イヴ†の聖書の中の添え名である「あらゆる生物の母」は、カーリー・マーの添え名であるジャガンマータを翻訳したものであった。イヴはインドではジヴァとかイエヴァとも言われて、あらゆる現象を創造する女神であった[1]。アッシリアの聖典では、母-子宮、運命の創造女神という添え名を与えられていた。この女神は粘土から男女の人間を創造した。女神は「対で人間を完成した」とも言われた[4]。聖書の2つの創造神話のうち、最初のものは、このアッシリアの話を載せている。ただ、「彼女」を「彼」に変えているところは意味深長である(『創世記』1:7)。
† イヴのタントラの名前の1つはアディタ・エヴァ、すなわち「初めの初め」であった[2]。北バビロニアでは、イヴは「エデンの天女」、あるいは「生命の木の女神」として知られていた[3]。アッシリア人はイヴをニネヴェNin-Eveh「神聖なイヴの奥方」と呼んだ。この女性にちなんで、アッシリアの首都の名前はつけられたのである。
イヴの最初の夫はヘビ以外にはなく、そのヘビは、イヴが自分の性的快楽のために創り出した生きた男根だった[5]。古代の人々の中には、女神とへビを最初の先祖とみなす人たちもあった[6]。女神が人間に生を与え、ヘビが女神の背後のリンゴの木の周りでとぐろを巻いている図が神聖なイコンに示されているのがある[7]。そのようなイコンが故意に曲げて解釈され、『創世記』にあるような改定された創世神話が考案された。しかし、紀元前1世紀のユダヤの伝承の中には、エホヴァを庭にいる太母に付き添うヘビ神と同一視したものがあった[8]。あるときは、太母はイヴと呼ばれ、あるときはナヘマ、ナーマ、あるいはナムラエルと名づけられた。この太母が、男性はおろか、ヘビの助けも借りずに、アダムとイヴを生んだのである[9]。
グノーシス派の聖書によれば、エホヴァが傲慢にも唯一無二の創造主を装ったため に、イヴはエホヴァを罰しなければならなくなったのである。万物の母が、あらゆる物に先立って存在したのに、神は母が自分を作ってくれ、母の創造の力の一部までくれたのを忘れてしまった。「神は自分の母のことすら知らなかった。……神が『私は神である。私以外には誰も存在しない』と言ったのは、神が馬鹿で、母を知らないからであった」。グノーシス派の教典には、創造主が、偉大さにおいて勝り、しかも年長である女性の神によって、傲慢を叱責され、罰せられるところが示されている[10]。
「神の、呪力ある名前」Tetragram-matonの秘伝で人にあまり知られていないことは、その名前のうち4分の3が、神ではなくイヴ†† に呼びかけている事実である。YHWH、yod-he-vau-he は「生命」と「女」を意味するへブライ語の語根HWHから出ていて、ラテン文字にするとE-V-Eとなる[16]。I (yod)を加えると、創造の「言葉」として、女神女神が自分自身の名前を呪文に使ったことになる。これはエジプトやその他の古代国家ではよく見られる考え方であった[17]。
†† イヴは中東共通の優勢な女性の神を表す名前の1つであった。ヒッタイ卜族はイヴをHawwah「生命」と言った[11]。ペルシア人のイヴはHvov「大地」であった[12]。アラム人はイヴをHawah「全生物の母」と呼んだ[13]。アナトリアでは、Hebat、あるいはHepatで、ギリシア語の派生語Hebeもあり、「処女大地」を意味していた。太女神ヘーラーとへーべーの関係はコレー・ペルセポネーとデーメーテールの関係に等しかった。へーべーは「へブライ人」の名祖であったかもしれない。この名前のセム語の語源はhayyで、創造女神の直系であって、あらゆる種族の「生命」と、昔は考えられていた母系親族集団を表していた[14]。イヴとヘビと「生命」の名前は今もアラビア語の同じ語源から出ている[15]。
アダムは神ではなく、イヴの言葉の力によって創られたとグノーシス派の聖書にある。イヴは「アダム、生きなさい。大地から立ち上がるのです」と言った。イヴがこう言うと、イヴの言葉はただちに実現された。アダムは起き上がって、目を開けた。「アダムはイヴを見て言った。『あなたは〈万物の母〉と呼ばれているのでしよう。あなたは私に生命を与えてくれた方ですから』[18]。
アダムの名前は、彼が血で湿った粘土で創られたことを意味している。これはadamah すなわち「血の粘土」といという女性の魔力であった[19]。アダムが肋骨から万物の母を生み出したのではなかった。それ以前のメソポタミアの話では、アダムはイヴから作られたことになっていた。Male Birth-Giving.。バビロニアにおけるアダムの先輩であるアダパ(あるいはアダムゥ)の永遠の生命を奪ったのは、女神ではなく、敵意をもつ神であった。
聖書の考え方は、それ以前の神話を逆転したものだった。神話では、女神が男の先祖を生み出して、それからそ配偶者にした。どの神話をたどっても、いたる所に原型的な神の近親相姦的関係が見られた。だが逆転を始めたのは聖書を書いた人たちではなかった。ブラーフマを最初の男性の先祖と呼んだアーリア人の太祖によって展開されたのであった。アーリアイ人の太祖は、神が自らの身体から万物の母を生み出し、それから母と結ばれた。そうして、万物の母が宇宙の残りを生んだのであると主張した[20]。へブライの話では、子宮をもたない神は子孫を手で作り、実際の生む行為はアダムにまかせられた。改訂を加えた記者が父権制を信じていたので、聖書は、神の出産については触れなかった。記者はできるかぎり「神性」と「母性」の概念を切り離そうと決意していたからである。
だが、グノーシス派の聖書は旧訳以前の伝統にさかのぼって、イヴがアダムを創造して、アダムが天に昇る許可を獲得してやったばかりか、イヴはアダムの肉体に宿る魂そのものであると言った。シャクティが、すべてのヒンズーの神とヨギの霊魂であったのに相当する。アダムは「母からの力」なくしては生きられなかった。そこで母は「善良なる霊、アダムに『生命』(Hawwa)と呼ばれた光の思想」として、地上に降りてきた。母は良心を導く霊としてアダムの中へ入った。「創造物(アダム)に働きかけ、影響を与え、創造物を完全な神殿に据え、欠点の源を教え、昇天(の道)を示すのはイヴである」。アダムは、男性神によって自分に課された無知を、イヴを通して乗り越えることができたのだった[21]。
こうしたグノーシス派の考え方を経て、シヴァとシャクテイのように、アダムとイヴは元来両性具有だったという、ミドラッシュ〔旧訳聖書についての古代ユダヤ人の注釈〕の主張が生まれた。イヴはアダムの中に、アダムはイヴの中に住んでいた。2人は1つの肉体に結ばれた2つの霊魂であった。それをのちに、神が引き裂き、結合の至福を奪った。カバラ研究者は、この考え方を取り上げ、エデンの楽園は、2つの性がもう1度結ばれたときにだけ復活されると述べた。神でさえも、神の女性の片割れである、シェキナShekinaと呼ばれる天界のイヴと結ばれなければならなかった[22]。
もう1つのグノーシス派の話では、神は本物の悪人に仕立てられていた。神はアダムとイヴを呪って、2人の幸福を妬んで、楽園から追い出した。神はまた、乙女イヴを求め、強姦し、ヤハウェとエロヒムという息子を生ませた。この2人の別名はカインとアベルであった。イヴをアダムの母だけではなく、エホヴァおよびあらゆる元素の母とするいくつかの神話があるが、その1つがここにあった。この神話はさらに続けて、イヴの子孫の最初の者が、四大の男性的要素である火と気を治め、2番目が女性的要素の地と水を治めると語っている[23]。
イヴの原型、カーリー・ジャガンマー夕のように、イヴは生ばかりか、死をもたらした。すなわち、イヴがあらゆる生物形態をもたらしたのだが、それらはすべて、生きているからこそ、死の支配下に置かれたのである。信仰が父権制をとっている場合には、生物のすべてが死ぬ運命にあるという事実は、有限の生を与えた太母のせいにされた。楽園で永遠に生きられたかもしれないのに、そこからアダムを追い出した神を責めないで、家父長たちはこの原因を作ったとして、イヴを非難した。『シラフの子イエススの英知書』には、悪は女(イヴ)から始まり、「イヴのせいで、私たちはすべて死ぬ」[24]とある。キリスト教会の教父たちは、イヴはヘビの子をみごもって、死を生んだと言った。聖ヨハネ・クリュソストモス〔「黄金のロをもつヨハネ」と言われた4世紀のキリスト教の雄弁家。コンスタンテイノープルの総司教を務めたが、女帝ェウドクシアの怒りを買い、免職、追放の処置を受けた〕が主張するところでは、それ以後生まれた全女性の種子はイヴの中にすでに存在していたのだから、イヴの犯した罪によって「女性がすべて反逆した」[25]ということになる。
『エノクの書』には、イヴの犯した罪に対して全人類を罰するために、神が死を作ったとあるが、父権制の思想家たちの多くは、たとえ間接的ではあっても、神を非難するのにはためらいを覚えた。そこで、イヴが神に従わなかったとき、どういうわけか偶然に死が出現したというのが、優勢な意見になった[26]。聖パウロはイヴだけを責め、アダムにはリンゴを食べた罪をかぶせなかった。「アダムは惑わされなかったが、女は惑わされて、あやまちを犯した」(『テモテへの第一の手紙』2:14)。西暦418年に、教会会議は、イヴの不服従の結果死が存在するのではなく、むしろ死は当然の必然であると言うと、異教になると宣した[27]。
教会の神父たちが、女を恐れ、憎んだ本当の根源はここにあったのである。そして、これは全西欧社会に浸透して、広がっていった男女差別主義者の受け止め方になった。女は死と同一に見られたのである。死に拮抗する、生誕に対するイヴの責任は奪いとられ、生の創造は父-神の面目とされた。父-神を信奉する聖職者は、神が死の呪いを取り除けると主張した。女はすべて、イヴから生じたと理解されたので、テルトゥリアヌス〔影響力をもった、キリスト教初期の著作者。教会の神父。155-220? 異教の両親のもとに生まれた〕は全女性に言った。
「あなたたちは、自分がイヴだということを知らないのか。あなたたち女性に与えられた神の刑は、この時代にも生きている。罪もまた必然的に生きている。あなたがたは、悪魔の入口である。……神の掟を最初に捨てた人である。悪魔が攻撃する勇気を持てなかった男を、あなたは説き伏せた人である。あなたがたはあまりにも簡単に、神の似姿、つまり人間を破滅させた。あなたがたの罰 すなわち、死 のせいで、神の御子まで死ななければならなかった」[28]。
中世の神学者は、アダムは許されたと言った。キリストが地獄に下って、聖書に出てくる他の太祖たちとともにアダムを救出した。キリストはアダムに付き添って天国まで行き、言った。「汝と汝の息子たちの正しい者たちすべてに平穏が与えられますように」[29]。だが、イヴは許しを貰えなかった。イヴとイヴの娘たちには平穏は提供されなかった。おそらく、イヴやイヴの娘たちは地獄に取り残されたのだ。キリスト教の神学者たちが支持したのは、ペルシアの家父長たちの理論と同じもので、柔順で、夫を神として崇拝する者を除いては、女性にはすべての天国の門は閉ざされているということだった[30]。浅はかにも、現代の神学者までもが、人間の死をエデンの罪のせいにする。ラーナーは「人間の死は、人間が神から堕落した事実を示している。……死は、罪を目に見える形にしたものである」[31]と言った。神学者たちは、いまだに人間以外の生物の死はどんな罪が原因になっているかという疑問を扱っていない。
現実には、教会の存在そのものが、イヴの正統的神話に依存している。「画面から、ヘビと果物の木と女を取ってしまえば、堕落も、顔をしかめる神も、地獄も、永遠の罪もなくなる それで、救世主の必要もなくなる。こうして、キリスト教神学全体が底抜けになってしまう」[32]。
キリスト教神学にとって、『アダムの黙示録』のような、教会法から根拠もなく除外された本が復活することも、同じように破壊的と言えるだろう。『アダムの黙示録』の中で、アダムは、自分とイヴは同時に作られたが、イヴの方が勝っていたと述べた。イヴは「私たちが以前いたアイオンで見たことがある栄光をもってやって来た。イヴは私たちに知識の言葉を教えてくれた。……私たちは偉大な永遠の天使に似ていたのだ。ということは、私たちは、私たちを作った神よりも高い位にあったからである」[33]。以前神聖とされたこれらの本の中では、イヴがアダムや創造主に勝っているとされているものもあった。アダムに霊魂を与え、生命をもたらしたのは神ではなく、イヴであったというのだ。天から悪い神々を追い落し、デーモンにしたのは、神ではなく、イヴであったのだ。「永遠の女性の神」として、イヴは、次第に自分が作った神を裁いて、神は不正を犯しているとし、打ち破ろうとする[34]。
寓話としてみれば、これは社会的真実を反映しているのかもしれない。神々とは集合心理の壊れやすい複合概念だから、無視しようとする者たちにかかっては、容易に壊れてしまう。初期グノーシス派の記録によると、古代世界の女性の大部分は、女性たちと女性たちの子孫を永遠に呪ったと言われる神を無視する気になったという。イヴ神話には変形がいくつもあるが、その中の1つでも正統な神話より優勢なものがあったならば、西欧文明における性行動傾向はかなり異なる線に沿って展開していたのではないだろうか。キリスト教は、人間の死への恐怖を女性へ投影し、しかも女性破を壊者カーリーとして敬うでもなく、ただ憎むようにしたのである。
正統でない経典も、正統なものと比べて、信用の点では優劣つけがたい。正統でない経典の中に出てくる、神の厳しい母であり、横暴なデーモンの神に対しては人間の守護者であるイヴ像は、いまなじんでいる像よりも、キリスト教の初期の時代においては高い支持を受けていた。キリスト教の中でも、いちばん見事に保たれた秘密の1つは、万物の母が神を懲らしめた創造女神だったことだ。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
[画像出典]
フーゴー・ファン・デル・グース (1440年頃-1482)『人間の堕落』