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2004年11月下旬 |
【11月29日(月)】
▼髪をリーゼントに決め、高そうな皮ジャンを着たやたら顔のでかい男が、ちょっと蓮っ葉な感じの美女を連れているのを駅のホームで見かけた。おれのそばで会話しているので、厭でも話の断片が耳に入ってくる。その男は、ふと思い出したように女に言った――「TELNET、入るかな、おれ?」
はあ? 同業者か? 人を見かけで判断してはいけないが、どうもそういう話をしそうな男には見えない。IT業界の匂いがしないのだ(どんな匂いか定義できんが)。いやまあ、そりゃあ、おれの知っているある物理学者はどう見てもロック・ミュージシャンかなにかにしか見えない。また、おれの知っているいま一人の物理学者はどう見ても柔道家かなにかにしか見えない。リーゼントに皮ジャンの顔のでかい兄ちゃんが、ネットワーク技術者かなにかであったとしても、なんの不思議があろうか。
しばらく耳をそばだてて話を聴いていると、ようやく腑に落ちた。「ヘルメット、入るかな、おれ?」だったわけだ。一応、その男には顔がでかいという自覚はあったのだ。すまん、たぶん、ふつうのヘルメットは入らんと思うぞ。
【11月23日(火)】
▼いま観てみたい映画を突如思いつく――『生茶パンダ対損保ジャパンダ 南海の大決闘』 むろん、松嶋菜々子、上戸彩ほかによる豪華キャストの感動特撮巨篇である。なぜ「南海の大決闘」なのか? そりゃあ、生茶パンダ対損保ジャパンダときたら、ふつうの人なら「南海の大決闘」と口をついて出てくるのがあたりまえだろう。あたりまえすぎて、驚きがないくらいだ。こういう映画では、あまりタイトルで奇を衒ってはいかんのである。
じつは、“撮ってみたい映画”というのも考えている。『プレデター vs プレデター』(原題:Predators vs. Predators)というやつだ。冒頭から森のシーンだ。ひたすら森が映っている。やがて画面の右端で、太い木の枝がばきっと折れる。直後に左端で地面がずさっと抉れる。池に水しぶきが上がる。あちこちから咆哮が聞こえる。きらめく稲妻、轟く雷鳴、風が吹き荒れ、屋根が飛ぶ。森のどこに屋根があるのかって、細かいことは気にするな。なにやらたいへんなことになっているらしいことが、あくまで風景だけから感じられる。森が跡形もなくなったところで静寂が訪れ、エンドロールが流れはじめる。出演者のクレジットはこんな具合だ――
真っ暗なエンドロールがえんえんと四分三十三秒にわたって流れてゆく。観客はそこで、何体のプレデターが何体のプレデターといかなる壮絶な闘いを繰り広げていたかを改めて知り、感動に打ち顫えながら席を立ち、滂沱の涙を拭おうともせず劇場をあとにするのだ。いいぞ、これは! 当たるぞ!
【11月22日(月)】
▼「ツーカーS」のCMを初めて観て、快哉を叫ぶ。以前に、「デジカメに申しわけ程度に電話がついているようなケータイは、少なくともおれの母には使えん。ツーカーには、この路線で着実にユーザを開拓してほしいものである。時間はツーカーの味方だ。なにせ、この国は、老人大国になる道をまっしぐらに歩んでいるのだからな」とか、「音声通話とメールだけに(なんなら音声通話だけに)機能を絞り込んだ、それでいて画面はでかい端末を格安で出し、それに見合った料金コースも提供していただきたい」とか、声を大にして叫んでいた甲斐があった。よくやった、ツーカー。いまのところ、おれ自身は「京ぽん」以外には目もくれないが、そのうち、おれがボケてきたら、ぜひ検討したい。というか、母のケータイにはさっそく検討したい。
……と考えて検討してみたのだが、さしあたり見合わせることにした。母にいま持たせているケータイ(東芝「TT22」)は、文字がでかいのがウリで、操作も簡単なほうだろうとおれは思っていたが、結局のところ、母はいまだに自分からケータイで電話をかけることができない。受け専用になっている。両目とも白内障の手術をして、裸眼視力は眼鏡をかけたおれよりもよいのだが、やっぱり操作が覚えられない。すぐにでも「ツーカーS」にしたいところだ。が、そうはいかないのである。
年寄りはいろいろ薬を飲む。目薬を注す。その時間を知らせるためのリマインダーとしてだけ、ケータイのスケジュール機能を使っているのだ(もちろん、設定はおれがする)。これは存外に便利なため、「ツーカーS」ほどにシンプルだと、シンプルすぎて困るのである。
まったく、帯に短し長渕剛、世の中うまくいかないものだ。でも、ツーカーよ、その路線はいいぞ。正しいぞ。もう少し、シンプル度にグラデーションをつけたラインナップにしてくれ。「ツーカーS」は携帯電話としては極北だ。これ以上シンプルにしようがない。大胆である。京ぽんの登場以来、ひさびさにケータイ関係で目を見張った。夾雑物を捨て、狙った一点に全リソースを傾注するという設計思想では、両者にはカスタマーセントリックな共通する心意気が見て取れる。うむ、すばらしい。
【11月21日(日)】
▼「京都SFフェスティバル 2004」の続き。「喜多哲士の名盤アワー」、今年はゴジラ特集である。といっても、まともなゴジラ映画音楽をみんなで聴いても面白くもなんともないわけで、毎度のことながら、喜多さんは選りすぐりの奇ッ怪な曲を聴かせてくれる。正真正銘のお座敷ソングである「ゴジラさん」なんてのは、けっこう有名な曲らしいが、少なくともおれは初めて聴いた。いったいなにを考えてこんな曲を作ったのか、最後までよくわからない。ひさびさに「老人と子供のポルカ」を聴いたり(べつにゴジラとは関係ない)、「うぐいすだにミュージックホール」「うぐいすだにミュージックホール2000」を立て続けに聴いたり(これもゴジラとは関係ない)、なんだかわけがわからない懐かしくも珍しい時間を過ごした。
さて、次の企画が問題だ。「グレッグ・イーガン『万物理論』の部屋」をぜひ覗きたいと思っていたのだが、残念ながらおれはいまちょうどクライマックスを読んでいるところである。こんな面白い話をネタばらしされてはたまらないので、あっさり諦めることにした。あとで聞くと、それはもう面白い波乱万丈空前絶後貪虐兇穢弱肉強食臥薪嘗胆風光明媚欣喜雀躍隔靴掻痒身体髪膚七転八倒天地無用御名御璽の企画だったそうで、まことに惜しいことをした。
そのあと大広間で林譲治さん持参のウェアラブルコンピュータ(のHMD)を装着させてもらう。あとで写真を見せてもらったら、慣れない人間がHMDを装着すると、みんな虚ろな目をしたアホ顔になってしまうようだ。なかなか塚本昌彦先生のようにかっちょよくはいかないのである。
あとは、おがわさとしさん、喜多哲士さん、北野勇作さん、林譲治さんと、うだうだうだうだうだうだとみなが睡魔に撃沈されるまで明け方近くまで話す。あれ、いま書いてて気づいたが、みんな同い年じゃないかよ。
朝は例年どおりのまったりとしたクロージング。なんでも、京都大学SF研究会は、新入部員が少なくて存続の危機を迎えているそうで(なんでも、どこの大学でも似たり寄ったりの状況らしい)、京都SFフェスティバルも下手をすると今年で終わりかもしれないなどという寂しい話が出た。「京フェス」というのは、いまやSF界ではひとつのブランドであって、作家でもマンガ家でも評論家でも学者でもそれらがかぶっている人でもそのほかの肩書きの人でも、いまをときめく新鋭から大御所まで、ビッグネームの方々を呼んで活動してきたという実績にはすごいものがあると思うのだ。おれのいた大学など、SF研などどこでなにをしているのやらさっぱり(あるにはあった。入らなかったけどな)……いやまあ、それはともかく、京フェスの伝統がここで中断するのはもったいないなあ。われと思わん京大生の方々は、「入会案内」へどうぞ。これによると、鍋やら焼肉やら旅行やらコンパやらしたりするそうだ。ふつうSF研でなくても、そういったようなことはするだろうが、女性に薬を飲ませて強姦したり腕力にものを言わせて輪姦したりするような活動は絶対していない(と思う)からとっても健全よ。一日二十分の練習でペン字検定にも合格できる(と思う)わ。えっと、京大生でなくっても、あそこいらへんで活動できる大学生なら入会できるんだっけ? ま、そこいらへんの詳しいことはよくわからんから、興味のある人は、直接京大SF研に問い合わせてください。
解散後は、これまた例年のように、喜多さん、北野さん、林さんと、からふね屋で朝食。昼近くまで、これまたあれこれとSF話。筒井康隆の不朽の名作短篇「熊の木本線」(『筒井康隆全集16』新潮社、『おれに関する噂』新潮文庫所収/[bk1][amazon])に絡んで、あんな具合に電車が家ん中に入ってくるというイメージは日本人に普遍的なものなのか、よく夢に見るわなあといったことを話していたら、北海道に生まれ育った林さんは、あのイメージを共有していないらしいことが判明。その代わり、自宅の庭に飛行機が舞い降りてこちらにタキシングしてくるのを二階の窓から眺めるという夢を見るそうだ。ひょええ。林さんにとっては、その夢が、電車が家に入ってくるおれたちの夢に相当するらしいのである。てことは、沖縄に生まれ育った人も、電車が家に入ってくる夢は見ないのかもしれない。タクシーが家に入ってくる(これがほんとのタキシング)夢でも見るのかもしれない。おれが子供のころ住んでいたあたりの、京都は御陵(みささぎ)のあたりなど、電車と自動車が道路を並んで走っているのがあたりまえだったから、「熊の木本線」は、おれにとっては意識の底をスコップで浚われたようなショックだったのだが、所変われば原体験も変わるものである。
というわけで、へろへろになって家帰って、昼飯食って夕方まで寝る。
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