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男性の出産(Birth-Giving, Male)

 子どもを産むということが神性を証す唯一のものであると原始時代の人々は信じていたために、何らかの至高性を求めた最初の神々は、子どもを産む能力をも求めざるを得なかった。事実、子どもを産むという女性が持っている能力を奪い取ることが、最古の神々のやったことのうちで、とくに眼につくことであったように思われる。

 膣がないために、多くの神々はその口から子どもを生んだ。ラー神に仕えた聖職者たちは、ラーはその口から最初の男女を生んだと言った。サタパタ・ブラーフマナ(「100の道を持ったブラーフマナ」。ブラーフマナとは、紀元前800年から500年にかけて作られたヴェーダの聖典を散文で詳説したもの)によると、神プラジャーパティは口から生き物を生むようになったという。しかしそうなる前に、プラジャーパティは彼より古く高い地位の神である女神スヴァーハー(生贄の女神)に生贄を捧げなければならなかった。パドマ・プラーナ(「ハスのプラーナ」。プラーナというのは古代サンスクリットの聖典で、宇宙論、聖なる歴史、神の本性を韻文で表したもの)によると、神シュクラ(=種子)はシヴァの腹に100年も宿っていた後に、その男根から生まれたという。しかしこれは、普通、母親が子を腹に宿して生むというものとは違うものであった。というのも、シュクラはシヴァの腹に宿る前にすでに存在していて、それをシヴァが口から呑みこんで、そして妊娠しなければならなかったからである[1]

 リグ・ヴェーダには男性の創造主のことが書かれている。それによると、その創造主はまず創造母神を生んで、それからその母神を受胎させ、そして母神が宇宙の他のもろもろを創造したという。バラモンたち(僧職の最高位の人々)は万神の母神がたとえブラフマーBrahmaの母親であるにしても、その母神は実はブラフマーから生まれたのであると主張しようとした[2]。しかしブラフマーは「ハスから生まれた」という。それは原初の女陰である女神パドマ(=ハス)から躍り出たことを意味した。彼の最初の「ハスの玉座」はパドマの膝の上に置かれていた。リグ・ヴェーダではパドマはヴァーチュ、大いなる女陰、女王、最初のもの、あらゆる神々のうちで最も偉大なる神、と呼ばれた。女神パドマは、「わたしは天にいます万神の父を生んだ。わたしは深い淵である水の中に住み、それからあらゆる生きものの中に広がっていって、頭のてっぺんで天に触れる。風のように息を吹いて、わたしは天上といわず地上といわず、あらゆる生き物を包みこむ」と言った[3]

リグ・ヴェーダ
 ヴェーダ語(サンスクリット語の古語)で書かれた4巻からなるアーリア人の聖典の最初の1巻。紀元前1500-1200年ころのもの。その内容は聖なる神話、讃歌、韻文である。ヒンズー教の土台となった文献である。

 古代ギリシア人は、彼らの新たなる父ゼウスが、ゼウスよりずっと昔から存在していた女神アテナをその頭から生んだと主張した。しかしゼウスアテナを生む前に、アテナの実母であるメティス(=知恵)を呑みこまなければならなかった。メティスはそのとき、アテナをみごもっていたのであった[4]。古代ギリシア人は、また、ゼウスがその腿からディオニューソスを生んだとも主張した。しかし、このときも、ディオニューソスの実母は女神セレネSeleneであって、ゼウスはセレネがみごもっているときに殺したのであった。霊魂導師として、ヘルメースはセレネの胎内から6か月の胎児を取り出して、それをゼウスの腿に縫いこんで、ゼウスに懐胎を続けさせたのである。

 あるギリシアの彫刻に、アポッローンを積んだの上に座っているのがある。それは、世界卵を生んで、それを孵化した母親レートーLeto(あるいは レーダーLeda、またはラトナLatona)のまねをしようとしたのである[5]。この世界卵というのは、オリエントに古くからあった考えであった。サタパタ・ブラーフマナによると、その去勢の中には「大陸、海、、天体、何層にもなっている宇宙、神々、悪魔、人類」が入っていたという[6]。生誕、つまり去勢を生むということが宇宙創成のイメージであって、創造神はそれをまねる必要があった。エジプトでは、世界卵を孵す母親はヘ(ウ)ト=ヘル〔ハトホル〕で、ヘ(ウ)ト=ヘル〔ハトホル〕はナイル川のガチョウの姿であった。このガチョウは、後に、黄金のを生むガチョウとして神話に現れることになった。point.gifGoose.

 へリオポリス(聖書では「オンの町」)の神であるアトゥムは、自慰行為によってその男根から原初の男女2人を生んだという。紀元前2000年のピラミッド・テキストによると、「アトゥムは、へリオポリスにおいて、自慰行為によって創造した。彼は自分の男根を握りしめて性欲をかきたてた。そして双子が生まれた。シューとテフヌートであった」[7]。しかし、ケペラに仕えた聖職者たちによると、ケペラが手淫をして自己受精し、口からシューとテフヌートを生んだという。しかし最古の伝承によると、シューとテフヌート(「乾性」と「湿性」)は原初の母神イウサセトから生まれたという。聖書の創造神というのは何世紀も前のこの母神を模倣したにすぎないが、この母神も同様に最初の男女2人を造ったのみならず、万物創造の手始めに光をもたらしたのであった[8]

 生むということがどういうことなのかがよくわからないために、神話を最初につくった人々はいろいろと考えをめぐらして、男性の身体から子どもが生まれるようにしようとした。中国の祖神鯀は乱暴な帝王切開を受けた。殺されて、腹を裂かれたのである。そして夏王朝の創建者である禹がその腹から出てきた[9]。北欧神話では、最初の男女2人は巨人イミルの汗くさい脇の下から生まれた。イミルの肉が土になり、血が海になり、骨が山になったという点で、イミルは母なる大地に似たものであった[10]。イミルの頭蓋骨は天界の円蓋となり、その4隅は4人の小びとに支えられていた。4人の小びととは、アウストリ、ヴェストリ、ノルズリ、スズリで、それぞれ東、西、北、南を表した。これはヘル〔ホル〕スの4人の息子の北欧版である[11]。4つの主要な方角を表す同じような神々が『ヨハネの黙示録』の4人の天使〔第7章1以下参照〕、および、4福音書の著者マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネと同一視されるようになった。彼らのトーテムは同じものであった[12]

トーテム
 個人の、種族の、あるいは国家の霊のシンボル、あるいはその具象。動物で表されることが多い。神聖な、あるいはなかば神聖なマスコットで、動物を祖先とするものと考えられた。

 神ロキはある女性の心臓を食べてみごもり、オーディンの ウマを生んだ[13]。普通、神話で女性の心臓を表すシンボルというと、エジプトから北欧に至るまで、それはリンゴであった。それで、エデンの園の話の原型があるいくつかの話では、アダムはイヴを生んだ後ではなくて、生む前にリンゴを食べたものと思われる。

 アダムがイヴを生んだという話は、男性が母親になるという考え方が多くの地域にあって、それが混合して生まれた話であった。ヒッタイトの神クマルビは、彼と対抗した者の男根を食べて首尾よくみごもった。ところがその腹の中の子どもはクマルビの口や耳から出ることを拒否した。クマルビは膣がないために、その子どもを生むことができなくなった。そのため海神エアが、結局、クマルビの横腹からその子どもを取り出してやった。後にアダムのあばら骨の1つをとってイヴを生んだという考えは、シュメールの出産の女神ニン−ティ(あばら骨の女神)から出たものである。ティti は「あばら骨」と「生命」を意味するために、ニン-ティはまた生命の女神でもあった。この女神は子どもたちの骨をその母親たちのあばら骨から造った。このために、聖書記者たちはあばら骨には母親になって子どもを造る呪力があると考えた[14]

 男性が子どもを生むという異常な神話は、ペルシアの非常に父権色の強いゾロアスター教の祭儀から出たものであった。その祭儀は同性愛と獣姦がないまぜになったもののように思われる。原初の存在である雄ウシは交合しによって生まれたものではなく、単性生殖で造られたものであるが、去勢されて殺された。その雄ウシの精液はに飛んで清められた。そしてこの清められた精子から2頭の雄ウシが新しく生まれた。そしてこの雄ウシから「すべての動物が生まれた」のである。こうした話は面白い男根幻想であるが、その中にも女性の要素は隠されている。それは、もちろん、である。しかし2頭の雄ウシは同性愛行為によって他の動物を生んだにちがいない。そしてこうした考えはキリスト教化されたヨーロッパでも知られていた。パラケルススのような「大家たち」も、怪物というのは男性間の口淫、あるいは肛門性交の結果生まれるものであると教えた[15]。たとえどんなに不可能であろうとも、男性でも子どもを生めるという考えを、男性が何が何でも持ち続けたいと願ったことは明らかである。

 キリスト教は女神を人間の地位に降格させた。イヴとマリアの場合がそうである。神秘主義者たちはこの2人を同一人が2人に化身したものとみた。どちらに化身した場合もマリアは天界にいる彼女の父の母、つまり神の母となった。グノーシス派の福音書によると、アダムは処女なる大地から生まれたという。しかしこの処女なる大地はイヴにほかならない[16]。したがって、イヴがアダムから生まれたという話は、神話が後になってゆがめられた話であったのである。

「男性の精神が、たとえば数学におけるように、純粋に抽象的な世界を構築することができないならば、無意識の世界から発する自然のシンボルを用いなければならない。しかし男性の精神がそうしたシンボルを利用しようとしても、シンボルが持っている自然な性格とは相容れないであろう。というのも男性の精神はそうしたシンボルの自然な性格をねじまげてとんでもないものにするからである。たとえばイヴがアダムから生まれたという例をみてもわかるように、父権的な精神の特徴というのは、まったく不自然なシンボルを考え出し、自然シンボルに対して敵意をいだくことである。こうした男性のシンボルリズムをよく分析してみればわかるように、父権的な精神をどんなに再評価しようとしても、それはできないことである。というのは、自然シンボルというのは母権的性格をもつもので、それをくりかえしくりかえし自己主張してやまないからである」[17]

 世界中どこでも、男性が通過儀礼を行う場合、成人に達したことを表すために男性が子どもを生むという芝居を演じた。新参者を象徴的に死なせて再生させる、それも男性という母親から再生させることが、その新入会員を自分たちとの友愛関係に入れる最上の方法である、と男性たちは明らかに考えた。ニューギニアでは、成人グループに初めて入る男性は、出産の霊の衣装をまとった男たちの股の下をくぐった[18]。オーストラリアでは、血管を切り裂いて、その血の中に新しく成人した若者を浸したが、それは子宮の血にまみれることを模倣した呪術であった[19]

 男性の血の洗礼を受けて再生するという考えは、初期キリスト教時代のあらゆる秘儀に共通してあった考えであった。ミトラ教の秘儀では、入信者は生贄となった雄ウシの血を浴びせられ、「永遠に再生した」と宣告された[20]。その後、その入信者は幼児のように乳を与えられた[21]。原始の時代から今日まで、男性の集団は演技をして男性が子どもを生むまねをしてきた。そして、そうした儀式は女性がやっていたのを自分たちはただ盗んだだけであって、女性の場合は儀式のために女性を殺したとまでしばしば言った。そして聖職者たちがさまざまなタブーをでっちあげて、そうした嘘八百をごまかそうとしてきた[22]。マレクラにおいては、男性の成人式が行われる場所にmaraという名前をつけた。maraの意味は女性の分娩所、あるいは出産神殿であった[23]

 初期キリスト教は、女性を完全に排除して、いくぶん同性愛的な傾向のある「出産儀式」を行った。ある著作者によると、キリスト教徒の男性は、男性同士で接吻して、精神的な意味で互いに「妊娠させること」ができたという。「完璧な男性というものは妊娠して子どもを生むが、それは接吻によってである[24]。しかし、自分の種族の新しい一員を生んで育てる能力がはっきりないとわかったとき、男性が自分を完璧な人間とみることはむずかしかった。そのため、女性よりも自分たちが優位であることをはてしもなく求め続けてきた男性は、つねに、男性が母親になるという茶番劇を必要としたのであった。

 ロシア正教会の中世の結婚式では、男性が象徴的に母親になるということが権威を表した。花婿は自分のガウンの裾をからげて花嫁を覆った。それは古代の疑似出産式では養子縁組を意味した。ガウンを着ている人が「母親」で、ガウンの下から出てくる人が「子ども」であった。キリスト教の考えは、妻は母親として子どもに対して権威をふるうが、そうした権威をが妻に対してふるうことを示そうとしたのである。父親であるということが実際に権威を意味したときに、なお母親であることを象徴するものをその権威の上に重ねる必要があると男性が考えたことは、まことに奇妙なことである。


[1]OFlaherty, 32-33, 297.
[2]Larousse, 345; OFlaherty, 26.
[3]Briffault 1, 7.
[4]Graves, G.M. 1, 46.
[5]Knight, S.L., 147.
[6]Larousse, 346
[7]Lederer, 156.
[8]Budge, G.E. 1, 297.
[9]Hallet, 180.
[10]Larousse, 248.
[11]Branston, 60.
[12]Budge, E.M., 89.
[13]Turville-Petre, 129.
[14]Hooke, M.E.M., 115.
[15]Silberer, 71, 144.
[16]Pagels, 53.
[17]Neumann, G.M., 50.
[18]Briffault2, 687.
[19]F. Huxley, 103.
[20]Angus, 239.
[21]Guignebert, 71-72.
[22]Mead, 102-3.
[23]Neumann, G.M., 199.
[24]Robinson, 135.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)