間歇日記

世界Aの始末書


ホームプロフィール間歇日記ブックレヴューエッセイ掌篇小説リンク

← 前の日記へ日記の目次へ次の日記へ →


2003年2月中旬

【2月20日(木)】
「未 承 諾 広 告」ってのが来る。「非承諾広告」にものけぞったが、こういう手もあるかー。そのうち、「未 承諾広告」「未承 諾広告」「未承諾 広告」「未承諾広 告」「未 承 諾広告」「未 承諾 広告」「未 承諾広 告」などなどなどが来るのであろう。さて、何通りできるでしょう、なんてのが中学校あたりの試験に出そうだ。むかしなら小学校だろうが、いまなら中学校だろう。高校だったりしたらちょっと怖いかも。

【2月15日(土)】
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『ホクサイの世界 小松左京ショートショート全集1』
小松左京、ハルキ文庫)

 おおお、出た。余計な説明は必要ないにちがいない。ケイブンシャ文庫から一九九八年に刊行された『小松左京ショートショート全集(1)〜(3)』に新たに九篇を加えて再編集し、五分冊で出してくれるのだという。
 どうもおれたちの世代には、星新一小松左京筒井康隆を並べて考える癖があって、そうやって並べてしまうと、どうしても星新一は洒脱なショートショート、小松左京は骨太な大作、筒井康隆は猛毒の爆笑短篇と、それぞれの作品との出会いの初期で衝撃を受けたイメージに引きずられ、頭の中で“担当を割り振って”しまいがちなのだが、三巨頭を切り離して考えると、星新一の毒も殺人的に強烈だし、小松左京のショートショートも非凡な出来栄えだし、筒井康隆の本格SF長篇もストレートなSF的感動を呼ぶし、要するに、三人ともなにを書かせても並の作家ではないことにいまさらのように驚くのである。
 というわけで、さっそくちびちび読みはじめる。あたかも消毒するかのように、時代を感じさせるディテールを排除した星新一のショートショートとちがい、小松左京のそれは貪欲に時代背景を映す。五年後、十年後にはいったん古びていたのかもしれないが、どっこい、三十年、四十年経ってみると、これがまた新鮮なのであった。おれの好きな「コップ一杯の戦争」をひさびさに読んで、なんだかじーんとしてしまった。初出は『六二・一一「NULL」掲載』とある。まさにおれの生まれた月なのだ。その約一か月前、世界は核戦争の一歩手前にいた。キューバ危機である。また、その約一か月後、ついこのあいだまで人々を顫え上がらせていた原子力で動く十万馬力の科学の子が、白黒のブラウン管の中で七つの力を発揮しはじめた。そしておれはその鉄腕アトムが生まれるはずの年に何度めかの「コップ一杯の戦争」を読み、近々ほぼ確実にはじまるであろう戦争に関するニュースはカラーのテレビから日々流れ続けている。♪まわる〜まわる〜よ、時代はまわる〜。

【2月14日(金)】
▼夜遅く、会社の帰りに駅で電車を待っていると構内放送が入る――「○○駅付近で人身事故未遂のため、電車が六分ほど遅れております。たいへんご迷惑をおかけいたしますが……」
 じ、人身事故未遂! かれこれ四十年ほど生きているが、初めて耳にする言葉である。長生きはするものだ。“事故”“未遂”ってなんだそれは? さすがに二回め以降は気づくかなと思い、繰り返される構内放送に耳をすましたが、やっぱり同じように“人身事故未遂”を連発するのである。たぶん“自殺”という言葉は“人身事故”と言い換えるようにマニュアルに書いてあるのだろうが、“事故”の“未遂”などというものは論理的に成立し得ないと駅員は気がつかないのであろうか。おれのまわりにいる人もあまり不思議そうにはしておらず、一人だけおれより少し若い女性が「人身事故未遂てなぁ……」とくすくす笑っていた。おれ以外にも日本語と論理学の初歩がわかる人がいたかと、救われた思いであった。
 駅員も駅員である。どうしても“自殺”と言っちゃいけないことになっているのなら、未遂であろうが無事に死んでいようが、単に“人身事故”と言っておけばいいのに。あるいは、無意味な言葉狩り的言い換えを強いるマニュアルに対して、あの駅員は抗議のブラックユーモアを放ったのであろうか。あるいはそうなのかもしれないけれども、やっぱり、言っている本人は少しもヘンだと気づいていないほうに賭けるぞ。いやあ、しかしすごいなあ。人身事故未遂。個人的には今年の流行語(?)大賞に推したい気分だ。この日記の読者諸氏に於かれては、ぜひ流行らせていただきたい。

【2月11日(火)】
▼アニメ化されたのを観て気に入ったので、『最終兵器彼女(全7巻)』高橋しん、小学館)を一気読み。どうも近年、マンガはリアルタイムで読むということがほとんどなくて、完結間際に、あるいは完結してから一気読みするようになった。
 でまあ、原作もたいへん気に入った。とくにハードSFでない場合でも、さすがに質量(エネルギー)保存則が破れるとおれは一気に醒めるのだが、こうも確信犯的にいけしゃあしゃあと破ってくれると(作者も質量保存則を無視しているとあとがきで述べているが)それはそれで潔く、あまり気にならない。そういうところに突っ込むべき作品ではないのだ。手っ取り早く言うと、“萌え”の入った平成版『渚にて』なんだろう。たいへんオーソドックスでよろしい。こういうのは時代時代で次々と再話されてゆくべきだと思う。
 ここでやはりロートルとしては、若い人に逆にお薦めしたい。『最終兵器彼女』が好きな人は、ぜひ『渚にて――人類最後の日――』(ネビル・シュート、井上勇訳、創元SF文庫)を読みましょう。気に入ること請け合いである。で、それが気に入ったら、『霊長類 南へ』筒井康隆、講談社文庫ほか)だな。デザートに『ひとめあなたに…』(新井素子、角川文庫)といったあたりが、お薦めのコースである。


↑ ページの先頭へ ↑

← 前の日記へ日記の目次へ次の日記へ →

ホームプロフィール間歇日記ブックレヴューエッセイ掌篇小説リンク



冬樹 蛉にメールを出す