈良県斑鳩町にある法隆寺iセンターには「宮大工 西岡常一棟梁の世界」というコーナーも設けられている。ご興味がおありの方はぜひ!
法隆寺iセンター http://www1.kcn.ne.jp/~ikaruga/index.html

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◆ 「消防団員募集中!」
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京町家でお商売をしている自営の方、20〜40代のあなた、
消防団に入りませんか? 募集中です!

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◆ 京ことば*ノート p.13 「え」・・・終助詞のひとつ
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会話をするとき、文の最後に「え」をつけることが多いです。一般的には女性的表現ですが、「京ことば」らしさを感じられる語の一つかも・・・。標準語では「よ」または「か」。

例1)行かはるえ→行かれますよ   例2)それはあかんえ→それはだめですよ   例3)なん(何)え?→なんですか?

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◆編集後記
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立秋号、いかがでしたでしょうか。今年の暑さは格別ですね。七月うちは、もうどうしようかと身のおきどころがない感じでしたが、立つ秋すぎて、お盆が近づくにつれ、何とのう風がやわらかくなっている気がします。そろそろ蜩のこえも・・・

秋来てもなほ夕風を松が根に夏忘れしかげぞたちうち   藤原定家


♪2004.8.23 処暑号 vol.46
こんにちは、エステイト 信の井上です。風通信・処暑号をお届けします。
お客さまのご入居が決まられると、決まってするお話の一つに「金封」のことがあります。めでたいときのことはさておき、問題なのは「仏事」です。一般に、京都・洛中では、仏弔事(お葬式・年忌・法事いずれにかかわらず)には「黄白の水引のかかった金封」を用います。大阪などでも、法要関係は黄白を用いたりするそうですが、京都ではどんなときも「黄白」です(このことは、他府県から越してこられるたいていの方がご存知ないようです)。
これは、「黄白」は「精進潔斎」を表し、御所の作法を受け継いでいる…という説もありますが、めでたいときに用いる紅白の水引、今売られているものはほとんどが見るからに赤と白ですが、ほんものは赤白ではなく、紅というのは玉虫色で、一見、黒い色のように目に映ります。そのために、かつて京都では黒白の水引のかかった金封は売られておりませんでした。
ま、今は黒白の金封も目にしないこともないですが、やはり基本は黄白です。お葬式のとき、寄せられた金封の肩の部分を糸で綴るとびらびらっとなって、こきりこの「ささら*」のごとくなるのですが、黄白の中に黒い水引があるととても目立ちます。京都では「100円ショップ」でも3枚100円で黄白の金封を売っています。何せ、旧い町、高年齢層が厚い土地柄です。みなさん、買い置きを忘れずに・・・。
*ささらが思いつかない方はこちらをご参照ください。

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◆ 京都でお商売しよと思たら…(14)   丁稚(でっち)のはなし その3-西陣の話と…-
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西陣の話をすこし。今まで何度も申し上げているように、京都での商売…京都商法というのは、格式高く名前(暖簾)を大事にし大量生産しないというものです。これは、今も江戸時代もかわらぬ哲学というてもよいでしょう。

日本の民族衣装、きものの総本山は、京都です。京都は、みやこであると同時に、工業都市でもあったわけです。たとえば、西陣地区の江戸時代の人口はほとんど増減がないそうです。これは、人が移動していないということではなく、どうやら、人口調整がなされていたということのようです。機屋さんが増えすぎて、価格競争や過当競争になって製品の品質が落ちることがないように、江戸時代中期になると株仲間ができます。こうして機屋の数を調整し、人口増を抑えていました。奉公人を受け入れる、つまり、弟子をとるのも毎年毎年どんどんということはなかったようです。少数精鋭主義といいますか、時間と手間をかけて立派な一人前にするという方式でした。何せ、西陣製のものは超高級品ですから、増産もできませんし、ある一定レベルの職人になるのも誰でも彼でも簡単に…とはいきません。

それもこれもすべては、「お家」を守り、存続させていくための手法なのですが…。
ところで、「弟子になりたい」という若者はそんなに少ないのでしょうか?日本全体的にはどうなのかわかりませんが、わたしの周りの職人さんに話を訊くと、これがけっこう多いのだそうです。ただ!そのほとんどが一年以内にやめていく…のだそうです(曰く、「ちょっと叱ったり、難儀なことをいうとすぐ、やめていく」とか)。それは、あこがれだけで志しているからなのかもしれません。職人になろうと思ったら、まずは、「一人前の職人になるまではがんばる」という覚悟をせねばなりません。例えば、左官屋さんのお弟子に入ったら、翌日から壁が塗らせてもらえるのではなく、こてを持たせてもらえるまでには2、3年の下積みが必要です。
今から2、3ヶ月前のことです。二十代半ばの一人の青年が、ご来店されました。いろいろ話を聞いてみると、実家は関東にあり4年制の大学も出たのだけれど、自分のしたいことがみつからず就職しなかった。そこでふとしたきっかけで宮大工になろうと思い工務店をたずね、弟子にしてもらったのだが、自分には向かないように思い、一年足らずでやめてしまった。今度は京都で左官屋さんの弟子になろうと思って京都へやって来た。ついては、町家に住みたいので、家を紹介してほしい…。「お弟子になろうというくらいなら、お家賃はともかく、改修費用や初期費用はどうするつもりなのか」と訊くと、親御さんが出してくださるという。「・・・」。返すことばがありませんでした。
職人の世界は、こと細かくマニュアルが整っていて、バイトも店長も同じような仕事をする外食産業のようにはいきません。やはり、それなりの手順をふみ、年月をかさね修行を積んで、一人前となるのです。簡単便利、迅速軽微なことばかりがもてはやされる世の中には抵抗していきたいと思います。職人になるのに、促成栽培は叶いません。。。

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◆ 京ことば*ノート p.14 命令(?)するとき
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何と申しますか、「命令するとき」というと、とても違和感があります。目下の人に、というより、自分の子どもや後輩・弟子に指図するときに用いるくらいです。例文をご参照ください。

例1)ここで、しとぉみ→ここで、してごらん     例2)はよしいやぁ→早くしなさいよ
例3)はよおしやす→早くしなさいよ〔例2より丁寧〕     例4)はよしよし→早くしなさい〔例2・3よりはかなりきつい言い方〕

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◆編集後記
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処暑号、いかがでしたでしょうか。むし暑い日が続きます。
もうすぐ、地蔵盆。本来は、8月23、24日ですが、最近はこの日の前後の土・日曜日に振り替えて行う町内が増えています。これはしょうがないかなぁ…とも思うのですが、音がうるさいとか、面倒だからと世話をしてくれるお町内の人がいないからとかで、地蔵盆をしないというところが京都市内でも増えてきたそうです。なんやそれ…という感じです。
かくゆう、わたしの町内でもいつやらごろからか、「数珠まわし」をしなくなりました。これは、百万遍とも呼ばれ、輪になった子どもたちが大きな長い数珠をかこんで坐り、念仏を「おんかかかびさんまえいそわか」と唱えながら廻していきます。数珠の輪の中に何個かひときわ大きな数珠玉のついたふさがまわってくる度、数珠ごと持ち上げて「あん」とおまいりするのです。
だんだん簡素になるのもいたしかたない部分もあるのかもしれませんが、ほんまにこれでよいんでしょうかねぇ・・・

♪2004.9.7 白露号 vol.47
こんにちは、エステイト 信の井上です。風通信・白露号をお届けします。
うちは“らしくない”不動産屋をモットーに日日仕事をしているのですが、お客さまが内見をされた町家の購入や賃借を迷われたり、時間をかけて検討したいといわれたときは、即断されるようにお勧めしています。こういうと、一見、不動産屋の営業マンの早期成約作業とかわらないと思われるかもしれません。
うちとしては、思う存分時間をかけてご納得いただいてからお決めいただきたい…と願っているのですが、残念ながら、賃貸・売買にかかわらず、程度のよい町家物件は足が早いというか、早い者勝ちで決まってしまうことが多々あります。ゆっくりと考えている猶予はありません。熟考したがために申込までに時間がかかり、他の方に先をこされてしまい、後で後悔している方が多数おられます。生活エリアの選択、資金計画や保証人の依頼など、考えるべきことや事務的なことはすべて事前にある程度検討しておくべきでしょう。

とにかく!町家の購入や賃借の申込は書面の先着で決まります。例えば、今日が月曜日とします。月曜日に案内(内見)をして気に入られ、事情でその2日後、水曜日に購入の意思を表した書面(買付証明書)を差し入れることを売主側の不動産会社に申し入れたことがあります。それで結構ですと売主側の内諾を得たのにもかかわらず、内見1日後、つまり火曜日に他の客から入った買付証明書の方を優先させた大手営業マンもいました。大手は営業マンに対するノルマも厳しく利益最優先なのでしかたないといえばそれまでですが。
まったく不条理・理不尽ですが(ちなみにうちでは、当然同業者間の信義も重視しますから、こんなことはありえません!)、何よりも書面提出の早い遅いだけが勝負です。賃貸の場合は、その後の入居審査でひっくり返ることもなくはないですが、売買の場合は、もうTHE ENDです。物件の内見時には印鑑を持参し、その場で申込や買付証明をだせるぐらい準備していても良いくらいです。こういうやり方は、決してうちの本意ではないのですが、他の業者さんとの取引である以上、仕方のない部分もあります。町家へご入居を希望されるお客さまには、この辺のところを重々ご理解いただきたいと存じます。今後ともよろしゅうお願いいたします。


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◆ 「地域力」に「ご近所パワー」・・・    子どもは社会が育てるもの
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このところ、「地域力」とか「ご近所パワー」とかいうことばをTVなどでもよく耳にします。また、コミュニティのあり方の見直しなどが問題となったりもしています。しかし、われわれ京都人にとっては、「なぜまた今頃…?」といった感がしなくもありません。コミュニティの重要性など説かずとも、京都の人間は(と、いうても洛中に限ったお話ですが)、ご近所づきあいがDNAの中に組み込まれているからか(笑)、小さい頃からごく自然にその役割を肌で感じ、実践しています。
京都・洛中に生まれた子どもがまず出会う社会、それはご近所・お町内でしょう。その次が番組小学校に端を発する各学区(何度も申し上げていることですが、洛中では、学区とは小学校の通学区ではありません。小学校があるから学区があるのではなく、学区があるから小学校があるのです*)の小学校生活なのではないでしょうか?

先日、佐賀県教育センター「所報-ミネルバ通信」平成13年9月21日号の中の巻頭言で「時代はひとりでにくるものではない」と題して、松尾雅則氏(佐賀県教育センター副所長)が京都の小学校について述べておられる文章を発見しました。少し長くなりますが、せっかくですから、全文転載します。

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京都の小学校は、明治2年(1869年)、学制発布にさきだち町衆(地域住民)によってつくられたそうです。その維持管理のためには、町衆がお金を出し合い、※竈(かまど)金を徴収し小学校会社をつくり、地元有志の寄付金と合わせて運用し生まれた利子を充てたとあります。都大路の碁盤の目のような番組の一つひとつに、学区自治の74もの番組小学校を誕生させた京都市民の小学校にかけた期待の大きさと労苦を感じます。また小学校には、警察交番(学区治安のため)、小学校火消(自主防災のため学校に望火楼を作り消防団器具庫が設置された)、小学校役場(戸籍や租税をはじめとする行政事務)が置かれていたといいます。さて、現在、学校は町衆とともにあるでしょうか? 学校は町衆と学校教育の理想を共有してきたでしょうか? 「学校教育校門を出ず」と揶揄されて久しいのですが。
今、根本打開のために教育は大きく舵を切り始めました。学校は現在、指導のフィールドを学校の敷地から地域へと広げ、指導の主体を単独教師から複数教師(教師陣)へ、学校教師から地域人材へと展開し、教育の受注者としての自覚を深めているところであります。幼稚園と保育園の一元化、小学校と福祉施設の併設、学校での学童保育など、「学校の管轄ではない」とは言ってはいられません。教育業界にも例外なく再編成・改革の波がおしよせてきているのです。明治維新期の番組小学校への回帰を見る思いがします。週5日制も含め教育の軸が大きく動きますが、東京遷都の打撃にひしがれることなく次代に目を向けた京都市民のように、苦難にもめげず、将来に向かって市民、住民を育てあげる学校をつくりあげなくてはなりません。そして、京都の小学校が「明治維新の住民自治の象徴であった」と評されたように、平成の教育改革は、100年後に、後世が評するところとなるでしょう。

※竈金とは、小学校維持管理のための市民の負担金「一竈ヲ構ヘ朝夕ノ煙ヲ起ルモノハ皆半季一分ノ出金ト申事也」

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いかがでしたでしょうか? 京都人には、京都に上京と下京しかなかった頃の気概がいまだ存在しているというては言いすぎでしょうか? 少子化対策だとか、学校の役割云々を論じる前に、子どもは親だけが育てるものではなく、社会が育てるもの、地域の中で育つものという認識を大切にして欲しいと思います。お行儀も挨拶も、ご近所との関わりの中で身につけていくもの…ではないかと思うのですが・・・。

*詳細はまぐまぐの風通信バックナンバー(Vol.16&Vol.17)当店サイトをご参照ください。

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◆ 京ことば*ノート p.15 「とても」「たいそう」
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「とても」とか「たいそう」という語にあたる京ことばは、「えらい」「どえらい*1」「きつきつ」「だだ」「ごっつい*2」などがあります。それぞれ、少しずつニュアンスが違うのですが、これも馴れですかねぇ。。。。。。

例1)えらいぎょうさんの荷物やなぁ→すごく沢山の荷物ですね。   例2)どえらい音やったなぁ→とんでもない音でしたね。
例3)きつきつ、堪忍え→本当にごめんなさい。     例4)このお汁、だだ鹹(から)いなぁ→このお汁はとっても塩鹹いですね。
例5)ごっつい便利なとこで…→たいへん便利な所で…
*1:「ど」は強意接頭語。男性ことば   *2:基本的には男性のことば

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◆編集後記
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白露号、いかがでしたでしょうか。つい先日、昨年、とある京町家にご入居されたカップルに待望のBABYが生まれました。うちで契約書を作って、借家に入られた方では初めてのBABYです。もちろん親戚などではないのですが、ある意味、それ以上にうれしく、喜んでいます。妻などは、「何か、孫ができたみたいねぇ」とお祝いを何にするとか、おぞよ(おかず)も届けよう…とか、大童です。…うちの息子たちはまだ、5歳と2歳なのですが…(笑)。結婚して、子どもができて…という極めて自然なことで、その家族にとって慶びであるのは言うまでもないことですが、こういう旧い町で家族が増え、若い世代が厚くなっていくということは本当にめでたいことです。NEW BABYは、正真正銘、生まれたときから町家育ちです。これから、どんなお子になられるのか、とても興味津々です。

♪2004.9.23 秋分号 vol.48
こんにちは、エステイト 信の井上です。風通信・秋分号をお届けします。
夏の終わりから、大小いろいろ地震がありましたが、まぐまぐ読者の方、何かとご心配かと思います…。
ご存知のように町家は旧い建物で(最も新しくても築54年)、石の上に柱や土台がのっております。今の家のように地面とコンクリートで接着はしておりません(基礎が違います)。それゆえ、地震などがあると、崩れたり壊れてしまうのではないかと、ご心配される方が多いのは事実です。
しかし!町家は、昭和25年以降の建物(剛構造)と違って柔構造なので、お家が揺れを吸収するようにできています(免震)。確かに、揺れることは非常に揺れるですが、揺れることで力を逃してしまうのです。町家の構造とはちょっと違うのですが、建物にとって揺れが重要なことは、五重塔やピサの斜塔などを思い出していただくとよいと思います。

先の阪神大震災でも、廃屋は別として、京都市内の町家で壊れたお家はありませんでした*。また、その構造ゆえに、町家は傾いても、また半壊状態になっても、綱を梁や柱につけて引っ張ればまた元に戻ります。壊れるときも、それなりの時間をかけて、ゆるゆる傾いでいきます(ですから、この間に逃げれば助かります)。

そういう訳で、町家にお住まいのみなさん、あんまり心配せんといてください。よろしゅうお頼みいたします。

注*:神戸ではたくさんの町家が傾いたり壊れました。その大方は改修すれば元に戻るものでしたが、神戸市等が更地にする費用を持つことにしたがために、ほとんどが取り壊されてしまったそうです。
あぁ、もったいない…! と、同時に、「町家は地震に弱い」という間違った印象を日本国民に与えてしまったことも事実で、非常に残念なことです。


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◆ 京都でお商売しよと思たら…(15)     商習慣…お茶は誰が煎れるもの…?
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結婚というのは、違った環境で育った人間同士が一緒に暮らすわけですから、最初のうち(それ以降も?)戸惑うことがあるのは当たり前と言えば当たり前なのですが、結婚したてのころ、妻(実家は呉服業界)のすることでどうも解(げ)せなかったことがあります。
それは、いつ見ても冷蔵庫がいっぱいなのです。ちなみにうちの冷蔵庫は家庭用としてはそこそこ大型です。いくら家で朝昼晩食べるとはいえ、わたしと彼女と二人暮らしですから、たかがしれています。食糧危機に備えて…なんてこともないでしょうし、不思議に思って訊ねてみました。彼女の答えは、「もし、若い子がお客さんで来て、お腹を空かせたまま帰したら恥でしょ!」でした。だから、いつでも何かすぐにつくれるように冷蔵庫をいっぱいにしとかんとあかんと言うのです。住み込みのお兄ちゃんお姉ちゃんがいて四六時中生活を共にし、取引先のでっちさんが朝から晩まで出入りする家に育った彼女にとっては時分時(じぶんどき)、若い人にご飯を食べさせるというのはごくごく日常茶飯事のことという感覚らしいのです。


「京のぶぶづけ」とか言うて、「ぶぶづけでもどうどすか?」と言われたら、そそくさと帰り支度をせなあかん…などと言われたりもしますが、これはあくまでも一般論で、室町辺の商習慣としては、だいたい午前11時から午後2時の間にお店を訪ねると、仕出のお弁当が出てきます。これに箸をつけないことは非常に失礼なことで、こじれると取引がぎくしゃくしたりすることにもなりかねません。たとえお腹がいっぱいでもいただくのだそうです。お昼をはさんで2、3店訪問でもすれば、その数だけお弁当を食べることになり、結構つらい状態に…!(今でも室町辺のちょっと大きな仕出屋さんの勝手口をのぞいてみると、ずらーっと並んだ、荷台に木箱をくくりつけた配達用の自転車にお目にかかれるはずです)。
知り合いの染屋の小父さんに訊くと、「その月の売り上げと弁当の数は見事に比例している」そうです。職種によっては、 「京のぶぶづけ」を真に受けたらえらいことになります。

妻の話のついでにもう一つ。結婚前、わたしが初めて妻の家に挨拶に行ったときのこと。型どおり、「井上信行です。西陣で不動産屋をしています云々」のようなことを言うたはずです(実はあまり記憶がありません)。その後、妻の父は、黙ってお茶を煎れてくれました。それから、結婚の話はどこへやら、宴会になりました。
その後、妻に訊いてみると、「お父さんがお茶を煎れたということは、正式な客だと認めたということだから、OKに決まってるやん」とのこと。結婚後は、妻の実家を訪ねると、岳父は決まって最初のいっぱいだけ茶を煎れてくれます。長火鉢の前で…。
お商売をしているお家は、たいてい、店の間に長火鉢が据えてあり、つねに炭がいこって鉄瓶にお湯がわいている…お店の大事なお客さまがみえたときには、当主自らが茶を煎れてもてなします。コーヒーや紅茶をお出しするときは別ですが、奥からお茶を出されたら、それなりのお客さまでしかない扱いをされている…ということらしいのです。この話を最初訊いたときにはなんだか違和感があったのですが、確かに、茶道を考えると、亭主が茶を点(た)てるというのは当然のことで、お水屋からのお点て出しはお正客には許されないはずです。
「子どものころ、どこかのお家を訪ねたとき、たまさか、その家の小父さんがお茶を煎れてくれたりすると、もう緊張してしまってどうしようかと思った。それくらい、誰がお茶を出してくれるかは重要ポイントなのよ。それにしても、数年前に死んだおじいちゃん(鉄工所をしていました)には、ついに一度もお茶を煎れてもらったことがなかったなぁ」…妻の独り言です。

その業界・地域にしか分からない(通用しない)商習慣というものは、どんな場合にもあるのでしょうけれど、洛中のあれこれ、ご存知でしたでしょうか?


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◆ 京ことば*ノート p.16 形容詞を強調するとき…畳ことば
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畳語(reduplication)ということばはお聞きになったことがあると思います。例えば、「木々」「日々」のように「○○(々)」という形をとる語のことです。これは、一般に名詞にのみ適用するのですが、京ことばでは、形容詞を二つ並べて、強調に使うことがあります。「畳ことば」ともいいます。

例1)今日はさぶさぶぃなぁ(とても寒いね)。   例2)あつあつしてから食べや(十分熱くしてから食べなさい)。
例3)お手々、きれきれしとき(手をきれいにしておきなさい←子どもに)。

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◆編集後記
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秋分号、いかがでしたでしょうか。今日は彼岸の中日ですが(彼岸明けは26日)、この秋の仲秋の名月はあさって、28日(火)です。旧暦8月の名月(今年は9月28日)は月に芋を供えることから「芋名月」とよばれます。それに対して旧暦9月13日(10月26日)の月は、「栗名月」や「豆名月」とよばれて、栗や枝豆を供えます。こうも残暑が続くと、名月鑑賞という気分にはなかなかなれませんね。この秋は、十三夜に期待してみようかな・・・

♪2004.10.8 寒露号 vol.49
こんにちは、エステイト 信の井上です。風通信・寒露号をお届けします。
先日、近所の一人暮らしのおばぁちゃんがひょっこりご来店されました。まさか、引っ越しを考えておられるはずもなく(隣近所とも非常に仲よくしておられます)、どうされたのか訊いてみますと、「自分は一人暮らしである上に唯一の身寄りである弟も遠方にいる。自分にもしものことがあったときに救急車を呼ぶ電話はかけられても、玄関の戸を開けに行けないかもしれない。それとか、家の中でどうかなって(倒れたりして)、警察の人に戸を壊してもらうのは申し訳ない。今はまだ元気やからどぅちゅうことないとは思うけれど、先はわからん。
そんなことを考え出したら夜寝られんようになってな…それで、二つある玄関の鍵のうち、ひとつ預かっておいてくれはらへんやろか…」というものでした。「そんなこと、起こるわけないやないですか!」と言いながらも、それがおばぁちゃんの心の平安になるのなら…と、お預かりすることにしました。
この方に限らず、町家にお住まいの独居老人は少なくありません。お子さんや親類縁者がたくさん居られても、必ずしも近所にお住まいとは限りません。到着まで一時間もかかるようでは話にならないこともあります。状況によっては来られないこともあるかもしれません。昔から「遠くの親戚より近くの他人」と言われるように、いざというとき、力になるのは、やはりご近所です。

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◆ 上京区の総合防災訓練に参加して…   地域民の結びつき、学区の象徴、小学校。
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仁和学区*の自主防災会の役員をさせていただいている関係で、先日、上京区の総合防災訓練に参加しました。約二時間半、地震やらの災害時の救助や支援・復旧訓練、火事の際の初期消火など、各学区の自主防災会役員や消防団員の他、上京消防署・西陣警察・大阪ガス・関西電力・NTT等も参加しての大規模なものでした。ここ数年、子どもの数の減少により、小中学校の統廃合が行われ、●▲学区イコール●▲小学校(中学校)でなくなった学区もあるのですが、こういう機会にずらっと□□学区とプレートを立てて並ぶと壮観で、また学区それぞれの何とはなしのカラーもうかがいしれ、なかなかよいものでした。

われわれ自主防災会役員は、この訓練を役立てるべく各学区に持ち帰り、それぞれ災害時に対応できるようにする一方、火事を出さないという学区民の意識の啓蒙に努めなければなりません。ところで、当日知ったことなのですが、上京区には元学区が17あるのですが、この各学区それぞれ全部に自主防災会があるのは上京区だけなのだそうです。
考えてみれば、例えば中京区などは壬生や西ノ京も入っていますから、全域が洛中というわけではなく、学区イコール小学校の通学校区のエリアもあるわけです。これは、われわれの言うところの(元)学区とは異なりますから地域としての結びつきはそれほどでもないところもあるようです。それぞれのお町内ではしっかりと活動されているようですが、◆◆小学校区として全住民が結束してなにかをする・・・というのはちょっと考えにくいことなのかもしれません。
それと対照的に上京区では、各学区の住民全部に、そこの小学校の月間スケジュールやこんなことをしました・・・という「学校だより」のようなものが回覧板で廻ってきたりもします。いかに、学区と小学校が一体のものか、おわかりいただけるでしょうか?

ところで、やっと当・エステイト 信のDMはがきを作りました。デザインは、うちの<京町家・風の会**>会員でもある「和こころ***」の廣瀬 愛さんにお願いしたのですが、その中に

  京の町衆による職住一致の暮らしの結晶である京町家。先人の智慧と日日の在様(ありよう)を大切にしたい。
  「京都に根ざして暮らす人をつくる」・・・それが京町家維持・再生への第一歩です。
というメッセーヂを入れました。
この「町衆」ということば、耳にされる機会は多いと思いますが、この「町衆」というのが京町家にとっては、ある面、重要なキーワードだと思います。今後、この町衆についてすこし書いてみたいと考えております。

追伸:上記の「上京区総合防災訓練」の際、災害時の配食見本ということで、「混ぜご飯」が配られました。こういうときって、おにぎりが多いように思いますが、混ぜご飯というところ、なんだか上京区的だと思いませんか…?

註*:他の地域の方からはよく誤解されるが、一般的な小学校の通学校区とは異なる。江戸時代もともと町組として存在していたものを、明治維新後に京都府が組み換え「番組」が成立した。その後、上京下京の各33番組は、すぐさま小学校の建設を決定した。設立費用や運営費用について、自分たちで負担することが求められたりと、さまざまな困難があったが全てクリア、全国初の小学校となる柳池小学校を始め、洛中で64の小学校が開校した。1890年(明治23年)の改正小学校令によってその管理権は京都市に移行されたが、小学校と学区の緊密な関係は様々な形で維持され、小学校は「自分たちのもの」であり、学区のシンボルである、との意識が洛中の人々の心に定着した。子どもの数の減少により現在は小中学校の統廃合が進んでいるために元学区と呼ばれている。

註**:当店が主宰している町家愛好者の会。

註***:紫竹にある町家ギャラリーショップ  http://www.wa-cocoro.com/

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◆ 京ことば*ノート p.17 雨降りの太鼓・・・
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雨が多いですね。「秋の長雨」とも「秋霖(しゅうりん)」、「秋黴雨(あきついり)」とも言うとか。
雨が降って湿度が高くなると太鼓の皮が不調になりよい音がしなくなる→「どん」と鳴らなくなる→「どんならん(どうにもなららない)!」ということ。
例)「こらあかん、雨降りの太鼓やないかいな」→これはたいへん、どうしようもないなぁ。

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◆編集後記
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寒露号、いかがでしたでしょうか。この夏から秋にかけて地震やら台風、大雨と、自然災害が続いています。避難生活を余儀なくされた地域もあるようで、心からお見舞い申し上げます。
先日の新聞に載っていたことですが、福井県のとある町で大雨のため公民館に避難した。それまで特に町民名簿のようなものはなかったが、普段からご近所付き合いがあったため、避難中、みなが寄って「誰それさんと誰それさん…」という具合に簡単に名簿ができてしまい、独り暮らしや寝たきりのご老人ももれなく救助でき、よかった…というものでした。確かによかったと思うのですが、「あれっ?」と思わないでもないのです。京都・洛中であれば、各町内の町内会長さんのところに「町籍簿」が必ずあります。そこには、家族状況の他、緊急連絡先も明示されています。

♪2004.10.23 霜降号 vol.50
こんにちは、エステイト 信の井上です。風通信・霜降号をお届けします。
わがメイルマガジン「エステイト 信の風通信」もお蔭さまで無事50号を迎えました。読者のみなさまには篤く御礼申し上げます。
わたし自身は別に天皇崇拝者でも何でもなく、むしろ現在の皇室の在り方には疑問を持っている方なのですが、なぜか、うちの妻やボンたちはTVでその手の番組があると、よく視ています。妻いわく「皇室がどうこう…でなく、ただ単に雅子さんに対する親近感」だとか。彼女は雅子さんと同学年で、かつ、下のボンが愛子ちゃんと同学年…ということなんですが…(笑)。
ところで、このところ、皇位継承問題が喧(かまびす)しいですよね。なぜに女帝がいけないのか、全くもって疑問です。旧皇室典範は明治憲法(大日本帝国憲法)と同時に明治22年(1889年)に制定された法(現在の皇室典範は昭和22年)で、これはもう、国家政策のための儒教思想の取り込みで、本来の天皇家の伝統とは言えないはずです。。。。。。
ま、そのことはこの場ではどうでもいいことなのです。前置きが大変長くなりましたが、なぜ今、この女帝問題が論じられなければならないかということが今回の眼目です。ご存知か否か・・・愛子ちゃんはあと2ヶ月もしないうちに三歳にならはります。もし、愛子ちゃんが将来、皇位を家するとすれば、この三歳になったら天皇としてちゃんとやっていくための教育、即ち「帝王学」を始めなければならないのです。綿密なカリキュラムをこなして行かねばなりません。四歳或いは五歳になった時点で、「やっぱり愛子さんに継いでもらおう」となっても間に合わない(?)わけです。

でも、これ、何も天皇家に限った話ではありません。商家や職人の家でも同じことです。三歳くらいからしっかりと将来を見据えて、少しずつ仕事の話をしたり現場を見せたりします。そうこうするうちになんとなく「自分の家の仕事を継ぐ」という意識が育っていくものです。実際にその仕事を継承するか否かは別として、商売人として(職人として)何が重要かということを身につけていくものなのです。

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◆ 京都でお商売しよと思たら…(16)    「商家の子ども」と「袋いっぱいのおやつ」
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何度か書きましたように、妻の実家は丹後縮緬の製造販売(卸)業で、絵に描いたような商家の暮らしを経験してきています。
先日、ちょっとしたことから、小さいときから、「機屋(はたや)さんや工場・店の人のお蔭でご飯が食べられているのだから大事にしなさい」とは日常茶飯事言われるものの、「お父さんが働いているからご飯が食べられている」とは言われたことがないことがわかりました。
サラリーマン家庭であればもちろん、「お父(母)さんが・・・」となるのでしょうが、彼女いわく「働いているのは父や母だけではない。子どもであっても年寄りであっても、それぞれが仕事のうちでできることをやるのが当たり前。わたしは、三歳のころから縮緬巻いたら一反いくらでもろてたし、小学生のときにはおばあちゃんち(織機のジャガードを作る鉄工所)の内職もしてたけど、きちんと報酬をもらってた」と、言うのです(両者とも、しっかり会社の経理から出金されていたようです)。

これを知って、わたしは驚いたというか、改めて認識の違いというものを再確認しました。「そうかぁ・・・、おもしろいもんやなぁ」と言うと妻は、何が面白いのかさっぱりわからんと言うておりましたが・・・。子どもであってもきっちり「家業」という捉え方をしているのですね。決して「お父(母)さんの仕事」ではないわけです。


ところで、前々回、妻の思い出のようなことを書いたのですが、意外に(!)好評で、味をしめたわけでもないのですが、もう一つ。
妻は幼児のころ、毎朝、彼女が入れるくらい大きな袋にお菓子をいっぱいに入れてもらったのだそうです。彼女のおやつ?・・・まさか、3歳や4歳の子どもが食べきれる量ではありません。誰のためのおやつだと思われますか?答えは「自分とこや出入りの業者さんとこのでっちさんのおやつ」だそうです。考えてみれば、でっちというと十代後半の一番の食べ盛りの男の子たち。生糸や商品を運んで力仕事もしますし、三度のご飯だけでは足ろうはずがありません。そんなに潤沢にお小遣い(給料)ももらってはいないでしょう。それにお腹が空いたからというて勝手に休憩するわけにはいきません。親方(経営者)の立場としてもそうそう甘い顔は見せられません。そこで、前述の「大きな袋に詰められたお菓子」が威力を発揮するのです。これだと仕事の合間にこそっと口にすることができます。妻の方も「これは自分のおやつであって自分の分ではない」といつしか心得ていたというか、そういうものだと思っていたそうです。
また、若いでっちさんが、一般の家に店主のおつかいに行くと、「おだちん」に、お菓子やおこづかいを渡されたりもしました(これは今でも、子どもが他家を訪ねるとお菓子や果物をいただいて帰って来ることと同じ考え方ですよね…「面白い習慣やねぇ」と妻にいうと「あらそんなの、お孫さんが家賃持って来たりしはるから、うちかてそれ用のお菓子いつでも買うたあるえ。宅配の人には缶コーヒー渡してるし…面白くもなんともない、ふつうのことやン」と言われました。当たり前になりすぎて、気に留めてなかったんですね〜)。

今までにも何度も繰り返し述べてきましたが、何とかしてこのでっちさんや子どもをみんなで(社会の中で)一人前に育ててあげようという意識が京都人には深いということなんですね。


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◆ 「消防団員募集中!」
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京町家でお商売をしている自営の方、20〜40代のあなた、消防団に入りませんか? 募集中です!

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◆ 京ことば*ノート p.18 往来に関することば
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京ことばには古語がそのまま残っているものがたくさんあります(例1)。今回は、往来に関することばを集めてみました。

例1)いぬ(居ぬ)→帰る   例2)居はる→おられる   例3)居たはる→おられる(例2の現在進行形)
例4)きゃはる→来られる   例5)きやらへん→来られない   例6)おいない→来なさい
例7)旦那はん、いはんにゃろ→ご主人、おられるのでしょ
例8)これでいんでもろてもかまへんよ→これでお帰りいただいても結構ですよ

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◆編集後記
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霜降号、いかがでしたでしょうか。ことしは雨が多いですが、「晴れの特異日」ということばをお聞きになったことはありませんか。「統計的に晴れの日が多い特異な日」のことで、現在は年に11日あるのですが(雨の特異日は7日)、このうちの一日が11月3日の文化の日です。
この日、伏見の鳥羽離宮町にある城南宮でこの秋も曲水の宴がおこなわれます(わたしも歌人-うたびと-の一人として参宴します)。去年は、残念ながら雨だったのですが、今年はさてどうなりますことやら・・・。
<ご参考>城南宮 http://www.jonangu.com/   http://www.kyoto-web.com/top/map/rakunan/05.html