M


Midwifery(産婆術)

midwife.jpg

 アングロ・サクソン語のmed-wyf(産婆、魔女)を語源とする。キリスト教時代においてさえ、産科学は太母神に仕える巫女によって独占されて来た。男性は誕生の禁忌的神秘を恐れたからである。聖書は、新たに母となった女性は出産のあと66日間は汚れていて(sacer)、触れてはならないと述べている(『レビ記』 12 : 5)、さらに教会法によって、出産後40日間は教会に入ることを禁じられた。

 キリスト教時代の前半において、医学はほとんど「産婆」の手によって独占されて来た。女神に仕える巫女だけが、古代の治癒を施す神殿に奉仕していたからである[1]。古代エジプトでは、産婆は、それぞれの子供に自分の7つの霊魂を与える「 7相のヘ(ウ)ト=ヘル〔ハトホル〕」の仕事であった。マレー半島のセマイ族は今日でも産婆はみな、「最初の産婆」の霊魂を分かち持っているから神聖である、と言っている。「最初の産婆」は7つの天界のいちばん高い所に住み、 7つの天界のそれぞれが、ヘ(ウ)ト=ヘル〔ハトホル〕と同一視される「7人の天の産婆」によって支配されていた。地上の産婆は、妖精の代母のようなもので、彼女がこの世に送り出した子供たちと霊的な絆で結ぼれていた[2]

 メキシコの農民は同様のカが、産科医、代母、巫女、魔女の機能を合わせて持つ女性であるレシビドラrecibidoraにあると考えている。レシビドラはへその緒を巻きつけたり結んだりする複雑な結び目の魔術を行って、新生児の未来の運命にまじないをかける[3]

 異教徒時代のローマは数種の産婆を認めており、無事出産すると、それぞれの産婆に捧げ物をした。分娩を助ける助産婦obstetrix、母乳が出るようにし、養育の技術を教える保育婦nutrix、誕生の儀式を受け持つケレスCeresの巫女cerariaなどである[4]。これらの産婆たちは、ギリシア神話のホーラたち同様、女性の神殿と関連があった。ホーラたちは地上では神殿娼婦であったが、天に昇って神々の産婆となった。

 中世のキリスト教は、異教の母権制社会と女神崇拝に結びつきがあるとして、産婆を嫌悪した。教会側の人々は産婆をカトリック信仰の許しがたい敵であると考えた。「異端審問」の手引書には「カトリック信仰にとって産婆ほど有害なものはない」、なぜなら彼女たちはいつも台所の火で新生児に魔術的洗礼を施して、新生児を悪魔の儀式に捧げるからだ、と記されていた[5]

 聖職者の敵意の真の理由は、産婆の手助けによって、女性が自分の運命を管理し、性、産児制限あるいは堕胎の知識を得ることができるという考え方にあったと思われる。年をとった異教の女性は、女性自身の問題とみなされて男性の権威には属さないこれらの事柄について、かなりの知識を持っていた[6]。しかし、父権制社会の宗教は、産婆が患者を助けて、避妊させたり、欲しくない子供を堕胎させたり、あるいは出産の苦痛を軽減させたりすることを禁じた。

 1591年、スコットランドの貴婦人、ユーフェイム・マカリンは、出産の苦痛を和らげようとして、「魔女・産婆」に薬を頼んだという理由から、火刑に処せられた[7]。1559年の議会の調査条項は教会の世話役に対して「まじない、呪文、妖術、祈祷、連祷、魔術、誓文」、あるいは他の同種の、「とくに女性の出産時に行われる」儀式について詳しい報告書を出すよう命令している[8]

 いくつかのまじないや呪文は、キリスト教に変形して行う、つまり祈祷の成句に異教の神の名前を用いずキリスト教の神の名前を代用する限りは許可された。出産の床にある女性は、ラテン語で書かれた長いまじないの言葉を腿の周囲に巻くよう公然と奨められた。

 まじないはIn nomine Patris et Filii et Spiritus Sancti Amen 「父と子と聖霊の御名によりて、アーメン」で始まり、聖人の名前と神の秘密の名前を唱える祈りの言葉が続いた。しかしそれらの名前がキリスト教のものではない場合、そのまじないは悪魔的であるとされた。 1554年の司教による禁止令は、産婆は「カトリック教会が許可し、その法と規則に合致するもの以外の魔術、まじない、呪文、祈祷または祈りの言葉を用いたり、施したりしてはならない」と述べている[9]

 キリスト教の公式見解では、いかなる出産の場合であろうと女性の苦痛を軽減することは、イヴにかけられた呪詛という神の意志に反する、というものであった。神は、イヴとその子孫の女性が悲しみ(苦痛)をもって子供を生むように定められた。したがって20世紀初頭にいたるまで、医師は女性の死の最大の原因である産褥熱の処方を考えようとしなかった。聖職者は、このようなはまさに不道徳な生活の報いであり、また。「女性」に対する神の止むことのない裁きを示すものと考えていた[10]

 ジェームス・シンプソンが、新発見の麻酔薬クロロホルムとエーテルを用いて女性から出産時の苦痛を軽減しようと提案したとき、聖職者から大きな反対の声が挙がった。彼らはそれを神の意志の罪深い否定であるとしたのである。スコットランドの聖職者によれば、出産の苦痛を軽減することは、「女性に対する原初の呪詛を無効にする」ことであった[11]

 ニューイングランドの牧師は記している。「クロロホルムはサタンのおとりである。見たところ女性を祝福する捧げ物であるが、終には社会からやさしさを奪い、出産時に神に助けを求めて挙げる深い真摯な叫びを、神からかすめとるものである」[12]。父権制社会の道徳によく見られる半ば隠されたサディズムをもって、彼は、女性の苦痛の叫び声が神に快感を与え、神がこの快感を奪われないよう気をつけなければならない、と本気で言っているのである。

 この問題は、ヴィクトリア女王が第8子を生むとき、出産時にクロロホルムを使用するよう医師に命じたことによって、解決された。民衆は新しい苦痛の解放者を大いなる祝福として歓迎した。ただちに聖職者たちは沈黙した。要するに、神にまさる権利を女王に認めたのである[13]

 19世紀の終わりなると、男性の医師が、 女性に独占されるままになっていた医学の最後の分野に進出して来て、産婆の職業を女性から取り上げた。全米医師会の煽動によって、連邦議会は産婆を禁止し、代わりに新しい男性の「産科医」を認めた。年をとった産婆は、彼女が取り上げた人々が大部分を占める地域社会において、しばしば職を失い、ある場合には非合法な施術をした罪で入獄することにさえなったのである![14]

 新たに産科医となった男性の職業意識は、必ずしも有益な結果を生み出さなかった。

「我々の機械化された文明は、都合のよい時に、ときには医師の勤務時間内に、迅速に出産させようとして、自然の成行きにまかせずに、性急な干渉を行って、しばしば母と子を危険に陥れた。さらに、母親に全身麻酔をかけることにより、過誤を大きくする場合が余りにも多かった。
 すべてが余りにも早く行なわれすぎ、自然の恵みである母乳を止めて離乳食を与える方式を発明したという科学的自負の結果、子供は、母親から引き離され、母乳ばかりか、暖かく、愛情に溢れた、食卓を共にするという母親との関係をも奪われてしまった。これこそ我々が『母なる大地』に対しても持っているに違いない関係であるのに」[15]

 医者という、男性によって支配されている職業についている者たちは、出産を助ける仕事を行うばかりか、敢えて「母親」としての心得を女性に教えようとさえした。

 これはしばしば、「画期的な、できるだけ子供を抱かない育児法」のような、恐るべき過誤を冒すこととなった。泣いている子供をすぐに抱き上げて子供を「スポイル」してはならない、あらかじめ決められた間隔を置いて、子供を抱き上げるべきである、というものであった。

 L・K・フランクによってその倣慢は極に達し、彼はこう記している。「精神病学者は、子供を愛せよというキリスト教の定めをいかに実践すべきかを教えることができる唯一の適格者である」[16]。これが歴史的真実を無視した近代的「教育」というべきものである。歴史的真実は、測り知れない長い年(キリスト教も精神病学も生まれるはるか以前から)人類の存在そのものが、子供を愛する母親と、母親の本能を助ける「産婆」の独自の能力に依存して来たことを示している。


[1]Briffault 1, 488.
[2]Dentan, 96-98.
[3]Castiglioni, 139.
[4]Dumézil, 37.
[5]Kramer & Sprenger, 66, 141.
[6]Encycr. Brit., "Abortion".
[7]White 2, 63.
[8]Robbins, 157.
[9]Hazlitt, 379.
[10]Pearsail, N. B. A., 85.
[11]White 1, 319.
[12]Vetter, 355.
[13]Encycr. Brit, "Anesthesia".
[14]See Barker-Benfield, .
[15]Mumford, .
[16]Torrey, .109

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)


[画像出典]
Wikipedia「助産師」 4th Chapter illustration, a woman giving birth on a birth chair.
From: Eucharius Rößlin, Der Swangern frawen vnd hebamme(n) roszgarte(n). Hagenau: Gran, um 1515.
(First edition: 1513, this is from one of two versions of the 2nd edition).
the "earliest printed text-book for midwives. It survived 40 editions, being used as late as 1730“ (Garrison-Morton)