間歇日記

世界Aの始末書


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2003年2月上旬

【2月4日(火)】
▼最近コルト(拳銃じゃなくて車だ)のCMで、いろんな歌手が Over the Rainbow を唄っているが、元ちとせのはいつ聴いても腰が砕ける。いやまあそりゃ、自分の歌を唄っているときにはワン・アンド・オンリーのすばらしい歌手だけどさ、どう聴いても洋楽向きの唱法じゃないよなあ。『イエロー・サブマリン音頭』(金沢明子)を連想しちまってしょうがない。

【2月2日(日)】
「死者まで出して宇宙開発などすることはない」などとバカなことを言っているやつがアメリカにもいるそうで、ニュースを観ながら鼻で笑う。宇宙開発の予算を削って、人殺しの道具や設備にまわすのはかまわんのか。

【2月1日(土)】
▼そろそろ日付も変わろうかというころ、CNNの Breaking News がケータイを鳴らす―― NASA reports losing contact with space shuttle Columbia at 9 a.m. EST prior its scheduled landing at 9:16 a.m.
 げげげ、スペース・シャトルとの通信が途絶しただとぉ? しかも帰還寸前に? 通信機がことごとくいっせいに壊れたなどとは、ふつう誰も思わない。こりゃあ、ほぼ確実に再突入時の重大な事故だろう。乗員の生還はまず絶望的だな。えらいこっちゃあ。
 と思っていたら、テレビにニュース速報が入った。今回もCNNのメールのほうが速かったな。まあ、アメリカ発のニュースならあたりまえか。
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『奇妙な論理 1 だまされやすさの研究』
(マーティン・ガードナー、市場泰男訳、ハヤカワ文庫NF)
『2次元より平らな世界 ヴィッキー・ライン嬢の幾何学世界遍歴』
(イアン・スチュアート、青木薫訳、早川書房)

 早川書房の科学系の本を二冊も頂戴した。ありがたやありがたや。おれのプロフィールを参照せずに日記だけ読んでくださっている方には、おれは理科系だと思われていることが多いのだが、とんでもない、学歴的にはバリバリの、というほどでもないが、一応文科系なのである。だもんだから、高度な数学はさっぱりわからない。いや、基本的な数学も怪しい。要するに、ちゃんと体系的に勉強せんかったのだ(えらそうに言うことか)。だが、あんまり知識がなくても、論理の世界というやつはなにしろ論理だけだから、ふつうに言語が操れる人であれば、素人でもついてゆける。そこがありがたい。ものぐさで浅学菲才なおれでも、論理学は好きなんである。数学は嫌いだが論理パズルは好きだという文科系の人がけっこうたくさんいるのは、専門的な知識が必要ないからだろう。英語が読めなくても英文学が好きだという人がたくさんいるのと同じような理由である(そうか?)。
 さて、『奇妙な論理 1 だまされやすさの研究』は、一九八九年二月に現代教養文庫から出たものの復刊だという。マーン・ガードナーには講談社ブルーバックス『数学パズルI・II』などで親しんでいたから、この本の存在は知っていたが、読んだことはなかったのである。このたび復刊されたのは喜ばしいことだ。しかも、と学会会長であるSF作家・山本弘の解説つき。『「トンデモ科学を批判的に楽しむ」態度の先駆を成す不朽の名著』だそうで、科学技術立国(ということにしておこう)のくせに“科学民度”が異様に低いわが国では絶版にしてはならない本であろう。
 トンデモ科学というか、擬似科学というやつが、いつの世にもなぜにこれほど繰り返しくりかえし現われるのか、じつに興味深いことではある。「信じるやつはバカだから」ですまない問題があると思うのだ。一般的に知能が高いと評価され、事実知能が高いはずの人が、なぜか擬似科学にイレ込んだりするわけである。たぶん信仰みたいなものなので、知識の有無、知能の高低とはまったく関係なく、素質のある人は擬似科学にハマる。オウム真理教(アーレフなどとは呼ばんぞ、おれは)の信者なんぞ、そういう例の宝庫である。知識や知能も大事ではあろうが、結局のところ科学に最も必要なものは、健全な懐疑心以外のなにものでもないだろう。「私は科学を信じます」なんて奇妙なことを言う人がときどきいて、テレビなんかに出てきたりする。そんなのをテレビで観るたび、「科学は信じるもんじゃなくて、疑うもんじゃろう」とおれはいつもメタなツッコミを入れることにしている。
 「私は科学を信じます」にはふたとおりあって、ひとつは、科学の結果の集積を権威として盲信している“科学教”の信者が信仰告白をするケース、いまひとつは、ちゃんと科学のなんたるかがわかっている人が「私は科学の“結果”ではなく、その“方法論”の有効性こそを限界を認識したうえで信じていて、その方法論が導く結果には根拠相応の信頼を置いています」といちいち言うのが面倒くさいために省略して言っているケースである。さらにややこしいのは、後者でありながら、人心操作法と割り切り、プレゼンとして権威を装う戦術を取る人がいたりするところだ。政治と科学とは、衆愚の前では両立しないものなのである。マスを相手にすると、慎重でじれったくて煮え切らないほうがたいてい負ける。擬似科学に妙な人気が集まるのも、そこいらへんのメカニズムが働くからだろう。“正しく疑うことはかっこいい”“根拠もなく断定するやつはかっこ悪い”という文化を定着させたいもんである。
 『2次元より平らな世界 ヴィッキー・ライン嬢の幾何学世界遍歴』って、こりゃまた面白そうなタイトルだなあ。「2次元より平らな世界」とはどういう世界であるか、と誰もが興味をそそられるであろう。いいツカミだ。どうやら少女の冒険譚の形で最先端の幾何学の話が展開される本らしい。正気のルーディ・ラッカー『ソフィーの世界』を書いたような感じなんだろうか? 最近あんまり抽象的なことを考えていないから、たまにはこういうのも頭の健康にいいかもしれない。慌ただしく読むのはもったいなさそうな本だから、頭の冴えてるときに(そんなときがしばしばあればよいのだが)ゆっくり読ませていただこう。


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