間歇日記

世界Aの始末書


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97年2月上旬

【2月10日(月)】
▼ハードディスクにDEFRAGをかけているあいだに、ちょっと読み齧って放置していた『Eメール・ラブ』(ステファニー・フレッチャー著、布施由紀子訳、徳間書店)を読了。電子メール恋愛(婚姻外を含む)を扱った全編電子メール体の小説だというだけで、内容はどうってことない作品。よって、日記で言及するに留めることにする。
 一応、著者は二年をかけて実地にリサーチしたというから、アメリカのパソ通文化のなにほどかを伝えてはいるかとは思う。パソ通では、いい大人が互いの了解の下に多かれ少なかれ幼児化するのは洋の東西を問わぬようで、そういう幼児化した大人の英語を照れの残る日本語にして読まされると、なんともこっ恥ずかしい不自然さがつきまとう。思うに、幼児化している部分は、もっと訳文を崩してもいいのではないだろうか。日本のパソ通の似たようなシチュエーションで、いい大人がどういう言葉遣いをしていることか。それはもう、常人の想像を絶するのだが、己がパソ通という文脈にあるとき、それはちっとも恥ずかしくないばかりか、「ここはそういう場所なのだ」というなにがしかの解放感をすら伴う――なんてことは、ここに書くかぎり釈迦に説法ですわな。要するに、著者がリサーチしてるんだから、訳者も(あとがきから察するに、この方はパソ通経験がない)相応のリサーチをしたほうが訳文に説得力が出たんじゃないかな。もっとも、読むほうも経験ない人のほうが多いだろうから、これでいいと言えばいいのかもしれないが。
 さらに、この本が縦書きのごくふつうの版組みなのは、編集・出版側の致命的な認識不足と言える。栗本薫の『仮面舞踏会』のように、小説の一部として電子メールやチャットが出てくるならいたしかたないとしても、この作品は全編電子メールだけで構成されているのだ。『電脳筒井線』のように、横書きにすべきである。英語ならふつうの版組みでなんの違和感もないからといって、日本語版も“ふつうの本”にしたのではまずい。横書きの文字がスクロールによって画面の下からせり上がってくるタイポグラフィカルな効果は、トイレットペーパーのような本を書店に並べることができない以上、静的な活字で再現すべくもないとしても、せめて横書きにすればまったく印象は変わっただろうと思う。これではまるで、古今和歌集を横書きで読んでいるかのようだ。コストの問題もあるのだろうけれど、内容が同じなら縦でも横でもよかろうと思っているのだとしたら論外。まあ、メタなところで、いろいろ考えさせられたという点では、興味深い本ではあった。

【2月9日(日)】
▼今日は手塚治虫の命日だ。亡くなったのは89年だから、もう八年になる。手塚治虫のいない世界がすでに八年も続いていたのだとは、こうして計算してみないと実感できない。すごいことだ。
▼ネットサーフィンしていると、谷甲州黙認FC・青年人外協力隊(通称・人外協)のホームページがオープンしているのを発見した。さまざまな面で藝達者な人が多いファンクラブだから、今後の充実が楽しみだ。谷甲州作品とは直接関係ない一般活動も幅広く、『トンデモ本の逆襲』(と学会・編、洋泉社)でもおなじみの“と学会”会員・前野昌弘さんの研究レポート(?)「本物の色物物理学者たち」は抱腹絶倒、面白うてやがて怖ろしき傑作である。トンデモ本シリーズの愛読者は必読ですぞ。誤解する人はいないと思うが、念のために断わっておくと、前野さん自身はちゃんとした物理学者である。

【2月8日(土)】
▼『セーラースターズ』最終回を観る。子供向けだからしかたないのかもしれないが、乳首や陰毛のない裸体というのは不気味だ。やはり社会通念の変化というものをアニメにも反映してもらわねば。はるかとみちるのレズまがいの描写や変身後のスターライツの女言葉など、子供アニメにしては思い切ったセクシャリティーの攪乱をしたりはするくせに、妙なところで古風だな。
 後番組は、むかし懐かしキューティー・ハニー。変身時にどこまで出すのか、社会通念の変化を確認するのが楽しみである。いやしかし、この三十年で女の子アニメも変わったもんだ。おれの子供のころなど、魔法使いですら街中に夢と笑いを振りまくのが精一杯だったものだが、十六歳の小娘が銀河系を救ってしまうようになったんだからなあ。
 ハニーがリバイバルするとなると、ひとつ気になることがある。どうやらテーマソングはむかしと同じらしいので、二番の歌詞にある“ボイン”という言葉が復活するんじゃあるまいか。まさか“巨乳”に変えて歌うとも思えない(そうだったりして)。いまどき“ボイン”なんて言葉を使うのは月亭可朝くらいのものだが、もう二、三か月もすると、そこいらの子供が使いはじめるかもよ。注意して聞くようにしよう。
 もうひとつ、むかしから気になっていることがある。キューティー・ハニーのテーマソングの主語は誰なのだろう? 「こっちを向いてよ、ハニー」と懇願しているからには、ははあ、これはハニーに魅惑された男の視点で歌っているのだなと思っていると、途中からいつのまにか「イヤよ、イヤよ」と鼻声で拒絶していたりする。太田裕美の「木綿のハンカチーフ」のような“掛け合い”なのだろうか。それにしては、曲が掛け合いらしくない。子供心に疑問に思っていた人、ほかにもいるんじゃないですか?

【2月7日(金)】
『SFバカ本 白菜編』(大原まり子・岬兄悟編、ジャストシステム)読了。うーん、どうかな、これは。おれもこの手の話が少なくなって痛切に寂しく思っているひとりなので、その企画意図には大いに賛同するのだが、今回のはちと楽屋ネタが多いと思う。たとえば、野阿梓の「政治的にもっとも正しいSFパネル・ディスカッション」や、とり・みきの「ネドコ一九九七年」が十全に楽しめるような人は、相当SF業界知識のある人だろう。後者は落語のパロディだから、SFの知識のない読者にも最低限の面白さは保証されるにしても、前者は、SFインサイダーでないとどこが面白いのかさっぱりわからないのではないか。おれ個人は、電車の中で読んでいて必死に笑いをこらえたけれど、こういう作品は両刃の剣だ。「おれは(昨日や今日SFを読みはじめた者にはわからない)このネタがわかる」という蜜の味の虜になった者が“リピーター”として市場を支える側面もあるし、「ああ、この人たちは楽しそうにやっているが、私ごときにはとても途中からは入っていけない世界だ」と疎外感を覚える人もいるにちがいない。二十代後半までまったくファンダムに関わらず、ひたすら孤独にこつこつと読んでいたおれには、両者の気持ちがわかる。難しい問題だ。

【2月5日(水)】
▼ひさびさに名古屋トンボの会のホームページにアクセスしようとしたら、見つからないと拒絶される。Yahoo! Japanで検索し直して再度発見。なんでも前のプロバイダが廃業してしまったそうな。最近、よくあるケースだなあ。おれの知人にもブロバイダをやっている人が二人いるが、好きでないとできない商売のようだ。おれは画一性よりも多様性が必ず最後には勝つと基本的には信じているやつなので、いろんな個性のある業者がうまく住み分けて生き残っていってくれるといいなと思う。
 ところで、その名古屋トンボの会であるが、うちのリンク集をご覧になった方はおわかりのように、竹トンボを作る会なのである。じつは会員が一名いるだけ、なのにその人は会長ではないという妙な会だ。まあ、洒落っ気があっていいじゃないか。そこらの事情は名古屋トンボの会のホームページへ行ってみればわかる。
 それはそうと、竹トンボなんて作ったことありますか? おれはある。子供のころ、竹藪が近くにあって、材料の調達には不自由しなかったので、手を切りながらよく作った。肥後芋茎――失礼、肥後守で切るのではない(たまには切るけど)、竹そのものですぱすぱ手が切れるのだ。おれは1962年生まれだが、ひょっとして竹トンボ手作り世代の最後の生き残りじゃあるまいか。訊いてみると、同年輩でも作ったことがないという人は案外多いのだ。おれたちのころには、すでに駄菓子屋なんかでプラスチックの竹トンボ(?)をよく売っていて、そっちのほうではみな遊んだことがあるようだ。おれもいろいろ買った。でもやっぱり、自分で作ったものが理屈どおり飛ぶ快感というのは、なにものにも代えがたい。きっといまの子たちは、プログラムを作ったりしてそういう快感を得ているのだろう。下手に竹なんかを材料にしたら、地球にやさしくないと怒られてしまうかもしれないよな。
 滅びてほしくないというセンチメンタルななにかはある。が、滅びたからといって、べつに誰も困るわけではない。そういうものって、けっこうあるよね。

【2月4日(火)】
▼京都iNETが、4月からようやく個人ホームページの容量を拡張するとのこと。利用料金が圧倒的に安いからいたしかたないにしても、いくらなんでもひとり500KBがいつまでも続くはずはないとは思っていた。うちのようなほとんどテキストばかりのページでも、たちまち満杯になってしまうじゃないか。新料金体系では年間二千円/5MBというから、まあタダみたいなもんだ。容量増やしたら、朝日ネットに置いてる分をこっちに引き上げるかな。
▼オレンジ共済の被害者は被害者だが、KKCのヒガイシャはどこが被害者なんだ? 悪霊除けの壺とやらを自分の意志で買ったのと同じじゃないか。悪霊が去らなかったからといって、文句の言える筋合いか? あのおやじは詐欺師ではあるが、なかなか独創的なやつではあり、あいつだけを悪者にするのは筋が通らない。それが通れば、麻原彰晃の信者はみな罪がないことになる。ヒガイシャ各位に於かれては、社会があんたらに味方しているのは、あんたらに迷惑をかけられた善意の第三者を救済するためであって、けっしてあんたらを気の毒に思ってのことではないと肝に命じられたし。それどころか、多くの人はあんたらのことを、欲の皮ほどには知能が発達していない人々だと思っているのだ。

【2月3日(月)】
▼そのむかし、クーラーが贅沢品だったころの話だ。団地に住んでいると、やれ何号室の○○さんちはクーラーを買ったそうだ、やれ△△さんちのは暖房もできるやつだそうだ、などとかまびすしかったものである。そのうち徐々にクーラーを買う家庭が増えてくると、問題が起こった。クーラーは室外に熱を放出する。クーラーのない家は当然窓を開け放って涼を取ろうとするから、団地では隣近所がクーラーを買うと、それまでに輪をかけて夏が暑くなるのであった。多少無理をしてでも、みなクーラーだけはひと夏でも早く買おうとしていたものである。
 そういうわけで、もう何年も豆撒きをしていないわが家は、今夜は窓を開けてはならないのだった。
『SFバカ本 白菜編』(大原まり子・岬兄悟編、ジャストシステム)を買う。わけのわからないタイトルが、そこはかとなくよい。してみると、前のは“たわし編”であったのか。

【2月2日(日)】
▼背景のトンボの色を少し変えてみた。このページ、CRTでは比較的きれいに見え、さほど読みづらくもないのだが、TFT液晶ではトンボのエッジが立ちすぎてしまい、かなり邪魔になる。かといって、トレードマークを外すのも残念なので、黒の文字色と重なっても文字の線が消えない水色系にしてみた次第。自宅にはろくな画像加工ソフトがなく、妥協点を捜すのがなかなか難しい。「前のほうが読みやすかった」という苦情があれば、どしどしお寄せください。
▼映画『パラサイト・イヴ』のテレビCM、葉月里緒菜が怖いほどきれいだ。葉月ファンとしては、観に行かずばなるまい。ひょっとして、すごいハマリ役なのではないか。“魔性の女”だとかなんとか陳腐なフレーズがワイドショーや週刊誌を賑わせているけれど、あれって映画の宣伝工作なんじゃないのと誰もが思ってるよね。イチローに葉月をあてがったか、葉月にイチローをあてがったかした人が映画関係者にいるにちがいない。あくまで推測だが、もし当たってたら、お仕事ご苦労さまです。おれもサラリーマンとしての立場なら、それくらいのことはやる。
“魔性の女”ってのはあるけど、“魔性の男”というのはないよなあという話を先日某所のチャットでしていたら、某秋津透さんが「嶋田久作」――って、たしかにそうだなあ。天本英世なんかも、いかにも“魔性の男”という感じだ。なんとなく意味がちがうような気もするが、気にしない気にしない。

【2月1日(土)】
▼夕方ころから偏頭痛に襲われ、『緑の少女』(上・下、エイミー・トムスン著、田中一江訳、ハヤカワ文庫SF)を読むも続かず。エイリアンがカエル型なのがいい。謝辞にもあるように、オクテイヴィア・バトラーの影響が顕著だ。このカエリアン(と、おれは『フリーゾーン大混戦』の大森望名訳“カタツムリアン”に倣って勝手に呼ぶ)のリンク能力、バトラーの Xenogenesis 三部作に出てくる Oankali というエイリアンのそれにそっくりである。こういう発想は、やっぱり女性の性感と関係があるのだろうな。男はつまらん。
▼ひさびさに『ハンマー・プライス』(フジテレビ系)を観る。この番組を観てると、ものの値打ちがわからなくなってくる。なんでLITTLE KISS(工藤静香&石橋貴明)の一日マネジャーができる権が75万円で、メリル・ストリープの直筆絵馬と映画で着たブラウスがたった10万円なのだ? 後者を競り落とした人は、どう考えてもラッキーである。あれが10万円で落ちるとあらかじめわかっておればと、ストリープのファンはテレビの前でのたうち回っていることだろう。
 かくいうおれも、メリル・ストリープは大好きなのだ。年齢的にはすっかりおばさんになってしまったが、おれにとってはやっぱりかっこいいお姐ちゃんなのである。学生時代、英文科の卒論にハロルド・ピンターを選んだため、ピンター脚本の『フランス軍中尉の女』を観てすっかりまいってしまったのが最初だった。訳が出てたかどうか知らないが、 Meryl Streep: The Reluctant Superstar (Diana Maychick, St. Martin's Press, 1984)という伝記があって、 reluctant superstar とはうまいことを言うものだと感心して読んだ。映画スターの実像などおれにはわからないが、いまでも彼女にはなんとなくスターであることに気が進まない様子が感じられて、そこがまたいいのだ。
 さすがに出演作を全部観ているわけではないけれど、依然『フランス軍中尉の女』のストリープは、おれの中では上位に入る。あとは『ソフィーの選択』『シルクウッド』『プレンティ』くらいかな。最近はちょっと熱が冷めている。妙な特撮映画やら一過性ブームの中年ラブロマンスなんかにゃ出てほしくないよな。『マイ・ルーム』はどうしようか。じつはダイアン・キートンも好きだったりするんだなあ。


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