俳句の読み方6

磯野 香澄   

< 月 清 し 遊 行 が 持 て る 砂 の 上 >  
  芭蕉は気比の浜にある神社の参道に来て昔の事を忍んでいる。この参道はその昔沼の様にぬかるんでいて参詣する人を悩ませた。遊行という人が自分で砂を運んで今のこの歩きやすい参道にして下さったのだ。気比の浜は広大な松林で当然神社もこの松林に埋められている。芭蕉は松の木の間から見える月が清らかに辺りを照らしていると、<月清し>で遊行の行為に感動している自分を「月が清い」と言う言葉に乗せている。そして今自分はその遊行の運んだ砂の上にいるのだ。<遊行が持てる砂の上>と結んでいまする。この「砂の上」は今自分が砂の上にいるのだ」と言う事です。この言葉は現在形で何回読んでも何年経っても読む度に芭蕉は砂の上にいるのです。月が差し込む参道、砂の上とイメ−ジした時お尻が浮く体感を覚えます。  
 
< 釈 迦 堂 や 素 足 で 減 ら す 節 の 板 >  
  釈迦堂と言うのは方々にある様ですが、この釈迦堂は清涼寺という嵯峨のお寺です。そこでびっくりしたのが縁側の板の厚みでした。板と言うより柱が並べてある様なものです。その上がり口の踏み台が石の様に凹んだ処と凸んだ処があるのです。それは人が踏むだけで節でない処が早く減るので堅い節の処との差が出来て大きな凹凸になっているのでした。お寺の歴史と人々の信仰心がそこに凝縮していると映像の様に見える思いがして凄いの一語でした。<釈迦堂や>でその思いを表現し、そして<素足で減らす>で創建時から今迄を一気に書いています。釈迦堂へ人々が出入りするのをイメ−ジして臨場して下さい。
 
< 親 王 へ 松 上 げ 今 も 里 の 盆 >  
  この行事には長い伝承のロマンが秘められています。<親王ヘ>と<松上げ今も>で千二百年を一挙にお話しました。どれだけの時間でも広さでもこうした書き振りで書けるのが俳句の凄い処です。下五で<里の盆>と里人の心を、そしてその行事を読み手に渡しています。村里のお盆をイメージで感じて下さい。(毎年違った火文字を上げて当時の盟約を受け継いで行なわれています)
 

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