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Abortion(堕胎)

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 古代の人々は、一般に、堕胎は女性が自分できめて白分でするものと思っていた。いかなる男性も干渉する権利はなかった。ハートリー氏が言っているように、「女性はすべて自由に自ら選択をしなければならない。いかなる男性も、女性に代わって決定することはできない。立派に子を生むことができるならば、女性は喜んで子を生むに違いない」[1]

 しかし、父権制の宗教が勃興すると、とくにギリシア人の間では、父親の精液が父親の霊魂を胎児に伝えるのだということが信じられるようになった。男性は自分の肉体から出たもの(切った髪の毛、切ったの爪、つば、血)の安否を心配した。それというのも、かつては自分の肉体の一部であったものが魔力によって損傷されると、生きている自分の身も危うくなると思ったからであった。父親の霊魂を胎児に伝える精液の場合、とくに、心配された。自分がもうけた胎児の身に何かがあれば、自分自身も、魔術の原則に従って、精神的にひどい打撃を受けることは確実であったからである。聖トマス・アクィナスも、精液は霊魂を運ぶものだと主張して、これと同じ考えを持っていた[2]。こうした考えが論理的に発展して、堕胎は禁止されることになった。それは、堕胎が女性にとって危険であるからではなく、男性にとって(魔術的に見て)危険だと考えられたからであった。

 しかし、東洋では、妊婦が胎児の胎動を感じる5か月目以前であれば、堕胎は、いつでも、完全に合法的であった。しかし、バラモン教の経典によると、その5か月を過ぎると、堕胎した女性は殺人罪に問われた。それ以前であれぱ、胎児には霊魂がなく、したがって、堕胎しても罰せられることはなかった[3]。こうした考えはカトリック教会の「無胎動懐胎の教義」に具体的に表された。その教義はアクイナスの考えとは違って、霊魂は神から授かるのみであるとした。19世紀の末まで、「無胎動懐胎の教義」は、霊魂は妊娠5か月目に胎児に入り、その結果胎動がある、しかしそれ以前は胎児には霊魂はない、とした[4]

 1869年に教会は、再び、こうした考えを改めて、人間の肉体に霊魂を入れる方法を神が教会に誤って伝えた、あるいは、神がその方法を変える決心をした、ということをそれとなく認めた。教皇ピウス10世は、霊魂は懐妊したときに肉体に入る、と表明した[5]

 教会は、それから数十年たって、やっとその考えを変えて、神の作ったものでなく人間の作った新しい法律に従うことになった。堕胎は19世紀まで、ヨーロッパでは、罪とされていなかった[6]。アメリカでは1830年に、初めて、堕胎を刑事犯罪だとした[7]

 カトリック教会は、「いつの時代でも変わらず」、堕胎には公然と反対してきた、ともっともらしいことを、今、言っている。中世の教会が激怒したのは、堕胎それ自体ではなく、堕胎を産婆が行ったからであった。異端審問所の教本に、「産婆ほどカトリック教の信仰を損うものはない」とあった[8]。 point.gifMidwifery. 教会は胎児を殺すことに反対ではなかった。その証拠に、教会は多くの妊婦を魔女として火刑に処した。市参事官の妊娠している妻でも、1630年に、拷問にかけられて、火刑に処せられた[9]

 最近、堕胎を合法化することに対して反対する運動があるが、それは、堕胎が非合法化されたのは、ごく最近のことであった、ということを全く知らないことから起こったことは明らかである。またそれは、女性に強制的に子を生ませることによって、女性を抑えつけようとする男性の考えから起こったことでもある。「男性の法律制定者は堕胎を合法化しようとする考えを一笑に付している。そして、もし堕胎が認められれば、(男性の側ではなく、女性の側の)乱婚が前代未聞のものになるだろうと、暗にほのめかしている。一方、毎年、何千という女性が、堕胎を不法とする男性の作った法律のために、絶望のうちに死んでいっている。男性が堕胎を一笑に付し、そして、女性が好むと好まざるとにかかわらずやらなければならない、子を生むという、最も危険にして重大な生物学的行為を目の前にしながら、男性がいかに無関心であるか、ということに今、女性は気づいている」[10]

 カトリック教会は、依然として、女性の生殖機能に対して権威を振るっている。強姦されてみごもっても、教会の病院は堕胎することを拒否している[11]


[1]Hartley, 263.
[2]Rees, 277.
[3]Mahanivanatantra, 269.
[4]Briffault 2, 450.
[5]Sadock, Kaplan & Freedman, 352.
[6]Encyc. Brit., "Abortion".
[7]Rugoff, 352.
[8]Kramer & Sprenger, 66.
[9]Robbins, 509.
[10]Roszak, 299.
[11]Medea & Thompson, 114.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



 「堕胎」に関するバーバラ・ウォーカーの上の記事は、女性の立場からする見解として貴重である。しかし、堕胎するかしないかが、女性の個人的な意志によるという考えは間違いであろう。「堕胎」は、「出産」と同様、古代においては共同体の意志に左右されていたはずである。父権制時代の記事ではあるが —

 出産が私事でないということは、しかし「産む」場面のみならず、「産まない」場面でもあらわれた。「若し之を為すに忍びざる者あれば、人妻たるの働きなしと哄笑する者さえあり、後には何人も恬として怪しむものなきに至り……」とは、高橋梵仙が佐倉藩について紹介している事例である。親類や近隣の人々は、各夫婦がもうける子供の数にも当然のこととして干渉していたというのである。(落合恵美子「近世末における間引きと出産:人間の生産をめぐる体制変動」)

 画像は、『孕家発蒙図解(ヨウカハウモウズカイ)』(1851年)
 品川の女性産科医山田久尾女が著し、写本で伝わった。浮世絵の手法と合体した強烈なエログロ趣味。