ダクテュロス、つまり「指の精たち」は女神レアーの指紋から生まれた精霊であった。右手の指紋から5人の男、左手の指紋から5人の女が生まれた[1]。彼らのギリシア語名はサンスクリットのダクシャ(器用な者)、つまりヒンズーの手の神から出ていた。
「万神の手」 Mano panteaは聖なる呪物だったが、ポンペイとへラクラニウムの遺跡で多くの類例が発見されている[2]。「万神の手」はつねに親指と人差し指と中指をかかげ、薬指と小指を折り込んだ形だった。中指と人差し指と親指は、ユピテル-ユーノー-アレース、あるいはウシル〔オシーリス〕-アセト〔イーシス〕-ヘル〔ホルス〕のような、父-母-息子である異教の神々に呼びかけるものであった。同じような、神とマリアとイエスからなる三位一体が、東方のキリスト教徒に崇拝されていた。この事実は、キリスト教が「万神の手」を取り入れて、「祝福の手」と名前をつけかえた理由を説明してくれるかもしれない[3]。「祝福の手」はキリスト教の聖職者とか、皇帝や王によって示されたが、自分たちと領土との合体を祝福し、表す方法であった[4]。
親指は子供であった。すなわち『親指小僧』 Hop-O-My-Thumbのような寓話に象徴された子供-霊魂であった。人差し指は母であった。つまり、人を指し、支配し、魔力を放つものであった。現在までというか、現在も含めて何千年もの間、中指は父であって、つまり男根の象徴であった。
アラブ人には、約束の誓いをたてるとき、石万で中指の血管を切り開き、そして誓いが破られたときは去勢の呪いをかける習慣があった[5]。ローマの男性娼婦は、頭髪に中指を突っ込んで、客になりそうな人に合図を送った[6]。広く認められている男根シンボルにはすべていえることだが、中指はキリスト教会筋によっては悪魔と関連づけられた。中指は悪い指digitus infamisと言われた。告訴された魔女は、拷問者に、悪魔に誓ってもらうのにどの指をあげたかと尋ねられた。そのとき受け入れられた、たった1つの「正」解は中指だった[7]。はっきりと性的意味に結びつくという理由から、中指に指輪をはめるのは悪いことだと考えられた[8]。
奇妙なことに典型的な悪魔の合図には、中指は全く使われていない。中指と薬指を親指で押え、人差し指と小指を伸ばして悪魔の「角の生えている頭」を示した。悪い合図をすると悪に対する予防になるという、よく知られた魔術の原則に従って、この手真似は邪眼へのお守りとして、イタリアやバルカン諸国で用いられた。ヨーロッパのシンボルには一般に当てはまるのだが、これもカーリー・マーに起源があるようだ。カーリー・マーはジャガダンパー(世界の母)の姿になったとき、ムドラーmudra(聖なる身振り)としての手真似を使った[9]。おそらく聖なるウシになった、女神自身の角の生えた頭を意味したのだろう。
ムドラーのなかで一番崇拝されているのは、「無限」すなわち「完成」を意味しているものであった。これは一般的に女性の生殖器と関連づけられた。つまり親指と人差し指の先を押しあわせ、他の3本の指は伸ばす、現代の私たちがオーケーの合図に用いる形である[10]。タントラのヨーガ行者と菩薩は、瞑想的忘我の状態の証拠にこの手真似をした[11]。ササン王朝時代(紀元前3世紀)のペルシアの神聖な護符は豊穣を表す角が両側面についた、この形をした手だった[12]。合せた親指と人差し指が女陰を表す太古のシンボルvesica piscisを形成し、一方に伸ばした3本の指は、おそらく女神の三相一体と関連があった。
人差し指と中指が、それぞれ母と父を表すというエジプトの考え方を西ヨーロツパは受げ継いだ。エジプトのミイラは「2本指のお守り」と呼ばれる、両親に呼びかけるお守りを添えて埋められた[13]。人差し指すなわち「母指」には最大の魔力があった。導き、示し、招き、注意を引き、祝福し、呪うのに使ったのがこの指だった。
中世のキリスト教徒は、魔女に人差し指で指されるのを恐れた。だから子供たちは今でも人を指で指すのは無作法だと教えられ、女の特徴となっている叱りつける身振りは、武器のように人差し指を振り回すことであった。タントラの伝統では、この母-指は「脅しの指」とされていた[14]。印欧の伝承ではどこにおいても、この指は女神ファーティマを表すといった。ファーティマのシンボルとなる手は「全イスラムの宗教」を神秘的に統合するものとして崇められている[15]。
ユダヤ人の家父長は、女の脅威的魔力を放つ人差し指を、結婚指輪で束縛するように主張した。そこで、正統なユダヤ女性は現在まで人差し指に結婚指輪をはめている。しかし、キリスト教徒は、結婚指輪に関しては、異教徒の習慣を取り入れた。異教徒は神秘的な「愛の血管」が左手の薬指からまっすぐ心臓に走っているから、結婚に際してはこの指を縛らなければいけないと言った。女性の結婚指輪は「心臓の感情が逃げるのを防ぐため」[16]に薬指にはめられるべきだとマクロビウスは書いている。
爪を切ったあと、切った爪がまじないによって、もとの持ち主に不利に悪用されないように、不用心な処分を戒める態度がいたるところに見られた。北欧伝説に、世界の終末の日の船ナグフラーが、死者の指の爪で作られるとある。「爪を切らない人が死ぬと、ナグフラーの材料に大いに役立つことになって」、それだけ世界の終末の日が近くなった[17]。このため死体にマニキュアをする習慣ができた。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
レアーがゼウスを生むとき、陣痛の苦しみをやわらげようと両手の指を地中につっこむと、ダクテュロスたちが 左手からは五人の女、右の手からは五人の男が生れでたと説くひとたちがいる。しかし、一般に信じられているところでは、彼らはゼウスが生れるずっと以前からプリュギアのイーデー山中に住んでいたということだし、また一説にはニンフのアンキアレーがオアクソス付近のディクテーの洞窟で彼らを生んだのだともいう。男のダクテュロスたちは鍛工であって、近くのベレキュントス山で鉄をはじめて発見した。また、サモトラーケーに住んでいた彼らの姉妹たちは、魔術の呪文を放っておどろくべき不思議を現出させたり、オルぺウスに女神の秘教を教えたりした。彼らの名前は秘密であって、けっして漏れないようにまもられていた。
異説によると、男のダクテュロスたちは、かつてクレータ島でゼウスの揺藍をまもっていたクーレースたちのことで、彼らはのちにエーリスの地に移って、クロノスの霊を慰めるために神殿を築いたという。彼らの名前は、ヘーラクレース、バイオーニオス、エビメーデース、イーアシオス、アケシダースである。ヘーラクレースは、ヒュペルボレイオス人たちのところからオリュムピアへ野生のオリーヴをもたらし、自分の弟たちにここで競争をさせた。これが、オリュムピア競技のはじまりである。彼はまた、競技の優勝者であったバイオーニオスに、野生のオリーヴの小枝で編んだ冠をかぶせてやったともいい、それ以後、男のダクテュロスたちはオリーヴの緑の葉でつくったベッドのなかで眠ったともいう。けれども実際には、密生のオリーヴが優勝者の冠につかわれた例は、第七オリュムピア紀まではない。第七回目になってはじめて、それまで優勝の褒美としてリンゴの木の枝があたえられていたのを、デルポイの神託所がイーピトスに命じてオリーヴの冠にかえさせたのである。
アクモーンとダムナメネウスとケルミスというのが三人の年長のダクテュロスたちの名前であった。このうち、ケルミスはレアーを侮辱した罰として鉄にかえられたともいう。
ダクテュロスは手の指を擬人化したもので、ヘーラクレースのオリュムピアの競走は、親指をのぞいたほかの四本の指でテーブルをとんとん叩くと、人差し指がいつでもこの競走に勝つというほどの子どもっぽい寓話にすぎない。しかし、オルぺウスの秘教は、暦にしたがって循環する魔法の木の系列にもとづいていて、それぞれの木は、指話の際のひとつひとつの指の関係に対応し、また元来はプリュギア起源のものらしいオルぺウス教団の暦のアルファベットの一字一字にも対応していた。親指の第一関節は、精力の宿るところと信じられて、ヘーラクレースと名づけられていたが、野生のオリーヴはこの親指の第一関節に属していた。このヘーラクレースは、自分の身体から木の葉を生い茂らせていたともいわれる(パライパトス・三七)。この方式は、西欧で一般によびならわしている指の俗称のなかにも名残りをとどめている。たとえば、中指のエビメーデースに対応する「馬鹿の指」、第四指のイーアシオスに対応する「薬指」など。また、手相術の上での指の名称にも名残りをとどめている。たとえば、エビメーデースにあたるサートゥルヌス サートゥルヌスはゼウスと争っていつでもおくれをとってきたから。また、イーアシオスにあたる医術の神アポッローン。人差し指は、競走に勝ったユーピテル、すなわちゼウスの指とされた。小指メルクリウスあるいは。ヘルメースは、魔力をもつ指である。古代ヨーロッパでは、どこへいっても冶金術にはかならず呪文がつきものであった。そこで鍛冶たちは、左手は魔女たちのものとして残しておいたが、右手の指は彼らのダクテュロスたちだとしてあくまでも主張した。
アクモーンとダムナメネウスとケルミス いずれも冶金術に関係した名前だが の話は、これまた子どもっぼい寓話で、ちょうど金敷の上にハンマーをうちおろすように、親指を人差し指でとんとんと叩き、つぎにこの二つの指のあいだに中指の先をすべりこませて、これを赤熱した鉄片に見たてたものであろう。鉄は、はるか東方から黒海の南岸づたいに、プリュギアをへてクレータ島にはこばれてきたものである。そのため、精錬した鉄の擬人化であるケルミスは、鍛冶の守護神である偉大な女神レアーにとっては この女神の信仰は、鉄の精錬がはじまると同時に、また鉄製の武器を用いるドーリス人たちの到着と同時におとろえていった いかにも不愉快な存在であったろう。女神が、それまで地上の鉱物としてみとめていたのは、金、銀、鋼、鉛、錫だけだったのである。もっとも隕鉄の塊は、その不可思議な発生ゆえに、たいへん珍重されていたが。ベレキュントス山にも、それはおちたことがあったらしい。手を加えないままの隕鉄の塊がバイストスの新石器時代の鉱床で、かがんでいる女神の粘土の像と貝殻とおそなえ用の鉢のそばで発見されたことがある。古代エジプトで用いられていた鉄はすべてこの隕鉄で、ニッケルを高度に含有していたから、ほとんどさびつくということはなかった。ケルミスがヘーラーに侮辱を加えたという話がもとになって、中指にディギタ・インプディーカ(恥知らずな指)の名がつけられたわけである。
何十年か前に、ロシニョル(J. P. Rossignol)は、いまはほとんど忘れられていがすぐれた本のなかで、半神話的な鍛冶の部族、半身半人の鍛冶と鍛冶神に関し多くの情報を提供する証拠をたくさん集めた。彼の解釈の多くは現代の証拠に照らせばもう有効ではないであろうが、まだ研究しつくされたとはとうていいえない。この大変重要な資料を指摘し研究したという点では、われわれとしても彼に負うところ大である。歴史的な鍛冶部族のなかでは、ポントスの古典古代のカルベス人CavlubeVがよく知られている。鉄を発見したのは彼らだとされている。カリュベス人はギリシア神話中の軍神アレース(Ares)の子孫で、トレビゾンド、シノーペー、アミソスの南の地域、すなわち鉄鉱石の国の住民であるといわれている。たぶん彼らは支配者ヒッタイト人のために、後には新しい支配者モッシュノイコイ人、カルダイオイ人のために鉄をつくる部族であったろう。
ティバレニ(タバレニとも)人は、おそらく聖書に記されたトバル人であろう。この部族はトラキア-プリュギア語派の部族としてモッシュノイコイ人と一緒にバルカン半島から来たが、彼らが鍛冶であったことを証明する歴史的証拠があるかどうかは、なお未解決の問題である。おそらく彼らの名声は、一つには、彼らの被支配者であったカリュベス人による。このことは、カリュベス人の後の支配者であるモッシュノイコイ人にも確実にいえることである。古代ギリシア・ローマの著述家が記すティパレニ人には鍛冶を思わせるものはまったくなく、それどころか、ティパレニ人はのんきで陽気な民族であったといわれている。その一部は、ポントスの平原に住んだが、一部は、 キンメリリア人がアッシリア王の代々の敵としての力をそぐために強制移住させられたあと 彼らと親族関係にあるムシュキ人と同様、キリキアにとどまった。
半神話的で一部歴史的なのは、テルキーネス族に関する伝説である。これらはクレータ島、ロドス島、キュプロス島に住んでいた鍛冶(小アジア大陸の出身か?)の一見したところ歴史的な言い伝えから成り立っているが、これらの言い伝えには、鍛冶の悪魔、すなわち、思うままに姿を変えられ、必ずしも人間の友だちとは限らない「災いの目」をもつ強力な魔法使いの特性が満ち満ちている。彼らは後に海としばしば結び付けて考えられた。テルキーネスというと、アクタイオス、メガレシオス、オルメノス、リユコスという4人の名前がしばしばあがるが、の4人の兄弟は、ウーラノスの血から生まれたといわれる。彼らは、クレータ島のゼウスの母、レアーの領域に属する。クレータはしばしばテルキーニアと呼ばれるではないか! 〔シケリアの〕ヒメラ出身の詩人ステーシコロス〔前640-前550〕が、彼らに言及した最初の人物であるが、エウスタティウスは、彼らをクリュソン〔金〕、アルギュロン〔銀〕カルコンと呼ぶ。ストラボンは次のように記している 「古代、ロドス島はオフィウッサ、スタディア、つづいてこの島に住居を定めたテルキーネス族にちなんで、テルキーニスと呼ばれた。テルキーネス族は「悪意を抱く人」でかつ「魔法使い」であって、硫黄の混じるステュックス川の水を獣や植物に注いで殺すという人がなかにいる。しかし、それとはまったく反対に、彼らは職人としての技量が卓越していたので、競争相手の職人たちから中傷され、そのため芳しくない評判がたったといったり、彼らは初めクレータ島を出てキュプロス島へ、それからロドス島へ来たといったり、彼らが初めて鉄と真鍮を加工し、事実、クロノスのために大鎌を仕立てた、という人もいる」。
しかし、レアーやゼウスの領域に属するこうした前ギリシア文明時代の人物がほんとうにクレータ島の出身であるかどうかは非常に疑わしい。彼らの本来の故郷がフリュギアか、少なくとも小アジア大陸であったことの公算がもっと高い。というわけは、冶金の進化でクレータ鳥が演じる歴史的役割は、ギリシアの伝説をもとにしてわれわれが信じるものよりもはるかに重要ではなく、ギリシアの伝説は数多くの冶金上の達成がクレータ島からギリシアに渡ってきたらしいという事実にもとづいているかもしれない。ヴィソヴァ編『古典古代学百科事典』によると、ギリシア語chalkos(「銅」)とtelchein(テルケイン)という語は、同じルーツにさかのぼり、おそらくアジア起源で、古ノルド語のdfelch、すなわち英語dwarf(こびと)と関連している、という。テルキーネス族はオリュンポスの神々により目立たない存在にさせられた青銅器時代の古い神々あるいは神霊を表しているかもしれない。
神話上の人物のなかでよく知られているのは、山間の谷の鉄を最初に発見し鍛造したダクテュロイ族である。彼らもまたクレータ島のレアーの領域に属するように思われる。ただし、フリュギア出身とする言い伝えもある。ダクテュロイといえば、たいてい5人の男性と5人の女性があがる。彼らは故郷クレータ島を出てサモトラーケー島やオリンピアでへーラクレースとともに崇められた。ダクテュロイは腕の立つ鍛冶であるばかりでなく音楽家でもある。ヨーロッパの小びとや妖精(elves)の特性を数多くもち、山間の洞窟に隠した宝物を守りかつ見張り、金や銀を加工し鉄を鍛えて鋼にした。家や畑用の道具を鍛造して人間に奉仕した。しかしヨーロッパの小びとはダクテュロイより大勢いたように思える。というのは、ヨーロッパの小ぴとには古代の自然、土、死の悪魔の特徴がしみ込み、同時に、鉄を鍛造し牛を飼ったさらに昔にさかのぼる穴居人、原住民、遊牧民、フィン人、ケルト人、ジプシーたちへの忘れられかけた記憶がしみ込んでいるではないか。
クーレースたち〔複数はクーレーテスKouvrhteV〕はダクテュロイ族と血縁関係にある人々で、ホメーロスは彼らをアイトリアの種族と記した。後に、彼らはダクテュロイ族の子孫であるといわれるようになる。クーレースたちは幼いゼウスの従者に属していて、フリュギアではゼウスの子ディオニューソスに同行したともいわれる。揺籃期のゼウスの命を救った彼らの槍と盾を打ち鳴らしての踊りの神話はよく知られてる。後に、武器の大規模製造法を、とくにエウボイア島で発見したといわれている。彼らはエフェソスとプリエーネーでも崇拝されたが、飲めや歌えのお祭り騒ぎをする特徴から、小アジアの出身であることが明らかなコリュパンテス〔KoruvbaVの複数形〕に吸収された。
鍛冶と密接な関係にあるのは、キュクローブスである。この部族は、激しい雷雨と炎の悪霊で、しばしば火山、腕の立つ鍛冶・金属細工師と関連づけられる。キュクロープスは、ぺロポンネソス、コリントス、アルゴス、トラキア、ロドス島で崇拝され、いくつかの伝説によると、アポッローンに殺されたということだし、アポッローンはさらにテルキーネス族をも殺したといわれている。彼らは火と鍛冶の神へーパイストスの鍛冶場の助手で、後にエトナ山にへーパイストスとともに住みついた。しばしば、サテュロスの特徴(とがった耳など)をもつものとして描かれる。(フォーブス『古代の技術史』下II、p.582-585)