俳句の読み方19

磯野 香澄   

< 五 月 雨 の 降 り 残 し て や 光 堂 >  
  <五月雨の降り残してや>この表現は一種の擬人法ですが、芭蕉さんは比喩や擬人法を巧みに使ってそこに主観と客観を混ぜて見事に情景にしておられます。<光堂>この金色の眩しいお堂は雨さえそこを残している。<降り残してや>の「や」一字にその多くが託されています。こう表現する事で光堂の輝きが鮮烈に浮かびます。無機質と思える表現の中に深い感銘が内在しています。同化して豪華な光堂に臨場して下さい。  
 
< 湖 山 の 青 し 一 と 処 麦 の 秋 >  
  <麦の秋>麦は他の植物がこれからと言う時に早々と稔ってそこだけ枯れ色になります。新緑の湖東に布団を一枚敷いた様に薄茶色の処がありました。かつて延々と続く麦畑を見た記憶と、目のあたりにする遊び半分みたいな又はそこだけいたずらで絵の具を塗り替えた様な、そんな風景に戸惑いました。読みのポイントは<湖山の青し>の「し」一字に心を託している処です。<一と処麦の秋>主観を入れずその風景の侭を実写しています。
 
< 身 の 丈 の 蛇 と 向 き 合 う 茶 室 跡 >  
  京都の勧修寺での事です。ここは一部が自然まかせになっていて池を取り巻く辺りはうっそうとしていて、かつて茶室だった石組だけがしっかりと残っています。その辺りの主なのか大きな蛇と向き合いました。経験した事の無い情景に楽しんだのですが、この場合有り得ないと思われるかも知れませんが先の絵解きの項でその様子を詳しく書いていますので見てください。この句の読み方は書いてある通りですが<蛇と向き合う>の「う」がポイントです。仮にこれが「向き合い」だとするとそれは写生です。この一字が読み処なのですが、どの様な場合でも「い」では写生かと言えばそうではないと。例えば<冬木立根は岩を這い鞍馬寺>の様に「這い」で情感が込められて厳しさやけなげさが伝わると言う風ですので、その内容で読みが変るのは当然です。<向き合い>の「い」で童話の世界のドキュメンタリ−に同化して下さい。
 

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