俳句の読み方15

磯野 香澄   

< 夏 山 に 足 駄 を 拝 む 首 途 ( か ど で ) か な >  
  芭蕉さんは足駄を神格化して祀ってあるお寺に泊まります。朝そこを発つのに祀ってある足駄を拝みに行きます。<夏山に足駄を拝む>その祠は粗末なもので回りの景色が丸見えで目より高い所に鎮座している下駄を拝むのに。滑稽と言おうか抵抗を感じ乍らも旅する身に取って履物は大事な物です。神妙に<首途かな>と旅の安全を思い心を引き締めて拝んでいる。読み処は<拝む>の「む」と<首途かな>の「かな」が融合した時旅する身の複雑な思いが強く憑ります。イメージで芭蕉さんの気分に同化して下さい。  
 
< 修 行 僧 下 駄 音 揃 う 旱 梅 雨>  
  同じ下駄の句を持ち出しましたが、この句も滑稽さが覗く処が読み処です。修行僧の一団が伽藍へ入って来るのに出会いました。梅雨とは言えお天気のからからの境内をちびり下駄で押し寄せる様に修行僧の一団が来るのです。その足音が何となく揃っている。それが真面目な人達だけにおかし味があり、旱梅雨でなかったら気付かなかったと思うのですが、「こうして修行してはるのやなあ」と思うと同時におかし味が湧いて来るのです。読み方のポイントは<揃う>の「う」で一旦切れているのですが、その「う」が<旱梅雨>に機能した時、下駄の音が聞こえ滑稽味が湧きます。イメージして下駄の音を聞いて同化して下さい。
 
< 桟 橋 を 見 上 げ 旱 の 湖 の 底 >  
  この句は読み方8の《渇水や》の句と同じ時の作で、渇水の句は湖底にあった城の石組を見て居ますが、この桟橋の句は下駄と同じく普段は足の下にする処を、今は下から見上げています。変な気分です。大旱と言う天然現象の為に立てた湖の底。一方では自然に畏敬の念を持ち一方ではそんな処にいる自分をからかっています。凄いと思うと同時にナンセンスな風景が見えて句に憑っています。読みのポイントは<見上げ>の「げ」と<湖の底>の「底」が一つの動きになった時読み手は湖の底に居ます。同化して見た事のない風景に驚いて下さい。
 

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