俳句の読み方16

磯野 香澄   

< 庭 掃 き て 出 で ば や 寺 に 散 る 柳 >  
  芭蕉はお寺に泊めて貰い、朝小僧さん達の庭掃きを手伝います。そしてそこを発とうとすると、若い僧達が追かけて来て「一句書いて下さい」と頼むので、取りあえずこの句を書いて渡したと奥の細道にあります。句の内容は「今掃いて暇乞いしたばかりなのに、もう柳の葉が散っている」一緒に庭掃きをした僧達との連帯感、そして落ち葉の掃除に追われる頃の共通した思いを込めています。<出でばや>の「や」はこの場合切れ字ではありません。今の言い方ですと「出たならば」となりニュアンスとして「早々と」と言う意味が入っています。又見た目は切れ字の「や」と同じでもこの「や」は<散る柳>に即繋がっています。読みのポイントは<出でばや>と芭蕉さんが今僧達に話しています。そして<散る柳>とリンクした時同化し思いが湧き出します。「庭」と「寺」「落葉」を<散る柳>としてある処等、味わう程内容が深くなります。イメージして味わって下さい。  
 
< 掃 き 分 け て 通 す や 雪 の 一 休 寺>  
  京田辺にある一休寺は入口が入り込んだ所にあってそこ迄雪がきれいに掃き分けてありました。この時童話に出てくる「この橋通るべからず」の立て札を思い出し、真中を歩く様に促がされている思いでした。又それは来客の為に通りやすい様にとの心使いがその帚目の美しさで伺え、そしてその奥に、とんちの精神の継承を感じました。従ってこの句は下敷きに一休さんのとんち噺があります。読み処は<通すや>の「や」一字に内容を全部込めている処です。ポイントは<雪の一休寺>でその通路の真中を通って来て今寺の入口に立って居ます。イメージして説話に遊んで下さい。
 
< 散 り 紅 葉 帚 片 手 の 寺 自 慢 >  
  こう言う風景はよくある事ですがこうして句になると味のあるものです。お寺の庭を掃こうとしていた人が、よそから来た人に話しています。紅葉が一杯散っているのにその人はお寺の自慢話に夢中で帚も離さず自慢話も止めず話し続けています。この場合<散り紅葉>で一旦切れて居ます。それが<帚片手に>と言う言葉でこれからその散った紅葉を掃こうとしている事が分ります。<寺自慢>自慢話を聞いている人も楽しく相槌を打っているのが伺え古典の匂いがします。読みのポイントは<帚片手の>の「の」です。この「の」は切れ字の様に多くの事を省略し、この一字で内容を広げています。そして<寺自慢>で滑稽味を溢れさせる効果をも持っています。二人の格好が目の前に見えます。読み手は自分が自慢話の聞き手になっています。
 

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