間歇日記

世界Aの始末書


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2003年10月上旬

【10月10日(金)】
「桃花鳥(トキ)が七羽に減ってしまったと新聞の片隅に/写りの良くない写真を添えた記事がある/ニッポニア・ニッポンという名の美しい鳥がたぶん/僕等の生きてるうちにこの世から姿を消してゆく」(さだまさし「前夜(桃花鳥[ニッポニア・ニッポン])」)
 ……と、唄われていたのはかれこれ二十年以上前だが、今日、「前夜」が“当日”になってしまったわけである。日本産のトキは本日絶滅した。報道によれば、最後の一羽となった「キン」が生後一年程度の幼鳥として捕獲されたのが一九六八年三月だというから、「キン」はおれより年下である。つまり、おれが生まれてからも、トキは自然の状態で繁殖していた時期が少しはあったということだ。そう考えると、生物種の最期ってのは、バタバタバタッといっちゃうものなのだなというのがよくわかる。
 しかし、トキなんてものは、おれにとってはそういう鳥がいると知ったときからすでに、“絶滅しそうだから数えるほどの個体が保護されている鳥”にすぎなかったわけで、絶滅してもあんまり実感がない。トノサマガエルアキアカネが絶滅したというのなら、そりゃあさすがにずいぶんと寂しいにはちがいなく複雑な想いが去来するだろうけれども、トキとなると、なんだか一度も会ったことがない遠い遠い親戚が死んだような感じで、「ああそうですか、それは残念なことですね」としか言いようがないのもたしかだ。日々、世界中でじわじわといろんな生物が絶滅しているはずであり、それがトキだからといって、単に「人間から見て可愛らしいことがパンダの生存価になっている」といった話と変わらんような気もする。さだまさしの歌は、こんなふうに続くのだった――「わかってるそんな事は たぶん/ちいさな出来事 それより/君にはむしろ明日の僕達の献立の事が気がかり」
 とは思うものの、トノサマガエルやアキアカネが、「僕等の生きてるうちにこの世から姿を消してゆく」ことにならないと断言できる日本人はいないだろう。現に、そのスジの趣味や仕事の人でもないかぎり“なんだかずいぶん小さいアカトンボ”だと思うであろうハッチョウトンボや、そのスジの趣味や仕事の人でもないかぎり“なんだかちょっとずんぐりしたトノサマガエル”だと思うであろうダルマガエルは、レッドリスト絶滅危惧II類に指定されている。絶滅の危険が増大している種だ。もっと馴染みの薄いトンボやカエルとなれば、絶滅危惧I類(絶滅に瀕している種)指定もいる。すっかり爺さんになったおれが、“トノサマガエルがいなくなる日”を迎えることにならないともかぎらない。
 それよりなにより、不可解なことに、レッドリストには“ヒト”というのは載っていないらしいのだ。
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『デス・タイガー・ライジング2 追憶の戦場』
荻野目悠樹、ハヤカワ文庫JA)

 あっ、なんてことだ。もう「2」が出てしまった。申しわけないことに、まだ「1」も読んでいないのだ。“SF大河ロマンス”だというので、そうそうすぐには完結しないだろうと悠長に構えていたら、「1」が出てからもう四か月以上経ってしまったのか。二重太陽系での戦乱を舞台に医学生と画学生のロマンスが繰り広げられるようで、むろん医学生のほうが女性である。なにが“むろん”なのかわからない人にはさっぱりわからないでありましょうが、こういう場合、医学生は女性でなくてはならない説明困難な自然の法則のようなものがある。男がふたりおったら、“やおい”の血を持つ人には攻守の弁別が即座に可能であるように、“医学生と画学生とのロマンス”と言われたら、SFファンには医学生が攻め――じゃない、女性だとすぐわかるものなのだ。なぜと言われても困る。電子はなぜ負の電荷を持つのかと問うようなものである。長年の条件付けによる学習がそのような感覚を培う。まあ、そんな条件付けはされたくないという方もいらっしゃいましょうが……。

【10月7日(火)】
▼北朝鮮の恵山(ヘサン)で中国を相手に密輸業者をやっているという人へのインタビューを『ニュースステーション』(テレビ朝日系)で放映していた。晩飯を食いながら漫然と観ていたおれは、不謹慎にも、こんな言葉に思わず大笑いした――「要領の悪い人はみんな死にました」
 おれには朝鮮語はわからない。もちろんテロップで訳が出たわけだが、文字で見たからこそ、密輸業者の淡々とした口調とあいまって、めちゃくちゃよくできたギャグのように感じられ、無性におかしくなったのである。要領の悪い人はみんな死にました、か。なんという明解なコメントであろう。要領が悪くても、少なくとも生きていられる国に生まれてよかったなあ。

【10月5日(日)】
▼最近いよいよ面白くなってきた『仮面ライダー555(ファイズ)』テレビ朝日公式サイト東映公式サイト)、もう夢中である。大きなお友だちは、多少のアラには目をつぶって、子供番組としては大きなことをやろうとしているのを、愛を持って見守ろうではないか。なにしろ、“毎週必ず、変身した状態の仮面ライダーが一度は登場しなくてはならない”という、脚本家にしたらめちゃくちゃつらい縛りがあるのだ。この縛りの下でこれだけのものを詰め込んでいるのはたいしたものである。主要登場人物が運転する走行中の車の前に、しょっちゅうオルフェノクが立ちはだかるのは大目に見よう。あわてた啓太郎が支離滅裂にケータイに叫ぶだけで、いつもちゃんと事件現場に乾巧草加雅人が現われるのも、それはそれでよしとしよう。仮面ライダーなのに、変身した状態でバイクに乗っている場面がほとんどなく、乗っているのは変身前の人間ばかりだというのも、シリーズ名のレゾンデートルを問う大胆な試みだということにしておこう。
 今回は、ついに木場勇治が555に変身。はっきり言って、乾巧よりカッコいい。じつはおれ、個人的には木場がいちばん好きなんだよな。「555性格判断」ってのをやると、

   草加雅人   90pt
   菊地啓太郎  80pt
   村上峡児  110pt
   海堂直也  110pt
   木場勇治  150pt
   長田結花   60pt
   琢磨逸郎   80pt
   乾巧    120pt
   影山冴子  100pt

 という結果になる。なんでもこの性格診断によれば、木場勇治タイプは「知識を得て観察する人」なのだそうだ。要するに、傍から見てると、あたりまえすぎていちばんつまらないタイプである。当たっとるな。
 それはともかく、流星塾の同窓会でウルフオルフェノクに襲われた真理の記憶は、たぶんスマートブレインの手で人為的に植えつけられた記憶なんだろうなあ。でも、ちょっとあたりまえすぎて面白くないな。かなり大胆に意外性を狙うとすると、草加もじつはウルフオルフェノクだって手もあるか。流星塾の連中は、オルフェノクを人工的に覚醒させようとするスマートブレイン前社長の研究の実験体であるらしいという推測はかなり一般的だと思うので、「失敗作」である草加が同窓会でウルフオルフェノクに変身し、己を見失って暴れたとて不思議はないのだ。いままで登場したオルフェノクが、みな異なる種類の動植物だったのは、ここへ来てこの手を使うためのミスリードだったのであーる――てのはどうでしょう? なんだか最近、『仮面ライダー555』が手塚治虫『バンパイヤ』に見えてきてしようがない。スマートブレイン現社長の村上は、もちろん間久部緑郎である。
 日曜日の朝七時半から八時半までは、『爆竜戦隊アバレンジャー』と『仮面ライダー555』の二本立てで、いつのまにか「SUPERヒーロータイム」という枠で括られているのだが、今日はこの「SUPERヒーロータイム」のエンディングに、草加雅人のナレーションが入って大爆笑した――「次回も観てくれるって解釈で、イイのかナ」
 いやあ、草加に言われると、一瞬、「誰が観てやるものか」という気になるからたいしたもんだ。この台詞、小さなお友だちが真似しそうだよなあ。「カイシャクってなに?」などとお子さんに訊かれた親御さんも多いにちがいない。草加役の村上幸平って役者は、かなり楽しんで厭なヤツをやってるよな。壊れてるやつが多い登場人物の中でも、草加はとくに壊れてるから(海堂のほうが壊れているという意見もありましょうが)やり甲斐があろう。おれがもし役者だったら、けっこう琢磨クンをやってみたいかも。かなり地でいけそうだが、ダメダメ具合と壊れ具合を出すのが楽しそうだ。
 今日の日記は、『仮面ライダー555』を観てない人にはさっぱりわからないよな。すんません。いやしかし、下手な大人向けのドラマより面白いんだってば。“大人が観たほうが面白い”って作りかたが、はたして子供にとっていいのか悪いのかはわからんけどねえ。


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