ホーム 医療 高齢者福祉 芸術,哲学 京都伏見・宇治
随想 シュワィツァ−・緒方洪庵 ギャラリ 検索リンク集



この音楽データ―はMidiです。ストップしたい時は画像のストップマークを押し,
再びスタートしたい時はスタートマークを押してください
。

 


集団疎開時の生活・写真



























画像が10秒 ごとに表示替えされます

集団疎開時の写真と現在の光明寺の平和な風景



光明寺御影堂の丁度右側,向かって左側で先生達と同学年の友達が

一緒に写真撮影したものです。

写真を無くし,同級生から写真提供を受けました。

大変苦しい集団疎開生活だったが,今となると不思議と懐かしい。

大人になってから光明寺には
幾度ともなく訪れている。

又日本の復興にあわせるように,お寺も次第に立派になってきた。

或る日,熱心な?先生から,僕達小学生を相手に戦地で戦っている兵隊さんの事,

特攻隊で毎日死んで行く兵隊さんの事を考えると,お前達の精神はたるんでいるぞと叱られ
,

横一列に並ばされピンタを,平手で頬を連打,殴られて鼻血をだした事が

昨日のように思い出されます。

散髪は
お寺の尼さんが剃刀で頭を剃って,蚊帳に剃りたての頭がすれると,

イヤに
痛かった記憶がある。

起床はラッパの音で起き,勉強の為の学校と寝起きする場所とは一緒の堂内だった。

オヤツはオヤツらしきものが無く,お湯にゴマ塩を入れ飲んだがお腹は空いたままで満足しない。

いつも空き腹でやむにやまれずに盗みが横行していた。

戦後は兵隊さん達と一時同居した時期もあった。

男性は
先生,生徒共全員,戦闘帽(写真)をかぶっていました。

熱心に鬼畜米英・勝つまでは欲しがりません・日本は神国だから絶対に負けないと

教えてくれていた先生が,終戦を境に,突如アメリカは合理的で立派な国だと話された時には

子供心にも不思議な気持ちになり,

なんとも言えない奇妙な
感じを受けた。

今から考えると我々を含めて,国民全員が戦争の犠牲者だったように思う。

一方,当時の為政者は戦後,国民総懺悔を言っていたようだったが、何故か?

どうしてそうなるのだろうか?,判りません。

戦争に対する憎悪感はその後ずーと続いています。


戦争を知らない今の若い人達には,これらの事は是非とも,いつまでも

伝えておきたい気持ちで一杯です
。


粟生野光明寺での学童疎開 



Homeへ