間歇日記
世界Aの始末書
【11月20日(土)】
▼今年の「京都SFフェスティバル 2004」は、このところなんやかやと忙しく衰弱しているうえに昨日帰宅が遅くて、残念ながら昼の部はパス。『ウェアラブルコンピュータが変える世界』(出演:池井寧・林譲治・菊池誠)って企画は楽しみにしてたんだがなあ。
昼過ぎまで死んだように寝て風呂に入ると、それでももういい時間になっていたので、駅のホームで適当な晩飯をすませ、合宿会場の旅館さわや本店に直行する。いつものように大広間でオープニング。生きて動く飛浩隆さんを初めて目にする。
さて、とりあえずハードSF企画の部屋には行かずばなるまいと行ってみると、なんとハードSFの古典名作を“やおい”風に解釈してゆくというすさまじい企画であった。野田令子博士がトバすトバす、あたり一面に妖しいのだれいこの世界が展開する。『星を継ぐもの』などJ・P・ホーガンのいくつかの作品に登場するヴィクター・ハント(原子物理学者)とクリスチャン・ダンチェッカー(生物学者)は、あの章からあの章へ移るあいだの行間で“デキて”いる、絶対「二人のあいだになにかがあった」――といった具合に、著者が聴いたら目を丸くするような“やおい読解”でハードSFを斬りまくる。べつに野田さんご本人は斬っているつもりなどなく、ただただ二足す二は四であると語るがごとく、とーぜんの読解を開陳しているらしい。まあ、おれも以前に、そのスジの本職であらせられる木根尚子さんから、谷甲州の「星は昴」(『星は昴』ハヤカワ文庫JA所収)が美しいやおいであるとレクチャーを受けて蒙を啓かれていたため、さほどの衝撃は感じなかったが(むろん、野田博士も「星は昴」をそう読む)、この部屋の企画が数時間続いたとしたら、おそらく読むもの読むものすべてやおいに見えてくるにちがいないと、一抹の不安を覚えた点は強調しておく。
やおい漬けになったところで、古沢嘉通さん主催の恒例「ワイン部屋」にお邪魔し、おいしいワインとチーズとかチーズとかチーズとか(とにかくチーズがたくさんあった)をいただく。一種類だけ、赤インクとしか思えないワインがあったが(赤インクを飲んだことはないけど)、これは、みなにワインの味がわかるかというゲームのために古沢さんが意図的に用意した“明白にまずいワイン”なのだった。何種類も次々と飲んでいるうちにかなりの量を飲んだらしく、心地よくできあがってきたので、そろそろ、これも恒例の企画「喜多哲士の名盤アワー」へ行こうとふらふらと部屋を出る。
【11月18日(木)】
▼《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。
今年はノリにノッている森奈津子のエロティックSF短篇集……と言うだけでは、もはやあまり珍しい感じはしない。森奈津子は、本人が呼ぶところの「不良債権」(未出版・未収録の作品)をけっこう貯めこんでいるはずだからだ。彼女のSF短篇集として本書が特徴的なのは、収録作六篇のうち四篇は〈問題小説〉誌に“官能小説”として発表されたものだという点だろう。いつもはSF誌あるいはそれに準ずる場で“エロでもあるSF”を書いたものが本になるのだが、今回は“SFでもあるエロ”を本にしたわけである。「あとがき」のものすごい表現によると、「同誌の読者層である中高年男性を性的に興奮させ、可能であれば彼らを無為に射精させることを目標として書かれた作品なのであります」ということである。『言い換えれば、「オヤジに優しいエロSF&エロファンタジー」です。あるいは「官能小説の依頼だったのに、森奈津子が無理にSF&ファンタジーにしてしまった作品群」とも言えましょう』 なるほど、森奈津子であれば、やりそうなことである。あとの二篇は〈SF Japan〉に載った作品だから知っているけれども、おれは〈問題小説〉まではとても手が回らないから、おれにとっては非常に新鮮な作品集なのである。無為に射精できるかどうかはともかく(オヤジになるとパターン化された性的刺激に関する反応が鈍化してきて、相当趣向を凝らした新鮮な性的幻想をピンポイントで提供されないと、なかなか若者のようには無為な射精を楽しむところまではいかないものなのである)、非常に楽しみである。
えっと、官能小説としての楽しみかたはともかくとして、本書の「あとがき」で、森奈津子はきわめて斬新な提言をしている。SFファンはよく「これはSFではない」といった批判をするものであるが、そんなふうに主観的な見解を客観的事実であるかのごとくに断定的に語るのはやめて、「こんなんじゃ、俺のSFチンポは勃たねえ!」「こんなんじゃ、私のSFマンコは濡れねえ!」と言うことにしてはどうか、というのだ。いやあ、いいですねえ、これ。ちょっと場所によっては使いにくいが、日常的には非常にいい表現である。「センス・オヴ・ワンダーを感じる」などといったスカした表現よりも、的確ではなかろうか。いやまあ、たとえばおれが「センス・オヴ・ワンダーを感じない」と言ったりするときに伝えたいことも、要するに「こんなんじゃ、俺のSFチンポは勃たねえ!」ということにほかならないわけで、そういった抽象的な性器を仮想したほうが、言いたいことがより多くの人に伝わるような気がする。べつに「妖怪アンテナ」みたいな「SFアンテナ」と言ってもいいんだけど、性器は誰でも持っているわけだから、汎用的だわな。秀逸な提案だと思う。
とはいえ、誰かが朝日新聞の書評かなにかで、「こんなんじゃ、私のSFマンコは濡れねえ!」と書いても、そのまま載るかどうかは疑問ではあるんだが……。
【11月13日(土)】
▼以前から気になってしかたがなかったのだが、またもや薬局で見かけたので、今日こそはぼやく。あの「超立体マスク」(ユニ・チャーム)ってネーミングは、とても怪しいと思いませんか? どう見ても“トンデモ発明品”の一種のような名前である。なにしろこのマスクは、おれたちに見えているとおりのマスクではないのである。いまそこにある「超立体マスク」は、おれたちの未熟な知覚によって切り取られた、このマスク総体の三次元に投射された断面にすぎない。このマスクの総体は四次元以上の広がりを持って存在しているのであって、それが何次元にまでわたっているのか、はたまた、どれほどの大きさのものなのかは、卑小な三次元の生きものであるおれたちには知る由もないのだ。ふつう、“超立体”ってそういう意味でしょう? おれはむかーしロバート・A・ハインラインにそう教わったような気がする。
まあね、こういう意地悪なことを言ってはいるが、「とても盛り上がっている」という意味で使っているのであろうと推測はつきますよ。でも、それも言葉の使いかたとして妙じゃないかい? 「富士山は浅間山より超立体である」なんてこと言うかい? コピーライティング的には、「超立体」は大正解だろうけどねえ。なにしろ一度聞いたら、象でなくても忘れない。でも、こういう用法が定着してほしくはないなあ。ヘンだよ。ちょーヘンだ。