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粟生野光明寺での学童疎開 






 
丁度終戦の年の半年間,京都西山に有る名刹粟生野光明寺(写真)学童疎開をした。

疎開始めの頃は皆遠足気分であった。

次第に日が経つにつれて,持ってきたオヤツも無くなり,毎日の食事も少なくなってきた

子供ながら家まで歩いて脱走する者が出てきました。約15kmはあったろうか。

高学年生,小学六年生位になると,傷口に歯磨き粉を擦り付けてさらに悪化させ,

家族に引き取られて帰る者もいました。集団疎開は8月15日終戦日を挟み春から秋まで続きました。

さらに食料事情が悪くなると,家族からの面会で,家族が苦心し,わが子の為にと思い持ってきたオヤツが

全部一同に集められ,先生の手によって全員に平等に配給された。

虱は一度に一斉に全員に蔓延した。疎開始めの頃,子供同士走り回り遊んでいたのが,次第に動くこと少なくなり

日向ぼっこしながら、互いの虱取りをするようになってきた。

食事は決まった量茶碗一杯,それに一菜の副食物で,ひもじさが嵩じ盗みが横行した。

川蟹を取って来て焼いて,又盗んだ大根,薩摩芋、キュリなどを生で齧って食べた。

家族が面会に来た時に,あまりにも痩せ細った姿を見兼ね,祖父が病気だと偽り連れ帰らされて,

医者に診察を受けにいったところ,栄養失調と診断された。



学童疎開の写真と生活



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