間歇日記

世界Aの始末書


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98年6月中旬

【6月20日(土)】
▼それにしても、パソコンというやつは、知らずしらずのうちにずいぶんいろいろな設定をしているものだ。いままでとまったく同じというわけにはいかないが、そこそこ快適に使える環境設定をするのに、ずいぶんと手間がかかる。突然32ビットの世界になったので、いままで愛用していたアプリケーションを全部32ビット版にヴァージョン・アップしなければならないのだ。しなければならないこともないのだが、いましておかないと、なかなか腰が上がらないに決まっている。どうにかこうにか、最低限なくてはならないツールをインストールし終わった。これで仕事ができる。ホームページも作れる。
 まず、卓駆★がなくてはならない。Windows95 のエクスプローラーなんか使っていられるものか。能率が格段に落ちる。もちろん、エディタは秀丸エディタでないとはじまらない。これらは心の底から金を払ってもいいと思えるシェアウェアで、作った人々に自然と感謝の気持ちが湧いてくる優れものである。なにより長年愛用していて、ほかのものを身体が受けつけなくなってしまっている。
 あとはインターネット環境だ。Netscape を 4.04 にして、AL-Mail を32ビット版に上げる。ブックマークにしろ、メールボックスにしろ住所録にしろ、簡単に引き継げるのがありがたい。さすがに FTPツールだけは、いつまでも16ビット版のフリーソフトを使っているわけにもいかず、FTPエクスプローラーを入れてみる。そうそう、Adobe Acrobat Reader もさっそく入れた。会社ではよく利用しているが、ようやく自宅でもPDFが読めるようになったのがうれしい。大原まり子さんが無料で提供なさっているPDF版の小説とエッセイをダウンロードして読んでみた。おお、13.3インチのTFT液晶画面(うひひ、会社のよりでかい)で読むと、下手すると紙より読みやすいぞ。これぞ“電子本”という感じがする。シェアウェア版の日記も、そのうち買ってみよう。どうもおれはCRTを長時間見ていると目がちかちかしてきていけない。何時間もぶっ続けで画面を見ていることが多いので、十分に大きければ液晶のほうが具合がいい。こうしてパソコン画面で縦書きの小説を読んでいると、安部公房『飛ぶ男』(新潮電子ライブラリー)を、初めてモノクロ液晶の98ノートで読んだときの不思議な感覚がよみがえってくる。あのころはまだ、インテル80386の16MHzだった。ちなみに、おれは紙の『飛ぶ男』を持っていない。安部公房がまったく入手不可能になることもあるまいから、必要が生じたら買おうと気楽に構えているのだ。困ったことに電子本のほうはPC−98シリーズ専用のため、何年も前から98を持っていないおれは、もはや家で読むことができないのである。むかしのセルロイド製レコード盤みたいだ。子供のころ買ったレコードを、おれはいま聴くことができない。どうしても聴きたい場合は、わざわざCDで買い直したりする。PDFがそういう運命を辿らないとも言い切れないが、当面のところは大丈夫だろう。紙で残しておくのがデファクト・スタンダードの変遷にいちばん左右されないけど、場所食うからねえ。

【6月19日(金)】
▼体調最悪。注文していたノートパソコンが時間指定の宅急便で夜に届くが、これからしなければならない設定を考えるとうんざりする。まず、いままでのパソコンから必要なデータや環境を移植しなければならないのだが、なにしろOS間移植だ。三年以上使い倒したわが愛機は Windows3.1 を抱えて気息奄々で動いている。とにかく新しいパソコンに初期不良がないかどうかを今週末に確認しておかねばならない。そのうえ、原稿まで書かねばならないから、執筆環境と通信環境だけは早急に新機上に構築せねば。今夜はホームページの更新を休んで、環境設定にかかることにする。
 まずは旧機の内容を新機に移してしまわねばならない。パラレルポートを用いてケーブル接続を試みたが、おれの旧機の MS-DOSの interlink では、Windows95 が相手ではちっとも繋がらない。新機を DOSモードで立ちあげて試みようかと思うも、下手な接続休むに似たり。これが仕事であれば、いろいろ繋ぎかたを考えるのもまた後学のためによろしいけれども、そんなことをしている暇はない。あっさりケーブル接続を諦めて、旧機のディスクをZIPに吸い上げる。
 データを吸い上げているあいだに、新しいマシンの基本機能が正常に動作するか次々と試してゆく。おお、音が出る。絵の表示も速い――そう、さっそく先日いただいた「めるへんめーかーCD−ROM画集 不思議散歩」ガイナックス)を試してみているのだ。ほおお、パソコンというのは音や絵も楽しめるものだったのか。これはよい勉強をした。
 キーボード配列が前のとややちがうが、どうしても苛立つところはあとでソフトでキー割り当てを入れ替えればいいだろう。問題は辞書だが、おれはそれほど難読文字を使わないので、しばらくはMS−IMEで我慢して、32ビット版の適当な日本語入力システムを買ってから、折りを見て一気に辞書移植をすることにするか。OSについてくる日本語入力システムも、Windows95 からはずいぶんましになっている。なんだったら、このままでもいいくらいだ。こうして書いていても、指が覚えている操作を反射的にしてしまい苛立つが、これは慣れの問題だ。辞書はそれほどバカでもない。そういえば、菅浩江さんが新しいパソコンに乗り換えるとき、辞書の登録語の移行に難渋しておられたのを思い出す。そりゃまあ、作家とか特殊な専門分野のライターとかはたいへんだよなあ。とんでもない熟語や人名をどっさり登録しなきゃならないだろう。小野不由美さんの辞書なんかどんなものなのか、一度見てみたいよ。じつは、この文章がこのパソコンで書く最初の文章なのだが、さほどいつもより執筆速度が落ちているわけでもない。ほらほら、こうして書いていると、だんだん情が移ってきた。
 もう少し賢くなってきたら、名前をつけてやろう。なににって、パソコンに名前をつけるに決まっているじゃないか。新井素子氏じゃあるまいし、いいおっさんが気色悪いって? なにをおっしゃいますやら。パソコンというのは、パーソナル・コンピュータなのである。ほかの誰でもない、おれにとって最も使い安いように、じわじわと調教してゆくものなのだ。会社のパソコンならいざしらず、家のパソコンは、おれだけが使えればいいし、そのうちおれにしか使えないくらいにカスタマイズされてしまうのである。いわば、おれの個性が乗り移ってゆくのだ。表の商売道具でもあり、裏の商売道具でもあり、遊び道具でもあり、社交ツールでもあるこういう大切な機械に名前くらいつけないほうがよほど不自然ではあるまいか。
 あなた、ご自分のパソコンに名前つけてませんか?

【6月18日(木)】
一昨日の日記で書いた“死体で発見されるOLは必ず美人OL”という件に絡んで、札幌医科大学の三瀬敬治さんからメールをいただいた。医科大学の方だから、「医学的にもそれは言える」などという話なのかと思ったら、さにあらず。かつて“美人OL首なし死体”なるものが発見されたことがあるそうだという内容であった。おれもこの話は聞いたことがある。だが、あまりにできすぎているので、きっと誰かが思いついたギャグが都市伝説化したものなのだろうと思っている。それとも、なにかな、よっぽどほかの部位が“美人”だったのかな?
▼携帯電話を目覚まし時計代わりに使っている人はけっこう多いらしい。おれも多々ある目覚まし時計の中の“ひとつ”に使っている。鳴り出す時刻を設定する画面には“アラームジコク”とカタカナで表示されるのだが、これがいつも“アラームジゴク”に見えてしかたがない。
▼スルメを食う。スルメなんてものは、ふつう酒のアテに食うものであるが、なんだか知らないけど発作的に食いたくなったので、これは食わずばなるまいと、ただただスルメだけを食ったのだ。
 人は意外に思うだろうけど、おれは自分を肉体派だと思っている。肉体派というと三島由紀夫みたいなのを連想なさるでしょうが、あの人はおれの言う肉体派じゃない。ものすごく頭でっかちな人である。文字どおり強靱な肉体を持った肉体派もあろうけれども、おれは病弱な肉体派もあると思う。手前の肉体が思いどおりにならないので、人一倍自分の身体の内奥から聞こえてくる声に耳を傾けるタイプの人だ。おれもそうである。吉行淳之介日野啓三流に言うと、自分の“細胞”の声を聴き、対話を試みるという感じがある。じつはおのれの野生の勘を最優先にしているのだが、細胞がなにを言おうとしているのか常に耳を傾け、よせばいいのに、それを解釈し、あまつさえ言語化しようと試みたりするわけだ。うまく言語化できることもあれば、できないこともある。いずれにせよ、細胞の声は傾聴に値する。身体がなにかを欲しがっているときは、なんらかの理由があることが多い。これは食いものにかぎらず、身体が読みたがっている小説とか、身体が聴きたがっている音楽とか、抽象的なものにも適用される。おれは“魂”だのなんだのといった超自然的なものを信じているのではない。まったくその逆だ。おれの脳はただの物体だし、おれがおれとしてここにあると意識している意識だって、ただ複雑なだけで、完全に物理法則に依存した現象であると思っている。つまり、おれは“もの”なのだ。その“もの”がここまで複雑化してきた過程では、おれたちの現在の知見を超えたメカニズムが組み込まれているはずである。その肉体が“なにかしら”欲したり、反応したりするからには、そこにはけっしてバカにできない理由があるのだ。おれは、その非常によくできた“もの”が訴えてくるなにかをできるだけ忠実に読もうと、みずからの肉体と対話する。これがけっこうたいしたものなのだ。“細胞”の予感や忠告はよく当たる。ただ、自分の“細胞”が感じていることはそのままでは他人に伝えられないので、ここで初めて脳という装置と言葉を用いて、極力対象を切り刻み、標本にし、広く他人に伝えられる形態に翻訳しようと努力することになる。けっして、その逆ではない。先に脳で思いついたことは、なんだか小賢しい感じがある。自分の肉体がなにやらざわめく感じがまず最初にないと、脳が働く動機を欠くような気がするのだ。たいていの局面で、身体の直感のほうが正しい。脳と言語は、それを表現するためのツールであって、ほんとうの答えはいつも“細胞”のざわめきの中にあるように思う。おれがなにを言っているのかさっぱりわからない人もおられるだろうが、強靱な肉体を持つ人よりも、むしろ病弱な人にはおれの言わんとするところが通じるんじゃないかな。
 そういう意味で、おれはリブレスクな方法論を好むにもかかわらず、主観的な世界では、自分の“細胞”の声を聴くことを最優先に置いている。“もの”としてのおれの脳、おれの身体には、まだまだ表層の意識たるおれの知らない精妙な機能が組み込まれているにちがいない。だから、おれは自分では肉体派だと思っているわけなのだ。

【6月17日(水)】
▼日米協調介入で円が音を立てて上がってゆく。わはははは、おそれいったか、amazon.com ――などと浮かれている場合ではない。昨日は下がった下がったと文句を言っていたが、これほど人為的な介入が効くと気味が悪くなってくる。アルジャーノン・ゴードン効果が表われなければよいが……。
▼やれやれ、やっと日記が日付に追いついた。このところ、実際に起こったことを書くなどという、まるで日記のような日記を書いていたため、やたらに時間がかかった。やはり、なにも変わったことが起こらない日常を送っていないと、日記書きは堕落する。目の前のコップで哲学を語ろうとして語り損ねるさまを楽しんでいただくのが、当日記の売りでなくてはならない。

【6月16日(火)】
▼音を立てて円が下がってゆき、憤然とする。先日 amazon.com に六十ドル分ほど注文したばかりだ。これでは送料と手数料を含めれば一万円を超えてしまうではないか。経済の煩雑な話にはあまり興味はないが、庶民の実感としては迷惑な話である。
「少年が銃を乱射」という報道を見て、はたと考え込む。なぜか少年は、いつもきまって銃を“乱射”する。もしかしたら、当の少年は気を悪くしていて、「おれはきちんと一発ずつ狙って撃った」などと抗議するかもしれないではないか。たとえば、三月にアーカンソー州で銃を“乱射”した少年だが、Newsweek(April 6, 1998)によれば、百ヤード離れたところから十五人を殺傷するのに、二ダースほどの弾丸しか使っていないという。二ダースちょうどだったとしても、62.5%の命中率だ。これを“乱射”とは言わんと思うぞ。なんでも、これくらいの射撃の腕を持つ子供は、アーカンソーではさして珍しくもないのだそうだ。
 おれが“乱射”という言葉の意味を曲げて覚えているのではなかろうかと広辞苑を引いてみると、「的を見定めず、むやみに矢や弾丸を発射すること」とある。べつに、おれの理解がおかしいわけではないようだ。ということは、やはり冷静に人間を殺傷しようとして的確に連射するのは“乱射”ではないのだ。でも、やっぱり少年は“銃を乱射”しないと少年らしくない。風野春樹さんが指摘なさっていたが、罪を犯して捕まる医者は必ず“エリート医師”であり、死体で発見されるOLは必ず“美人OL”である(「読冊日記」98年4月24日)。少年の“乱射”も、形式美を味わうべき常套句なのであろう。

【6月15日(月)】
▼じつは今日はめるへんめーかーさんのお誕生日である。耳を聾さんばかりの絶叫アニカラではじまったカラオケの夜も、ひとり抜け、ふたり意識を失いしているうちに、最後のほうでは力もなくなってきて、『真夜中のギター』なんぞを歌うが、もう朝である。「『真夜中のギター』とくれば、やっぱりほら、必ずアレを連想するのよ」「『フランシーヌの場合は』ですか?」「そうそうそうそう」などと、めるさんまでが支離滅裂な関連づけをしはじめ、おれはおれで『フランシーヌの場合は』もついでに歌ってしまう。六時ころ、お開き。外へ出ると、すっかり明るくなっており(あたりまえだ)、早くも通勤する人たちがちらほらと歩いている。おれは有給休暇を取っているから、これから京都に帰って寝るつもりだ。
 ホテルに戻ってちょっと寝ようかとも思ったが、一度眠るとまちがいなくチェックアウト時間に起きられなくなるので、着替えてそのままチェックアウトする。秋葉原を踏査しようか、早川書房に寄ろうかなどと思うも、もはや重い荷物を提げて歩きまわる気力は残っていない。さっさと京都に帰ることにして、通勤ラッシュの中を東京駅へと急ぎ、新幹線に転がり込む。不思議と眠気は襲ってこないのだが、一度眠るとまちがいなく終点まで行ってしまうはずで、それを怖れて、万が一の際にも被害の少ない新大阪行きに乗った。
 駅の売店で買った「週刊現代」に、話題の舶来ゴジラの顔が出ていた。な、なんだ、これは。テレビで脚だけ見て厭な予感はしていたのだが、この顔は正面から見ると、ゴジラというより“蠅男”ではないか。まあ、いろんなゴジラがあっていい。加山雄三のブラック・ジャックもあれば、堀ちえみの火田七瀬もある。まわるまわるよ、時代はまわる。昨日斃れた怪獣たちも、生まれ変わって歩き出すよ(カラオケの後遺症が出ている)。
 京都に帰りつき、メールをチェックしてからベッドに倒れ込む。すとんと闇が落ちてくる。

【6月14日(日)】
▼目が覚めたら昼ごろだったが、腹も減らないので、そのままうだうだと三時ころまで寝る。パーティー以外は東京に寝に来たようなものだが、物音に邪魔されずにぐっすり寝る機会などそうそうあるものではなく、これだったら、たまには近所のホテルで缶詰になって眠るのも身体にいいかもしれぬなどと思う。
 喫茶店で軽く食事をしてパーティー会場のサンシャイン水族館へ。そう、水族館を占拠――じゃない、借り切ってパーティーをやるのである。なんとまあ、ロマンチックなことか。おれは水族館が好きだ。魚もいいのだが、海やら川やら池やら沼やらに棲むわけのわからない生きものがふわふわと泳いでいたり、這いずっていたりするのを見ていると心が安らぐ。めるへんめーかーさんは、参加者にはできれば「盛装希望っ」ということであったし、コスプレもありだというから、要するに規模の大きいパソ通のオフ会かコンベンションのようなものであろうと、おれも一見堅気のサラリーマン風のスーツを持参した。トレードマークのカエルのネクタイだけではアクセントに欠けるだろうと、ショルダーポーチにカーミットのぬいぐるみを抱きつかせて出陣した。いい歳をしたおっさんがこの格好で田舎を歩けばアホかと思われる。べつになんともないのが東京のいいところだ。東京の人だって内心アホかと思っているのかもしれんが、人のことは放っておいてくれるからありがたい。これで知り合いは遠くからでもおれだとわかるはずである。
 会場に入ると、いるわいるわ、どこかで一度はお会いした方々が勢揃いである。想像どおり、パソ通のオフ会かSFコンベンションのような面子であった。それにしても総勢170名というから驚きだ。ひさびさにお会いした槇夢民さんにカエルのうちわなどのグッズを頂戴し、身につけているカエルものがさらに増えた。コスプレや着ぐるみがもっといるかと思ったが、みんな一応ふつうの地球人らしき服装ではあった。FSF名物チャッター(?)の那須高子さんは、期待にたがわずサイボーグ009(003かもしれないが、001でないことだけはたしかだろう)の扮装で現われ、黄色いマフラーをなびかせていた(おれの世代だと赤いマフラーなんだが……)。おれは那須さんとは初対面だけど、しょっちゅう電子筆談しているので初対面の気がしない。パソ通の交友関係の特徴だ。
 存在自体がコスプレという人もいないではなく、柳下毅一郎さんのコスプレをしている柳下毅一郎さん、堺三保さんのコスプレをしている堺三保さん、大森望さんのコスプレをしている大森望さんなど、ほかの人とまちがいようがない個性的ないでたちの人が多い。「FSFのオフ会のノリだな。ひさびさにこっちの名前を使った」という大森望さんの名札を見ると、水玉画伯の似顔絵でも有名なハンドルが書いてあった。
 有志で企画したサプライズで、カウンターテナー歌手(小山裕之氏)とリュート奏者(田村仁良氏)の生パフォーマンスがはじまる。シェイクスピア劇に使われる曲など、イギリスの古楽が四方を魚が泳ぎまわるほの暗い空間に“もののけ姫”のように響きわたり、ときおりサイボーグ009が通り過ぎてゆく。なんとも幻想的だ。おれはリュートが生で演奏されているところを初めて見た。
 もちろんお祝いパーティーがメインなのだが、おれにはもうひとつ目的があった。話題の世界最大のカエル、ゴライアスガエルを見ずしてサンシャイン水族館に来た甲斐があろうか。適当なところで、サイボーグ009たちとメイン会場の上、11階のカエルコーナーを見にゆく。コモリガエルアフリカツメガエルベルツノガエルトマトガエルなど、オーソドックスな前菜を見たあと、いよいよゴライアスガエルである。残念ながらゴラちゃんの水槽には黒い布がかけてあった。なんだ、だめかあ、と諦めたのではカエラーの名がすたる。お休みのゴラちゃんには悪いが、布の下からもぐり込んで巨大な水槽を見上げると、いたいた――奥まった高いところで庭の置物のような巨大なカエルがなにやら哲学的な顔つきで虚空を睨んでいる。でかいにはでかいが、思ったほどではない。こいつはゴライアスガエルでも小柄なほうなのだろう。このくらいの大きさのものなら、ヒキガエルでも見たことがある。と――奥のほうにいたゴラちゃんが突如ジャンプし、おれが顔をくっつけて見ている水の中にダイヴした。おおお、おれのテレパシーが通じたのか、時ならぬ闖入者を驚かせてやれと思ったのか、跳ぶところが見られたのはラッキーだ。すばらしい身のこなしである。距離はそれほど跳んでいないが、武骨な図体に似合わぬエレガントな跳躍だ。このあたりが、のそのそと鈍重に這いずっているヒキガエルなんかとはちがう。水中にいるところを間近に見ると、脚なんかケンタッキー・フライドチキンの腿くらいはあり、食いでがありそうだ。このカエルが数十、数百と群れ跳んでいる沼なんぞがどこかにあるのだろうか。すばらしい。おれは満足し、世界最大のカエルをあとにした。
 そのほか、ヤドクガエル系もけっこう揃っていて、おれとしてはコバルトヤドクガエルが見られたのが収穫だった。美しい……。この青いカエルは、非常に限られた地域にしかいない。どのくらい限られているかというと、スリナム南西部のサバナに囲まれて孤立した“ひとつの森”にのみ棲息するのだ。地球上でたったひとつの森に棲んでいる、宝石のように青く深く輝く毒を持ったカエル――なんとも感動的ではないか。
 たっぷりカエルを見てパーティー会場に戻ると、大原まり子さんが秋津夫人と話しておられたのでご挨拶する。青いカエルも美しいが、黒でキメた大原さんも美しい。「ゴライアスガエル見ましたよ」という話になり、そのあとふたりで見に行かれたようだが、はて、無事対面できたのだろうか。
 名前は知っていたが初めての日本酒「冬樹」があったので、試しに飲んでみる。うまいが、おれの好みよりはやや甘口だ。「こないだの日記の手塚さんの夢って、ほんとに見たんですか?」と林譲治さんに訊かれる。パソ通でおつきあいの長い林さんは、おれがたまーに書くバカなショートショートをリアルタイムで読んでくださっているから、おれなら夢だと偽ってあのくらいのホラ話は書きかねないと思っておられるのだろう。あの夢は自分でもできすぎだと呆れるくらいはっきりした夢だけど、ほんとに見たんですよー。
 おれはさらに、パソ通で義兄妹の契りを結んでいるOCHIKA/LUNAさんにカエル目覚まし時計などのグッズをプレゼントされ、身体中カエルだらけになった。そうこうしているうち、水槽が割れてパンダイルカが襲ってくるといった事故もなく、パーティーはつつがなくお開きとなる。ご家族連れも多いため“一家に一枚”ということで、記念品の「めるへんめーかーCD−ROM画集 不思議散歩」株式会社ガイナックス提供)を頂戴した。音楽CDとしても楽しめるそうだ。先日書いたように、うちにはまだCD−ROMを読むパソコン環境がないのだが、もうすぐ新しいパソコンが来るので、ちょうどよい素敵な“ドライヴおろし”として使わせていただこう。「華麗で繊細な画風、楽しいメルヘンにみちたお話で、独自の世界をひらいた」とキャッチに書いてある。これはまったくそのとおりだと思う。小説家だろうがマンガ家だろうが、個々の作品に出来不出来があるのは当然のことで、なによりも“独自の世界”を創り出し得た人のみが、本来の意味でのクリエイターなのだ。“めるへんめーかー”と聞いて“あの絵”“あの雰囲気”“あの世界”を思い浮かべない人があろうか。マンガ家の名をまったく憶えないおれの母や妹までもが、「あ、この絵は知ってるわ」と言うのである。妹はともかく、母なんぞ、ほんまに知ってるんかいなとは思うのだが、仮に母のかんちがいであるにしても、この婆さんをして“ずっとむかしにどこかで見た”と思わしめるなにかがやはりあるのだ。“どこかで見たような”というと、ふつう貶していることになるのだが、めるへんめーかーの場合はちょっとちがう。なにかこう、憶えているはずもない遠いむかし、子供のころに陽だまりの中で触れたことがあるような懐かしい感じがするのである。見ているだけで紅茶が飲みたくなり、マフィンを食いたくなる。たぶん、誰もがいつかどこかで英國人だったことがあり、そのどこにもないはずの記憶が呼び覚まされているのだ――って、こういうことは面と向かっては照れ臭くて言いにくいので、どさくさに紛れて日記で書いてしまうのだった。
 マンガ家・めるへんめーかーは、どこか遠い世界の人だという感じはいまも消えないのだが、そこは切り離すとして、一個人としてのめるさんは、おれにとっては第一義的に“パソ通友だち”なのであった。パソ通で夜毎一緒にお喋りしていた気さくな人が、たまたまマンガ家だったという感じしかしないのである。パソ通で知り合った人というのは、みんなそんな感じがする。なにやら楽しく文字だけで駄弁っていた人たちが、たまたま作家だったりデザイナーだったり物理学者だったり主婦だったりサラリーマンだったりしただけで、下手すると、職業を纏った生身よりもハンドルの字面としてのほうが存在感があったりするのだ。これはどうにも不思議な体験であって、まず文字として知り合った人たちと、生身で知り合って電脳空間でも交流があるという人たちとでは、なにかおれの中での心理的距離の取りかたが決定的にちがうような気がするのである。それはどちらがより親密だとかいった問題ではなく、新しい媒体によって人類が最近まで一度も経験したことのない人間関係が生じたという奇妙な実感だ。おれはこの言葉が嫌いだけど、使わざるを得ない――これは経験者にしかわからんだろうなあ。もっとも、これを読んでいる人には「うんうん」と肯いている人もたくさんいらっしゃるだろうけどね。
 さて、宴のあとは、山岸真さん、堺三保さん、雑破業さん、ソニーコミュニケーションネットワークの飯田克比呂さんと喫茶店に。面白い話をあれこれ聞く。堺さんは帰ったらすぐ原稿書きだというのだが、よく考えたら、どの会合で会っても堺さんは“帰ったらすぐ原稿書き”なのだった。いったいいつ寝ているのか、じつに忙しい人だ。タフでなければ忙しくなれないのか、忙しくしているうちにタフになるのか。両方だろうな(笑)。
 喫茶組が早く解散とあいなったので、せっかく東京まで来たのだからまだ騒いでいる集団と合流を試みようと、堺さんに坂口哲也さんの携帯電話の番号を教えてもらいコンタクトする。案の定、坂口さん・めるさん夫妻とFSF常連組は居酒屋で二次会の最中で、携帯電話で誘導してもらいながら無事合流する。便利な時代になったもんだ。タッチの差で槇夢民さんらと会い損ねた。おれの乗った昇りのエレベータが居酒屋の階で開いたとき、夢民さんたちの乗った下りのエレベータのドアが閉まったところだったというのだ。
 しばし歓談ののち、閉店で店を追い出される――となると、コースは決まっている。カラオケだー! アニソンだー!

【6月13日(土)】
▼昼過ぎころ起き出して風呂に入り、荷作りをはじめる。今週末は、東京で“socialize な日々”((C)大森望<(C)山形浩生)を過ごそうという計画だ。14日にめるへんめーかー漫画家生活二十周年&結婚一周年記念パーティー」に出席することになっており、せっかく上京、じゃない、東下りするのだから、それに合わせて13日にも秋津透さんご夫妻らパソ通友だちで集まってお食事会をやるのだった。
 思ったより支度に手間取ったうえ、交通渋滞が重なって新幹線を逃す。宴会場の秋津家御用達の中華料理店に四十五分遅れて到着。駆けつけ三杯(?)で老酒をすすり、いつもながらむちゃくちゃにうまいこの店の料理に舌鼓を打つ。
 神代創さんに中国語版の著書を見せてもらう。おれは中国語はさっぱりわからないが、字面を見ているとなんとなくどういうシーンかわかるから面白い。著者名はそのまま“神代創”である。中国語国民が見ても意味がわかるはずで、あちらでもかっこいいペンネームなのにちがいない。おれの名が海外に出ることなどまずなかろうけれども、“冬樹蛉”なる文字を中国語国民が見た場合、どのようなイメージを抱くものであろうか? “冬樹(とうじゅ)”は、出版社の名にもあるように、たぶん“逆境に耐える孤高”といったイメージが伝わるんじゃないかとは思う。日本でもポピュラーなドイツ民謡の「樅の木 Der Tannenbaum」にも、Hoffnung(希望)や Bestaendigkeit(永続・不変・耐久・誠実)という言葉が唄われている。洋の東西を問わず、冬に葉をつけている樹には共通のイメージがあるのだろう。なんにせよ、おれの場合、名前負けもはなはだしい。問題は“蛉”である。日本語では“蜻蛉”という字を“とんぼ”や“かげろう”に当てているが、“蛉”一文字だと、本来“とんぼ”のほかに“木食い虫”という意味もあるのだ。中国人がおれのペンネームを見て、「おお、なるほど。冬の時代に木の皮の下でおいしいところを食って木の生命力を吸い取っているという意味なのだな」などと思ったりして。当たらずといえど、遠からずかも。
 さて、いつもなら食事のあとのお楽しみにはカラオケになだれ込むことになるのだが、今日の面子の多くは明日のめるさんのパーティーにも出席予定であり、おとなしく解散する。ちなみに、めるへんめーかーさんのペンネームは、中国語の翻訳版では“夢作家”と訳されたりしているのだそうである。おおお、わかりやすいし、かっこいい。
 ホテルに戻ると一週間の疲れがどっと出て、軽く缶入りの水割りウィスキーを飲んだら、猛烈な睡魔が襲ってきた。明日のために体力を回復、温存しておかねばならない。ドアノブに DO NOT DISTURB. の札を掛け、泥のように眠る。

【6月12日(金)】
▼いやあ、可愛いね。ソニーが試作機を開発したロボット犬。プリウスだけじゃなくて、これも二十一世紀にまにあうかな、手塚先生。なにも犬のロボットを作るのが最終目的じゃなくて、正確には「エンタテインメント・ロボット」に向けたハードウェアとソフトウェアのインタフェース規格「OPEN-R」というのを提案したらしい。規格が統一されていれば、パーツの組み替えでいろんな動物のロボットや、いかにも動物らしい動きをする実在しない動物なんてのも作れるはずで、「それがいったいなんの役に立つ」なんて野暮なことは言いっこなし、“楽しい”というのは立派な目的だ。とりあえず、楽しくなきゃ。そこから自由な発想が生まれて、いわゆる“役に立つ”ものが二次的に生まれてくるのが世の常である。さすがはエンタテインメントのソニーだな。あちこちで報道されている試作機のロボット犬の写真(こことか)を見ると、なんとも言えず愛らしい。「OPEN-R」に則れば、いずれはきっと誰かが“ウナギイヌ・ロボット”を作りそうな気がするぞ。
 SFファンとしては、アシモフのロボット工学三原則が組み込まれているのかどうかが気になるところだけど、まあ、今回の規格はそういう人工知能方面の話じゃないからね。でも、あの三原則は、結局、優れた家電製品に求められる仕様だという有名な話もあるくらいで、まずは子供のおもちゃになるわけだから、そういう意味での三原則なら商品化の暁にはPL絡みでおのずと組み込まれているはずという解釈もできる。案外、隠し指令として「ソニーの社員に危害を加えてはならない」なんてのが入ってたりして。優れた商品というのは、松田優作じゃないが、冗談か本気かわからないぎりぎりのところからぽこっと出てきたりするものだ。遊び心は大切である。
 ここはひとつ、本田技研工業自立歩行人間型ロボットの技術と手を組んでもらって、直立二足歩行するロボット犬なんてのを作ってほしいものだ。近未来の発表記者会見の席には、そのロボット犬がバターの箱を背負って現われ、「どもども」と女性記者に言い寄る――くらいのことをやってほしいと思っているのはおれだけか。
▼さてさて、明日からちょっと野暮用で東京まで行ってくるので、次回更新は15日の夜くらいになりそうだ。東下り日記のネタを仕入れてきます。お楽しみに。

【6月11日(木)】
6月9日の日記で、もしかして、二十年以上むかしに京都のレザリアム・センターであった手塚治虫のサイン会に菅浩江さんもいらしたんじゃなかろうかなどと書いたが、これは軽率であった。第一、二十年以上むかしだったら、菅さんは生まれていないではないか…………う、生まれていなくても、そう不思議ではないかもしれないほどではないか。
 冗談はともかく、ホームページというのは召喚魔力があって、名前を出すとその人からメールが来たりするのである。葉月里緒菜葉月里緒菜葉月里緒菜葉月里緒菜葉月里緒菜葉月里緒菜葉月里緒菜葉月里緒菜葉月里緒菜葉月里緒菜葉月里緒菜葉月里緒菜葉月里緒菜葉月里緒菜葉月里緒菜葉月里緒菜――よし、これくらいでいいだろう。まあ、菅さんはときどきメールをくださるから、この日記を読んでくださっていることは知っていて書いたのだが。
 で、菅さんによれば、レザリアム・センターでレーザー・アートは見たが、手塚治虫のサイン会にはいらしてないとのこと。菅さんのときには『宇宙戦艦ヤマト』の上映会があって、グッズの販売とかがあったそうな。時代を感じるなあ。してみると、そのころの京都のレザリアム・センターというのは、むかしの大阪のSFファンにとっての電気科学館のような役割を果たしていたのやもしれない。
 そういえば、藤森(ふじのもり)の京都市青少年科学センターも大好きだったなあ。おれはあそこで生きたカブトガニを初めて見た。二、三十センチは離れた鉄片を吸いつける強力磁石なんてのもあった(いまもあるらしい)。テレキネシスかなにかのように、ひゅうっと鉄片が宙を飛び吸い寄せられるさまは、まるでロボタンのようだと思ったものである。え? 古すぎてわからん? レザリアム・センターはともかく、京都で子供時代を過ごした人なら、一度は青少年科学センターに行ったことがあるにちがいない。なにしろ、プラネタリウムなんて、あそこくらいしかなかったからね。
 今日は京都ローカルのむかし話ばかりですみません。


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冬樹 蛉にメールを出す