ポーランドの詩人にして小説家 |
マンティネイア(ギリシア南部の古代都市)の巫女。ピュタゴラス派の有名な哲学者。ソークラテースの師。昔アルマ・マーテルとして知られていた1人であったが、のちには、父権制社会の歴史家たちに忘れられてしまった[1]。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
ディオティマは、「ゼウスに尊ばれる女」(=知者)の意味。ソークラテースに愛の教説を伝授した女師匠。バーバラ・ウォーカーによれば、アルマ・マーテルの一人であったという。が、ディオティマは、プラトーン『酒宴』(201d以下)の中で、ソークラテ−スが言及しているのが、唯一の典拠である。
ソークラテースによると、ディオティマは、エロースは神と死すべきものとの中間にある精霊であると説いて、次のような神話を語ったという。
アプロディーテーが生まれたとき、神々は祝宴を張っておられましたが、そのなかには「賢慮Mh:tiV」〔女神〕の息子「通路FovloV」もおりました。さて神々が食事をおわられたとき、むろん御馳走がありましたので、「貧窮Peniva」がもの乞いのためやって来て、戸口におりました。さて「通路」は神酒(ネクタル)に酔って お酒はまだありませんでしたので ゼウスの園に入って、疲れて眠っておりました。そこで「貧窮」は、自分の行き詰まりのため「通路」によって子を作ろうと企らんで、その傍らに寝て「恋!ErwV」を孕んだのです。実にこういうわけで、「恋」はまたアプロディーテーの伴侶となり従僕となったのですが、それはかれがこの女神の生誕日に生まれたからであり、同時にまた自然に〔本性上〕、美しいものに対する愛者であるからであり、しかもアプロディーテーが美しいからなのです。さて「恋」は、「通路」と「貧窮」との息子ですからして、つぎのような運命にあるのです。まず第一に、常に貧困であって、多衆が思っているように柔らかくて美しいどころか、硬くて、汚なくて、跣足で、家無しで、常に地上に寝て寝床無く、戸口や路上に大空のもとで眠りますが、それは、母親の自然〔本性〕を持っているので、常に欠乏と同居しているからなのです。ところが他方また父親にならって、美しいものや善いものをねらい、勇敢で猪突で勤勉で、恐るべき狩人であって、常になにか策略を編みめぐらしていますが、また知慮の欲求者であってこれに通じ、全生涯を愛知しつつ、恐るべき魔術師、薬剤師、学者なのです。そして自然に〔本性上〕、不死な者のようでもなければ死すべき者のようでもなく、同じ日のうちでも、あるときほ、良く行けば、花咲いて生き、また、或るときは死にますが、父の自然〔本性〕のおかげで再び生きかえるのです。しかし獲得したものは常に失せ去りますから、「恋」はけっして窮することもなければ富むこともなく、なおまた知恵と無知との中間にあるのです。というのはこういうわけです。神々は、だれも愛知せず、知者となることを欲求いたしません なぜなら、知者であるのですから またその他のだれでも、知者であれば、愛知いたしません。他方また無知なひとたちも愛知せず、知者となることを欲求いたしません。なぜなら、無知の厄介なのは、自ら美而善でもなく知慮ある者でもないのに自分では足れりと思っていること、まさにこの点にあるのですから。ですから、欠くるところありと思っていないひとは、自分が欠いているとは思わないところのものを欲求することはないのです。